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『残された者 北の極地』感想(ネタバレ)…試されるマッツ・ミケルセン(極寒)

残された者 北の極地

試されるマッツ・ミケルセン(極寒)…映画『残された者 北の極地』(アークティック)の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Arctic
製作国:アイスランド(2018年)
日本公開日:2019年11月8日
監督:ジョー・ペナ

残された者 北の極地

のこされたもの きたのきょくち
残された者 北の極地

『残された者 北の極地』あらすじ

飛行機事故で北極地帯に不時着したパイロットのオボァガードは、壊れた飛行機をシェルター代わりにしながら、白銀の荒野を歩き回り、魚を釣り、救難信号を出すという単調な毎日をこなして生き延びていた。しかし、その何も希望が見いだせない世界に変化が訪れる。生きるために何をすべきなのか。決断が迫られる。

『残された者 北の極地』感想(ネタバレなし)

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寝ると死ぬぞ!

極寒の環境でひとりポツンと取り残される経験はあるでしょうか。

別に遭難しているとか、そういう危機的な状況ではなくともOKです。例えば、吹雪の中でひとりバス停でバスを待っていたとか、誰もいない道をひたすらに歩いていたとか、無心で雪かきをしていたとか…。私は雪国生まれなので、そういう経験はしょっちゅうありました。そして体験者ならわかると思いますが、そんな目に遭うと人の体は機能停止し始めるんですよね。もちろん寒さで体温が下がるのは当然。それ以外にもまるで誰かが私の人体を省エネモードに切り替えたかのように、スイッチが切られていくような…そんな感覚になります。それだけでなく、感情さえも凍り付くのか、なんかどうでもよくなってきます。暑いと感情的にイライラしがちですが、極端に寒いと怒りや恐怖すらも消失し、感情は無になります。よくベタなやつだと吹雪の中で「寝るな!」と仲間の顔を叩くシーンがあったりしますが、本当にそんなものです。

わかる人にはわかる、わからない人にはわからない…そんな話。

そして今回の紹介映画である『残された者 北の極地』は、まさにその“わかる人”には体感度が数倍増加する作品です。きっと4DXではないのに、自分の中で勝手に4DX化して疑似体験共有が脳内でできてしまうかもしれません。

本作は孤立無援の状況下で生存を強いられる「サバイバル映画」です。『オール・イズ・ロスト 最後の手紙』や『喜望峰の風に乗せて 』のような海、『キャスト・アウェイ』のような無人島、『レヴェナント 蘇えりし者』のような森を含む大自然、『ゼロ・グラビティ』のような宇宙空間、『オデッセイ』のような別の惑星…。古今東西、あらゆるシチュエーション&ロケーションのアローン・サバイバルを描く映画がいっぱい存在します。

私はこのジャンルが好きです。その理由は、主人公ひとりという非常に限られた生存の物語に、普遍的な人生論や世界の在り方が投影されていくのが面白いから。また、要素が限定されているからこそ、その乏しい素材をどう使うかという、映画的な演出のテクニックも問われるので、そこも映画好きとしては注目してしまいます。この手の映画では、役者自身も掛け合いなしで自分単独のひとり芝居を求められ、その俳優の演技力をフルに試されもします。だから俳優の全力を目撃できるのもいいですよね。

『残された者 北の極地』はその名のとおり、北極圏にただひとり取り残されてしまった男の生存力が問われていく物語です。『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』というアニメーション映画で、北極の過酷さを垣間見たばかりですが、北極圏も似たり寄ったり。草木もなく資源が極めて乏しいです。ホッキョクグマといった獰猛な野生動物がいます。そしてなによりも寒いです。寒さが“生きよう”という意志を奪います。『残された者 北の極地』はその怖さが嫌になるほど詰まっています。

監督は“ジョー・ペナ”という人物で、聞いたことがないなと思っていたら、それもそのはず、本作が長編監督デビュー作で、なんともともとYouTubeチャンネルで活動する映像クリエイターなのだとか。いやはや、『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』といい、YouTuberの映画界進出も本当に目立ってきましたね。もうYouTuberをイメージで小馬鹿にしている人は時代遅れもいいところです。現在32歳のブラジル人である“ジョー・ペナ”監督。

サバイバルすることになる肝心の主人公を演じるのは、デンマークから生まれた至宝である“マッツ・ミケルセン”。ハリウッドのブロックバスター大作にもガンガン出演している彼ですが、小規模作品に出ているときの“マッツ・ミケルセン”の方が私は好み。『ポーラー 狙われた暗殺者』とかアホな世界観の映画でもハマっているし、何でもできる凄い男です。

他にも出演者としてはタイ人の血を持つアイルランド人の“マリア・テルマ・サルマドッティ”が共演しますが、実質、“マッツ・ミケルセン”のひとり劇場なので、『残された者 北の極地』ではずっと彼を拝むことができます。彼を思い浮かべているだけで私は孤独じゃない!と断言できるファンにとっては、幸福の97分です。映像上では過酷な生存が繰り広げられているのですけど…。“マッツ・ミケルセン”が試される映画の系譜。

ほぼ一切会話のない極めてクールな作品ですが、こういう映画こそ映画館のスクリーンで邪魔もなくじっくりと向き合う価値があると思います。

寝ると凍死させますからね(脅し)。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(俳優ファンならば絶対必見)
友人 ◯(静かな作品でもいいなら)
恋人 △(恋愛気分ではない)
キッズ △(大人向けです)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『残された者 北の極地』感想(ネタバレあり)

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雪に消えるSOS

『残された者 北の極地』の始まりは、棒で固い雪を砕き、地面を掘りだそうとしているかのような男の姿です。その髭面の男の周囲は雪かかなり盛り上がり、むき出しの地面がかなり大きく線上に伸びています。普通、雪をかきわけるならばスコップを使うのですが、この男が持っているのは不便そうな鉄製のほどよい長さの棒のみ。一体、何をしているのだろう?…と観客が思った瞬間、カメラがパッと上空からのアングルに変わり、そこには「SOS」の文字。

そして、無残に墜落した飛行機が映し出されます。ちょっと大きめの軽飛行機でしょうか。飛行機としての形は保っているものの、飛行能力はないであろうと推察できるほどの大破。

続いて男は、氷に掘った穴がいくつも並ぶ場所を確認。氷の下は水らしく、仕掛けがあり、魚が1匹釣れていました。その魚を丁寧に扱い、他にも何匹も魚が保存されているケースにしまいます。

さらにその場でじっと座りながらも、クルクルと何かレバー的なものを回し、機器を作動させる男。通信関連の道具なのでしょうか。しかし、その努力も虚しくとくに何も起こりません。

今度はなぜか丸く積み上げた石をいじります。何かの目印なのか、実用的な意味があるのか。

男は、周囲を歩き、見渡す限りの雪が広がり、建物らしきものはない一切存在しないその風景を見つめます。

最後は機内へ。靴下を脱ぐと、足の指は欠けており痛々しい状態。それも見慣れたのか、気にせず横になると、眠りにつきます。

ここまで描かれるとさすがに察知できますが、この男、オボァガードは自分の乗っていた飛行機が北極圏に墜落し、ひとり生存していたのでした。すでにルーチンワークのように淡々と1日を過ごしている姿を見る限り、相当な日数が経っているようです。

ぴぴ、ぴぴ…という音とともに目覚める男。時計もないし、1日の変化も乏しいこの環境では、このタイム音がオボァガードのライフスタイルを決める大事な要素。また棒で掘る作業に没頭。雪が降り始めた中、魚のケースが壊れて魚が無くなっていることに気づきます。そばには明らかにクマと思われる、大きめの足跡が…急いでダッシュし、機内に避難。今日はもう終わりか。

ぴぴ、ぴぴ…。

相も変わらず、クルクルと意味あるのかもわからずレバーを回す日々(これは遭難ビーコンです)。赤いランプが一定間隔で音を立てて点滅。また、ぴぴ、ぴぴ…の音。これで今日も終わり。やめようとした瞬間、機器のランプが緑になります。するとヘリの音が聞こえ、すぐさま「こっちだ」と叫ぶオボァガード。白煙をあげて自分の場所を知らせます。これでこの天涯孤独な世界から解放される…エンディングだ…。

そうはいかないのが映画の恐ろしさ。近づくとヘリに異変が起き、悪天候のせいか、フラフラとしたかと思えば、真っ逆さまに頭から墜落。希望が一瞬で絶望に…静かに荒い息をするオボァガード。走って墜落現場にかけよると、ヘリ内の搭乗者の中で唯一、女性ひとりは意識があることを確認。

絶望は同じですが、天涯孤独ではなくなったオボァガード。この変化は彼に何をもたらすのか…。

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シロクマだって、残された者

『残された者 北の極地』の舞台は北極圏。具体的な場所は明示されませんが、本作はアイスランド製作の映画であり、撮影地もアイスランドなので、おそらく遭難地点もアイスランドなのでしょうか。

アイスランドは日本ではそんなに語られることのない国ですけど、語りがいの多い国です。2008年に金融危機によって国家非常事態が宣言されるほど経済的にヤバい状況でしたが(発端はアメリカのサブプライムローンなのでアイスランドは悪くないけれども)、見事に回復。今はEUの中でも余裕な顔をしています。また、女性の社会進出が非常に進んでおり、ジェンダーに対する意識が強いです。さらに、軍隊を保有していない国家として世界的にも珍しい国でもあります。日本に似ているのは商業捕鯨国であることくらいですかね。

日本の北海道と四国を合わせた程度の面積であるアイスランドはその国名のとおり、氷の島であり、首都レイキャビクなど一部を除き、アイスランド中央高地と呼ばれる大部分のエリアは人間が居住不可能な荒れ果てた環境です。道路はあるようですが、夏の短い期間しか通行できないそうです。ヴァトナヨークトル氷河というヨーロッパ最大クラスの氷河があり、年中、凍った大地が広がります。

アイスランドでの撮影は困難を極めたようで、それもそのはず。作中で描かれている厳しい環境は実際にあるのですから、撮影だって難しいに決まっています。“マッツ・ミケルセン”本人も「これまで経験した中で最も過酷な撮影だった」と言っているし、これは記者向けの大袈裟な言い回しではなく、きっとガチなのでしょう。

でも公式サイトで「平均気温-30℃」と書かれているのは違和感…。島の北部の冬の最低気温は-25〜-30℃らしいですけど、冬の平均気温は南部は-10℃だそうで、少しばかり大言壮語な感じも…。案外、気温は寒くはないのがアイスランドです。

まあ、そんな細かいことはどうでもいいのです、問題はその環境。作中ではホッキョクグマも襲ってきて、プチ・動物パニック。あのホッキョクグマはCGではなく本物らしいです。どうりでリアルなわけだ…。

なお、本作の舞台がアイスランドだとしたら、あの場所にホッキョクグマがいるのはオカシイです。なぜなら本来の生息地ではないから。でも、数百キロも泳いでアイスランドにホッキョクグマが渡ってきているという報告もたびたびあるんですよね。専門家が指摘するその原因は、地球温暖化の影響で北極の氷が後退を続けていること。

つまり、『残された者 北の極地』は、本来の生息地ではない場所に迷い込んだ二人の存在(オボァガードとホッキョクグマ)の邂逅を描き、事情は異なれど、生存のために必死になる生物を描いた話とも解釈できます。「残された者」はシロクマも同じだ、と。

そう考えると物語の印象が少し変わってきますね。

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共に生きることを諦めない

『残された者 北の極地』はヘリ墜落イベンドより、孤軍奮闘サバイバルから、男女のサバイバルにチェンジします。そうはいってもその女性は基本はずっと意識不明か朦朧として横になっているだけなので、やっぱり男ひとりなのですが。

こういう男女のサバイバルものだと、恋愛要素が入ってくることがあります。イドリス・エルバとケイト・ウィンスレットが共演した『ザ・マウンテン 決死のサバイバル21日間』(2017年)なんか、まさにそのタイプでした。そしてこの手の吊り橋効果的なロマンスはたいてい批評家に嫌われがちです。どうしても都合の良さが目立ちますからね。

でも『残された者 北の極地』のオボァガードは男性としてのいわゆる「加害者性」はあまり目立つような作りになっていません。そういう視点で映画を作ることもあります(『アド・アストラ』とか)。それも今の時代は求められるものなのも確かです。しかし、『残された者 北の極地』はある種のジェンダーレスなスタイルを貫いている感じですらあります。

女性を助けはしますが、外国人なので名前もわからず、言葉も通じず、コミュニケーションがとれない(というか体力の消耗でろくに言葉を発せないのですが)。この女性はどうやら持っていた写真を見るかぎり、結婚していて子どももいるようだ、と判明。そんな女性を介抱するうちに、助けを求めるために旅に出ることを決意するオボァガード。

彼の動機にあるものは何なのか。「女を助けるのが男の務めだ」というマスキュリニティなのか。

私はあまりそのような側面を色濃く感じなかったのですが、その理由は、まず主人公がそこまでジェンダーを強調する言動をしないこと(女性が主人公のサバイバル映画が少ないのは事実ですが。本作は男女逆転しても成り立つ構成ではないかな)。そしてもっと普遍的な「コミュニティの保護意識の芽生え」を描くように思えたこと。この2つが大きいかな、と。

そもそもオボァガードは序盤のひとり環境ではかなり惰性で生存している感じがあります。受け身といいますか、死ぬのを待っているだけというか。アイテムを見る限り、彼は一度、旅を検討してちょっとやってみた形跡があり、でも諦めたのでしょう。遭難直後は仲間の遺体を埋葬したことが、あの積み上げた石で推察できます。“生きる”のをやめ、“死ぬ”時間までの日常を過ごすだけになりました。

ところがそこに新しいひとりが加わり、「1+1」で「2」になると、それはもうコミュニティなんですね。相手とコミュニケーションとれなくても関係ない。それはまるで今の社会が直面している排斥的な動きへのカウンターになるようなメッセージ性も感じます。前述したホッキョクグマのエピソードまで深読みすると、決して都合のいい協調性だけを描くわけでもありません。対立も起こる。暴力も起こる。でも共に生きることを諦めてはいけない。

一度は自分を諦め、次に他者を見捨てて諦めてしまったオボァガードの「Sorry」の言葉が身に染みます。クレバスに落下したのはまさにその戒めでもありますよね。

寒さを乗り越える最良の手段は互いに温め合うことです。それは肉体的な意味ではなく、精神的な意味で。世界の連帯が凍り付く昨今、その意識が私たちの唯一の暖房です。

『残された者 北の極地』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 89% Audience 78%
IMDb
6.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2018 Arctic The Movie, LLC.

以上、『残された者 北の極地』の感想でした。

Arctic (2018) [Japanese Review] 『残された者 北の極地』考察・評価レビュー