ブラインドスポッティング
映画『ブラインドスポッティング』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Blindspotting
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2019年8月30日
監督:カルロス・ロペス・エストラーダ

ブラインドスポッティング

あらすじ

保護観察期間の残り3日間を無事に乗り切らなければならない黒人青年コリンと、幼なじみでときどき暴走してしまう問題児の白人青年マイルズ。ある日、コリンは黒人男性が白人警官に追われ、背後から撃たれる場面を目撃する。この事件をきっかけに、コリンとマイルズは互いの立場の違いを嫌でも実感することになり、大きな衝突を起こす。

ネタバレなし感想

見えるものは人によって違う

「ルビンの壺」をご存知でしょうか。以下の画像のものです。

ルビンの壺

これは隠し絵(トリックアート)のひとつとして非常に有名ですが、もとはといえば認知心理学の理論を示す視覚的な図です。白地の部分を図として認識すれば「壺(杯)」に見えて、黒地の部分を図として認識すれば「向かい合っている人の横顔」に見える…。人は何を認識するかで見え方が変わってきてしまうという、知覚システムの不思議さですね。

「ルビンの壺」は非常に単純化された一例ですが、こういう人によって見え方が変わるというのは、映画の感想でもよく見られると思います。同じ映画を観たはずなのに、全然感想が異なることは頻繁にあります。しかも、同じシーンの解釈が180度違うことすらあって…。「これはきっとこういう意味だな、間違いない!」と自信満々でいたら、他の人の感想を見ると丸っきり逆の受け捉え方をしているケース。まあ、これも感性の話ならば、人それぞれで片づけられます。

映画の感想に限らず、社会全般でもよく起きることです。

でも、もしその認識の違いが“偏見”や“差別意識”といった歪んだ先入観で生じているのだとしたら、「不思議だな~」で片づけられる問題でもなくなってきます。

そんなことを考えさせる映画が本作『ブラインドスポッティング』です。

本作は2018年に製作された映画で、『ブラックパンサー』、『ブラック・クランズマン』に並ぶ話題となったブラックムービーでした(あともう1作、『Sorry To Bother You』という映画も注目を集めましたが、現時点で日本未公開)。


インディーズ映画であり、アカデミー賞などの賞レースでは全然顔を出すことはありませんでしたけど、バラク・オバマ前アメリカ合衆国大統領が2018年のベストムービーに選出したりと、なにかと熱視線を浴びる作品だったとは思います。

内容は、カリフォルニア州オークランドで生まれ育った黒人と白人の大の仲良しの青年同士の、なんとも言えない日常の無邪気な交流を描いているものです。本作が特筆すべきは、確かに事件が起こるのですが、そんなわかりやすいサスペンスではないということ。宣伝文句では「指導監督期間残り3日間。地元オークランドで何の問題も起こさずに、無事に乗り切ることができるのか」なんてハラハラドキドキのタイムリミット展開を期待させる文章が使われていますが、そういう映画ではないです。大きな犯罪の陰謀に巻き込まれたり、警察に追われて大逃走劇になるなんていう、ベタな展開はありません。

じゃあ、何が面白いのかというと、『ブラインドスポッティング』は映画自体が明確に「ルビンの壺」になっているという、実は想像以上に高度な形式をとっている作品なんですね(作中でも「ルビンの壺」への言及がある)。つまり、観る者(具体的には人種)によって見え方は違うでしょ?という認識のズレを炙り出す…そんな映画です。なので、人によっては“これ、物語の起承転結はわかるけど、なんでこんなことをしたの?”となりかねないのですが、そういうときこそ他者の認識を知るのが大事になってくるタイプの作品でしょう。

製作スタイルも変わっていて、『ブラインドスポッティング』の主演となる“ダヴィード・ディグス”“ラファエル・カザル”が脚本・製作もつとめ、作品を先頭で引っ張って生まれた映画です。二人は実際にオークランド育ちの大親友という、映画の役どころと完全にシンクロしており、非常に地元愛を注ぎに注ぎまくった作品。オークランドを舞台にした映画はいくつもありますが、本作は間違いなく“今”のオークランドの全容が素のままに現れており、単に地元を褒めたたえるだけのコマーシャルではない、ピリリと辛みのある風刺が全開で飛び出しています。

監督の“カルロス・ロペス・エストラーダ”はメキシコ出身で、これまで多くのアーティストのミュージックビデオを手がけてきたそうですが、『ブラインドスポッティング』で長編映画監督デビュー。またもや注目すべき才能がでてきてしまった感じです。でも本作に限っていえば、監督よりも“ダヴィード・ディグス”と“ラファエル・カザル”のリアル友情コンビの影響力が一番大きいのでしょうけどね。

いろいろ書いちゃいましたけど、だからといって小難しい映画ではないし、黒人や白人ではない私たち日本人が鑑賞してもOK。むしろ映画という新手のトリックアート・ムービーによって、“無意識”を揺さぶって変化させるチャンスが生まれるわけですから、ここに飛びつかない手はありません。

本作を鑑賞したあなたには何が見えるでしょうか。

オススメ度のチェック
ひとり◯(小規模映画好きは必見)
友人◯(映画マニア同士で)
恋人△(恋愛よりも友情の話)
キッズ△(子どもにはわかりづらい)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

クレバーなストーリーテリング

ルビンの壺うんたらはとりあえず忘れて、『ブラインドスポッティング』のメインストーリーは複雑なトリックのあるものではなく、基本はいたってシンプル。

過去に“ある犯罪”で御用となっていた黒人の青年コリン。彼の保護観察期間が始まるところから映画の物語もスタートします。保護観察は国や州によって多少の法的な扱いが違いますけど、簡単に言えば“ある一定期間の間、大人しくしていれば、それで刑罰は終わり”というもの。当然、その期間中に犯罪をしでかしたり、決められたルール(地域を離れない等)を破れば、また捕まってしまいます。

映画は保護観察開始からいきなり「11か月と27日後」、つまり保護観察残り3日に飛ぶという、大胆なタイムカットを挟み、コリンの街での暮らしが描かれます。

なにせ保護観察中なのでさぞかし品行方正であろうとピリピリしているのかなと思ったら、幼馴染みの白人の青年マイルズを含む友人たちと一緒に、子どものように無邪気に銃を振り回してハシャぎまくる姿。ほんと、よくある光景としての、地元でふざけ合う若者たちという感じ。バカだな~と微笑ましくみていられます。

とくにコリンはマイルズとは最高に仲が良く、夜道を一緒に歩いては、駄話&ラップで息ぴったりの掛け合いを見せる、何をしていても口元がにやける爆笑な日々。コリンとマイルズは職場も一緒で、引っ越し業者で働いているので、プライベートも仕事も常に隣り合っているという、もうコイツら、結婚しているんじゃないかと思うくらいのベッタリ。一応、マイルズはすでに家庭持ちで、妻のアシュリーと娘のショーンがいるのですが、コリンもこのマイルズ家に普通に出入りして、ショーンの遊び相手になっている微笑ましいシーンもあるように、完全に親戚のおじさんポジションです。

演じている“ダヴィード・ディグス”と“ラファエル・カザル”のリアルな関係性がそのままポジティブに映画に反映されていて、とても自然な友情の空気感が素敵です。

しかし、ある日の夜、いつものようにふざけてバカ騒ぎしたマイルズを家まで送り、コリンがひとりトラックを走らせていると、車の前に急に黒人の男が飛び出してきます。そのまま、何が何だかわからず後方へと走り去っていく男でしたが、その後を追いかける白人の警官がひとり。そして、そのまま逃げる黒人の男を背後から撃つ警官。一瞬の出来事。発砲されて倒れた男の姿を運転席のミラー越しに見ながら、茫然とするしかないコリン。警察に行けと言われ、我に返って車を出すコリンは、息も落ち着かせる暇もなく、帰宅。

こんなショッキングな事件が映画の序盤で描かれるのですから、“ここからこの事件が引き金で主人公の人生が変わっていくのかな”とか思っていたら、全くそうはならない『ブラインドスポッティング』。

なんとその後も無意味なじゃれ合いを含むコリンとマイルズのごくごく平凡な日常が続くのでした。まるで何事もなかったかのように。一見すれば肩透かしにも思えますし、“いや、この後で大どんでん返しがくるんだ”と期待を煽られてしまった人もいるかもしれませんが、そうもなりません。この“あえて無視する”というストーリーテリングの妙が後々にジワジワ効いてくる…むしろ“この物語は何なんだ?”と考えさせることでその観客の認識における開いたことのない扉をドンドンとノックする。

こういうアプローチのしかたは、ジャンルは全く違いますがホラー映画の『ゲット・アウト』でも見られたもので、クレバーなブラックムービーの得意技なのでしょうか。

友情では誤魔化せない“差別”

では、この『ブラインドスポッティング』は何を考えさせる映画なのか。

それはタイトルのとおり「盲点(blind spots)」を浮かび上がらせるものであり、具体的に言えば「人種間の世界の見え方・世界からの扱われ方」の違いです。そのことをコリンとマイルズという二人の人間を指標に示しています。

二人は前述したように同じ街で、同じ仕事、同じ趣味、同じ人生を歩んできた一心同体のような仲。でも、それは本当に同一なのだろうか…という疑問の投げかけ。

一番わかりやすいのは、コリンが逮捕される引き金となる暴行事件での二人のその後の人生です。コリンは捕まり、大事な人生の時間の一部を無意味に過ごすハメになり、保護観察という社会的な制約を受けます。でもマイルズは同じように暴力に手を染めたにもかかわらず、何事もなく人生を継続させ、幸せな家庭を持ち、今なお乱暴な行動にもためらいがありません。

でも、マイルズも、そしてコリンさえも、その明らかな“違い”を当たり前だと思って、見過ごすように人生を生きています。本人たちにとっても見て見ぬふりをしている「盲点」ですね。

異なる人種の友情モノといえば、2018年のアカデミー賞で見事に作品賞に輝いた『グリーンブック』がありましたが、あちらの映画は黒人が描かれつつも、当の黒人層からは批判的な意見もあったことを感想でも書きました。


その理由が『ブラインドスポッティング』を観ていてもよくわかる気がします。『グリーンブック』は極端に理想化された上品な友情になっているのに対し、『ブラインドスポッティング』は“いやいや、俺たちの友情ってリアルはこんな感じだから”という、素の現実をそのまま表現しており、なによりも友情なんて美辞麗句ではカバーできない“差別の根深さ”にもしっかり言及しています。

コリンは黒人であり、マイルズは白人である。友情は大事だけど、その現実的な社会での違い(当人が望んだものではないですが)を無視はできないじゃないかという視点。

こういう映画を観ていると、日本人として、例えばそれこそ「黒人差別問題」を“わかったような気になる”状態に自分がなっていないか、不安になってきますね。

ブラインドスポッティング

多様性との向き合い方の違い

以上は、コリンとマイルズの二人を指標にした、社会からの扱われ方の違いでしたが、二人の社会への向き合い方もやっぱり違ってきます。

『ブラインドスポッティング』では、それは「多様性」とどう向き合うかで示されていきます。

舞台となるオークランド。この地域は、1966年にブラックパンサー党(黒人解放闘争を行う組織)が結成された場所であり、その歴史が示すとおり、アフリカ系アメリカ人にとっての言わば“俺たちのバトルタウン”です。

でも、そんな話は昔の話。今は、人種の混成率が高い有数のダイバーシティな街になりました。アジア系も結構なパーセントで存在し、作中でもコリンの実家の母の新パートナーがアジア系でしたね。

それは多様性推進的には“良いこと”な気もしますが、そこで暮らす人々の中には決して多様性をポジティブには受け止めきれていない人もいます。それはドナルド・トランプ大統領が扇動する保守的な人種差別とはまた違ったものです。

コリンは、黒人ですけど、いわゆる“ブラックパワーを!”みたいに声高に主張するタイプではない、こういう言い方をしていいのかわかりませんが、“日和見的”な“現実逃避”な生き方をしている黒人青年です。まあ、要するに“楽しければそれでいい”っていう感じですね。職場の「ヴァル」というインド系の女性に好意を寄せているあたりといい、すごく楽観主義的な寛容性です。多様性を推奨も批判もしない、極めてどっちつかずなスタンス。

一方、マイルズは、自身が黒人女性と家庭を持っていることからもわかるように、白人といえども排外主義はそこまでないのですが、多様化していく…もっといえば“イマドキ”化していく地元を、本音は快く思っていません。序盤で「Kwik Way」という、1952年に設立されたオークランド拠点のファストフードチェーンに対して、ぶつくさ言っているマイルズが映りますが、こんな感じでマイルズは多様性によって地元らしさが薄れることを危惧しています。

この両者の多様性への“ルビンの壺”的な認識の違いは、多様性への恐れ方としても明白に現れてきます。コリンは自分の黒人としての“人種的な惨めさ”が目立つことを恐怖し、マイルズは自分の“パワーの低下”を恐怖している。多様な人種が同じ空間に集う時代だからこそ、自分の事実が浮き彫りになってしまうのですが、それも人種によって状況は変わる。

これぞオークランドだけではない、今、全世界で起きている“多様性によるアイデンティティ・クライシス”そのものだと思います。

盲点は消せたのだろうか

『ブラインドスポッティング』は演出にも凝っているのが魅力。

タイトルの類似もあってか、『トレインスポッティング』と比べる意見も散見されますが、ドラッグ描写はないにせよ、ちょっとドラッギーな異常空間な視覚効果も飛び出してきてユニークです。でも、それらは単なる奇をてらったものではなく、しっかりキャラクター心理とシンクロしたものでした。

冒頭の二画面分割(以降も何度か二画面分割シーンがありますが)は、“ルビンの壺”的な見え方の違いを表現するものでしょうし、多様性への受け止め方を「グリーンジュース」というアイテムひとつで表す(飲むか飲まないか)なんて、よく考えたなと舌を巻きます。

例の事件に遭遇する直前の「赤信号」演出や、終盤のランニングするコリンが見る墓場に立つ大勢の黒人たちの亡霊のような姿など、明らかにホラーの領域に達しているような仕掛けも目を引きました。

あと、もっとも印象的でグサッと刺さるのは、子どもの絡ませ方ですね。マイルズの娘のショーンは、黒人の血が入っているわけですが、途中、銃を知ってか知らずか触ってしまい、危機一髪な場面があります。突発的に暴力が降りかかることを暗示させるようなシーンです。続いて終盤で、若干の喧嘩状態でギクシャクした中でまたマイルズの家を訪れたコリンが、ショーンと戯れる場面。ぼこぼことコリンをいつものように無邪気にたたくショーンに、ふざけるなよと銃のポーズでコリンも無邪気に相手すると、ショーンが「撃たないで!撃たないで!」と両手を上げ、その姿にハッとするコリン。こんな小さい子にももう人種の呪いが染み込んでいる、しかも自分がそれを引き出してしまったんだというショック。

最後、例の警官にヒップホップ調で言葉をぶつけるコリンは、直視せざるを得ない状況になった彼なりの精一杯の行動だったんですよね。本作はセリフ量が多く、しかも吹き替えは不可能どころか、字幕でも日本語訳ではニュアンスが全然伝わらない演出があって、このヒップホップ・ダイレクト・メッセージなんてその筆頭なのですけど。でも、まあ、必死さは伝わるからいいか。

ラストは再び良好な関係に戻ったかに見える二人。これは前進なのか、まだ逃避しているのか、それはきっと本人たちもわからないでしょう。

あえて広義的に解釈するなら、別に人種に限らず、私たち誰でも当てはまる関係性だと思います。全く100%一致する立場を持つ友人なんていないでしょう。趣味や性格が気が合ったとしても微妙に境遇や人生観はすれ違うものですし、付き合っているとそれを“あっ…”と実感してしまう瞬間も訪れるものです。そんなとき、自分ならどうするのか。“こいつとはもう付き合えない”と関係を断つのか、ただ無かったことにして黙って過ごすのか、それとも言いたいことを言い合ってまた再スタートするのか。

自分の盲点を克服するにはやっぱり他人の目に頼るしかないですよね。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 94% Audience 86%
IMDb
7.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

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