バーニング 劇場版
映画『バーニング 劇場版』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

英題:Burning
製作国:韓国(2018年)
日本公開日:2019年2月1日
監督:イ・チャンドン

バーニング 劇場版

あらすじ

小説家志望の青年ジョンスは、幼なじみの女性ヘミと偶然再会し、彼女がアフリカ旅行へ行く間の飼い猫の世話を頼まれる。旅行から戻ったヘミは、アフリカで知り合ったという謎めいた金持ちの男ベンをジョンスに紹介する。ある日、ヘミとベンは一緒にジョンスの家を訪れ、おもむろにベンは「僕は時々ビニールハウスを燃やしています」という意味深な行為を打ち明ける。

ネタバレなし感想

巨匠イ・チャンドンはやっぱり凄い

何かを燃やすのって独特の味わいがありますよね。そう書くと放火魔だと思われかねないですが、そういうことじゃなくて、例えば焚火とかバーベキューとかをしたときに、それなりに大きめの火で何かを燃やしている光景をジッと観ていると心が妙に落ち着くというか…。それこそ石器時代のような大昔に火を使えるようになった私たちの先祖もこうやって燃えさかる火を囲んでいたのかと思うと…不思議。DNAにこの感覚が刻まれているのでしょうか。キャンドルセラピーとかありますけど、あれに近いですね。

本作『バーニング 劇場版』も、タイトルのとおり、“燃やす”という行為が物語の大きなキーワードになる映画です。それが癒しをもたらすかは別の話ですが。

『バーニング 劇場版』を語るうえで外せないのはやはり監督。あの毎度のことながらヘビー級のインパクト(心理的な重さという意味で)を観客に与えてくる、韓国映画界の名匠“イ・チャンドン”監督の最新作です。この人の映画となれば、知っている人は心ざわめき、観ずにはいられません。私も『シークレット・サンシャイン』(2007年)でまんまとやられてしまい、その後の『ポエトリー アグネスの詩』(2010年)にも打ち震えた、すっかり“イ・チャンドン”監督に火をつけられた人間のひとり。世界中で高く評価された実力も納得の素晴らしさ。でも私がいまだにこの“イ・チャンドン”監督の作家性を上手く言語化できない。そんな高次元にいる仙人みたいな印象です。

間違いなく韓国映画に親しむなら無視できない監督なので、幸いなことに手がけた作品数が少ないですし、今からでもビギナーの人も追いかけられると思います。

そんな“イ・チャンドン”監督の新作『バーニング 劇場版』も相変わらずの超高評価で、2018年のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、絶賛もされました(パルム・ドールは是枝裕和監督の『万引き家族』でしたけど)。

内容はネタバレに触れずに説明するのは難しいのですが、村上春樹の短編小説「納屋を焼く」を原作としている点は特筆です。だから原作既読済みの人は、ストーリー展開はおおまかにわかっているでしょう。ただ、そこは“イ・チャンドン”監督。しっかり韓国を舞台に置き換えつつ、各所で我流の味付けをしまくったことで、一種の別の何かに変化しています。とはいっても原作ファンは激怒するような心無い改変ではなく、“そうくるか”と解釈議論を刺激するアレンジですね。本作はとにかく観客の読解力をフルに試されます。答えは提示しません。私も初見時の1回だけでは咀嚼しきれず、2度、3度見て“なるほど”と深みにハマった感じです(ちなみに村上春樹作品はいくつか読んだことがありますけど、「納屋を焼く」は未読でした)。

もう少し具体的に中身を説明すると、本作はいわゆる「得体の知れないミステリードラマ」です。偶然なことに本作が出品したカンヌ国際映画祭では同様の雰囲気を持つ作品が、『アンダー・ザ・シルバーレイク』『寝ても覚めても』と引き寄せ合うように揃っており、なんなのでしょうか。詳しくは言及できませんが、ストーリー展開もちょっと似ています。虚実入り乱れる人間模様に、映像から目をそらさずに集中してお楽しみください。




また、俳優陣がとてつもなく素晴らしいのも魅力。メインは3人なのですが、この3人が凄まじいです。みんな怪演。主人公を演じる“ユ・アイン”は、過去の出演作『ベテラン』や『王の運命 歴史を変えた八日間』とは全然違う役柄で、新境地を開拓。謎の男を演じる“スティーヴン・ユァン”はアメリカ在住で『ウォーキング・デッド』に出演していることで知っている人もいるかもしれません。そして、ヒロインを演じる“チョン・ジョンソ”にいたっては、本作で俳優デビューでそれ以前は演技経験なし。なのにあの表現力…。なんなの、この“イ・チャンドン”監督発掘力…。

なお、たぶん気になっている人はタイトルの「“劇場版”って何?」と思っているでしょうけど、本作はNHKにて『特集ドラマ バーニング』というタイトルで日本語吹替による95分の短縮版が放映されているんですね。短縮版と言いつつ、微妙にオチなどの後味も変わっていて、別バージョンになっています。たぶんこれはNHK側に版権があって、著作権や映像化権、国営放送独自の制約の問題などで、結果、こういう2つになったのだと思います。劇場版だからといって、総集編でも続編でも何でもないので、基本はNHK短縮版を気にせずに単体独立映画として鑑賞してください。

オススメ度のチェック
ひとり◎(名作を観たいなら)
友人◯(映画好き同士で)
恋人◯(映画好き同士で)
キッズ✖(性的描写ありの大人向け)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

3人の共通点

“イ・チャンドン”監督の作品は、社会におけるいろいろな層に鋭い視点を投げかけてきましたが、『バーニング 劇場版』はかなり明確に「現代の若者層」へと肉薄した内容です。これは原作「納屋を焼く」からの一番の大きなリニューアル要素であり、この改変が功を奏して、原作者である村上春樹さえも「長編として膨らまない」と思っていたこの物語を巧みに拡大解釈することに成功しています。

本作の「現代の若者層」というテーマ自体は別に韓国の若者に限った話ではなく、それこそ日本を含む世界中に通用する鋭さです。

本作では主要人物は、主人公である「イ・ジョンス」、そのジョンスが街で偶然出会うかつての幼なじみ「シン・ヘミ」、そのヘミが連れてくる謎の男「ベン」の3人です。

この3人は三者三様で性格も社会的な立場もバラバラなのですが、全員が社会への冷めた空気と、心に空白を生み出す虚無感を抱えているという共通点があります。

短編だった原作に対して150分近い大ボリュームとなった本作は、そのぶんこの3人の描写にもじっくり取り組めるようになっており、文字ではない視覚的存在感で語られる濃密な人物の重みがまた堪らないものになっています。

ジョンスの場合:自炎のバーニング

まず主人公のイ・ジョンス。

彼は運送会社でバイトをして生計を立てていますが、そのかたわらで執筆活動を続けており、どうやらまだ芽は出ていないものの、小説家になりたいようでした。この物語を紡ぐ「ライター」という職業が『バーニング 劇場版』の非常に重要な要素になっているので、絶対に頭に入れておきたいところ。

ジョンスの暮らしは貧相ですし、夢にたどりつける気配もない感じもまた暗い影を背負っていますが、実は家族関係にも闇を抱えていることがわかります。今は誰もいない実家で垣間見える過去。とくに父親との確執は今も大きな傷跡を心に残しているようです。彼は裁判の傍聴にわずかながら顔を出しますが、それらの場面から、ジョンスの父は過去に市役所職員に暴行し怪我させた罪で逮捕され、現在は裁判中だと判明します。暴力の動機は詳細な部分は不明ですが、畜産業者だったので、きっと行政に不満があってカッとなったのでしょう。

そんな父は反省文と嘆願書を出せば執行猶予も望めるらしいですがプライドがあってそうしないそうで。その父のためにやむなく判事あての嘆願書をライティングするジョンス。「情の深い隣人でした」という文章は他人にも褒められ、自分の文才がこういうかたちで評価されることに複雑な気分。

この父の存在は、ジョンスにとっては自分と嫌でも重なります。今の自分と同じように人付き合いもなく、孤独で、内側に暴力性を秘めていた父。現在のジョンスにとっては、実家にいる1頭のメスの子牛だけが本音で語り合える相手です(一方的ですけど)。

その孤立気味のジョンスですが、やや「インセル」な雰囲気も湛えています。インセルというのは、「involuntary celibate」(不本意な独身者)の略で、恋愛的にモテない立場にいる人のことです。日本語のネットスラングでいうところの「非リア充」ですね。インセルの中には、自分のモテなさ(とくに性経験の無さ)をこじらせて、モテる男を恨み、女性を嫌悪する感情を暴発させる人もいて、一部で問題になっています。

ジョンスもその手の経験には縁遠い男ですが、本作冒頭、思わぬ形で幼なじみのシン・ヘミと出会い、流れのままに体を交わることになります。このヘミの部屋でセックス中に、展望台のガラスに光が反射して1日1回光が差すというその光を壁に見るシーンがあります。ジョンスにとってはこの性体験は希望だったかのように。

でも光は消えます。そしてヘミも忽然と消えます。そうなるといよいよジョンスも完全に希望を失ったわけですから落ち着かなくなります。

そこでヘミという希望が行方不明になった原因として、疑いを向けるのがベンです。ジョンスにとってベンは、裕福でモテそうな男ですから、まさに憎むべき対象。好都合です。

本作のラスト、ジョンスがベンを刺し殺し、車ごと燃やすというショッキングな結末を迎えます。これはその前にジョンスが執筆する場面が挿入されることから、あくまでこのベン殺人放火事件はジョンスの思い描いた空想とも受け捉えられます。

そうだとしたら彼がライターとしての創作物を生み出せたという意味では喜ばしいことですし、もう少し踏み込んで考えるなら、それが破壊衝動であることはジョンスが父の二の舞で何かの事件をリアルで起こすのではという未来の悲しい暗示にも解釈できます。

非常に読み方で明暗の分かれるオチであり、実に“イ・チャンドン”監督らしいです。

バーニング 劇場版

ヘミの場合:消火のバーニング

続いて、『バーニング 劇場版』のヒロインであるシン・ヘミ。

彼女は、ミステリアス・セクシャル・フリーダムと、とても村上春樹作品によく出てくる女性像そのままですが、本作ではやはりヘミも心に空虚な思いを抱えた現代の若者を象徴しています。

初登場時、路上の客引き(キャンペーンガールのような、アレは韓国独自なのか?)でクネクネと体を色っぽく踊らせているヘミですが、それが“在庫一掃セール”だというのがまた意味深な皮肉を感じさせます。

ヘミは謎だらけです。ジョンスとは幼なじみらしいですが、それにしては思い出に話が弾む感じでもありません。ジョンスのことを「唯一の友達」と表現するあたりをみると、彼女もまた孤独に生きているようです。もしかしたら虐められていたのだろうかとか、はたまた村全体で何かの理由で差別・迫害されたのだろうかとか、いろいろと考えさせられます。

そんなヘミは性に関してはずいぶん積極的な態度をとります。ベッドの下にコンドームもしっかり揃っていますし、ジョンス以外にも性経験は少なくはなさそうです。それはきっとジョンスもわかっているでしょうし、そもそもジョンスもヘミを性的な目で見ているであろうことは、彼女と会って食事したときに、隣で熱烈にキスするカップルがいる画面構図などでしっかり明示されます。そして、その性の対象でしかみられないことに、ある種の諦めを感じているようにも見えるのがヘミです。

また、ヘミは本作においてはテーマの提示を行うキャラでもあります。習っているというパントマイムをしながらミカンを食べる仕草しつつ、「“ある”って思わないで、“ない”ことを忘れたらいい」「大事なのは食べたいと思うこと」と、存在しないミカンを美味しそうに食べるヘミ。まさに「“ない”ことを忘れる」という発想は非常に現代の若者的思想に通じます。自分は貧乏じゃないと思えば貧乏ではない…そんな発想で自信の貧しさを直視することから逃げる若者たち。

アフリカには2つの「飢えた者」がいる。リトルハンガーはお腹がすいた人、グレートハンガーは人生に飢えた人。「グレートハンガー、素敵でしょ」…そう言うヘミは自分の境遇を達観すらしています。

そして「死ぬのは怖いから、最初からいなかったみたいに消えたい」と呟いたヘミは、本当に存在が消えてしまいます。それ以前にも、いるのか不明な猫のボイルだったり、以降に聞かれるヘミが落ちたという井戸のエピソードだったり、彼女の存在のあやふさを示す欠片がチラホラ散りばめられていましたが、まさに「“ない”ことを忘れる」を究極に体現したかのようです。ヘミがよく眠るシーンが多いのも、存在が消えかけている証拠のようで…。

このヘミの「“ない”ことを忘れる」というのは、ジョンスの目指すライターが「“ある”と創造する」職業だということと対比になっているのが印象的ですね。

ベンの場合:放火のバーニング

3人目は、ヘミ以上に謎しかない男であるベン。

彼は一見すれば、ジョンスと対極的で、“持っている者”という社会の上位層に人間に見えます。住んでいる場所もいかにもお金持ちですし、車もポルシェ。「仕事は?」と聞かれて言葉を濁したあげく「遊んでいます」と回答してくるあたり、ちょっと殴り飛ばしたい気持ちにもなるものです。

でもやはりといいますか、このベンさえもジョンスやヘミと同様に“満たされなさ”を抱えているように見えてきます。「僕は涙を流して泣いたことはない」と悲しさも後ろめたさもなく言い放ち、どんなに周りに友人がいても、どこかその場にいないかのような態度でただたたずむベン。

そのベンが趣味にしていることはなんと「定期的にビニールハウスを燃やすこと」。つまり、放火なのですが、本作全体の物語からこの行為を分析すると、いろいろ読み解けるものがいっぱいあります。ここで原作では納屋だった火を放つ対象をビニールハウスに変更した“イ・チャンドン”監督の妙ですよ。要するに、ビニールハウスというのは“透明な家”…言い換えると“存在が見えないモノ”なわけで、それを燃やすのがベンの役割。まさに自己存在を消滅させようとしているヘミの前に現れるのも必然なもので、一種の命を刈り取る悪魔ですよね。悪役ではなくて世の中のシステムとして役目があるようなそんなベン。

しかし、このベンを疑うジョンスは、彼の家にボイルと呼びかけたらよってきた猫がいたことと、ヘミにあげたピンクの腕時計があったことから、何かを知っているのではと疑惑を深めます。ベンがしょっちゅう電話している姿が、頻繁に無言電話を受けるジョンスとも対になり、ジョンスvsベンの様相になっていくのかなとも思うわけです。

でも考察しながら振り返ると、ベンは裕福さは天と地であってもジョンスと同じ“満たされなさ”を内包しているのであって、ベンはジョンスのアルターエゴ的でもあります

そう考えればラストシーンも意味は変わってきて、ジョンスは自分の別人格(放火という破壊衝動のある自分)を刺して燃やして殺したことで、生まれ変わったとも読み解けます。だからこそ、裸になった姿も“再誕生”という意味合いでマッチしますし。

あと全体的なメインテーマではなくとも、さりげなく国家風刺があるのも良いですね。ジョンスの故郷で日常のように流れる対南放送は、ジョンスの暮らしよりもさらに最貧から知ってか知らずか向けられる言葉と考えると皮肉です。また、ヘミが半裸で舞う非常にムードのある名場面で背景にたなびく韓国国旗とか。とにかく社会に苦しむ若者たちに救いを全く微塵も与えない“国”という存在の虚しさを強調するようです。そんな国に対してインモラルな行動でしか存在を証明できない若者たちの息苦しさも…。

あらためて“イ・チャンドン”監督の天才っぷりを再確認できた『バーニング 劇場版』。感想だって長くなりますが、このへんで締めましょう。

“イ・チャンドン”監督作、もっと見たいので、次回作もそんなに時間をあけずに見てみたいなぁ…。

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星 9/10 ★★★★★★★★★

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