先に愛した人
Netflix映画『先に愛した人』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

英題:Dear Ex
製作国:台湾(2018年)
日本では劇場未公開:2019年にNetflixで配信
監督:シュー・チーイエン、シュー・ユーティン

あらすじ

突然この世を去った父親には男性の恋人がいた。その男は、保険金受取人にもなっている自由気ままな人間で、その事実に気の強い母親の怒りは爆発。その対照的な二人の間に挟まれ、父を失った思春期の息子は戸惑いを隠せずにモヤモヤを募らせていた。

ネタバレなし感想

アジア圏のLGBTQ映画の最新事情

伝説のロックバンド・クイーンのリードボーカルであるフレディ・マーキュリーの激動の半生を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』がここまでの快進撃を見せるとは誰も予想できませんでした。公開からロングランヒットを続け、興行収入は105億円を突破。2018年の興行ランキング1位を記録し、これ以上ない大成功です。
大手のもともと人気の高いシリーズ映画でもなく、有名俳優が出演している映画でもない…そんな作品がベストヒットするというのは異例。また、ロックを描く音楽映画というのも珍しいです。ただ、忘れてはいけないのが、本作が「LGBTQ映画」だということ。もちろん、ゲイやバイセクシャルといったLGBTQを題材にした映画が日本でこんなにもヒットしたのは初めてです。

実はアメリカ本国以外の海外の興行を見ると、『ボヘミアン・ラプソディ』が最も興行記録を上げた国は1位「日本」、2位「韓国」なのです(「Box Office Mojo」から引用)。そして、これも紛れもない事実なのですが、日本と韓国という東アジア圏は先進国の中でもLGBTQへの差別や偏見が大きく、平等な扱いには程遠い状態の国々でもあります。なのになぜそんな国でこの典型的なゲイっぽい恰好の人間が熱唱する映画がこれほどまでにウケたのでしょうか。

これに関してはいろいろな分析ができると思いますし、ポジティブにもネガティブにも言えますが、私の個人的な意見としては“あの映画がヒットすること”“LGBTQへの理解が浸透すること”とは別問題なんだろうなと思っています。

やはりどうしても実際は現実的な課題に直面するわけです。どうやって自分とは異なるアイデンティティを持った人間を受け入れるのか。ましてやその“自分とは異なる他者”が自分の領域に影響してしまう事態になったとき、どうすればいいのか。

例えば、もしあなたの身近にいる人が「ゲイ」だとカミングアウトしたとして、あなたは「ふ~ん、で、今日の晩御飯は何食べる?」と平然としていられますか? もちろん動揺したり混乱したりすることは悪いことじゃないし、人間なのですから完璧な受容力なんてそうそう手に入るものではありません。自分で自分を納得させるのは決して楽なことでもないです。

そんなLGBTQにまつわるリアルな葛藤をストレートに描写した台湾映画が、本作『先に愛した人』です。

内容は、病気で亡くなった父に男性の愛人がいることがわかり、動揺する母親とその息子、そしてその愛人の男の、三角模様を描いた物語になっています。雰囲気だけで判断すると、なんだかシリアスで重そうな映画に見えるかもしれませんが、それが案外そんなこともなく、真面目と“おふざけ”の間の絶妙なラインを走っていくような映画です。物語自体は息子の視点で進んでいき、良い感じでガス抜きになるようなコミカルな描写もありつつ、でも過度にオーバーな嘘はいれずに現実の悩みを描く…非常にバランスのとれた見やすい作品でしょう。

本作はとくに俳優の演技が称賛されており、台湾の映画賞もいくつも受賞しています。具体的には、台北映画祭で主演男優賞と主演女優賞、金馬奨でも主演女優賞を受賞という快挙です。

こうした社会でのリアルなLGBTQへの問題意識が映画で取り上げられて、それが評価されるということこそ、東アジア圏のジェンダーの多様性を促進することにもなるでしょうし、本作は注目に値する映画のひとつではないでしょうか。

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

ゲイを嫌悪する心の裏には…

本作はミニマムな映画で、メインパートの主要登場人物は3人。演劇舞台で音楽の仕事をしていたソン・ジェンユエンという男と同じ場所で働いていて、愛人関係でもあった「ジエ」。そのソン・ジェンユエンと結婚して妻として連れ添っていた「リウ・サンリェン」。ソン・ジェンユエンとリウの息子であるまだティーンの「チェンシー」

私は事前情報をほとんど入れずに本作を観ましたが、LGBTQ映画だとは知っていたので、てっきり恋愛要素が主なのかと思っていましたが、そうではありませんでした。むしろ前述したように、ゲイだった夫(兼父親、兼恋人)の欠落という事態の後に、状況も整理できずに取り残された3人が残された者どうしでてんやわんやと葛藤していく部分に焦点があたっています。

物語は、ジエが死去した夫の保険金の受取人となっていることに腹を立てたリウが、ジエの部屋の扉をドンドン叩いて猛抗議している場面から始まります。そして、この場面で、3人が全く噛み合っていないことがよくわかります。

本作において、やはり物語面でも演技面でも目を見張る存在感を放っているのはリウです。私が本作を素晴らしいなと思うのは、ホモフォビア的な行動をとってしまう人間の心理が、このリウというキャラクターによく表れているということ。

世の映画には典型的な悪としてホモフォビアなキャラクターを描くことがありますが、本作はそうではありません。リウはジエのことが明らかに嫌いで、最終的にはジエの母に「息子はゲイだ」と暴露(アウティング)する一線を超えた暴挙に出るわけですが、そこに至るまでの心理的変化が丁寧に描かれています。夫を奪った相手、そして息子までも奪った相手(これは奪ってなく、実際は息子が勝手に居候しているだけですが)というのはもちろんです。でも、もっと深く突きつめると、リウは「良妻賢母にならなくてはいけない」という強迫観念みたいなものがあり、彼女は常に自分に不安を抱えていたことがわかります。そして、夫がゲイだと告白したときに、その不安が破裂。私が女らしくないからダメなのかと自暴自棄に取り乱す姿は切ないです。リウを演じた“シェ・インシュエン”の名演が光っていました。

当然、妻であるリウにも夫であるソンにも罪はないです。ただ、保守的な男女観で成り立っていた関係性というのは、想定していない多様な性の出現によって、こうも脆くも崩れるものであり、また新しい性別観で関係性を修復するのは一筋縄ではいかないということが本作では生々しく示されていたと思います。

きっと世間のホモフォビア的な行動をとる人も、その恐怖は何かの裏返しなのでしょう。ただ、「差別は良くない」と否定するだけでなく、その裏側を探っていかなければ、共通の理解は得られない…そんな映画でした。

先に愛した人

やりすぎない、ほどよいバランス

一方のジエですが、初登場時の軽いスタイルといい、飄々としていて、真意が全く読めない存在です(それがリウを余計に苛立たせるのですが)。物語がチェンシー視点で進行するので、ジエはまさに謎の男。チェンシーの言うように「悪人じゃないか」と思われかねないですけど、そんなことは実際はなく、実はジエにはジエなりの苦悩と目的があったのでした。

ここで本作は「LGBTQ映画」という大きな要素以外にも「難病モノ」というこれまた別ベクトルで重たい要素をぶちこんできます。ソン・ジェンユエンは重い病気であることを妻と息子に隠し、その看病をしていたジエ。しだいに弱っていくソンをただ支えることしかできないジエは、あっという間にソンの死に直面し、そのやりきれない気持ちを整理し、大切な人に告別するために演劇舞台に全力入魂していきます。

普通、「LGBTQ+病気」とくれば、さすがに露骨に感動させる系のドラマが濃すぎてしまうのではと懸念してしまうところですが、本作はそうでもない感じに収まっていました。いかにも泣かせに狙うような「息をひきとるシーン」なんかは入れないという抑えが効いているし、またそれでもちゃんと病気の深刻さを描くために弱っていく姿はリアルに描いている…やっぱりバランスですかね。この適切な「“やりすぎず”でも“逃げない”精神」は、この手の題材の映画を作るときは必須ですね(聞いてますか、どこかの邦画さん…)。

エモいだけの映画にはなっていない一番の理由は、やはり本作のテーマがぶれていないことです。「愛人と内縁の夫はどっちが勝つ?」というチェンシーの論点もどうでもよく、ましてやLGBTQや病気の苦悩を見せつけることでもなく、メインは大切な人を失ったあの3人の新たな人生の出発を描くことですから。

さりげない演出も好印象

あとは本作は演出が地味ながら上手い感じで好印象。

これ見よがしに「すごい演出だろー(ドヤ~)」みたいなことはしないのですけど、さりげなく物語やキャラクターをバックアップする演出が効果的に挟まれていました。

例えば、チェンシー視点を象徴するように使われる、ところどころ入る“落書き演出”は、とくに前半のドラマをシリアスにせずコミカルに味付けすることで、後半のドラマの重さを引き立てています。チェンシーを都合よく超越した大人視点を持ったキャラにせず、あくまで子どもは子どもとして扱っていることも表していて良かったです。

現代パートと過去パートがシームレスにつながる演出も、物語のテンポ感を損なわないのでとても気持ちよく、登場人物の葛藤が過去の思い出と地続きなことを表現するようで意味深くもあります。

また、ラストの演劇初日の場面は、それまでバラバラだった3人が初めてソン・ジェンユエンという人間を共通で思い出して同じ共有を得ることができたという、3人にしかわからないカタルシスがあるのも素晴らしく。他の役者や聴衆はきっとつまんない舞台だったなとかイマイチな感触かもしれませんが、あそこはあの3人のための世界なんですよね。ジエは愛する人の意志を受け継いで別れを告げ、リウは結末がどうであれ夫の出会いに愛はあったと実感することができ、チェンシーはそんな大人たちの生き様に少し“すれる”のを止める。ここでジエの母が登場して、もう一度「母と息子」の理想的な関係性を提示するのも気が利いています。

なにより物語終了時に、3人が別にそこまで仲良くなっていないのが良いです。それぞれの人生があって、それぞれの生き方がある。でもひとつの共通点を持っている。そんな3人。

カミングアウトする側も、される側も、悩みながらときにぶつかり合って、それでも最後にはひとつだけでも共通の理解が得られれば、それで万々歳ということで拍手してもいいんじゃないですか。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer --% Audience --%
IMDb
7.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

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