庇護は女らしさではなく…「Disney+」ドラマシリーズ『正義の異邦人 ミープとアンネの日記』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
シーズン1:2023年にDisney+で配信
原案:ジョーン・レイター、トニー・フェラン
人種差別描写 恋愛描写
正義の異邦人 ミープとアンネの日記
せいぎのいほうじん みーぷとあんねのにっき
『正義の異邦人 ミープとアンネの日記』物語 簡単紹介
『正義の異邦人 ミープとアンネの日記』感想(ネタバレなし)
オランダが極右政権下になった今こそ
2023年11月、オランダで総選挙があり、この国の未来を導く与党となる政党が決まりました。勝利したのは…“極右”政党でした。
第一党となる自由党の“ヘルト・ウィルダース”党首。「オランダのトランプ」と呼ばれるくらいの人物で、あからさまに髪形も似せていて、なんだかパロディのコメディアンみたいなのですが、残念なことに本物の政治家です。
その政治姿勢は徹底した反イスラムで成り立っており(BBC)、何もかもイスラム教徒が悪いと言わんばかりの論調です。ムスリムが世界を脅かすと喚き散らしまくっています。
このオランダにおける極右政党が実権を握った出来事は、EU各国の極右集団に元気を与え、勢いづかせており、またヨーロッパ全体の不穏さが積みあがっています。どうなってしまうのか…。
オランダと言えば、第二次世界大戦時にはナチス・ドイツに侵攻され、『スヘルデの戦い』で描かれたように各地が戦場となりました。
そしてこの時代のオランダでのナチスによるホロコーストの迫害の中でユダヤ人たちが懸命に生きていた実態を伝えることとなった象徴的な存在…それが「アンネの日記」。
「アンネの日記」については今さら説明するのもあれですけど、実在のユダヤ系ドイツ人の少女である「アンネ・フランク」がオランダにてホロコーストから隠れながら屋根裏に密かに暮らしていたときの様子を日記風に綴った作品です。戦後に出版され、世界的ベストセラーとなりました。
この「アンネの日記」は1959年の映画などあれこれ映像化されてきましたが、今回紹介するドラマシリーズはまたひと味違ったものになります。
それが本作『正義の異邦人 ミープとアンネの日記』。
本作、何がひと味違うのかというと、主人公はアンネ・フランクではありません。その家族でもない。アンネ含むフランク家を匿っていたミープ・ヒースが主人公です。厳密にはそのミープと夫のヤン・ヒースの夫婦に焦点があたります。
だからこの邦題もちょっとどうなのかなと思うんですけど、まあ、「アンネの日記」ってフレーズを入れたかったんだろうな…。
ちなみに原題は「A Small Light」です。意味はドラマを最後まで観ればわかります。
また、ひと味違うのは主人公がミープというだけではなく、その描き方もです。どうしてもその実績ゆえにミープは模範的な善人として清く正しく立派に描かれがち。そしてそれは“か弱い者たち”を庇護するという点で「女らしさ」にも回収されやすいです。
でも『正義の異邦人 ミープとアンネの日記』のミープは、なんというか、ものすごく人間臭いというか、とにかくそんなステレオタイプな人物像になっていません。そこが見どころのひとつです。
なにせ製作総指揮&エピソード監督を務めるのが、『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』の脚本家であり、ドラマ『フライト・アテンダント』などでも監督を手がけた“スザンナ・フォーゲル”ですから。現代的に通じる女性像に仕上げるのはお茶の子さいさいです。
ミープを主演するのは、『ミニー・ゲッツの秘密』『キング・オブ・スタテンアイランド』の“ベル・パウリー”。他には、『暁に祈れ』の“ジョー・コール”、『アステロイド・シティ』の“リーヴ・シュレイバー”、『永遠の門 ゴッホの見た未来』の“アミラ・カサール”、『トゥループ・ゼロ 夜空に恋したガールスカウト』の“アシュリー・ブルック”など。アンネを演じるのは、まだキャリアも浅い“ビリー・ブーレ”です。
『正義の異邦人 ミープとアンネの日記』は2023年のドラマとしてはとても高い評価を獲得し、ゴッサム・インディペンデント映画賞ではブレイクスルーシリーズ(長編)で最優秀作品賞に輝きました。
『正義の異邦人 ミープとアンネの日記』はナショナルジオグラフィック制作で、「Disney+(ディズニープラス)」で独占配信されています。全8話で、1話あたり約40~55分。
オランダが極右政権下になった今こそ、このドラマは観られるべきでしょう。
『正義の異邦人 ミープとアンネの日記』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :じっくり鑑賞 |
友人 | :興味ある者同士で |
恋人 | :夫婦愛を描く |
キッズ | :歴史の勉強に |
『正義の異邦人 ミープとアンネの日記』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤):屋根裏へようこそ
1942年7月6日、オランダのアムステルダム。ユダヤ人のフランク一家は焦っていました。娘のマルゴットだけでも真っ先にここから避難させないといけないのです。オットーとエーディトの夫妻は長女マルゴットを優先し、「私も行きたい」と駄々をこねる一番下のアンネを制止します。
そこでマルゴットを隠れ家に案内する役目をかってでたのがミープ・ヒースです。ミープはマルゴットと自転車で家を出ます。トンネルで着替え、マルゴットはユダヤ人であると示す紋章つきの服を捨てます。
チェックポイントではナチスの旗が威嚇的に並んでおり、武装した兵が監視していました。マルゴットは不安にかられ、ミープは無理やり笑顔を作って平静を装います。
こうなった始まりは1933年。寝坊しながら起きてくるミープは呑気です。今は失業中で取柄もないミープにはやる気なし。両親は彼女にキャスという名前の兄弟のひとりと結婚するよう提案します。ミープは養子です。でもミープはこの義兄が密かに同性愛者であることを知っています。
そんな中、オットー・フランクが経営するオペクタ商会の秘書としてなんとか雇われることになりました。オットーはユダヤ人で、最近ナチス・ドイツから亡命したそうです。最初はひたすらいろいろな実でジャムを作らされるも、徐々に認められ、ぐいぐいと押していく性格もあってか、不愛想なオットーも心を開いていきました。
オーストリア人のミープは幼い頃にオランダ人家族に養子として引き取られたという経緯があります。オットーとも通じるものがあり、絆を深めていきました。オットーの妻エーディトと2人の娘、マルゴットとアンネもすぐにアムステルダムで合流し、ミープと子猫で打ち解けます。
また、ミープはヤン・ヒースという男性とひょんなことから親しくなり、結婚するまでになりました。
1940年、そんな平穏が徐々に崩壊します。ナチスは急速にオランダに侵攻し、街中を兵士が行進闊歩するようになり、ユダヤ差別が拡大しました。
1942年、ミープはフランク一家に相談されます。このままではナチスに捕まるので、まずはマルゴットだけでもあのオペクタ商会の屋根裏に隠す必要がある、と。
なんとかナチスの検問を通り抜けることに成功し、マルゴットを屋根裏に隠します。そして他のフランク家もみんなこの屋根裏で隠れ住むことになりました。
ヤンは心配しますが協力してくれることになりました。一方で、ヤンもレジスタンス活動に参加するようになり始め、身の危険を感じることが増えていきます。
そうこうしているうちにあの屋根裏に隠れたいと言ってくるユダヤ人が他にも増えていき、いつの間にか大所帯になっていきました。隠れ家に通じるドアを開けるのは口笛が合図です。
いつかまたみんなで平和に過ごせる時がくると信じて…。
些細な意識が左右を分ける
ここから『正義の異邦人 ミープとアンネの日記』のネタバレありの感想本文です。
『正義の異邦人 ミープとアンネの日記』の始まりは1933年。世界的な大恐慌によってオランダも壊滅的な影響を受けていた時期です。1931年頃から大量の失業者が発生し、1933年には失業者で溢れかえっていました。
作中のミープ・ヒースは冒頭から「働きたくない」「結婚したくない」を体現する、なかなかに不貞腐れた状態を見せており、私としては共感しまくりです。養子ですが、お行儀がいいようには描いておらず、我が儘というほどではないにせよ、めんどくさそうな人間に見える感じ。
でも同性愛者の兄を思いやったりと、すでにこの時点で人権意識を垣間見せてもおり、後のユダヤ人たちを匿う行為に繋がる人柄として納得できます。
そんなミープがフランク一家を匿う理由はもちろん職場の上司ゆえの献身もあるのでしょうし、同情もあったのでしょうけど、このユダヤ人迫害が長期化し、悪化の一途をたどるにつれ、ミープはどこまで覚悟するのかを示さないといけなくなっていきます。
ここがすごく分かれ目ですよね。どこまで覚悟するのか…。
本作は、最初の微かな善意が、どこかで明確な人道的保護活動へと切り替わる…その過程が描かれているわけですが、ミープ自体をそこまでのカリスマ的存在として描いていないからこそ、これは誰でも問われることになる身の振り方なんだと思い知らされます。
実際、ミープの周囲、親友のテスなんかは普通にナチス支配体制に迎合する道を選んでしまっているんですよね。たぶんあのテスも素で自分が悪いことをしているという感覚はないのだと思います。ただ社会の流れに乗って生きていたらこうなったというだけ…。楽しそうなクリスマス・パーティーが実は…というあのエピソードはそういう社会の縮図です。
もしかしたミープも一歩違っていたらテスと同じような生き方をしていたのかもしれません。
でもミープはそうならなかった。それはなぜか…。
本作においてミープを模範的というほどに理想化せずに描いている効果がここで発揮されていて、ミープがナチスに屈しなかったのはたまたまそういう意識があっただけなんでしょう。
昨今では「意識高い系」なんて言い方で冷笑する風潮もありますが、そのほんの些細に思える意識というものが自分が社会でどう生きるかを決定的に左右してしまうことがある。そういう現実をこのドラマはありのままに活写しているのかなと思います。
規範から抜け出すことが抵抗の第一歩
『正義の異邦人 ミープとアンネの日記』において、ミープは“か弱い者たち”を庇護するという点で「女らしさ」に回収されずに描かれており、そこはこの作品を面白くさせる最大のオリジナリティになっていました。
『ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命』とかでもそうですけど、どうしても女性らしさに収まってしまうことがあるんですよね。
“ベル・パウリー”演じる本作のミープは、いきなりナチス兵にモノを投げつけたり、喚き散らしたりと、自由奔放に感情を爆発させることがあって、観ているこっちはヒヤヒヤします。
その豪快さの一方で、アンネやマルゴットとは女子トークみたいな雰囲気で連帯を深めるなど、コミュニケーションはしっかりとれています。現実的に考えると、あんな狭い部屋であれだけの人間を匿うことって、相当な人間関係構築術がないとできないことだと思うので、ミープにはそういう才能があったんじゃないかな。
それでもオペクタ商会にゲシュタポによる家宅捜索が入った際、隠れているユダヤ人が見つかり、連行されていく間、ミープは何もできません。何かできたのかもしれない。でも何もできなかった…。そんなミープの屈辱がじっと伝わるシーンです。
ここでミープがいかにもステレオタイプな女性的役割である仕事をさせられるという展開がまた上手いですね。迫害と家父長制の接点をしっかり映し出していました。
そんな中、もうひとりの主人公とも言えるヤン・ヒースも印象的。彼はレジスタンスに少しずつ関わり始め、言ってみれば「男を見せろ」的な覚悟を求められるのですけど、本作のヤンはそういうステレオタイプな男らしさに留めていません。
本作におけるヤンはミープの接し方も含めて、非常に前進的な男性像になっており、対等に支え合う姿がよく目立っています。別に男性だからといって既存の男らしさを示さないとレジスタンスができないわけではなく、むしろそこから抜け出すこと自体がこの社会への反抗になるというメッセージも感じます。
これはナチス支配の社会を家父長的に描いているのとは正反対であり、今作のヤンの表象もきっと作り手の意図的なものでしょう。
ジェンダー表象を見ているだけでも、こうした性規範からであっても抜け出すことが抵抗への第1歩なのだと再確認できます。「女らしさとか男らしさとか、たかがそれだけでしょ。それが何なの?」と思う人もいるでしょうけど、やっぱりその“たかが”のことが大事なんです。
ミープもヤンも普通の人。権力があったわけでも、金持ちだったわけでもない。それでもきっと何かできることはある。本作はこの2人を主役にすることであらためて正しい行いの価値を誠実に提示できていました。
2023年はイスラエル&ガザ情勢によって「反ユダヤ主義か? イスラム嫌悪か?」と安直な二項対立を迫る世相が目立っていますが、そんなうわべの対立には意味はありません。誰に対してであろうとあらゆる差別は迫害です。もしイスラム教徒が政治的に迫害されるようになったオランダにミープ・ヒースのような志を持つ人物がいるとすれば、きっと今度はイスラム教徒に救いの手を差し伸べるのではないでしょうか。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 100% Audience 95%
IMDb
8.4 / 10
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以上、『正義の異邦人 ミープとアンネの日記』の感想でした。
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