永遠に僕のもの
映画『永遠に僕のもの』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:El Angel
製作国:アルゼンチン・スペイン(2018年)
日本公開日:2019年8月16日
監督:ルイス・オルテガ

永遠に僕のもの

あらすじ

1971年のブエノスアイレス。思春期を迎えたカルリートスは、子どもの頃から他人が持っている物を無性に欲しがる性格だった自分にぴったりの道を進む。それは窃盗という犯罪。新しく入った学校で出会ったラモンという青年にたちまち魅了されたカルリートスは、さらにその行為をエスカレートさせて、周囲さえも気にせずに我が道を暴走していくが…。

ネタバレなし感想

国中が欲情した悪の天使?

“知らない他人”に初対面で会ったとき、おそらく大半の人は外見でその人の印象を決めつけるでしょう。もちろん、人は外見だけですべてを評価することなんて不可能なのですが、人の認識とは浅はかなもので、いとも簡単に見た目に左右されてしまいます。

このような“身体的な見た目”によって生じる扱いの違いを「ルッキズム(Lookism)」と呼び、代表的な差別のひとつです。例えば、身長が低い人もしくは極端に高い人、肥満体型の人もしくは極度にガリガリに痩せた人、顔立ちが整っている方ではない人…そうした“身体的な見た目”が良くないとされる人たちはネガティブに評価され、その逆で“身体的な見た目”が良いとされる人はポジティブに評価されがちです。

学校、会社、政治、エンタメ…あらゆる場所にルッキズムは影響を与えていますが、犯罪でも同じです。一般的に犯罪者とされる人は、“身体的な見た目”が悪いと思われがちで、ゆえにそういう表面的特徴を持つ人を何もしていないのに犯罪者扱いで不審感や警戒心で見なす状況もたびたび発生します。

では、もし素晴らしく優れた“身体的な見た目”を持つ犯罪者が現れたら? そうなると先ほどとは真逆で、たとえ極悪な犯罪者だったとしても「ファンがつく」など熱狂的に持ち上げられる現象が起こります。ほんと、世の中って理不尽ですね…。

本作『永遠に僕のもの』はまさにそんな優れた“身体的な見た目”を持っていたためにカリスマアイドルのように信奉もされた、実在の連続殺人鬼をモデルにした映画です。

具体的には1971年のアルゼンチンで連続殺人を次々と犯した「カルロス・ロブレド・プッチ」という、当時まだティーンだった少年について描かれています。アルゼンチンでは非常に有名だそうで、犯罪の凶悪性もさることながら、この少年が整った顔立ちの美貌を持つ“美少年”だったゆえに、マスコミも国民も興味関心が倍増。「死の天使(The Angel of Death)」「黒い天使(The Black Angel)」などと称されて、社会が熱狂したとか。

そんな話題だった人の映画化ですから、アルゼンチン国内での関心はずば抜けて高く、大ヒットしたそうです。製作に、国際的な映画賞で名を馳せる“ペドロ・アルモドバル”が関わっていることもあり、そのプロデュースの推しもあってか、『永遠に僕のもの』は2018年のカンヌ国際映画祭のある視点部門に出品されました(とくに賞には輝きませんでしたが)。また、アカデミー賞の外国語映画部門にてアルゼンチン代表作品としてエントリーしましたが、こちらもノミネートされず。ただ、それだけアルゼンチン国内でのプッシュの強い作品だということはわかっていただけるでしょう。

一方で、ひとつ注意しておくべきことは、『永遠に僕のもの』はその「カルロス・ロブレド・プッチ」という実在の連続殺人鬼を題材にしつつも、史実に忠実ではないということです。というか、ほとんど9割ぐらいは創作だと思ってよいでしょう。本作の監督である“ルイス・オルテガ”もインタビューにて、「伝記ではない」「事実をリライトした」と堂々と語っています。具体的にどこが実在のモデルの話と違っているのか、その詳細は感想後半で書くとして、とりあえず本作を観て、「へぇ~、こんなことがあったんだ」と史実を理解したように思わない方がいいです。

『永遠に僕のもの』の魅力はなによりも主演を演じる“ロレンソ・フェロ”。本作が初出演らしく、ラップシンガーとしての活動歴もあるみたいですが、この美少年っぷりは今後も他作品で引っ張りだこになるかもしれません。

美少年のピカレスクロマンな映画を観たい人は見逃せない一作でしょう。もちろん、実際にこんな人間に出会ったら見惚れているうちに酷い目に遭うこと間違いなしなので、メロメロになる前に後ずさりしてくださいね。

オススメ度のチェック
ひとり◯(マニアなチョイスで)
友人◯(犯罪映画好き同士で)
恋人△(イケメン率高め)
キッズ△(犯罪描写が多め)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

コンビニ感覚で盗む、殺す

1971年のアルゼンチンの首都「ブエノスアイレス」

思春期を迎えたカルリートスは自分の中の抑えきれない渇望を持て余していました。散歩しているかのように道を歩くこの少年が、おもむろにフェンスを飛び越えて、豪華な家のある敷地へ侵入。どう考えても持ち主ではありません。そしてそのままどこから入ったのか、室内を我が物顔でうろつき、そこにあったアルコールを飲み、グラス片手に2階へ。そのまま棚を物色し、何か面白いものがないか探すかのように、かき乱します。そして、音楽をかけたと思ったら、部屋のど真ん中でリズミカルに踊る

この冒頭シーンだけでこの少年の異常性がハッキリ提示されます。別に“盗む”という明確な目的があったわけでもない。ただ、それこそ現代で言えばコンビニに寄ったくらいの感覚で、家宅侵入と窃盗をしているだけという、歪みきった日常。

カルリートスは本当に何がしたいのか観客にすらさっぱり理解できない存在です。「みんなどうかしてる。もっと自由に生きられるのに」というセリフがありますが、“いや、あんたの方がどうかしているし、それは自由とかいうレベルじゃないだろ”と冷静にツッコミたいような。

たぶんカルリートスにも自分がよく理解できていない…ゆえに自堕落に感情だけで行動している…そうとも受け止められます。

とにかくこのカルリートスは学校でも異常行動だらけで、ガスバーナーを人に向けることも平然と行います。しかし、なぜだかそれがきっかけなのか、そのファイヤーしちゃった少年のラモンと知り合い(なんかこちらもイケメン)、家に案内されることに。このラモンの父であるホセがなかなかの悪者であり、銃の使い方を教わり、より利益のある窃盗をすることに。

そこでガンショップに盗みに入るわけですが、手当たり次第に大量に、銃弾すらも根こそぎ、目についたものは何でも盗ります。なんかもう、町のギャングを壊滅させるか、もしくはランボーかジョン・ウィックか襲ってくるでもないかぎり、こんな大量の銃はいらないのですけど…。ラモンやホセすらも唖然とする大胆さですが、カルリートスにしてみれば遊び感覚。

そして、ついにある日、ラモンと家に侵入した際、殺人を犯してしまいます。このシーンでのカルリートスの、背後に気配を感じて何の確認もなく振り向きざまに発砲するという行為と、その後の撃たれて最期を悟る家主を全く気にもせず、目についた絵画を抱えてあっけらかんと盗む行為。この2つがもう“あ、コイツ、やべーな”となる恐ろしさですね。

以降は盗みもエスカレートし、あげくには殺人すらも平然と実行しまくるほどに底なしの狂いっぷりを披露するカルリートス。

一方でラモンは、そんな天井知らずに過激の一途をたどっていくカルリートスを尻目に、自分なりの地に足のついた幸せを見つけようとして、だんだんとカルリートスから距離が離れていきます。

そんなラモンに対してもカルリートスはついに暴力を向けることになり…。

他人を傷つけることしかできない人は、最後は自己崩壊していく…それを裏付けるような、誰のものにもなれない殺人鬼の物語でした。

実在のモデルは全然違う?

『永遠に僕のもの』は実話ですか?と聞かれれば「ほとんどNO」と答えてください。それくらいの大幅な脚色がなされている本作。作中のカルリートスのどこが史実と違うのか。

共通点と言えば、それはもちろん「美少年」という部分です。実際の写真をネット検索して見てもらえればわかるのですが、作中で演じる“ロレンソ・フェロ”とほんとにそっくりな童顔で、どこを見ているのかもわからない目つきとかも、似ています。個人的には美少年というよりも垢抜けない少年という感じで、その顔で人を殺していたのかと思うと、そこが逆に恐怖をじんわり増長させますね。

一方で、それ以外は全然別人なくらい違っていて、とくに作中では決定的な脚色を追加しています。それが人格に関わる“ある要素”のトッピング。

それが「ゲイ」ということです。

作中のカルリートスは、ラモンのホセとの初対面時にチラ見えする股間を凝視していることからもわかるように、あからさまにゲイとして描かれています。これは実際のモデルになった当人には確認されていない特徴です。

結果、『永遠に僕のもの』は「ゲイ版ボニー&クライド」みたいなテイストの作品になっています。

1930年代前半のアメリカ中西部で銀行強盗や殺人を繰り返したボニー・パーカーとクライド・バロウという実在カップルは超有名で、それこそ凶悪犯罪者なのにアイドル的に人気を集めたのも共通し、『俺たちに明日はない』や『ザ・テキサス・レンジャーズ』で映画化されています。


『永遠に僕のもの』はカルリートスとラモンという2人を疑似的にペアにしたあたりといい、この「ボニー&クライド」を下地にしている雰囲気が強いです。

そして何でも自分のものにしてしまうカルリートスも、ラモンの心だけは奪取できなかったという、悲恋の物語でもあります。

カルリートスが常に身につける、ズボンの前方に挟み込むようにしまう二丁拳銃も、一種の男根の象徴のようにも見えますし、今作は非常にキャラクター性の際立て方が露骨です。

実在の人間をインスパイアして「ゲイの悩める美青年殺人犯」にリニューアルしたことに関しては是非があると思います。確かにそのぶん、史実の犯罪性が軟化している側面も否めません。例えば、実際はモデルになった「カルロス・ロブレド・プッチ」は、11件の殺人、1件の殺人未遂、17件の強盗、1件のレイプ、1件のレイプ未遂、1件の性的虐待、2件の誘拐、2件の窃盗を犯しています(有罪判決が下されたもののみでこれだけ)。しかし、作中ではレイプなどは描いておらず、それはきっと彼のゲイ的なセクシャリティを弱めないためだと思われます。

こういうアレンジができるのも、ある程度の伝説化してしまった犯罪者だからこそのアクロバティックな技ですかね。

永遠に僕のもの

アルゼンチンの歴史と重ねて

また、別の視点でこの主人公を考察することもできます。

『永遠に僕のもの』の舞台は、1971年のアルゼンチンのブエノスアイレスです。

私はこういう特定の年代の異国を舞台にした映画を観た時は、その時代にてその国で歴史上何が起こったのか調べることにしているのですが、ちょうどこの時期のアルゼンチンは軍事政権の束の間の穏やかな空気が流れていたようです。その前に政権反対側との内戦のような泥沼の戦闘が起こり、映画の舞台となった時期はその緊張が緩み、続く1976年にまた軍事政権による反政府派への弾圧が過激化し、「汚い戦争」と呼ばれる大虐殺が起こります

そう考えると、国民がこの猟奇的ですらある美少年殺人鬼に熱中したのも、一種の社会問題渦巻く現実からの逃避のような気もしますし、別の言い方をすれば社会への反発を美化して具現化した存在のように受け止めたのかもしれませんね。

今回の事例以外にも、狂信的な支持を集めた犯罪者の例を見ると、単に見た目が美しかった以上の社会的な背景が実は裏側にあるケースは珍しくないと思います。

だから作中でラスト、カルリートスが大量の警察や兵に包囲される中、室内で冒頭と同じく気楽に踊っているシーンで物語は幕を閉じますが、これは考えようによってはこれからの時代でアルゼンチンのブエノスアイレスでまさに起こる政府による虐殺を予感させるエンディングとも解釈できます

カルリートスが11人殺したのも大問題ですが、その後の政府は数万人を殺しますから。“なんだかな~”と後味の悪さも残す、皮肉な作品なのかもしれません。

今、現在のアルゼンチンは連邦共和制国家で、軍部の勢いもすっかり弱まっています。現状の課題は国内経済を強めること。そんなアルゼンチンで本作は、かつての暴走しがちだった自国の歴史を俯瞰させる効果もあるのかなと思ったり。

若かりし頃のアルゼンチンを暗示させるカルリートスという美少年。どんなに美しくても、また現れない方が良いのが本音ですかね。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 74% Audience 74%
IMDb
7.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★

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作品ポスター・画像 (C)2018 CAPITAL INTELECTUAL S.A / UNDERGROUND PRODUCCIONES / EL DESEO