ナチス第三の男
映画『ナチス第三の男』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:HHhH(The Man with the Iron Heart)
製作国:フランス・イギリス・ベルギー(2017年)
日本公開日:2019年1月25日
監督:セドリック・ヒメネス

あらすじ

卓越した才能と剛腕な性格によってナチスの中でみるみるうちに存在感を強め、150万人を超えるユダヤ人虐殺の首謀者として絶大な権力を手にしていったハイドリヒ。しかし、ヒトラーとヒムラーに続くナチスの権力者であるハイドリヒの命を絶つべく、若き者たちが狙いを定めていた。

ネタバレなし感想

「HHhH」の意味

1200年ごろに成立したとされる古来ドイツの叙事詩に「ニーベルンゲンの歌」というのがあります。

主人公は「ジークフリート」という男で、物語では、ノルウェーのニーベルンゲン族をうち倒して、名剣バルムンクを奪ったほか、悪竜を倒すなど、誰もが称賛する軍功を立てた英雄です。しかも、魔力のこもった竜の血を浴びて、いかなる武器も受け付けない不死身の体となったのでした。しかし、背中に一点だけ血を浴びられなかった部分があり、この一か所のみが彼の弱点となり、そこを敵に槍で突かれて暗殺されてしまう…という最期を遂げます。

その「ジークフリート」をあだ名につけられた男がかつて存在しました。その男が軍人時代だったときの話なので、きっとジークフリートの武勲を意識してポジティブな意味でそう名付けたのでしょう。でも、まさかその男が暗殺されるとは思ってもみなかったはずです。そう、暗殺されたのでした。

うん…あだ名をつけるときは注意ですね。

その暗殺されてしまった男の名は「ラインハルト・ハイドリヒ」

可哀想な奴だと思ったかもしれません。でも、この人、第二次世界大戦中、ヒトラー、ヒムラーに次ぐナチスの実力者だった男なのでした。

このハイドリヒを題材にした映画が本作『ナチス第三の男』です。

原作は、ローラン・ビネの書いた大ベストセラー小説「HHhH プラハ、1942年」。映画のフランス語の原題でも「HHhH」となっています。ずいぶん見慣れない暗号めいた単語ですが、これは「Himmlers Hirn heißt Heydrich」の略で、「ヒムラーの頭脳、すなわち、ハイドリヒ」を意味し、彼がヒムラー以上の策士だったことを表したものです。

実はすでに同じ題材の映画が2016年に作られたばかりです。それが『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』。完全にネタかぶりをしていて、ゆえに『ナチス第三の男』の方は公開を1年遅らせて2017年にしたほど。タイミングが悪かったですね。
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一応、違いがあるとすれば、『ハイドリヒを撃て!』は暗殺する側に完全に寄ったつくりになっています。対して『ナチス第三の男』は、暗殺される側であるハイドリヒの半生を前半に描きつつ、後半から暗殺する側の人間模様を描くというダブル構成です。なので、ボリュームは『ナチス第三の男』の方が大きく感じるはず。どちらの作品を先に観るのをオススメするかと言われると難しいのですけど、完全に気にせず観られるものから観ればいいと思います。損得はないでしょうから。

ただ、説明したように、本作は暗殺される側とする側の双方を描くものなので、邦題から連想されるようにラインハルト・ハイドリヒの純粋な伝記映画というわけではないので、そこは注意。もう少し邦題に気をつけてほしかったかな…。ハイドリヒをメインにしたい気持ちもわかりますけど。

監督は“セドリック・ヒメネス”。ドキュメンタリーでキャリアをスタートさせた人で、これまでの監督作はどれも日本では劇場公開していないので、本作で日本デビューですかね。私もこの監督の映画を初めて観たので、作家性とかは全然何も言及できませんが、丁寧な映画作りです。

キャスト陣は“ジェイソン・クラーク”“ロザムンド・パイク”“スティーヴン・グレアム”“ジャック・オコンネル”“ジャック・レイナー”“ミア・ワシコウスカ”など、渋めの座組。日本でも『アリス・イン・ワンダーランド』で知られる“ミア・ワシコウスカ”ですが、社会派映画に出演するのは久しぶりなのでは。

ナチス歴史映画好きは必見ですし、こういう歴史を知らなかった人も知識を深めるという意味で良い経験になるはずです。

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

ハイドリヒという獣

1942年5月27日のプラハ。ハイドリヒの乗る車の前にひとりの男が飛び出し、銃を構える。

この暗殺の日から遡ること、1929年のドイツ。映画はここから始まります。

キールのバルト海海軍基地に通信将校として勤務していたハイドリヒは、社交場で出会った貴族階級のリナ・フォン・オステンと運命的な出会いを果たし、婚約。この遭遇がなければ、歴史は大きく変わっていたのかもしれません。

ハイドリヒは妻だけを愛したわけではなく、非常に自由奔放な女性関係で有名で、自分のクラブを独占的に持つほどの乱れた生活を送っていました。それが裏目に出て、あるお偉いさんの娘に手を出してしまったゆえに、海軍上層部の怒りを買い、不名誉除隊を余儀なくされます。

これまでのキャリアを失い、怒りに震えるハイドリヒは、しばらくのち、ナチス党親衛隊(SS)指導者ハインリヒ・ヒムラーとの面接の機会を得ます。そして、ナチ党に入党したハイドリヒは、まさに「HHhH」としてヒムラーの頭脳となり、共産主義者から組織内の政敵、さらにはユダヤ人まで、情け容赦なく攻撃の刃を向け、自分のキャリアを取り戻していきます。

この一連のパートだけで、ハイドリヒがどういう人間で、どうしてああなってしまったのか、示されていたと思います。自分にとって都合のいい存在は支配欲の対象とし、自分の意思や人生に刃向かう存在は徹底的に反発し、叩き潰す。“頭脳”というには思慮のない、反射的行動で動く獣のようです。

ちなみに映画内では明確に描かれていませんが、ハイドリヒはユダヤ人だったのではないかという説もあり、その真偽はともかく、周囲からはユダヤ人としてからかわれることもあったようです。このフラストレーションが後の「ユダヤ人問題の最終解決」の原動力になったと考えることは、そこまで荒唐無稽ではないようにも思えます。

獣を狩る者と受け継ぐ者

一方、傍若無人の限りを尽くすハイドリヒ率いるナチスの支配を食い止めるべく、英政府とチェコスロバキア亡命政府が密かに実行に移したのが、エンスラポイド作戦というコードネームで呼ばれるハイドリヒ暗殺計画。その暗殺計画の実行者として、亡命チェコスロバキア軍人からヤン・クビシュ、ヨゼフ・ガブチークを含む数名のまだ社会に出たばかりのような若者を選抜。パラシュートによって敵の鋭い監視の目が光るチェコ領内に送り込まれたヤンとヨゼフは、チェコ国内に潜伏するレジスタンスらの協力を得て、暗殺のタイミングを窺います。

正直、この“暗殺する側”の物語は、かなりダイジェスト感があり、ちょっと物足りないと思う部分も。前半ではハイドリヒひとりの人物像をじっくり描き出していたのに、急に複数人の新キャラがワラワラ現れるわけですから。

ヤンとヨゼフの背負う背景も理解する時間もなく、彼らが葛藤し、最終的に悲劇的な結末を迎えても、観客は少し置いていかれた気分になります。

このあたりに関しては、“暗殺する側”をじっくりメインで描いた『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』の方が見ごたえがありました。焦燥感や苦悩の伝わり方が段違いで変わってきます。『ナチス第三の男』を鑑賞した人は、補足的にも『ハイドリヒを撃て!』も観ておくと良いです

ハイドリヒが暗殺による攻撃を受けた後、数日後に死亡(公式では感染症で亡くなったことになっています)。それ以降、映画ではハイドリヒは当然出てきませんが、彼の意志を継いだ人間は登場します。ハイドリヒの副官だったカール・ヘルマン・フランクをはじめとする、ハイドリヒのさらに下にいた者たち。彼らが暗殺事件の犯人を隠匿していたと考えたリディツェ村に行った仕打ちを見れば、あの“頭脳”は死んでおらず、むしろ拡散したと考えるべきなのかもしれません

日本の宣伝では「なぜヒトラーでも、ヒムラーでもなく、彼だったのか?」というキャッチコピーで本作を表現していますが、私はハイドリヒに別段の特殊性がないことこそ、真に恐ろしいと思います。だから簡単に模倣者も現れる。暗殺ができたのは偶然でしょうし、それこそヒトラーも暗殺未遂があったりしましたから、ハイドリヒの死は不運だったということで説明がつきます。でも彼の死は決して歴史を平和に導かなかった…そこが重要じゃないですか。

私が本作にキャッチコピーをつけるなら「なぜ彼の死はさらなる悲劇を生んだのか?」とするかな。

ナチス第三の男

ハイドリヒは今もそこにいる

本作はハイドリヒの人物描写に関して、やはり現代と重ね合わせやすいように製作陣も意図しているような気もしました。

それはハイドリヒを演じる俳優に“ジェイソン・クラーク”を選んでいること。実際のハイドリヒの写真を検索とかして見てもらえればわかるのですが、似てはいません。実物はもっとほっそりした顔立ちで、まだ少し優しそうに見えます。対する、本作のハイドリヒは、いかにも強面で人を寄せ付けない威嚇力のある顔と体。非常に攻撃性を前面に出した風貌です。

このアレンジというか雰囲気の変化によって、結果、狙っているかどうかは別にして、今のネオナチのステレオタイプな姿に似ている感じもします

それ自体は考えすぎかもしれませんが、ハイドリヒの存在は今のネオナチに通じるのはわからなくもない話です。そもそもハイドリヒはヒトラーを絶賛していたわけでもなく、自分の利益を追い求めた結果、あの凶行に行き着いた、それだけの存在。昨今のナチス映画に共通することですが、ナチスを最初から悪の権化として異常な存在という扱いで描くことはせず、あくまで「普通」に描きます。そんな「普通」でも、ああいう風になってしまうんだということが、あの忌まわしき歴史の示す恐ろしさだと伝えるように。

私たちの身近にもいるでしょうし、もしかしたら自分かもしれません。

「私は右翼です」とか「ナチスを支持します」なんて宣言はしないけど、なんとなく毎日SNSでリツイートや“いいね”をしている意見が“ある方向”に偏っている…。弱者よりも責められる強者に同情する…。自分は中立的で正しいことをしていると信じている…。自分に刃向かう意見は許せない…。自分では気づかない自分の存在がありませんか。

ハイドリヒはそこにいます。第一、第二になるのは難しくても、第三は簡単になれるのです。

そういえばハイドリヒの趣味の一つがフェンシングでした。フェンシングは互いに向き合いルールに則って攻撃をします。それならいいんです。この世界の全てがフェンシングのように対立し合うなら、虐殺も暗殺も起こらないのですけど。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 63% Audience 47%
IMDb
6.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★

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↑『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』…『ナチス第三の男』と同じ題材の映画。やっぱり邦題がダサいな…。
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