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『ハイ・ライフ High Life』感想(ネタバレ)…タブーを超えた先に

ハイ・ライフ

タブーを超えた先に…映画『ハイ・ライフ』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:High Life
製作国:ドイツ・フランス・イギリス・ポーランド・アメリカ(2018年)
日本公開日:2019年4月19日
監督:クレール・ドゥニ

ハイ・ライフ

はいらいふ
ハイ・ライフ

『ハイ・ライフ』あらすじ

遥か宇宙の涯て、モンテとまだ赤ん坊である娘のウィローは、宇宙船「7」で共に暮らしている。厳格な自制心によって欲望から身を守る男・モンテは、自らの意志に反して彼女の父となっていた。2人の旅は、どこに向かっているのか、おそらく彼らにも分からない。その過去にはあるタブーを犯す、禁忌の行為が積み重なっていた。

『ハイ・ライフ』感想(ネタバレなし)

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クレール・ドゥニは宇宙で何を描く?

「タブー」という言葉を聞いて何を思い浮かべるでしょうか。

多くの人は「人殺し」を挙げるかもしれません。確かにそれは禁断の行為です。でも私たちは日々何かしらの生命を殺めて、その命の恵みによって生きています。たくさんの命を殺しておいて、人間は殺してはいけないのはなぜなのか。同種の生命だから? では死刑は? 中絶は? 安楽殺は? その線引きはどうやって決めるのか。それは軽率な判断では決められません。だからタブーと呼ばれるのでしょうけど。

「タブー」という言葉はポリネシア語が語源らしいですが、世界中にタブーは存在しており、積極的に話題にしないだけで、私たちの生活や人生と切っても切り離せないものです。

そんなタブーについてあえて考えてみる機会はなかなかないと思いますが、映画をとおしてその問題提起に向き合うことができます。

今回紹介する映画『ハイ・ライフ』も、タブーに関して熟考する濃密な約110分を体験することができるでしょう。

『ハイ・ライフ』は、ぞんざいに言ってしまえば宇宙を舞台にしたSFです。というと、どこぞの宇宙船がドンパチしながら光だ闇だと戦っているスペース・オペラであったり、広大で危険に満ち溢れた宇宙でサバイバルしていくスリラーだったり、そういう類のものを真っ先に想起してしまうのはしょうがない部分。でもこの『ハイ・ライフ』はそういう内容ではありません。

「アート系」と称されるのかな。でも私はあまり映画をこういう言葉で乱雑にくくるのは良くない気もするのでなるべく使用したくないのですが、そういう言い方もできます。

事前にこの映画の立ち位置をハッキリしておいた方がいいと思うので書いてしまいますが、万人ウケするような映画では決してありません。見慣れていない人からすれば「なんだこれは」とずっと思いながら映像を見つめるだけの、極めて無意味に感じる時間を過ごすことになります。描かれることからしてドン引きする以外の感情は沸いてこないかもしれません。無論、そう感じた人は退屈でしょう。

2019年は『アド・アストラ』というSF映画があって、その中身の内省的な地味さにキョトンとなってしまった観客も一定数いたと思いますが、『ハイ・ライフ』と比べたら『アド・アストラ』なんて初心者向けに見えてくる…と言っても大げさではないと思います。

つまり、観客の読解力がすご~く要求されるわけです。後半の感想ではこの映画についてあれこれ書いていますが、それだってあくまで私の感想に過ぎません。どう読み解くかはあなたしだいです。

作品の雰囲気としては、『惑星ソラリス』(1972年)などのアンドレイ・タルコフスキー作品に通じるものがあり、実際にかなりタルコフスキーへのリスペクトが捧げられています。それだけでSFマニアの人は空気を察することができるでしょう。

監督はフランス映画界の巨匠にして、女性監督としてもパイオニアである“クレール・ドゥニ”。1988年のデビュー作『ショコラ』の頃から国際的に高い評価を受けてきた“クレール・ドゥニ”監督はとにかく個性の強い作品が多め。そんな彼女が71歳にして、これまたさらなる挑戦的な作品を生み出しているのですから、なんとも凄いエネルギーです。私も“クレール・ドゥニ”監督の作品を全部おさえていないのであれですが、『ハイ・ライフ』は強烈な一本だと思いましたし、同時に年齢に悲観的になる弱さなんて馬鹿々々しいなと後押しをもらえた感覚にもなります。

一般観客の評価は頭にクエスチョンマークが並ぶ困惑のものばかりですが、批評家評価は高め。2019年の映画ベスト10に『ハイ・ライフ』を選出している批評家も複数見受けられ、その熱烈な支持を証明しています。

俳優陣も見ごたえがあり、主演には“ロバート・パティンソン”。彼は『ハリーポッター』シリーズや『トワイライト』シリーズでお茶の間に人気を集めましたが、それからは『グッド・タイム』など小規模作品を中心に活躍し、演技の深みがどんどん増しています。今後製作の新バットマンに抜擢されていますが、どうなるのだろう…。

“ジュリエット・ビノシュ”も重要なキーキャラクターで登場。是枝裕和監督の『真実』でも最近は名演を披露していましたが、『ハイ・ライフ』の彼女はなかなかにインパクト大。他にも『サスペリア』でも怪演を見せた“ミア・ゴス”が今回もまた悲惨な…。なんかこういう役を好んで選んでいるのかな…。

アメリカでは名作を嗅ぎつける嗅覚に優れる「A24」が全米配給権を獲得し、日本はどうなるんだろうと思ったのですが、劇場公開されました。ただ、やはりさすがにこんな作品ですので宣伝に相当苦労したのか、そこまで大きな話題性は映画ファンの間ですらも薄め。まあ、無理もないことですが。

見逃している!というSF考察力に長けた人たちは、ぜひとも鑑賞してその内容を語りあかしてほしいものです。そうすることで活きてくる作品なのですから。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(SFマニアは必見)
友人 ◯(SF好き同士で考察を)
恋人 △(難解なので不向きかも)
キッズ ✖(子ども向けではない)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ハイ・ライフ』感想(ネタバレあり)

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父の子育て奮闘記…に見えるけど

『ハイ・ライフ』は最後まで見終えるとわかりますが、物語自体が「ノンライナー(Nonlinear)」、つまり時系列順ではない非線形の構成になっています。

どうしてそうしたのかを察するに、この方が印象的だと思ったのでしょうけど、確かにそのとおりです。

冒頭、青々と生い茂る植物が映し出されます。それは野外の緑ではなく、どうやら何かの施設で栽培されているものだということがわかります。その施設には全く人の気配がなく、唯一存在しているのはずいぶんお手製感のあるベビーエリアにポツンといる赤ん坊のみ。パパを呼びかけるような声を発する掴まり立ちができるようになってきたばかりの赤ちゃん。

すると画面はパッと変わり、父親らしき男は船外で活動しています。なんとここは宇宙なようです。赤ん坊はディスプレイを見ており、それであやしているようですが、明らかに子ども向けの映像ではありません。子育て環境としてはあまりにも雑…というか何も準備すらしていなかったように見えます。

それでもその男「モンテ」は遠隔にいながら泣く子をなだめます。その子の名前は「ウィロー」というらしく、父のあやしも効果なく、甲高く泣いて音声通信に響きます。そのあまりのうるささに道具を落としてしまうモンテ。

船外から戻ってくると、宇宙服を脱いでいき、野菜を採取。赤ん坊にご飯をあげます。電気が一瞬消えるなど施設は不安定な雰囲気が漂っていますが、モンテは「大丈夫だ」と言葉を赤ん坊にかけるのでした。

この宇宙船にいるのはモンテとウィローの二人だけ。とある部屋に入り、白い袋を開くと女性らしき人が横たわっていました。それは遺体のようで、たくさんあり、どんどん運び出していくと、モンテはその遺体に宇宙服を着せていきます。そして船外の暗闇へ放り出し、宇宙空間を漂う宇宙服の者たちが映る中、映画のタイトル。

そこから時間は遡り、なぜこのような状態になったのかが描かれていきます。

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タブーを積み重ねた結果

『ハイ・ライフ』は作中でもモンテが赤ん坊のウィローに言い聞かせていましたが、まさに「タブー」を描く映画です。

この宇宙船自体がタブーでした。

表向きの目的は「ブラックホールに向かい、“ペンローズ過程”を実現すること」。1969年、イギリス人宇宙物理学者ロジャー・ペンローズにより提唱された、自転するブラックホールからエネルギーを取り出す過程のことです。まあ、要するに夢のようなエネルギー生成の理論なのですが、実現性はなく、ただの思考実験にすぎません。つまり、そんな眉唾ものの空想のために宇宙船が派遣されていくなんてことはオカシイです。

ではこの宇宙船は実際には何をしているのか。この狭い空間ではディブスという女性の博士によってある実験が行われていました。それが「人間の性」に関する研究。倫理的には通常であれば行えないような内容の実験を、この法律も通用しない宇宙の果てで実行しているのでした。その被検体に選ばれたのが9人のクルーで、いずれも死刑や終身刑を告げられた重犯罪人たち。

ここではモンテを含むクルーはまさに実験動物のように扱われ、自発的な性行為を禁止されながらも、男は精液を採取され、女は妊娠を強要されるという、極限空間での生殖の試みが行われていました。地球を離れて3年以上、ずっとその状態。それに何の意味があるのかもわかりませんが、ディブスは憑りつかれるように没頭しています。

こんなこと、タブー中のタブーなのは言うまでもないです。

そのタブーが何をもたらしたのか。いよいよ精神的にも限界に達し始めたクルーたちは、次々と倫理の一線を越え始めます。エットーレという男は妊娠に否定的なボイジーをレイプしようと暴力を振るい、そのエットーレはミンクという女に復讐的に殺されてしまい…。それでも研究しか頭にないディブスは寝ているモンテから密かに精液を自ら採取し、それでボイジーを妊娠させ…。ボイジーの赤ん坊が生まれると、今度はその赤ん坊を独占するディブス…。自ら命を絶つクルーも…。そしてボイジーはブラックホールに単身向かうもスパゲッティ化現象の効果で消滅し…。

男による女への性暴力、女による男への性暴力、女による女への性暴力、あらゆる性を超えた殺人、自殺、実験の失敗…。この世のタブーを全て経験するような地獄です。

でも注目したいのはその数多のタブーの結果、最後に残ったのはモンテとウィローであるということ。それはあのちょっと微笑ましくもあるような、不慣れな「男の子育て」の姿です。子育ては女がするものというステレオタイプが強く残る人間社会。その社会では決して最初から推奨されなかった「男の子育て」が実現できている。しかも、その命を愛しているのはかつて大きな罪を犯した人間で…。

これを皮肉ととるか、運命ととるかは人それぞれですけど、タブーが世界の常識を変えて別のステージに移行させることを不気味かつ神秘的に啓示する物語ともいえるのではないでしょうか。

生殖をキーワードにした奇抜な作品は“クレール・ドゥニ”監督はこれまでも『ガーゴイル』(2001年)などを手がけてきましたが、『ハイ・ライフ』はさらに攻めていますね。

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エンディングの意味

『ハイ・ライフ』というタイトルは「上流的な暮らし」を意味するそうですが、黒人からみた白人の暮らしを指す使い方もあるそうです。

“クレール・ドゥニ”監督はパリ出身ですが子ども時代はアフリカに住んでいたこともあり、アフリカに詳しいです。だからデビュー作の『ショコラ』ではカメルーンを舞台にした作品を作れたのですが、そのいろいな水準の生活(ライフ)を見てきた体験は『ハイ・ライフ』でも発揮されている気がします。

無数のタブーの犠牲の上に偶然にも行き着いたモンテとウィロー、父と娘の温かい生活。それは「ハイ・ライフ」なのでしょうか。

しかし、その生活はずっと続きません。資源も豊富ではないですし、何よりも二人しかいないのです。

そんなとき二人の乗る宇宙船と同型の宇宙船がやってきます。そこには犬しかおらず、親犬らしきものは死体となり、子犬だけが歩き回っている、悲惨な状態でした。これが何を意味するのか。単純に考えると未来の暗示です。モンテの乗る宇宙船にはデカデカと「7」と書いてあり、その突然やってきた同型の宇宙船には「9」と書かれています。数字の順番的にも未来性を示していると受け取れます(「9」をひっくり返すと「6」になり、過去を示すのもまた意味ありげ)。

そしてその宇宙船の惨状を見ることでモンテは自分たちの最悪な結末を察知したのかもしれません。今、いるのは二人。食料が無くなれば“共食い”をすることになる。また、次世代に子を残すには“近親相姦”をするしかない。それはまたもやタブー。やはりタブーからは逃れられないのか。

この二人はアダムとイブのようでもありますが、それだってタブーが始まりです。あの施設の緑生い茂る「ガーデン」もまさに花園ですね。人類はずっとタブーと一緒にあり、それは宇宙の果てでも同じ。

結局、二人はブラックホールに消えていきます。その先には死が待っているのか、それとも別の未知の「ハイ・ライフ」なのか、それはわかりません。

本作は非常に抽象的で寓話的に思えるかもしれませんが、こういうタブーと直面した現実問題は今の私たちの社会では目前に存在しています。例えば、AIだとか。男性が妊娠できるようになったり、卵子から精子(もしくは精子から卵子)を作り、同性同士で子どもを作ったり。はたまたとてつもない寿命を手に入れることも。そんな生命倫理を問われる未来は迫っています。それを否定する立場だったとしても未来からは逃げられません。あとは前を向いて未来に進むか、背中を向けて未来に進むか、その違いです。

モンテとウィローは前を向いて未来に進むことにしたのではないでしょうか。

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モチーフはあの神話のキャラ

『ハイ・ライフ』では“クレール・ドゥニ”監督は実に巧みな表現方法で人類の未来を示唆する物語を生み出しました。

SFだからといって科学的考証ばかりに専念した、映像論文みたいなものにはせず、ときに文学的、ときに神話的な語り口を持たせています。

作中における狂気の元凶ともいえるディブスはギリシア神話に登場する「メーデイア」から着想を得ているそうです。メーデイアは魔法に長けており、若返りの魔法を駆使したりしつつ、殺害に関与するなど、あらゆる人生を狂わす存在でした。

一方で、モンテはアーサー王伝説に登場する円卓の騎士の一人である「パーシヴァル」がモチーフにあるのだとか。聖杯に辿りつくには貞操を守る必要があり、まさにモンテの姿に重なります。となると他のクルーは誰か想像のもとがあるのかな…と考えてみるのも面白いですね。

神話、科学、生命、人生…それらが同時に存在する多元宇宙が映画であり、それを鑑賞するのが今の私の「ハイ・ライフ」です。

『ハイ・ライフ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 83% Audience 42%
IMDb
5.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2018 PANDORA FILM – ALCATRAZ FILMS ハイライフ

以上、『ハイ・ライフ』の感想でした。

High Life (2018) [Japanese Review] 『ハイ・ライフ』考察・評価レビュー