あり得るかもしれないカオスな未来を描く…ドラマシリーズ『2034 今そこにある未来』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:イギリス・アメリカ(2019年)
シーズン1:2022年にスターチャンネルで配信
原案:ラッセル・T・デイヴィス
人種差別描写 性描写 恋愛描写
2034 今そこにある未来
2034いまそこにあるみらい
『2034 今そこにある未来』あらすじ
『2034 今そこにある未来』感想(ネタバレなし)
この未来はフィクションか、それとも…
「アパシー(apathy)」という言葉があります。これは本来は医学用語としてよく使われており、「何らかの普遍的な感情が無くなった状態」を指します。うつ病、アルツハイマー、PTSDなど、いろいろな分野で用いられる単語です。
一方で、この「アパシー」は社会用語としても使われます。どういうことなのか。例えば、こんな状態です。
「私は政治とかどうでもいいかなって…」「選挙とか意味ないでしょ…」「社会問題に関心なんて持っても何も変わんないよ…」「政治家の言動なんて自分には関係ないし…」「声を上げるなんて無駄だよ…」
このように政治社会に関して全くの無関心・消極的・否定的な態度のことを「アパシー」と呼ぶのです。こういうアパシーの状態にある人は今の日本にもたくさんいると思います。
こうしたアパシーの人が社会に増大するとどうなるのか。一般的にはそれは社会の崩壊に向けて進行することになると言われています。大衆がアパシー化すると社会を正常に機能させることができなくなるのです。
いや、でもそれはさすがに言い過ぎではないか…人々が政治に無関心になったくらいでそんな大袈裟な…。そう思っている人もいるでしょう。ではそんなアパシーの蔓延が社会に混沌をもたらしていく姿を生々しく描くこんなドラマシリーズを観てみるのはどうでしょうか。
それが本作『2034 今そこにある未来』です。
『2034 今そこにある未来』は2019年に製作されたBBCのドラマシリーズ(全6話)なのですが、日本では2022年になってやっと「スターチャンネル」で配信・放映されました。
本当だったら2019年にリアルタイムで鑑賞したかった作品です。なぜなら本作はとてもタイムリーなテーマを扱っているからです。『2034 今そこにある未来』はまず2019年のイギリスが描かれます。この世界ではドナルド・トランプがアメリカ大統領に再選し、2期目を務めることになっています。そんな中でイギリスでは過激な論調でテレビで活躍するコメンテーターが政界に進出し、支持を集めていき、やがてはイギリス政治のトップに上りつめます。こうして政治や社会が大混乱していく…という「if」の近未来を10年ちょっとの期間で描くドラマです。
ただ、政治劇がメインではありません。『Veep/ヴィープ』や『ハウス・オブ・カード 野望の階段』のような政治が舞台の風刺劇ではなく、『2034 今そこにある未来』はそんな政治社会の中で生きる、とある家族のドラマなのです。大衆と政治というものがどのように作用しているのかを皮肉たっぷりに描いています。
最近は『ドント・ルック・アップ』のような強烈な風刺映画もあったばかりですが、本作『2034 今そこにある未来』も負けていません。『2034 今そこにある未来』は実社会のネタを基にしているので相当に攻めた内容で過激です。起きることは本当に滅茶苦茶で、それでもリアルであり得るかもと思わせるものなので、笑うに笑えない展開の連続です。ほんとにこんな世の中になったらどうしよう…と唖然とする感じでしょうか。
このセンセーショナルすぎる『2034 今そこにある未来』を生み出したのが、イギリスで最も活躍している脚本家のひとりである“ラッセル・T・デイヴィス”。『英国スキャンダル〜セックスと陰謀のソープ事件』や『IT’S A SIN 哀しみの天使たち』など、評価の高い作品を続々と手がけています。
“ラッセル・T・デイヴィス”自身も同性愛者ということもあり、LGBTQを題材にした作品が多い印象ですが、今回の『2034 今そこにある未来』も主人公のひとりがゲイだったり、クィアな要素がかなり豊富な内容になっています。
実のところ『2034 今そこにある未来』の中身はSF要素も濃く、『華氏451』(1966年)、『2300年未来への旅』(1976年)、『26世紀青年』(2006年)のようなディストピアSFの雰囲気も強いのですが、このあたりは“ラッセル・T・デイヴィス”が手がけた『ドクター・フー』の影響もあるのでしょうね。
俳優陣は、『パレードへようこそ』の“ラッセル・トーヴィー”、ドラマ『ブレグジット EU離脱』の“ロリー・キニア”、ドラマ『ファウンデーション』の“タニア・ミラー”、『アンコール!!』の“アン・リード”、『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』の“ジェシカ・ハインズ”、ドラマ『IT’S A SIN 哀しみの天使たち』の“リディア・ウエスト”、そして作中で過激コメンテーターから政界へと躍進していく人物を熱演するのがあの“エマ・トンプソン”。
政治や社会問題に関心が持てないということが極まってしまうとどうなるのか、その最悪を突きつける『2034 今そこにある未来』。これはフィクションではないかもしれませんよ。
オススメ度のチェック
ひとり | :SF風刺劇が好きな人は必見 |
友人 | :話題性はじゅうぶん |
恋人 | :同性愛ロマンスも多め |
キッズ | :大人の醜態ばかりだけど |
『2034 今そこにある未来』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤):何が現実かわからない
2019年。起業家のヴィヴィアン・ルックはBBCの討論番組に参加していました。聴衆から国際政治に関する質問が飛んできます。するとヴィヴィアンは「イスラエルとパレスチナの問題で思うのは…知るかクソッタレ」といきなりのとんでもない発言。その不適切発言に司会者が謝罪するも、ヴィヴィアンは「本心だ」と反省の色を示しません。「キエフ、イエメン、カタール…そんなのク…」と言いかけて、「それ以上言わないでください、退場になります」と司会者に制止されるも、「そこが問題よ、事実を言えない」と負けじと言い返し、「日常さえ守られればいい、海外の出来事なんてどうでもいい」と熱弁。聴衆の賛同の拍手が起きます。
そんなテレビ番組を見ていた多くの家庭のひとつ、ライオンズ家。長男のスティーヴン、次男のダニエル、長女のイーディス、末娘のロージー、4人兄妹です。それぞれ大人で、スティーヴンはセレステと結婚し、ベサニーとルビーという娘がいます。ダニエルはラルフというボーイフレンドがいて結婚を考えています。イーディスは人権活動家であまり姿を見せません。ロージーは赤ん坊を出産しました。
ロージーのお祝いにと家族が揃います。祖母のミュリエル・ディーコンも一緒です。ロージーはガウという中国人の相手がいたのですが、今は中国へと行ってしまい、シングルマザー。生まれてきたいかにもアジア人顔な子にリンカーンと名付けます。
ダニエルはリンカーンを抱きながら「世界はどうなる? お前が生きる未来は?」と心配そうに呟きます。
それから5年後の2024年。世界はより一層に不安定になっていました。ロシアのウクライナ侵攻で難民が増加し、難民キャンプで働くダニエルは大忙し。そこで難民のひとりのヴィクトル・ゴラーヤと親しくなります。彼も同性愛者で、ウクライナでは弾圧が起きているようです。
ダニエルとラルフの結婚には亀裂が起きていました。ラルフは陰謀論に流されやすく、地球平面説にさえも肯定的。「人類はどんどんマヌケになっている」とスティーヴンに愚痴るダニエル。
祖母のミュリエルの92歳の誕生日パーティーが開かれ、みんなで集まります。イーディスとはテレビ通話で会話。どうやら今は中国が作った人工島である「紅沙島」に近いベトナムにいるらしいです。この島を2期目に突入したトランプ大統領率いるアメリカは核兵器を保有する軍事基地だと主張し、米中対立がかつてないほどに激化していました。
すると何の前触れもなくテレビが緊急放送を流し始め、空襲警報が夜の住宅地に鳴り響きます。しんとする一同。そして信じがたい情報が飛び込んできました。紅沙島にアメリカが核ミサイルを発射したとのこと。放送では「イギリスは本日17時15分に正式に戦時体制に入りました」と報道しています。そしてイーディスを映していた画面が止まり…。
何が起きて…何が起きている!?
ヴィヴィアンの元ネタ
『2034 今そこにある未来』は2019年の製作時に想定される考えうる最悪の出来事が次々と起きる世界観です。そのどれも実社会に基づいたものです。
とくに舞台となるイギリスの政治社会を引っ掻き回す存在が、ヴィヴィアン・ルックという女性。最初はテレビによくでる過激な論客という感じで、いかにも日本のテレビやネットにもいそうな人。しかし、しだいに政治に踏み込み、何度か落選するも、やがては「viv(ヴィヴ)」の愛称で大衆の支持を集めて当選。最終的には首相になってしまいます。
このヴィヴィアン、宣伝では女性版ドナルド・トランプと表現されていますが、トランプとも違う立ち回りをしており、おそらくイギリスの極右コメンテーターとして知られるケイティー・ホプキンズなんかもモデルにしているのだろうなと思います(結構そっくりです)。
そのヴィヴィアンは「四つ星党(Four Star Party)」という政党を立ち上げるのですが、これもイタリアに実在した「五つ星運動」という政党からインスピレーションを得ているものと思われます。こちらの政党もコメディアンと企業家の人が結党したもので、ポピュリズム主体の政策をとっています。
なのであり得ないとも言い切れない…絶妙なリアリティを保っているんですね。
そんなヴィヴィアンも第5話でメディアの表の顔とは違う表情を見せるシーンがあります。ここでヴィヴィアンの裏にさえも別の誰かがいることを匂わせるあたりがまた怖いですが、これもすごく生々しくリアルなのではないでしょうか。
家族は現代の混沌の縮図
『2034 今そこにある未来』の第1話の冒頭で、番組内でヴィヴィアンが「もはや世界がわからない。数年前までは右翼は右翼、左翼は左翼、アメリカはアメリカだった。今はとても怖い」と言い放ち、支持を集めます。
このとおり、本作は「保守vsリベラル」とか「右vs左」みたいなそんな単純な二項対立で描かれていません。世の中はもっと複雑になってしまっているのです。
それは本作の主人公であるライオンズ家族からもよくわかります。典型的な中流階級のイギリス・ファミリーなのですが、それぞれの立場はバラバラです。
スティーヴンは金融危機で家計が崩壊し、一気に労働者階級同然の暮らしにまで低下してしまいます。その焦りが行動の過激さを後押しし、やがては弟ダニエルの死によってヴィクトル(難民)への憎しみに火がつき、一線を越えていく…。没落する中流イギリス人の姿そのままです。
ダニエルはかなりリベラルで仕事自体も難民支援を担い、過激化するヴィヴィアンとそれに熱狂する世間に苛立ちを露わにします。そんなダニエルはヴィクトルという誠実な人柄の難民の男に惚れ、愛に身を捧げていくのですが、まさかのボートで国境の海を超える際に溺死…。悲痛な最期です。
イーディスはアクティビストということでリバタリアニズム的な行動が目立ちます。投票もどこの政党にも入れていません。なかなかにアナーキーで不正を暴くためなら違法ギリギリのことでも平気でやってのける。そんなイーディスは紅沙島核攻撃事件のせいで被爆して健康が…そしてまさかのオチ。
ロージーは熱烈なヴィヴィアン支持者のひとり。自身はずっと車椅子ユーザー(二分脊椎症)で、かなり苦労も多いはずですが、子育てに仕事にパートナー探しにと意欲的。そのアグレッシブさが率直に不満を口にできるヴィヴィアンとシンクロしたのでしょうか。
こんなふうに同じ家族でも政治思想は違ってくる。ライオンズ家はまさに現代の混沌の縮図ですね。
トランス…ヒューマン?
『2034 今そこにある未来』は“ラッセル・T・デイヴィス”原案らしくクィア要素も多め。
同性愛関係を見せていくダニエルやイーディスはもちろんですが、本作にはちょっとミスリードなネタも入れ込んできています。それが「トランスヒューマニズム」です。
第1話で、ベサニーは両親におもむろに何かをカミングアウトしようとします。事前にスティーヴンとセレステはベサニーが「トランスライフ」という言葉を検索していたことをネット履歴の覗きで知っていたので「きっとトランスジェンダーなんだな」と身構えています。ところがベサニーと話が噛み合わない。そしてベサニーは「私はトランスヒューマンなの」と告白。ここでもまだトランスジェンダーという言葉の言い換えか何かだと思っている両親にベサニーは説明。「性別は変えたくない。自分の身体を捨てたいの。生身の人間であることが嫌なの。私はこの体を捨ててデジタルになりたい」「近い将来にスイスに病院ができて、そこで脳を取り出してクラウドに保存してもらえる。体は土に還す」「情報として永遠に生きる。それがトランスヒューマン。男でも女でもなく、より良い存在」と目を輝かせて…。
このトランスヒューマンはトランスジェンダーとは全然関係ありません。SF作品でよく取り扱われるもので、未来の人類の在り方(未来学)として議論されているものです。
本作ではそのトランスヒューマンをあえてトランスジェンダーの様相と重ねることでリアリティを持たせて物語化しており(でもトランスジェンダーに関するリテラシーがない視聴者は混乱するかも)、とてもSFとして身近に感じるものでした。
ちなみに本作ではトランスジェンダーとおぼしき人物も登場しています。それがロージーの子であるリンカーン。この子は最初は男の子として扱われているのですけど、作中ではなんとなく女の子っぽい容姿でいることが多く、最終話の家族集合シーンではティーンになったリンカーンがハッキリ女性の容姿で登場しています。さりげなく描いているのがいいですね。コントラバーシャルなトピックとして消費することもしない。“ラッセル・T・デイヴィス”の優しさが滲み出ています。
こんな世界でも正しさを見つけたい
『2034 今そこにある未来』のカオスな世界の中でライオンズ家は翻弄されます。
その中でもダニエルの死は大きな悲しみです。本作の脚本執筆中に“ラッセル・T・デイヴィス”は夫を亡くしたそうで、おそらくその喪失感を反映したストーリーなのでしょう。
そんな死で自暴自棄になりつつ、ライオンズ家は再起します。こんな世界になったのは無関心の積み重ねであると反省し、また正しさを土台にして世界を立て直そうじゃないか、と。
その声をあげて取り仕切るのが祖母のミュリエル。彼女の存在はヴィヴィアンと対極的な善きお手本としてのリーダー像を示すものです。
そして終盤は家族団結による4つ星党のナチスのような劣悪な収容所への突撃。トランスヒューマンたちの協力もあり、不正は世界に暴かれます。
コミュニティは簡単に崩壊するけど、その崩壊を立て直せるのもコミュニティであるという力強いメッセージだったと思います。ラストはイーディスの意識のデジタル・アップロードというスゴイSFに到達しちゃいますけどね。
『2034 今そこにある未来』が2019年に放送され、実際の世界はどうなったのか。トランプは落選しましたけど議事堂を襲撃させて死傷者を出し、そして新型コロナウイルスのパンデミックで反科学が浮き彫りになり、世界のあらゆるシステムの脆弱性がこれでもかと露わになりました。
やっぱりこの世界は脆いのです。その脆さをカバーするには…まずは無関心をやめましょう。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 89% Audience 89%
IMDb
8.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Years and Years Limited 2019
以上、『2034 今そこにある未来』の感想でした。
Years and Years (2019) [Japanese Review] 『2034 今そこにある未来』考察・評価レビュー