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『荒野にて』感想(ネタバレ)…リーン・オン・ピートと居場所を探して

荒野にて

リーン・オン・ピートと居場所を探して…映画『荒野にて』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Lean on Pete
製作国:イギリス(2018年)
日本公開日:2019年4月12日
監督:アンドリュー・ヘイ

荒野にて

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荒野にて

『荒野にて』あらすじ

決して裕福ではない生活の中で父親と2人で過ごしてきた15歳の少年チャーリー。母親は赤ん坊の頃に家を出たので覚えていない。孤独を感じながら、厩舎で競走馬リーン・オン・ピートの世話をする仕事をして、馬との交流を深める。しかし、そんなある日、悲劇が襲う。

『荒野にて』感想(ネタバレなし)

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Richmond Fontaine

「Richmond Fontaine(リッチモンド・フォンテーン)」というバンドをご存知でしょうか。オレゴン州ポートランドを拠点に活動しており、メインメンバーである4人が作り出すオルタナティブ・カントリー・ロックはアメリカ西部に生きる人々の哀愁と健気な生き様を優しく奏で、多くの人に愛されています。1994年から活動を始めていましたが、惜しくも2016年に解散しました。

その「Richmond Fontaine」のフロントマンで、音楽の魅力の原動力にもなっている素晴らしい歌詞を書いてもいるのが“ウィリー・ブローティン”という人物。実は彼は小説家としてのキャリアでも注目されており、処女作「The Motel Life」(2006年)は『ランナウェイ・ブルース』というタイトルで2012年に映画化済み。

そんな“ウィリー・ブローティン”の3つ目の小説「Lean on Pete」が映画化されたのが本作『荒野にて』です。

舞台はアメリカ北西部。昔から続く雄大な大自然と発展に乗り遅れた人間社会が絶妙に肩を並べて共存する世界。そこで暮らす15歳の少年と老馬の物語です。非常に“ウィリー・ブローティン”らしいテーマ性を持っている作品であり、それこそ作中でも「Richmond Fontaine」の曲が使用されているように、世界観がキッチリ出来上がっています。

その作品の映画化の監督を任せられたのが“アンドリュー・ヘイ”だったというのが少し意外なところ。彼はイギリス人で、こういう「Richmond Fontaine」的と言いますか、アメリカの“古き良き”とあえて言いましょうか、伝統的生活スタイルとは本来縁遠いと思うのです。

でもよく考えると“アンドリュー・ヘイ”監督の作家性にぴったり合っているんですね。彼の前作『さざなみ』もそうでしたが、基本的に「孤独」をテーマにした映画が多いです。孤独と言っても“仲間ができた、ワーイ!”みたいなことで解決できないタイプの孤独。しかも、外的変化ではなく自分自身の内面でどう向き合うかを強いられるような孤独との静かな戦いがよく描かれます。『さざなみ』の場合は、「老い」という避けられない時の流れの中で葛藤することになる高齢女性を丁寧に映し出していましたが、『荒野にて』は主人公の年齢がガクっと下がって15歳になって、今度は「世界」という避けられない宿命の中でもがく少年の話。細部は違えど主軸は同じです。

アメリカ人ではない人がこういうクラシカルなアメリカを舞台に若者の孤独を描く映画といえば、最近ではクロエ・ジャオ監督の『ザ・ライダー』がありましたが、『荒野にて』を含むこれらの作品群はあえて部外者がアメリカを客観視している感じでまた味わいがあります。

主演の少年を演じるのは、リドリー・スコット監督の『ゲティ家の身代金』で誘拐されてなかなかに壮絶な目に遭う(そして観客にショックを与えた)少年を演じていた“チャーリー・プラマー”です。

あどけなさと大胆さを両方兼ね備えた密かな才能を感じさせる若手でしたが、『荒野にて』ではメインで演技を披露し、難しい役ながら堂々たる貫禄。第74回ヴェネチア国際映画祭では新人俳優賞となるマルチェロ・マストロヤンニ賞を受賞し、評価も上々。間違いなく今後も見逃せない勢いのある若手俳優の一員になりました。“チャーリー・プラマー”を知らなかったという人はぜひ本作を観て、注目俳優リストに加えておいてください。

ちなみにアメリカでの配給は、隠れた名作を拾ってくることに定評のある「A24」です。

批評家&観客評価ともに高いので、気になる方は迷わず鑑賞してはどうでしょうか。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(じっくり物語に酔いしれて)
友人 ◯(ワイワイ盛り上がる映画ではないが)
恋人 △(恋愛要素は全くないけど)
キッズ △(シリアスな大人のドラマ)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『荒野にて』感想(ネタバレあり)

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ただただ無力だった

「確かに我々人間は弱く、病気にもかかり、醜く、堪え性のない生き物だ。だが、本当にそれだけの存在であるとしたら、我々は何千年も前にこの地上から消えていただろう」

この文章は本作の原作の序文に引用されている「ジョン・スタインベック」の言葉。彼はアメリカ文学の巨人とも称され、「怒りの葡萄」などが有名です。

『荒野にて』で描かれる主人公チャーリーという少年の生き様はまさにこの言葉のとおり。

ハッキリ言えば、無力。現状の暮らしに不満はあっても自分で打開するだけの力は当然のように持っていない。女遊びに明け暮れる父レイに強くは言えず、家には父の連れてきた女がいて、その人の作った朝食を食べている。そんなチャーリーの姿は、言ってしまえば、家畜みたいなもの。愛情は受けているのかもしれないけど、飯を出されれば食べる、ある程度の範囲だけ行動できる…そんな“不自由な自由”の中で生きています。

あげくにあの事件。いきなり夜中に「自分の妻に手を出した」と家に押し掛けてきた男。父が襲われるなか、パニックになりつつも手にハンマーを持って助けようとした瞬間。大きな音。その後には、逃げる男と倒れている父の姿。間に合わなかった…何もできなかった…その無力さ。

さらにこれだけでなく病院に入院した父を置いて仕事に出かけている間に、父はこの世を去ってしまい…。入院費を稼ぐための遠征が仇に…。父の最期すら看取れない不甲斐ない自分。

この徹底した主人公の弱々しさ。脆さ。それが突きつけられる前半パートです。

もちろんチャーリーだけが特別ダメなやつというわけではありません。むしろチャーリーはどちらかといえば真面目で“だらしない”みたいな属性はないです。父親のレイはダメそうな人間でしたが、逆にそのぶんしっかりしているのかもしれません。

でもこの世界ではそんな“真面目”なんてことは何の役にも立たず。その現実がチャーリーの自責をより強めていき、行き場のない「孤独」につながっていました。

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無償の愛は当たり前ではない

そんな能力的な孤独感を抱えるチャーリー。日課のようにやっているランニングの途中で偶然話しかけられ、流れのままに手にした仕事が馬の世話。年寄りの競走馬リーン・オン・ピートの面倒をみていくうちに、心を開いていきます。

チャーリーとリーン・オン・ピート。生物種的にも年齢的にも全然異なる両者ですが、“能力的な孤独感を抱える”という意味では通じています。文字どおり競争の激しい競走馬の世界。その中でも自分の能力を証明できるチャンスを与えられているだけ、チャーリーにはマシに見えたのか。レースを目の前で鑑賞したときの、あの開放的なチャーリーの表情が印象的。チャーリーにしてみれば、リーン・オン・ピートは自分を投影して能力を見せられる代弁者だったのかもしれません。

しかし、仕事中で知り合った女性騎手のボニーからは「ただの馬」だと思えと、愛情を注ぐことすら、やめておけと言われてしまいます。その本当の意味をチャーリーはこの時点ではよくわかっていません。

競走馬の世界は厳しく、レースに出られない状態(怪我や能力不足)になると大半は廃馬というかたちで実質“殺処分”になってしまいます。「可哀想、なんで育ててあげないの?」と思うかもしれませんが、馬の飼育は犬や猫の飼育とは比べ物にならないほど大変です。もちろん引退した馬に居場所をあげてあげる活動もあります。日本には「引退馬協会」というNPO法人があるようです。

でもその引退馬協会のウェブサイトにもこう書かれています。

引退した競走馬を引き取って生涯養っていくとなると、預託の場合なら預託料だけで最低でも年間40万円から100万円程度の費用がかかり、馬代金、移動するための馬運車代、さらにこの他に削蹄料やワクチン接種や病気になった時の獣医療費が必要となります。馬は30歳まで生きることも珍しくなく、必要な経費は決して少ない額ではありません。馬を引き取りたいという思いだけで決して無理をしてはいけません。

そしてお金がかかるのは馬だけではなく人間も同じ。当たり前すぎて気が付かないものですが、親が子を育てるのだって“無償の愛”と表現すれば綺麗事ですが、本来はとてつもなく大変なことなんですね。

そう考えるとチャーリーの父もあんな感じでしたが、居場所を与えていただけ凄かったと言えるのかもしれなく、あの父もまた不器用で能力に欠けているだけだったのでしょうか。

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理想の地を探す旅

その“無償の愛”の価値を実感していないチャーリーは、父を失ったことで物理的にも孤独の身に。しかし、リーン・オン・ピートが処分されると知って「自分が買う」と宣言するも相手にされず。

そこで馬を連れてどこかにいるはずの叔母のマージーのもとへ、無謀な旅に出ます。

いわゆるロードムービー的でありますが、本作の場合、チャーリーは若者らしくアイデンティティを探しているわけでもないのが重要なところ。それ以前に落ち着ける居場所すらないというのが喫緊の問題であり、差し迫って命の危機がある馬を助けるために、まるで親代わりでチャーリーは行動に出ます。

例えるなら「出エジプト記」みたいなものですね。苦しむ者を導いて、理想の地を探す旅。

でも、経験的に幼いチャーリーはモーセのようにはなれません。飢えに苦しみ、周囲の施しに甘えながら、なんとか前進していく旅の先には追い打ちをかけるような悲劇が待っていました。

夜、道路を歩いていると、突然現れたバイクの音に驚いたリーン・オン・ピートが暴れ出し、車に轢かれて死んでしまいます。過呼吸で茫然と立ち尽くすチャーリー。ここでも無力を嫌というほど痛感。今度はチャーリーは居場所を与えてあげられなかった親の苦しみを味わうことになります。ちなみにここで馬が轢かれるシーンを直接的に描写するあたりが喪失感のインパクトを増して、強烈な見せ方でしたね。

そのまま消失状態で、流れ着いたトレーラーハウスで暮らすカップルの元で暮らし始めますが、チャーリーが日雇いで稼いだ金を強引に奪われてしまいます。ただ、ここでチャーリーが変わっているのが、レンチで殴って仕返しするということ。無力ではない。このあたりのシーンは、弱肉強食の世界では力を誇示すべきときはしないとやられるということを、あの旅で学んだ結果なのか。それにしても得るものはありませんが。

そしてなんとか叔母のマージーが図書館で働いていることを知り、バスで向かって無事に出会うことができます。そこでチャーリーは“無償の愛”という居場所の尊さをあらためて実感し、涙。

最後はまた最初と同じくランニングのシーンで終わるのが良いですね。ここが決して彼の永遠の居場所ではないことを予感させ、またチャーリーの居場所探しはどこかのタイミングできっと始まる…そんな感じです。

エンディングクレジットで流れる「Richmond Fontaine」の「Easy Run」 の歌詞がしみじみと映画の余韻として響きます。

Do you think an easy run could find us?
Flannigan and Cassie will be there
And oId Leon and his wife
Annie will be sitting in the corner playing records
She’ll play them all night
Do you think someday that might happen for me?
My uncle will be sitting in his recliner
And Hong Kong movies he’ll be watching
When we’re all together eating
I’II sit next to Annie
Underneath the table she’ll hold my hand
And no longer will I mess up anything
Do you think someday that could happen for me?
Do you think an easy run will find me?
Easy Run – Richmond Fontaine「You Can’t Go Back If There’s Nothing to Go Back To」

人生で誰でもある“ちょっとした孤独”を感じた時に、また見たくなる映画でした。

『荒野にて』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 91% Audience 75%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)The Bureau Film Company Limited, Channel Four Television Corporation and The British Film Institute 2017

以上、『荒野にて』の感想でした。

Lean on Pete (2018) [Japanese Review] 『荒野にて』考察・評価レビュー