ナイチンゲール
映画『ナイチンゲール』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:The Nightingale
製作国:オーストラリア・カナダ・アメリカ(2018年)
日本公開日:2020年3月20日
監督:ジェニファー・ケント

ナイチンゲール

あらすじ

19世紀のオーストラリア・タスマニア地方。囚人となって自由を奪われていたアイルランド人のクレアは、一帯を支配するイギリス軍将校ホーキンスに逆らえずにいた。そのことにずっと不満を抱いていたクレアの夫エイデンはホーキンスに訴えるが、それは最悪の結果を生む。人生のすべてを奪われ、絶望に沈んだクレアは黙っていられなかった。

『ナイチンゲール』感想(ネタバレなし)

オーストラリアの見せたくない闇

2008年に公開されたオーストラリア映画で、その名もずばり『オーストラリア』という作品をご存知でしょうか。

この映画はニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマンというオーストラリアを代表する俳優が揃い、第二次世界大戦中のオーストラリアを舞台にした大作です。

ただ、正直、受け入れがたい映画でもありました。その理由は、白人とアボリジニ(オーストラリア先住民)の交流が描かれるのですが、敵が日本人なんですね。もちろん当時は日本軍はオーストラリアを空爆しましたし、それを描くのは良いのですけど、問題は日本軍が上陸してアボリジニに非道な行為を行ったとまで描かれていること。本作は日本人という共通の敵を設定し、白人とアボリジニの融和が映し出されるのでした。

でも知っていると思いますが、実際の史実ではアボリジニを真っ先に迫害したのは他ならぬ白人です。なのに早々と別の相手に敵意を移すような印象操作的な描写は、なんとも白人至上主義的で虫が良すぎるものです。

そんな映画界に色濃く人種差別が平気な顔で残っていた2000年代も年月が経過し、さまざまな問題提起がなされて改善に内外で動き出したこの2010年代の終わり。ついにここまでの作品が登場したか…と唸らされる映画が生まれました。それが本作『ナイチンゲール』です。

「ナイチンゲール」というと皆さん、頭にパッと浮かぶのは著名な看護師である「フローレンス・ナイチンゲール」だと思いますが、この『ナイチンゲール』はその人を描いた作品ではありませんのであしからず。

「ナイチンゲール」というがいるのです。ヨーロッパから中東あたりまで広く分布し、日本でもいる「ヒタキ」という鳥に分類的には近い小鳥。和名は「サヨナキドリ」で、さえずりが綺麗です。身近なせいか、歌などの人間の創作物にもよく登場します。

その鳥がどう絡んでくるのかは本作を観てもらうとして、この映画の題材はオーストラリアの暗部ともいえる負の歴史、アボリジニ差別を描くもの。『ナイチンゲール』はとにかくその題材から一切逃げずに凄惨な現実を忖度なしで生々しく描き切りました。アメリカでいうところの黒人奴隷歴史を痛烈に描き切った『それでも夜は明ける』に相当する一作ですかね。個人的にはそれ以上だと思いますが…。

そのあまりにも残忍な差別や暴力を全く隠さずハッキリ描いたことで、映画祭では途中退出者も出るほどだったとか。確かに本作は凄まじいです。グロとかではなく、不愉快で嫌悪感をひたすらに沸き上がらせるようなシーンが連発します。正直、かなり精神をもっていかれるので、鑑賞の際は体調に気を付けてほしいのですけど。

でもここまでの映画が登場したことは以前と比べると格段の進歩というか、オーストラリア映画界も変わったなと痛感できますね。

監督は“ジェニファー・ケント”で、この人といえば私も大好きな傑作ホラー映画『ババドック 暗闇の魔物』の監督。


こちらも批評家絶賛の評価でしたが、それからやっとお待ちかねの監督2作目が『ナイチンゲール』です。そしてまたもや絶賛の嵐。これは凄い監督が遅咲きでの登場。なんでも“ジェニファー・ケント”監督、ラース・フォン・トリアー監督の『ドッグヴィル』で助監督を務めた経験があるらしく、そうか、あの過激描写への揺るぎなさはラース・フォン・トリアー譲りだったのか…。だったらわからなくもない。いや、凄いラース・フォン・トリアーっぽく思えてきた。私は『ハウス・ジャック・ビルト』よりこの『ナイチンゲール』の方がキツかった…。


主演を演じるのは“アイスリング・フランシオシ”。私は全然知らなかったのですけど、BBCのドラマシリーズなどでもうかなり評判の高い女優だったんですね。『ゲーム・オブ・スローンズ』の後半で登場したのでそこで見た人も多いかと。『ナイチンゲール』での演技は本当に称賛してもしきれないもので、目を奪われると思います。

他にも『パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉』の“サム・クラフリン”や、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でチャールズ・マンソンを演じた“デイモン・ヘリマン”

ただ私のイチオシは本作でアボリジニの重要な役を演じる“バイカリ・ガナンバル”。彼は演技初挑戦らしいのですけど、もう素晴らしすぎる。私からは何も贈れないけど何か贈りたい…(歯ぎしり)。

覚悟のいる映画ですが、絶対に心に鋭く深く刻まれる一作です。お見逃しのないように。

オススメ度のチェック
ひとり◎(隠れた名作として必見)
友人◯(話のわかる映画好きと)
恋人△(かなり気分は沈む)
キッズ△(極めて残虐なシーン多め)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『ナイチンゲール』感想(ネタバレあり)

籠の中の小鳥、野生へ飛び立つ

1800年代初めのタスマニア島。この地を植民地化したイギリス人は原住民であるアボリジニとの間で争いを起こし、イギリス軍を投入して入植の障害となるアボリジニを掃討していました。

そこでホーキンス率いるイギリス軍に仕えていたアイルランド出身のクレア。彼女には生まれたばかりの赤ん坊夫エイダンがいて一緒に暮らしていましたが、イギリス軍に奉仕するだけの自由のない生活でした。今日も仕事に疲れたイギリス兵士たちの前で歌を歌います。下品な態度をとる兵士に酒をつぐ中、反抗してわざとこぼしてやるくらいのことはしていましたが、それでも抜け出すことは不可能です。

その夜、ホーキンスに部屋に呼びだされ、「私のために特別な曲を歌え」との命令。大人しく従いますが、夫と幼い娘を自由の身にするための推薦状を書くという約束はどうなったのかと問いただします。すると怒り出すホーキンス。監獄から救って良い待遇をしてやったのにと、クレアの顔をビンタ。さらにはクレアを強引に押さえつけ、拒絶を無視して性的暴行を加えます。クレアはひたすらに耐えるしかできません。

帰宅後、夫に傷が気づかれて、誤魔化しますが夫も察知。ここを出ていこうと夫も決めます。

またも翌日の夜、酔っぱらうだけの兵士たち。その兵士たちにうんざりなホーキンス。エイダンがホーキンスとその部下であるルースジャゴの3人がいる部屋に。3か月も頼んだし、義務を果たしていると言葉を浴びせるも状況は変わらず。殴りかかるエイダンは、ホーキンスともみ合いになります。しかし、その見苦しい光景を査察官に見られてしまいました。

このままでは自分のキャリアも危うい。焦ったホーキンスは憤慨して、ヤケクソな進軍を決行。森林地帯を突っ切ってローンセストンへ向かうことにします。

その前に逃げようとするクレアとエイダン夫妻に気づいたホーキンスの一同。自分がクレアとヤっているとエイダンの前でバラし、目の前でレイプ。しかも、謝ると懇願するエイダンを射殺。そのうえ、泣き止まないクレアの赤ん坊を兵士のひとりであるジャゴに黙らせろと命令し、パニックになったジャゴは赤ん坊を壁にうちつけて殺してしまいました。現実に硬直するクレアをジャゴは指示されるまま銃でぶって昏倒させます。

目覚めたクレア。そこには夫も赤ん坊もいません。亡骸のみ。

ホーキンスたちへの復讐心に燃えますが、もう出発した後で、どうやらチャーリーというアボリジニを案内役に連れていったようです。自分も後を追おうと馬に飛び乗りますが、案内がいないと迷うだけと言われ、渋々アボリジニのビリーに依頼。ビリーも最初は白人への敵意を剥き出しにしていますが、結局はついてくることに。あくまで兵士団の中にいる夫に会うためと嘘をつきつつ…。

こうして憎しみに染まったクレアは旅立ちました。

もうこの映画開始数十分で観客の精神ゲージはごっそり削られたと思いますが、まだまだ戦慄は続く…。

ブラック・ウォーの歴史

オーストラリア史における白人によるアボリジニ差別の歴史はざっくりした理解しかない人も多いでしょうし、この『ナイチンゲール』の背景も説明がないので混乱したかもしれません。

まず舞台となったタスマニア島。地理的な位置としてはオーストラリア大陸の南東の海にちょこんとある島ですね。面積は北海道よりやや小さい程度なので、島といってもそれなりの大きさ。この島は発見時は「ヴァン・ディーメンス・ラント」と命名されていたようで、そもそも島ではなく大陸だと思われたそうです。

この島には昔から「Aboriginal Tasmanians」と呼ばれる先住民が住んでいました。イギリス人が入植してきた1800年代初め以前は6000~23000人くらいのアボリジニが暮らしていたとか。

しかし、1820年代にイギリス軍はアボリジニたちと激しく衝突。この争いは「ブラック・ウォー」と呼ばれます。目的はアボリジニを一掃すること。民族浄化です。土地勘のあるアボリジニは有利に逃げられましたが、それでも大半は殺され、争いが沈静化した1832年にはほとんどのアボリジニは全滅し、残ったものは別の場所に強制移住させられました。結果、文化も言語も消え、ひとつの民族が事実上絶滅しました

このようなオーストラリア先住民への非道な虐殺行為はタスマニア島だけでなく、各地で勃発。それはWikipediaの「List of massacres of Indigenous Australians」にも整理されているので、気になる方は目を通してみてください。


『ナイチンゲール』はその確かにあった歴史の1ページを痛烈に描きだすうえで最大の敬意を払った一作だったと思います。

まず、“ジェニファー・ケント”監督をはじめ製作陣はこの歴史に関して猛勉強し、歴史に詳しいアボリジニの人をコンサルタントに招いて指導を受けたとか。

そのかいあってその描写は目を覆いたくなるものでしたが、それでも描く価値はあったと思います。

オーストラリアではいわゆる「盗まれた世代」(親から引き離されたアボリジニの子ども)に関して政府が2008年に謝罪したり、歴史の反省がなされていますが、それでもいまだに歴史を矮小化する人も残念ながら存在するようで…。

『ナイチンゲール』は過剰な暴力描写かもしれませんが事実はもっと酷いわけで過剰なんていってられないでしょう。

ナイチンゲール

女性へ性暴力する男集団の心理

アボリジニ差別の歴史を直視した『ナイチンゲール』ですが、もうひとつ描かれる題材が「女性への暴力」の問題。

本作の主人公はそもそもなぜあんな境遇なのかと言えば、舞台となるタスマニア島は島という地理的特性上、昔は囚人を送り込む流刑地として活用されていたのでした。作中ではクレアとエイダンの夫妻も囚人としてここで暮らすことを余儀なくされていましたが、公的な手続きなのか、ホーキンスの独断なのかはわかりませんが、冒頭時点ではクレアのみホーキンスに仕えさせられています。

そしてこのホーキンス率いるイギリス部隊が何とも言えない立ち位置です。要するに戦果を出せずにただ飲んだくれているダメ集団で、リーダーのホーキンスはその状況を打破したいけど、いかんせんリーダーシップはない。しかも、査察官にその無能さを見抜かれ、キャリア昇進の道も立たれてしまい、ますます絶望的に。

その満たされない“男らしさ”が暴走した結果が、あのクレアへのレイプへと最悪のかたちで波及する…。本作の舞台は特殊かもしれませんが、この性暴力を生む構造は現代でも共通。日本でも先日、リアルナンパカデミーという塾を指揮していた男が女性複数人を性的暴行した罪で懲役13年の判決を言い渡されたというニュースを見たばかりですが、加害者の男の供述を見るとやはり「男らしさへの歪んだ執念」と「女性をモノとしか見ていないミソジニー」が露呈しており、同じなんだなと痛感します。

“ジェニファー・ケント”監督も本作について「この作品の舞台は過去の時代に設定されていますが、私は現代の物語であると考えています」とコメントしているように、非常に現代への批判風刺が鋭い映画です。

ホーキンス以外の男たちもそれぞれパターンどおり。

ルースはわかりやすい快楽主義者で今さえ良ければいいという極めて危うい存在。結果的に所属するコミュニティを危険にさらすのですが…。彼が案内役のアボリジニのチャーリーをうっかり殺害してしまい、その後に真っ先にあの集団で最下位に落ちて“いじられる側”になるというのは彼の立場をすごく表していると思います。さらにその後にビリーと遭遇した途端にルースが最下位から脱して急に粋がるのも含めて…。

一方のジャゴはまだ善の心を持っていそうな雰囲気でしたが、この露骨な“男らしさ”的重圧に動揺した結果、赤ん坊を殺めるという…。そしてもう引き返せない深みに足をつっこんでしまい…。こういう男もいるものです。

一緒に同行するエディという少年は“男らしさ”に無邪気に憧れる存在であり、ホーキンスにとっては自分を信奉してくれる貴重な存在。けれどもいざ引き金をひけずに、“男らしさ”とは真逆の泣き言を見せてしまったがゆえに用済みになる。

最近も『アイリッシュマン』や『ミッドサマー』などホモソーシャルの的確な描写が際立つ映画が散見されていましたが、『ナイチンゲール』はとにかくそのおぞましさが最悪になった極限状態を正確に写し取っていました。

復讐の連鎖ではない“何か”

『ナイチンゲール』は表面上だけ見ると、いわゆるレイプリベンジのジャンルになりそうな作品です。しかし、ここが本作のオリジナリティなのですが、単純な復讐劇にはならないんですね。

最初のクレアはどす黒い憎しみを胸に殺意を全開にホーキンスたちのもとへと追跡します。

しかし、ある時から復讐心以上に恐れが強くなってきます。それは暴力によって破壊された自分が、今度は暴力そのものになることへの恐怖。発見したジャゴをめった刺しにし、銃床で顔面をぐちゃぐちゃにするまでした彼女が得られたものは、やり遂げた快感ではなく、手が震える恐怖心。

加えて、作中ではひとりのアボリジニ女性がホーキンスらにレイプされるわけです。彼女は「女性かつアボリジニ」であり、いわば二重のマイノリティ。その存在はクレア視点の単純な二項対立を崩します。

もちろんアボリジニの案内役であるビリーとの交流の影響も大きいです。私は白人として加害者の側面をいつの間にか持っていたのか…と気づいていくクレア。

復讐さえできればいいと考えていたクレアにとってそれは大きな起点になり、やがてもっと大局的な視点をもたらします。

町に到着し、みんなの前でホーキンスの罪を暴露するクレアは歌を歌います。それは序盤で無理やり歌わされていたときの彼女とは正反対。揺るがない自分らしさを見せること。それがクレアにとっての反逆であり、ホーキンスにとっての屈辱になる

かやたビリーは最初はクレアの復讐心にドン引きしていたのですが、チャーリーを無残に殺されて彼の心は憎しみに染まっていきます。戦闘モードで敵を討とうとするビリー。そして今度はクレアがビリーを止めようと奮闘することに。

ラスト、浜辺で歌い合うクレアとビリー。種類の異なる2羽の鳥のさえずりがハーモニーを奏でることはないのですが、復讐の連鎖ではない何かを求める漂流した想いが切なく残るエンディングでした。

先住民と女性への性暴力が関わる映画というと『ウインド・リバー』がありましたが、あちらは相当に気を使っているもののまだホワイト・セイバーの様相が消えていない映画でした。それと比べるとこの『ナイチンゲール』は格段にフェアだったのではないでしょうか。


なお、“ジェニファー・ケント”監督は、凄惨な物語に身を投じる俳優の心理的ケアのために臨床心理士を雇用して対応したのだそうです。そういう配慮の行き渡りが、まさにこの映画の目線をすごく表していていいですよね。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 87% Audience 73%
IMDb
7.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

関連作品紹介

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↑『ババドック 暗闇の魔物』…同じく“ジェニファー・ケント”監督作。夫を悲惨な事故で失った女性に待ち受ける恐怖という意味でも『ナイチンゲール』に通じます。
作品ポスター・画像 (C)2018 Nightingale Films Holdings Pty Ltd, Screen Australia, Screen Tasmania.