レズビアン・B級ロードムービーでGO!…映画『ドライブアウェイ・ドールズ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2024年)
日本公開日:2024年6月7日
監督:イーサン・コーエン
性描写 恋愛描写
どらいぶあうぇいどーるず
『ドライブアウェイ・ドールズ』物語 簡単紹介
『ドライブアウェイ・ドールズ』感想(ネタバレなし)
イーサン・コーエンとレズビアンの繋がり
90年代から一気に頭角を現し、2000年代は監督と脚本の才を思う存分に発揮し、賞レースの常連となった”ジョエル・コーエン“と”イーサン・コーエン”の“コーエン兄弟”。『ファーゴ』(1996年)、『ノーカントリー』(2007年)、『トゥルー・グリット』(2010年)と代表作が続く中、2016年の『ヘイル、シーザー!』を最後に映画館でこの兄弟が揃うことはなくなります。
2018年の『バスターのバラード』は「Netflix」独占配信でオムニバス形式。そしてこの映画以降、兄弟で監督業をしなくなり、バラバラで監督するようになったのです。
別に仲が険悪になったからというわけではなく、それぞれやりたい作品に専念しているだけみたいですが、実はどちらも婚姻関係にあるパートナーと映画作りしているんですね。
”ジョエル・コーエン“は妻の“フランシス・マクドーマンド”と共に2021年に『マクベス』を手がけました。
一方の、”イーサン・コーエン”は妻の”トリシア・クック”と共にこの映画を届けてきました。
それが本作『ドライブアウェイ・ドールズ』です。
本作の紹介に入る前に、もう少し”イーサン・コーエン”と”トリシア・クック”の夫婦を掘り下げようと思うのですが、実はこの夫婦は少し変わった事情があります。”トリシア・クック”はレズビアン&クィアであると公言しているのです。1993年に結婚してもう30年以上連れ添っていて子どももいる2人ですが、どういう関係なのか、ちょっと気になりますよね。
”トリシア・クック”本人によれば、初期作『ミラーズ・クロッシング』(1990年)の現場で出会い、”トリシア・クック”は編集の仕事をしていました。”イーサン・コーエン”とは意気投合し、デートに誘われたものの、”トリシア・クック”は「私はレズビアンです」とその場で告げたそうです(MovieMaker)。しかし、友情は続き、恋愛せずに結婚に至ります。”トリシア・クック”本人の言葉を借りれば、非伝統的なカップルであり、互いに別の婚姻外のパートナーがいるとのこと。
そんな”トリシア・クック”は2000年代初めからレズビアンを主題にした短編を撮り始めたのですが、しだいに長編映画を作りたくなり、企画として生まれたのがこの『ドライブアウェイ・ドールズ』。当時は映画化に至らず、今になってようやく完成にこぎつけたそうです。
”トリシア・クック”自身がなぜ監督していないのかと言えば、全米監督協会に入ってないかららしいのですけど、”イーサン・コーエン”も今作は「自分は名目上の監督です」と明言しているので(IndieWire)、実質”トリシア・クック”監督作みたいなものなんでしょう。
その『ドライブアウェイ・ドールズ』。当然ながらレズビアン主人公で、全編にわたってレズビアン色で塗り尽くされています。本当はタイトルも「Drive-Away Dykes」にしたかったらしく、実はちゃんと本編中ではその題名になっています。ただ、広告上の規制の問題で「dyke」の文字は使えなかったみたいですね(「dyke」はレズビアンを指す昔の単語で、今は蔑称の意味でもっぱら受け止められています)。
そしてここも重要ですが、『ドライブアウェイ・ドールズ』はB級映画的なチープな作りにわざとなっています。これは往年のエクスプロイテーション映画を意識したもので、その珍作たちを現代風にアレンジする試みなんですね(どんなエクスプロイテーション映画と関連あるのかは後半の感想で)。
”イーサン・コーエン”は兄弟時代は賞レースにのし上がるような映画ばかりでしたが、今はそういう方向は興味ないそうで、むしろ「くだらない映画こそ大事」というスタンスで映画への情熱を注ぐことに今はしているのだとか。エクスプロイテーション映画も映画史の確かな欠片ですからね。
なお、本作の撮影、私も後から気づいたのですけども、あの『パワー・オブ・ザ・ドッグ』で圧倒的評価を得ていた“アリ・ウェグナー”がやっているじゃないですか。すごい人を引っ張ってきているな…。
『ドライブアウェイ・ドールズ』は「レズビアンB級映画三部作」の第1弾とのこと。すでに第2作目の製作にも入っており、しばらくはこの「”トリシア・クック”×”イーサン・コーエン”」のコラボレーションによる(良い意味で)くだらないレズビアン劇場を眺めることができるでしょう。
約85分と見やすいです。レズボフォビアの人以外は、ご気軽にご入場ください。
『ドライブアウェイ・ドールズ』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :作風に関心あれば |
友人 | :気楽な相手と |
恋人 | :同性愛たっぷり |
キッズ | :性描写が多め |
『ドライブアウェイ・ドールズ』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
1999年、アメリカのフィラデルフィア。夜のバーにて、サントスという男が明らかに不自然な佇まいで緊張して座っていました。ブリーフケースをしがみつくように両手で抱きかかえており、出入口を振り返って気にしています。不愛想なウェイターが近寄ってきて追い出されます。
すると街の夜道であのウェイターが追いかけてきて、急いで路地裏に逃げます。すぐに追い詰められ、ブリーフケースを渡すように淡々と要求されますが、サントスはゴミ箱の蓋で健気に抵抗。しかし、あっけなくコルク抜きで首を刺され、血を拭きだし、さらに両目を潰されて絶叫します。
ブリーフケースは道で待機していた車に回収されました。
ところかわって、ジェイミーはカーラとベッドでセックスに耽っていました。ジェイミーには恋人のスキーがいますが、ジェイミー自身は欲望に気楽です。スキーからの電話でその浮気は簡単にバレそうになります。
別の場所では、ジェイミーの親友のマリアンが職場で男に誘われますが、男には興味なく、冷たく丁寧にあしらいます。
パーティーに参加するも、そこではジェイミーがステージにあがり、胸をみせたりと調子に乗っていると、ノリで浮気が露呈。その場にいたスキーに殴られ、撃沈します。
家でなおもごねるジェイミーは、マリアンがタラハシーにいるエリスおばさんを訊ねると知り、一緒に同行したいと申し出てきます。スキーは壁にディルドを張り付けるほどに滅入っています。今はそっとしておくほうが無難です。
ジェイミーとマリアンは愛想の悪いカーリーのところで車を借ります。ところが単に借りるのではなく、指定された場所にそのまま車を届ければいいと言われます。不自然ですが、気にしてもしょうがないので出発です。
2人の出発後に、カーリーのもとにアーリスとフリント、さらにその上司と思われるチーフという強面の男が、ある車を買いに来ますが、その車こそジェイミーとマリアンが乗っている車でした。ここには車がないと知ると、チーフたちはカーリーをあっさりとぶちのめし、車を追いかけるためにアーリスとフリントに指示します。
そんなことも露知らず、旅の道中でもジェイミーはナンパをやめません。しょっちゅう寄る場所のあちこちで女を漁り、あろうことかモーテルにも連れ込んできます。マリアンはゆっくり自分の時間を過ごすこともできません。
マリアン自身はまだ女性とそういう経験を深く味わえておらず、消極的な姿勢でした。ジェイミーはマリアンに指南しようと誘ってみますが、マリアンはどうしても一歩を踏み出せず、距離をとってしまいます。
その頃、アーリスとフリントは手がかりを追って、ジェイミーのいた家に押しかけますが、そこにいる警官のスキーに簡単に拘束されてしまいます。それでもなんとか車の行き先を聞き出しますが…。
90年代からダイクたちが叫ぶ!
ここから『ドライブアウェイ・ドールズ』のネタバレありの感想本文です。
『ドライブアウェイ・ドールズ』は前述したとおり往年のエクスプロイテーション映画を元ネタとしています。具体的には、『Faster, Pussycat! Kill! Kill!』(1965年)を作り手は挙げていましたが…。
こうしたエクスプロイテーション映画は、過激な暴力や性表現を売りにしており、あえて低俗であることを作風としています。その範疇には女性同士の性的関係も含まれていました。結果的にレズビアン表象にはなっていたものの、ただ、あくまでそれは「male gaze(男性の眼差し)」で構築されたものであることがほとんどで、正直、当事者にとって心から歓迎できるものではありませんでした。
文字どおりレズビアンが「搾取(exploitation)」されていたわけです。
と言っても、レズビアンはずっとエクスプロイテーション映画どまりだったわけでもありません。90年代になると、『GO fish』(1994年)や『Go!Go!チアーズ』(1999年)など、もっとレズビアン表象に真っ当に向き合った映画も登場し始めてきました。まさに「dyke」の時代です。
”トリシア・クック”はその90年代の勢いを感じつつ、この『ドライブアウェイ・ドールズ』を企画したのですが、その時代の勢いはそのまま増大し続けるわけではなかった…。
それが今になってリバイバル。これは逆にアツい展開で、良かったかもしれないですね。
『ドライブアウェイ・ドールズ』も90年代のレズビアン・カルチャーが色濃く取り上げられています(無論、男性の眼差しはありません)。とくにレズビアン・バーが大きな存在感を発揮しているのが印象的。
冒頭で事件の始まりとなるバーはいかにも男性の縄張りという感じで、そこに男らしさをまとえていない男(“ペドロ・パスカル”を起用しているのが絶妙)が、屈強な男にねじ伏せられます。
それに対してラストでは、元凶の議員(“マット・デイモン”なのがまた対比的)が冒頭と同じようにブルブルおどおどとバーで縮こまっているのですが、そこは雰囲気的にレズビアン・バーなんでしょうね。
物語の主導権が変わったことを印象的に提示していますが、同時にそれはレズビアン・バーの「私たちを忘れるなよ」という誇示でもあって…。
「The Lesbian Bar Project」によればアメリカには1980年には約200軒あったレズビアン・バーが2023年にはわずか約30軒しか残っていないそうです。消えゆく文化への敬意、加えて「レズビアン・バー」という肩書を掲げることは減ったけど「クィア・バー」としてより包括的に女性中心のバーとして運営している場所は確かに今もある。レズビアン・バーの名前は消えてもその魂は消えていません。
『ドライブアウェイ・ドールズ』は、搾取されてなるものかというレズビアンのパワーがこもってました。ふざけているけどメッセージはちゃんとあるのです。
その道のゴールには…
ちょっと真面目な感想を書いてしまいましたが、『ドライブアウェイ・ドールズ』はやっぱりしっかり低俗ですよ。そこは大事。
セックスコメディのノリとしては『Bob & Carol & Ted & Alice』(1969年)から引き継ぐバカバカしさであり、インティマシー・コーディネーターを取り入れる現代らしい製作であっても、そのくだらなさは減速していません。
主人公のジェイミーが本当に軽薄なアホで、アホ度の勝負であれば『ボトムス 最底で最強?な私たち』のアイツらと互角に戦えますよ。たぶん戦ったら愚かな乱闘になるでしょうよ…。
ジェイミーを演じた“マーガレット・クアリー”、これまでは真面目な役柄のほうが多かったくらいなのですが、ちゃんとコメディセンスもあって、器用な俳優でした。
そのジェイミーに振り回されるマリアン。セックス・ライフをゆっくり模索している当事者であり、セクシュアリティの自覚の過去も描かれるなど、唯一しんみりしたドラマが用意されています。演じた“ジェラルディン・ヴィスワナサン”は『ブロッカーズ』などコメディはすでにお得意です。
その2人を最後に救うスキーを演じるのは、『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』の“ビーニー・フェルドスタイン”。抜群の安心感がありますね。“ビーニー・フェルドスタイン”は兄が警官役でコメディに主演していましたから、なんか今回の役柄はその世界と地続きの親近感を感じました。
そんな低俗なロードトリップの路面をより不格好に荒らしてくれる男たち。コロコロよく転がりまくる“ペドロ・パスカル”、オチ担当としてすでに定着している“マット・デイモン”、さらに2023年は『ラスティン: ワシントンの「あの日」を作った男』や『カラーパープル』とクィア映画を牽引したゲイ俳優の”コールマン・ドミンゴ”。他にも“ビル・キャンプ”をあっけなく使い捨てたり、これだけのキャスティングができるのはさすが“コーエン”印の映画ですよ。
個人的にはもっと低俗さを増量するかたちで数段階のひっくり返しが後半にあってほしかったのですけども、予算規模的にここが限界点だったのかな。B級映画としてのボリュームはじゅうぶんすぎるくらいですけどね。
ディルドは置き去りにして、レズビアンたちは次なる旅へと向かいます。その地は、同性結婚もできる平等な未来。プライドを胸に前進するのです。
「レズビアンB級映画三部作」の第2弾も燃料満タンで待ってます。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
作品ポスター・画像 (C)2023 Focus Features. LLC. ドライブアウェイドールズ
以上、『ドライブアウェイ・ドールズ』の感想でした。
Drive-Away Dolls (2024) [Japanese Review] 『ドライブアウェイ・ドールズ』考察・評価レビュー
#コーエン #レズビアン