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『ペイン・アンド・グローリー』感想(ネタバレ)…ペドロ・アルモドバル人生の集大成

ペイン・アンド・グローリー

ペドロ・アルモドバル人生の集大成…映画『ペイン・アンド・グローリー』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Dolor y gloria(Pain and Glory)
製作国:スペイン(2019年)
日本公開日:2020年6月19日
監督:ペドロ・アルモドバル

ペイン・アンド・グローリー

ぺいんあんどぐろーりー
ペイン・アンド・グローリー

『ペイン・アンド・グローリー』あらすじ

世界的な映画監督サルバドールは、健康上の問題もあって生きがいを見いだせなくなり、心身ともに疲れ果てていた。引退同然の生活を送る彼は、幼少時代と母親、その頃に移り住んだバレンシアの村での出来事、マドリッドでの恋と破局など、自身の過去を回想していく。そんな彼のもとに、32年前に手がけた作品の上映依頼が届く。思わぬ再会が心を閉ざしていたサルバドールを揺れ動かす。

『ペイン・アンド・グローリー』感想(ネタバレなし)

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ペドロ・アルモドバル監督の集大成

現代のスペインを代表するベテラン監督のひとりと言えば、“ペドロ・アルモドバル”の名を挙げないわけにはいきません。1951年生まれでもう68歳なので、そろそろ巨匠と呼んでもいいのかな。

シウダー・レアル県カルサーダ・デ・カラトラーバという場所で生まれ、この地域は現在の人口が3800人程度しかいないド田舎であり、荒野の中にポツンと存在するのでなんだかRPGに出てくる町みたいです(Google Mapで確認すると雰囲気がわかります)。そんな小さな町から名監督が生まれるとは世の中わからないものです。

“ペドロ・アルモドバル”監督はとにかく多作な人で、フィルモグラフィーも充実しているのですが(ちょっと私も全部は見きれていません)、非常に作家性が色濃くハッキリしているクリエイターでもあります。

さすがに全監督作について言及できないので、最近のものを中心に言及すると…。

『私が、生きる肌』(2011年)は監督作品群の中でも異色で、オリジナルな人工皮膚を使って女性を亡き妻の姿に作り変えるという、クレイジーすぎるマッドな外科医が登場するサイコスリラー。ただそんな映画の内皮には倒錯するアイデンティティの模索という、やはり監督らしいテーマが隠れていました。

『アイム・ソー・エキサイテッド!』(2013年)では、航空機ドタバタコメディという外見を持つものの、自身も同性愛者である監督の分身かのようにゲイの3人の客室乗務員をストーリーテラーに、航空機内をスペイン社会に見立てて辛口に風刺してみせていました。

監督作ではないですが製作に関与しているオムニバス作『人生スイッチ』(2014年)は、不条理な人間模様を強烈すぎるブラックユーモアで描きだす過激作。“ペドロ・アルモドバル”監督がこういうシニカルさと相性がいいのは、フランコ独裁政権を経験し、そこで反権力芸術を磨いたからでしょうか。

『ジュリエッタ』(2016年)では、『ボルベール〈帰郷〉』(2006年)以来、久々に女性映画に回帰してきました。“ペドロ・アルモドバル”監督は女性社会への独特な眼差しを持っていることでも特筆され、監督初期の頃からその作風で評価を高めています。

そして2019年、老成して映画人としてじゅうぶん高みに登りつめたと思っていた“ペドロ・アルモドバル”監督ですが、ここにきてキャリア至上最高傑作級の評価を獲得した一作を生み出してきました。

それが本作『ペイン・アンド・グローリー』です。

ちなみに邦題は英題の「Pain and Glory」をカタカナ表記にしただけのパターン。『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999年)とか『トーク・トゥ・ハー』(2002年)など英題をそのままカタカナにした邦題がつくことが“ペドロ・アルモドバル”監督作は多いですね。

『ペイン・アンド・グローリー』の評判は絶好調で、カンヌ国際映画祭では男優賞を受賞し、各地の外国語映画賞にノミネートしまくり。2019年は『パラサイト 半地下の家族』フィーバーだったので、若干存在感が隠れてしまいましたが、その作品がなければ『ペイン・アンド・グローリー』一色で受賞が埋まっていたことも考えられます。

本作は監督の自伝的な作品になっています。それだったら『バッド・エデュケーション』(2004年)も自伝的な体験ベースで作られた作品でしたが、今回の『ペイン・アンド・グローリー』は少し次元が違って「“ペドロ・アルモドバル”監督の集大成!」とデカデカと宣伝してもいいくらい、監督の人生が凝縮された一作になっています。なので監督作のファンであるほどに感慨深いと思います。

俳優陣もいつものメンバーが勢揃い。“アントニオ・バンデラス”“ペネロペ・クルス”という、ほぼ“ペドロ・アルモドバル”監督のおかげでキャリアを築けたような二人が並んでいます(ただし作中では共演しません)。この二人がいるだけでだいたい完成されちゃいますね。抜群の安心感です。他には“アシエル・エチェアンディア”“レオナルド・スバラグリア”など、脇でも好演で物語を支える役者がしっかりスタンバイ。

監督ファンは必見なのは当然ですが、本作を入り口に“ペドロ・アルモドバル”監督の世界に入っていくのも良いと思います。これぞ“ペドロ・アルモドバル”!という濃密さですからね。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(監督ファンは絶対に必見)
友人 ◯(シネフィル同士でぜひ)
恋人 ◯(手軽なデートムービーではないけど)
キッズ △(大人のドラマです)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ペイン・アンド・グローリー』感想(ネタバレあり)

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枯れた映画監督に活力は戻るのか

プールにて全身を水中に沈めて底の方で精神統一でもするように佇む男。ひととおり満足したのか彼はプールから這い上がり、その場を去ります。

彼の名前はサルバドール。見た目はどこにでもいそうな初老の男性ですが、実は彼は世界的に名の知られている映画監督でした。しかし、今はとくに創作活動に身を費やしているわけではありません。現在のサルバドールは創作する気力もない状況。脊椎に痛みを感じるなど健康上の問題を抱えているだけでなく、彼の心にはあるしこりが残っていました。

そんなサルバドールに自分がかつて手がけた初期の映画「Sabor」のリマスター上映が行われるという話が飛び込んできて、久々にその映画の主演だった俳優アルベルトに会いに行くことになります。このアルベルトとは撮影時のいざこざのせいで疎遠になっていました。できれば会いたい相手ではないのはお互いに同じはず。

連絡もせずに突然の訪問というかたちでアルベルトの家に顔を出すと、案の定、アルベルトはいい顔をしません。それでも一応は礼儀として中に入れてくれます。二人はソファに座り、久しぶりに会話をします。もともとは例の映画の上映に関連してプレゼンターを依頼されたサルバドールがアルベルトも一緒にということでこうしてコンタクトをとったのですが、二人にはいろいろありすぎて何から話せばいいやら…。

そのとき、ふとサルバドールの視界にクスリがちらっと映ります。しつこい頭痛に悩まされていたサルバドールは、ヘロインを吸うアルベルトを見て、これで自分も紛らわせることができるのではと興味を持ち、さっそく試してみることに。野外の気持ちよさそうな景観を見ながら、椅子に座り、咳き込んだ後にハイになったサルバドール。そのままスッと目を閉じ、現実から逃避します。彼が逃避した先にあったのは幼い頃の思い出でした。

サルバドールが少年だった頃。ハシンタという名の母親と一緒に過ごしており、家族はバレンシアの小さな町に引っ越すことになりました。貧しい生活から脱却するために少しでも良い暮らしを…という狙いでの引っ越しです。

ところが着いた先のこれから住むことになる家は予想外のものでした。夫が見つけたその住居は確かに住居ではあるのですが、白いボコボコの壁でできた洞窟のようなもので、ハシンタは絶句。狭苦しさはもちろんのこと、どう考えても生活水準は大きく下がっているような…。台所部分の天井は大きく穴が開いており、青空がのぞき太陽光が注いでいます。ドアなんて蹴ればとれそうで、雨風を防げる感じもしないです。しかし、サルバドール少年は新生活に大喜びでした。

サルバドール少年が、外の階段で(やっぱりあの家だと読みづらいのだろうか)黙々と読書をしていたとき、レンガ職人のエドゥアルドという若い男と出会います。彼は字が読めず、読書ができているサルバドールを見かけて自分に教えて欲しいと依頼してきます。ハシンタは教えてあげる見返りとして、住むには不便が多すぎる家の中の補修をして欲しいとお願いしました。

それからサルバドール少年とエドゥアルド…小さな先生から学ぶ大きな生徒という構図の奇妙な関係が続きます。

昔の記憶から戻った現在のサルバドール。ヘロインを吸ってサルバドールがボーっとしている間、アルベルトはサルバドールのパソコンに保存されていた「LA ADICCION」と題された文書ファイルを読み、これを作品にしようと提案。乗り気ではなかったサルバドールですが、しだいに創作が進み始めます。

過去と今。現実と創作。ひとりの映画監督は自分の人生とどう向き合うのか…。

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女性映画と同性愛

『ペイン・アンド・グローリー』は前述したように“ペドロ・アルモドバル”監督の集大成だと私は思うのですが、その理由に本作には監督作の代表的要素がおせち料理のように重層的に詰まっているということが挙げられます。

例えば、「女性映画」としての側面。本作は出だしからサルバドール少年時代に母ハシンタとその仲間の女性たちが川で洗濯をしている姿が映し出されます。ハシンタの背にはサルバドール少年がまたがっており(どいてくれよという気分ですが)、歌を歌いながらたくましく生きる母たちの姿です。『ボルベール〈帰郷〉』でもオープニングから日常に息づく女性たちの労働の姿が描かれており、監督作の定番になっている部分もあります。

でもこの女性たちの労働を単に“良きもの”として扱っているわけではなく、やはりそこには不自由で不平等な搾取の構造を薄っすら滲ませて描くのが“ペドロ・アルモドバル”監督。『ペイン・アンド・グローリー』でもサルバドール少年の子ども時代は眩しく描かれている雰囲気を持っていますが、ハシンタの側に立てばなかなかに過酷です。あんな家を丸投げされるなんて誰だって嫌ですからね。その母親との向き合いというのが本作のひとつのテーマ軸になってきます。

もう一つの側面が「セクシュアリティ」。“ペドロ・アルモドバル”監督は同性愛者であり、自身の作品でも幾度となくそのテーマを描いてきました。かなり過酷な差別の実態も浮き彫りにするなど、ときにはセンセーショナルな切り口も持っていたり…。

今回の『ペイン・アンド・グローリー』でも直接的な差別は描かれずとも、ゲイとしての人間の人生の始まりから老成に至るまでの苦悩がぎっしりと静かに語られていました。サルバドール少年はエドゥアルドという若い男性と字を教えてあげるというかたちで親しくなり、ある日、エドゥアルドの全裸を目撃し、ばったりと気絶。これがゲイとしての目覚めを映し出しているのはわかりやすいですが、あの欠けた家での出来事というのがまた意味深くもあり…。

それからサルバドールはフェデリコという男と恋仲になるも、いろいろな事情が重なり、関係性を公で維持することはできません。なお、スペインでは同性婚は2005年に合法化され、ヨーロッパ各国の中では認められたのが早い方ではあります。それでもその法律にさえも非常に強い反対運動があったことからもわかるように、国内における同性愛者への視線はずっと厳しいものが多かったそうです。歴史的に見れば、フランコ独裁政権では同性愛者は刑務所送りにされ、精神異常者扱いとなりました。スペインはローマ・カトリック教会の勢力が強いのでその抑圧もあります。そんなスペインが同性愛を認める先進的な一歩を踏み出せたのは、ペドロ・セロロのようなゲイ当事者でもある政治家の血のにじむ努力とリーダーシップがあったおかげでもあるのでしょう。

ともかくサルバドールがフェデリコと再会し、キスし合う光景は、スペインという国が変化の先にたどり着いた今を象徴するものでもあるのではないでしょうか。

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事実よりも創作の方が良いこともある

『ペイン・アンド・グローリー』の大きな特徴はやはり主人公が映画監督であるという、これ以上ない自伝的な構成です。

フェデリコ・フェリーニ監督の『8 1/2』に影響を受けているらしいですが、そこは“ペドロ・アルモドバル”監督、ちょっとした自虐も忘れません。

あのアルベルトと旧作映画の上映のゲストプレゼンターをすっぽかして、家でヘロインを吸いながらスマホで音声出演するシーンなんかはふざけまくりです。図らずもテレワークになっていますが、やりたい放題で、あげくに喧嘩に発展し、声しか聞こえない上映会場の観客は何事?状態。映画監督ならではの自虐ユーモアたっぷりです。

クスリと言えば、サルバドールは諸々の医療の薬を服用しているのですが、それらをむせないように粉々にして飲んでいます。それとヘロインにハマっていく姿がオーバーラップするのも皮肉な感じです。

わりと王道なドラマとして進行していくので“ペドロ・アルモドバル”監督がときおり見せるトリッキーな手段は今回は無しかなと思っていたら、最後に用意されていました。サルバドール少年と母ハシンタが寝そべるシーン。カメラがひいていくとそのすぐ横には音声マイクを持ったスタッフがいて、カットがかかり、サルバドール監督のもとの撮影風景だとわかる。つまり、この映画自体の回想パートに見えた一連の場面は真実としての過去ではなく、あくまでサルバドール監督の描いたシーンに過ぎない…ということに。

これはただのサプライズ展開というわけではなく、そこに“ペドロ・アルモドバル”監督の創作への神髄が詰まっていると思います。それは「事実」よりも「創作」の方が良いこともある…ということ。

サルバドールはフェデリコと再会できてもその関係性をそれ以上踏み込むことはしません。またエドゥアルドの居場所も今はITを駆使すれば見つけられるかもしれないのにそれもしません。事実を知ってしまうよりも自分の中にある体験を大事にしようとします。

そして少年時代の自分を描いた水彩画が創作の何よりもエネルギーになっていきます。監督にとっては事実確認よりも創作に費やしたいと考えてしまう、それは根っからの創作者の本能なのかもしれませんね。作りモノにはときには実体のある本物よりも価値がある…という示唆は“ペドロ・アルモドバル”監督の中にいつもあるようにも思います。それはなぜ人は創作を続けるのか…という根本的な問いかけにもつながるわけですから。

私は映画監督になる才能は何もないですけど、創作が自分の人生と向き合わせるのはよくわかる気もします。ツラい時は、脳内で物語を作ることにしようかな。

『ペイン・アンド・グローリー』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 97% Audience 91%
IMDb
7.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)El Deseo. ペインアンドグローリー

以上、『ペイン・アンド・グローリー』の感想でした。

Pain and Glory (2019) [Japanese Review] 『ペイン・アンド・グローリー』考察・評価レビュー