メリッサ・マッカーシーと鳥よりもお菓子が目立つ…Netflix映画『ムクドリ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2021年)
日本では劇場未公開:2021年にNetflixで配信
監督:セオドア・メルフィ
ムクドリ
むくどり
『ムクドリ』あらすじ
幸せな生活が始まるはずだった。しかし、それは早々に終わってしまい、愛する命を失ったひとりの女性は失意の中で静かな家に佇むしかなかった。心を閉ざした夫は病院に行ってしまい、女性にできることは何もない。そんなとき、家の庭を片付けていると1羽の鳥が邪魔をしてくる。その攻撃的な鳥と戦う日々をきっかけに、自らの抱える悲しみ、そして前に進めずに苦しむ夫と向き合う心の整理をつけていくことに…。
『ムクドリ』感想(ネタバレなし)
あの監督と俳優のペアが再び
私の住む家の付近にはカラスのねぐらがあるせいか、夕方くらいの時間になると農地に凄い数のカラスが羽休めしています。すぐそばにある自動車教習所のコース内ですらもカラスだらけになることも(私はそこで免許をとったのですが、カラスで埋め尽くされたコースを走るのはちょっと楽しかったです)。
まあ、でも基本は鳥ってやっぱり群れをなすと恐怖感を感じますよね。ヒッチコックのあの映画みたいなことにはならないにしても。
日本ではカラス以外にも身近にいる鳥で大きな群れを作るものがいます。「ムクドリ」です。
ムクドリはスズメよりも大きくハトよりも小さいくらいのサイズの鳥で、ほぼ日本全土に生息しています。平野や山地に多いのですが、田畑や住宅地付近にも出没するので、観察するのは難しくありません。
そしてこのムクドリの最大の特徴は「群れること」。数十羽が電線に止まっている…みたいな光景ではありません。それこそ数千羽から数万羽の空を埋め尽くすレベルの巨大な群れが、まるでひとつの生き物のようにうねりながら群れる。英語では「swarming」と呼びますが、その姿は圧巻であり、この世のものではない存在のようで実際に目の当たりにすると衝撃的です。しかも、鳴き声がとにかくうるさい。完全に騒音級の酷さで、ゆえに世間的には害鳥扱いになることもしばしばです。1羽だとまだ可愛いんですけどね。群れるともう別次元の生き物になるのです…。
今回紹介する映画はそのムクドリが物語に深く関わってくる作品。そのタイトルは『ムクドリ』です。
いや、邦題がそのまんますぎる…。原題も「The Starling」だから(「starling」はムクドリのことです)直訳なのだけど、もう少し独自性は出せなかったのか…。
ともかくこの『ムクドリ』、物語はというと、産まれて幼い我が子を失った夫婦を描いたドラマであり、いわゆる死別を題材にした喪失感と向き合う作品です。夫は心を病んでしまって入院を余儀なくされ、ひとり家に残された妻が庭で1羽のムクドリと交流することになる…というストーリー。
鳥を用いたアニマルセラピー的な物語の映画と言えば、最近も『ペンギンが教えてくれたこと』がありましたが、『ムクドリ』もその部類だと思ってください。
監督は、NASAで活躍した黒人女性たちを描いてアカデミー作品賞にノミネートされた『ドリーム』を手がけた“セオドア・メルフィ”。
そして主演は、“セオドア・メルフィ”監督作でこちらも死別をテーマにしている『ヴィンセントが教えてくれたこと』(2014年)でもタッグを組んだことがある“メリッサ・マッカーシー”です。“メリッサ・マッカーシー”はハリウッド切ってのコメディ界のクイーンであり、いつも体を張った笑いを全力で提供してくれますし、私もそんな“メリッサ・マッカーシー”が好きですが、今作『ムクドリ』はほぼ笑いは封印し、真面目なドラマで繊細な感情を表現しています。同じく笑い無しのシリアスな物語であった『ある女流作家の罪と罰』でアカデミー主演女優賞にノミネートされてもいる“メリッサ・マッカーシー”ですけど、やっぱり世間的にはバカにされがちですし、本人も進んでバカなことをしていますが、実際は役者として凄い才能がある人ですよね。
共演は、こちらも『ヴィンセントが教えてくれたこと』にも出ていた“クリス・オダウド”、舞台でトニー賞に多数輝いている“ケヴィン・クライン”など。
いつも元気でいられるわけではありません。心苦しいとき、悲しさで自分が押しつぶされそうなとき、この映画は寄り添ってくれるでしょう。
Netflix配信なので家でゆっくり観ましょう。
『ムクドリ』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2021年9月24日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :辛い気持ちのときに |
友人 | :落ち着く物語を観たいなら |
恋人 | :感動を共有して |
キッズ | :鳥が好きなら |
『ムクドリ』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):その絵を見てくれる子はいない
夫と共同で“とある部屋”の壁に絵を描いていく女性。他愛もない会話です。大きな木の絵を上手に描いた夫は、「鳥を描こうか」と提案しますが、妻である女性は「鳥はうるさいから嫌だ」と軽口。
そこに赤ん坊の泣き声が。その何もない部屋にはポツンと赤ん坊のベッドが置いてありました。ここはこの子の部屋になる予定なのです。愛おしそうに2人は我が子を見つめます。
それから月日が…。
リリー・メイナードはスーパーで働いていました。でも心ここにあらず、赤ん坊の商品をじっと眺めるだけ。なじみの客に「ジャックは? つらい経験だったでしょう?」と心配されますが、返事は曖昧。上の空なのを店長にも指摘され、「集中してくれ」と言われてしまいます。
毎週通っている病院へ。といってもリリーの話ではなく、この精神病院に夫であるジャックが入院しているのです。夫と合流し、心理療法のクラスを受講。家族の関係を保つという講義を聞きます。いつのまにか電子タバコを吸うようになっている夫を目にしつつ、話したがらない姿にどうすればいいかもわからず距離感を掴めないリリー。
ひとり建物を出ると、その病院の先生であるレジーナ・ミラーが駆け寄ってきます。「夫は回復している?」と訊ねますが、先生は「時間はかかる」と言葉少なげ。「ケイティの持ち物はまだ持っているの?」と言われ、「あなたも治療が必要」とも優しく忠告されるも、リリーも話したくないようにぶっきらぼうに返事。そして「L・ファイン」という心理療法士を紹介されました。
家に帰ったリリーは、ボウボウに草木が生える自宅の庭を独りで片付け始めます。すると1羽の鳥がヒュっと頭めがけて襲ってきます。せっかくやる気があったのに出鼻をくじかれてイラつくリリー。
夜中、壁一面に絵が描かれた部屋に足を踏み入れ、その誰もいない赤ちゃんの部屋で感情に浸ります。そして決心をつけたように衝動的にベビーベッドを外に出し、他の部屋の家具もどんどん外に。
外の椅子でうたたね。そのまま朝です。椅子以外は引き取り手がいました。椅子だけ部屋に戻します。
他にやる気も起きず、紹介された心理療法士のもとに行ってみます。そこは病院だと思ったのですが、ペット連れの人ばかりで「動物はいないんですか?」と受付の人に言われてしまいます。動物病院だったのです。
帰ろうとすると、例のラリーという男性が現れ、中へと案内されます。犬の去勢手術の現場で面談を受けるように話し合い。1年と少し前に幼い娘を失くしたことを打ち明けます。けれどもラリーは心理療法士はもうやめたそうでここで会話は終了。
家の庭ではまた鳥です。ラリーのもとに行き、鳥のせいでできた頭の怪我を診てもらいます。鳥の話をすると、ラリーは鳥に興味を持ったようで、また鳥の話をするように言われます。
こうして庭にいつく鳥を接点に交流ができた2人。ラリーと鳥図鑑を眺め、家にも来てもらい、その鳥はムクドリだということが判明します。
一方で、入院状態から脱せないジャックはひとりで悩んでいました…。
コメディではないはずだけど…
『ムクドリ』は冒頭のシーンがとても素晴らしく、ここが本作のベストかもしれません。あの部屋、夫婦、絵、そこからの赤ん坊。この一連のシークエンスだけで本作の構図が全部詰まっています。“セオドア・メルフィ”監督はこういう短いワンシーンだけで物語性を伝えるのが上手いですね。
その温かみのあるオープニングから切り替わり、何の説明もなしにリリーの姿が映ります。その虚無に佇む姿から彼女がとてつもない喪失感を味わったことが窺え、赤ん坊を亡くしたことが観客にも少しずつ提示されます。詳細はわかりませんが、状況から察するにおそらく乳幼児突然死症候群だったのでしょう。当然、親には過失があるわけでもない。でも当事者である親の感情としてはそれで納得できるものでもない…。
しかも、夫であるジャックはひとりで自殺未遂をしてしまっており、ゆえに病院に入院することになり、リリーはひとりで巣に放置されることになってしまいます。
そしてリリーは同じく家に庭の木に巣を作っているムクドリに悪戦苦闘するハメに…。このあたりはコミカルです。本作はシリアスなヒューマンドラマではあるのですが、このあたりのユーモアはさすがに“メリッサ・マッカーシー”なだけあって、彼女が七転八倒しているだけでもう面白いんですよね。
あのムクドリに頭を攻撃されて転倒するシーンも、あんな完璧な転び方はないだろうというくらいにキマっています。“メリッサ・マッカーシー”、完全に転びの演技の天才になっている…。
鳥除けのはずのフクロウの置物の頭の上に堂々と乗られたり、マネできない音楽を流して対抗したり、やっていることがイチイチしょぼいという…。「“メリッサ・マッカーシー” vs ムクドリ」の果てしない対決です。それにしても梯子からあんな風に落下したらイテテでは済まないだろうに…。
そんなコミカルさの中でも“メリッサ・マッカーシー”がふと見せる複雑な心理的葛藤の演技がとても印象に残ります。
その商品、5セントですか
一方で『ムクドリ』では男女での喪失感の向き合い方の違いもよく出ていたと思います。
同じ赤ん坊を失った親の立場でもやはり女性と男性とでは違ってきます。妊娠していたリリーの方は赤ん坊との付き合いもそのぶん長いです。しかし、ジャックは赤ん坊との時間はこれから育むというところで奪われたことになり、加えて“男らしさ”のジェンダーロールも合わさってひとりで苦悩を抱え込んでしまいます。
本作は初期の脚本案の時点では男女の立場が逆だったらしいですけど、こっちのパターンにしておいて正解だったと思います。とくに男性が心のケアに向き合おうという勇気を持つというストーリーは描きがいが今の時代はありますから。
“クリス・オダウド”の演技も良かったですね。小学校の美術教師だった彼にとって子どもがトラウマになってしまうという恐怖。それが一番に浮き彫りになるのが、あの病院に来た子どもと遊ぶ良い雰囲気のシーンでしだいに狂気じみた感じになってしまうという場面。そう簡単にはいかない現実を見せられますね。
物語では最終的には妻と夫が再び同調できるように優しく見守っていく…そんな眼差しで溢れて終わりを迎えます。見方を変えれば、子育てが途中で失敗してしまったとしても夫婦はそれで終わりではない、夫婦の在り方は子育ての有無や結末に依存しなくてもいいというメッセージにもなりえますし。
そんな感動的な『ムクドリ』なのですが、ひとつツッコミを入れるならあのキーアイテムとして随所に登場する「snoballs」という商品の出番ですよ。これ、日本人には何なのだろうという疑問だと思いますが、マシュマロに包まれたケーキみたいなお菓子で、アメリカではどこでも売っている定番の実在の商品です。作中ではジャックの好物ということになっており、入院しているジャックにリリーが毎週買って持ってきてあげています。
要するにこの「snoballs」はプロダクト・プレイスメントなんですね。映画内でスポンサー企業の商品を登場させて宣伝するやつです。まあ、資金調達のためにはある程度やむを得ないのかもしれませんが、この本作における「snoballs」はかなり露骨で、それでいて物語上そんなに重要でもないのが問題。
むしろ本作でもっとフューチャーされるべきは「絵」であり、だからこそ最後の穴の開いていないスイッチカバーをリリーに贈るジャックというオチが意味が出てくるのですが、そのエッセンスを完全にムクドリすらも関係ない「snoballs」に持って行かれましたね。これはプロダクト・プレイスメントの悪い例かな…。
せっかく良い話なのに本編の一部が商品CMになってしまったのは、ムクドリの群れ以上に害でした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 21% Audience 77%
IMDb
6.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
メリッサ・マッカーシー出演の映画の感想記事です。
・『サンダーフォース 正義のスーパーヒロインズ』
・『パペット大騒査線 追憶の紫影(パープル・シャドー)』
・『ゴーストバスターズ』
作品ポスター・画像 (C)Netflix
以上、『ムクドリ』の感想でした。
The Starling (2021) [Japanese Review] 『ムクドリ』考察・評価レビュー