バイス
映画『バイス』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Vice
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2019年4月5日
監督:アダム・マッケイ

あらすじ

1960年代半ば、酒癖の悪い青年だったチェイニーは、後に妻となる恋人リンに叱責されたことをきっかけに政界の道へと進み、型破りな下院議員ドナルド・ラムズフェルドの下で政治の裏表を着々と学んでいく。やがて権力の虜になり、頭角を現すチェイニーは、大統領首席補佐官、国務長官を歴任し、ジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領の座に就くが…。

ネタバレなし感想

影で暗躍する副大統領、その名は…

「権力を疑え。自分のすべてを懸けてでも疑わなければダメだ。それがまず最初の仕事だ」
これは“アダム・マッケイ”監督に対して映画評論家の町山智浩氏が「政治を風刺する映画を日本はなかなか作れないのですが、なにかコメントもらえますか?」とインタビューした時の監督の回答の一部です。

“アダム・マッケイ”監督は今やハリウッドにおけるコメディ映画のトップランナー。その作家性の特徴は端的に言ってしまえば“情け容赦のない風刺”。ご長寿的なバラエティ番組「サタデー・ナイト・ライブ」の制作で培ったその風刺パワーは、映画業界にデビューしても炸裂。最初の監督作『俺たちニュースキャスター』は自身の職場でもあるテレビ業界を痛烈に皮肉り、大暴れ。

演出もエキセントリックで、例えばカーレースを題材にした監督作『タラデガ・ナイト オーバルの狼』では事故でクラッシュした車をスローモーションで描くという映画によくある映像に合わせて「まだスローは続きそうです。では一旦ここでCMです」と実況の解説でまさかのCMを挟み込むという常識を無視したギャグをぶっこんだりします(ちなみにCMがあけてもまだスローでクラッシュしている)。

要するに映画的な手法というよりは「サタデー・ナイト・ライブ」のトリックをそのまま映画に拡張している感じなんですね。マイケル・ムーアが有名になる前のドキュメンタリー番組「マイケル・ムーアの恐るべき真実 アホでマヌケなアメリカ白人」にも関わっていたようで、マイケル・ムーア風なスタイルも確かに合わせ持っている気もします。

とはいっても基本は“おバカ”映画なので、これらの作品はゲラゲラと大笑いできます。

しかし、ここ最近の“アダム・マッケイ”監督作は少し傾向が変わってきました。単純な“おバカ”映画から“笑えるけど笑えない”社会派要素強めの作風にシフトチェンジしているのです。とくにアカデミー賞脚色賞を受賞した『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(2015年)の成功は、“アダム・マッケイ”監督のクリエイティビィティが賞レースにも通用することを知らしめた転換点。こちらの映画はサブプライム住宅ローン危機を題材にアメリカの金融業界のあまりの堕落した闇をあえてストレートにギャグした快作でした。観れば笑うと同時に絶対に金融は信じないようにしようと思えてきます。シンプルなアホ映画の方が気楽ですけど、映画を作るハードルを上げてまでこの“笑えるけど笑えない”という難関に挑戦していくのは、この監督には真面目なハングリー精神があることを窺わせます。

その“アダム・マッケイ”監督の最新作『バイス』は監督のフィルモグラフィを考えてもさらにとんでもない挑戦をしてきたなと思わせる映画でした。今回ばかりは“アダム・マッケイ”、一線を越えたなと(いや、毎回一線を越えてるのですけど)。

題材になっているのは「ディック・チェイニー」という政治家。正直、多くの日本人は知らないはず。なぜなら彼は政治家と言ってもジョージ・W・ブッシュ政権の副大統領だった男にすぎません。目立たないのも当然です。

ならばなんでそんな人物を映画化するのか。副大統領の伝記映画なんて普通は面白いとは思わないじゃないですか。

しかし、このチェイニー、実は「史上最悪の副大統領」と称されるほどの裏の顔があって…というのが本作の主題。タイトルの「vice」は「副」という意味ですが「悪」も意味します。なんか狙ったかのようなピッタリな単語ですね。

本作は、アカデミー賞で作品賞・監督賞・主演男優賞・助演男優賞・助演女優賞・脚本賞・編集賞にノミネートされ、メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞しました。

主役となるチェイニーに、見事なメイクと名演によって“クリスチャン・ベール”がなりきっていることが大きな話題にもなりましたが、個人的にはジョージ・W・ブッシュを演じた“サム・ロックウェル”に注目です。ほんと、そっくり。もうブッシュが“サム・ロックウェル”を演じているような気分になってくる…。“アダム・マッケイ”監督の長年のワーク・パートナーである“スティーヴ・カレル”もドナルド・ラムズフェルドを気持ちよく熱演しています。面白さを100%保証するキャストの布陣ですよ。

でも…。これは最初に本作の感想の結論を書いてしまいますけど、私は本作を観て、久々に“ドン引き”しました…。こんなこと書くと自惚れた言い回しになりますが、普段はかなりたくさんの映画を観ているし、結構客観的に鑑賞している方だと思ってます。そんな自分でもさすがに本作『バイス』は凍り付いたというか…“笑えない”方が最終的に勝ったというか…。日本人である私でさえドン引きしたのですから、これ、アメリカ人はどんな気持ちで見たんだ…

あなたが本作を観てどう思うか。それは実際にその目で確かめてください。

オススメ度のチェック
ひとり◎(衝撃的な内容を噛みしめて)
友人◎(議論が盛り上がる)
恋人◎(恋は一旦忘れて政治を考えて)
キッズ◯(わかってほしい映画です)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

普通の人間だった

本作はディック・チェイニーの半生が描かれます(まあ、半生といっても存命の人物なので現在進行形で人生は続行中ですが…)。もちろん、これは“アダム・マッケイ”監督のサテリカルなコメディ映画ですから、大胆な脚色も多いですし、チェイニーなど登場人物も実際と比べて大きくカリカチュアされているのは言うまでもありません。なので本作に対してはファクトチェックではなく、風刺の鋭さや巧みさの視点で評価する必要があると思います。

私は“アダム・マッケイ”監督史上最大のエッジが効いた最高で最悪の一作であると本作を見終えて感じました。簡単に言ってしまえば、私の中のベスト・“アダム・マッケイ”監督作に堂々のランクインです。

前半はまだ穏やかです。序盤、1963年のワイオミング州。このワイオミング州は有名なイエローストーン国立公園もある自然豊かな大地が広がっています。つまり、言い換えると他に何もない“ド田舎”だということです。典型的な保守層のアメリカ人が暮らす絵に描いたようなアメリカの田舎。そんな地に住むひとりのアメリカ人に過ぎなかったチェイニー青年は、イェール大学をドロップアウトし、アルコールと喧嘩に明け暮れ、架線工夫(ラインマン)で細々と金を稼ぐ地味な人生を送っていました。

伝記映画の題材になる人間にしてはあまりに平凡中の平凡。どこにでもいる粗暴な若者。でも『スター・ウォーズ』で後にダース・ベイダーとなったアナキン・スカイウォーカーだって地味な田舎暮らしをしていたわけですから同じです。ただこのチェイニー青年には特別なフォース(才能)があるようには見えません。

しかし、本作ではこの時点で将来「史上最悪の副大統領」に上り詰めることになるチェイニーの不気味な潜在性を演出で匂わせます。飲酒運転に悪びれることもなく、足が痛々しく折れた同業仲間を冷静に見降ろす…なんか無感情なヒューマノイドみたいな態度。

でも普通。そう、普通の人なのです。チェイニーは悪魔の子ではない、私たちと同じ普通の人間だった…。

そこがこの映画の恐ろしいところ、“その1”です。

ハッピーエンドもあり得た

それから数年後。ワイオミング大学を出たチェイニーは政治に少しずつ参加していき、ある日、ワシントンD.Cへ来たときに議会のインターンプログラムで下院議員だったドナルド・ラムズフェルドと出会います。

そのまま親しくなり、チェイニーはコネの力によるものなのか、トントン拍子でキャリアアップ。ニクソン大統領がウォーターゲート事件という巨大な不祥事により辞任した後、ジェラルド・フォード政権で史上最年少の34歳の若さで大統領首席補佐官に任命されるのでした。ここが凄くアメリカ的ですよね。日本だとこうはいかないですけど、アメリカは政治関係者と一緒に仕事するとそれだけで政界への道が切り開けてしまうのですから。それが良いのか、悪いのか…というのが問題なのですが…。

しかし、ここでチェイニーの躍進に大きなストップが。チェイニーの次女・メアリーがなんと自分がゲイであると両親にカミングアウト。当時の共和党はキリスト教原理主義など宗教右派を支持に取り込む戦略を実施中。当然、これは政治キャリアにとってはマイナス。けれども、ここでチェイニーは全面的に娘を支持して、抱き合うんですね。本作で唯一と言っていい愛を感じるシーンです。
 
チェイニーは政界から離れ、民間のエネルギー産業企業で世界最大の石油掘削機の販売会社であるハリバートン社でCEOとなるネクスト・キャリアを選択します。ちなみにチェイニーの育ったキャスパーという地域はもともと石油産業で栄えた場所ですから、つまるところ、家族としても職業としても地元に帰ってきたことになります。

ここで本作は“アダム・マッケイ”監督節が炸裂。いかにもベタなアメリカ映画の家族ドラマにありがちな情緒を煽る演出が流れ、なんとエンドクレジットに突入。本編開始50分くらいでしょうか。

チェイニー家族は幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし…。

もちろん終わりません。ギャグです。でもその後の展開を知ったうえで見ると、この演出はつまり「ここで終わっていればハッピーエンドだったのに…」という“if”を観客に見せているわけで…。

ここも最初は笑えるけど、最後まで鑑賞してから考えるとゾッとする…この映画の恐ろしいところ、“その2”ですね。

釣れました

ハッピーエンドを破壊する一本の電話。それは大統領選に立候補したジョージ・ブッシュからの副大統領やらない?というお誘い。

ここのチェイニーとブッシュとの一対一の会話シーンがまた“アダム・マッケイ”監督節がバシンと決まっていて。フライフィッシングの釣りの映像が差し込まれるのですが、まさに“チェイニーがブッシュという魚を釣っていること”を表現するあからさまなやり方(ブッシュがチキンを汚く食べているのも餌に食らいついていることを示していて、ホント、バカ全開ですが)。さりげなく副大統領の仕事の内容を拡大解釈して、権力を得ようとするチェイニーに対して、全然1ミリも気づいていない雑魚ブッシュ。「いいよ」…釣れた! こうして最大級の魚を釣ったチェイニーは、堂々と政界に戻るのでした。

で、この後の副大統領のチェイニー無双はもう言葉なしですよ。絶望感だけです。

この映画の恐ろしいところ、“その3”。事実上の独裁がいとも簡単にできていること。

いわゆる「猟官制」と呼ばれるように、自分の都合のいい人物を役職に配置していくアンフェア上等な手段。法律とか憲法って無意味なんだなと痛感する見せかけの法治国家。あの911同時多発テロでさえ“機会”と捉え、命や平和をダシにして利益を最大にする貪欲さ。

イラク戦争開戦の口実となる「大量破壊兵器うんぬん」の話については、日本では本作と近い時期に公開された『記者たち 衝撃と畏怖の真実』にてジャーナリスト視点で真面目に描かれていましたが、『バイス』を観るとこれしか感じないです…記者にどうこうできるレベルじゃない。だって、このチェイニーですから。勝てる相手、いる?
『記者たち 衝撃と畏怖の真実』感想(ネタバレ)…嘘から戦争は始まった
それにしても、狩猟へ出かけたチェイニーが同行していた弁護士を誤射する実話の事件は本当に信じられない…。なんで誤射して平然と政治家を続けられるのか。さすが銃社会・アメリカ、狂ってる…。

バイス

心臓を捧げてくれてありがとう

そんな絶句だらけの本作ですが、一番の“ドン引き”ポイントは終盤です。

ここの演出は、“アダム・マッケイ”監督節が決まっているね!なんて軽口叩いている場合じゃありませんでした。

チェイニーは再び心臓病を再発。もうこれまでかと思った矢先に、適合した心臓の提供者が現れて手術でチェイニーは一命を取り留めます。ここでの心臓提供者が、作中でところどころ語り部をしていた一般の青年。この青年、つまりアメリカの国民の代表…それも共和党を支持する保守層であり、またチェイニーとは違う無垢なアメリカを信じた若者ともいえます。その彼があまりにもあっけなく車に轢かれ死亡し、心臓が利用される。

これは…正直、私にとってどんなグロい映像よりも残酷なシーンだった…。

こんな虚しいことはないですよ。不謹慎な考えなのは百も承知ですが、でもこれは本作は狙っていることだと思いますけど、観客として“チェイニー、ここで死ねばいいのに”とつい心の奥底でポツリと思ってしまうような…。それくらい醜悪でおぞましい所業。

チェイニーがずっとやってきたことを一番最悪な戯画化で映し出す…この映画の恐ろしいところ、“その4”は吐き気がします。

ちなみに“アダム・マッケイ”監督、本作の製作中に自分も心臓発作で病院に担ぎ込まれたという、なんとも言えないエピソードのオマケつき。

この世界はディストピアになっている

それでこれで終わりじゃないのが追い打ち。

そもそも本作はチェイニーだけを悪く描く映画ではないと私は思います(チェイニーが悪いというだけの映画ならどんなに気が楽だったか…)。共和党を糾弾していればいいという安直さもない。

ほとんど反米映画に近いですよね。ディストピア映画と言ってもいいくらい。

アメリカの闇という闇を全て凝縮した、右も左も関係ない、マジョリティもマイノリティも関係ない、完全に悪の枢軸国としてのアメリカ。それとそのアメリカを支持する同盟国と大企業、そして国民の恐ろしさ。もっといえば職業・人種・性別を問わず、人間の本質に潜むダークサイドの不気味さ

チェイニーは才能があったわけではありません。学力もないし、ビジネスを成功に導く才能もないし、スピーチの腕もない。よくよく考えれば、妻リン・チェイニーに認められたいことが発端だったのではないか。そう思えます。これを指して、チェイニーは酷いだとか、私はそう思う気にはなれないんですね。なぜならそんなの誰でもあるから。他人への承認欲求。ブッシュ大統領だって父ジョージ・H・W・ブッシュに認められたいから“頑張った”のでしょうし、政治家じゃなくても、みんな同じ。ただ、妻のリンは当時は女性の活躍が著しく抑圧されていたため、夫に自分の承認欲求を上乗せしたのではないかと、少なくとも本作からは推察できるのではないでしょうか。

本作のラスト。番組に出演したチェイニーは観客に向かって語りかけるように「私を選んだのはあなただ」と一切悪びれることなく宣言。批判できる立場ではないだろ?と釘を刺すように…。そのエンディングクレジットで『ウエスト・サイド物語』(1961年)の「アメリカ」という曲が流れます。これはアメリカを賛美したり、からかったりして言い合うという歌詞で、要するに本作を観終わった観客のことまで予測してのオチです。

つまり本作は、チェイニーを風刺しているのではなく、観客を風刺してまでいる…この攻撃範囲の広さ。ちょっとマイケル・ムーア監督の『華氏119』を思い出しました。
『ブラック・クランズマン』も最近の風刺映画としてインパクトがありましたが、個人的には『バイス』と比べたら上品で救いのある内容だったなと。
『ブラック・クランズマン』感想(ネタバレ)…スパイク・リー・パワー炸裂!
なぜなら『ブラック・クランズマン』は差別する側と対抗する側でわかりやすい立場を設定していましたからね。

一方の『バイス』は、この映画で笑えた人はチェイニーと同類になるし、無関心な人はサイレントなチェイニーの支持者と同一になるし、反論できず言葉を飲み込んだ人はただの負け犬だしで、座る席もない。だから辛いです。

監督は「ドナルド・トランプは疑うに値しない。ただの最低な人」とインタビューで発言しているのですが、やっぱりチェイニーのような平凡さが悪に変わるというのが一番親近感のある恐怖。誰でも起こりうるのです。

こんな映画を作るなんて凄いなぁ…とかアホ丸出しで書いちゃいそうになりますけど、あれです、そもそもこんな映画の題材になるような国、終わってますよ。こんな映画が作りようがない国になるべきです、本来は。

最後に、本作はアカデミー賞作品賞を受賞できませんでしたが、2018年11月、日本はディック・チェイニーに「旭日大綬章」を与えました。

“アダム・マッケイ”監督の言葉を繰り返します。「権力を疑いましょう」

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 66% Audience 58%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2018 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.