全編90分ワンショットのレストラン現場…映画『ボイリング・ポイント 沸騰』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス(2021年)
日本公開日:2022年7月15日
監督:フィリップ・バランティーニ
ボイリング・ポイント 沸騰
ぼいりんぐぽいんとふっとう
『ボイリング・ポイント 沸騰』あらすじ
『ボイリング・ポイント 沸騰』感想(ネタバレなし)
全編90分ワンショットで何を映す?
レストランという職場は大変です。それは時間との闘いです。
客が来店する。客が注文する。その料理を作る。料理を運ぶ。会計する。片付ける。
この一連の流れをひたすらに繰り返さないといけません。食料品店のように陳列しておくだけとはいかず、常に出来立ての料理を提供する必要があるので、このサイクルをいかに的確に素早く回せるかが重要です。そのうえ料理の味を落とすわけにもいかないですし…。
もちろん客が全然来ないなど、暇だったらそれほど忙しくもないでしょう。でも客がどんどん増えれば、その現場にかかる負荷は指数関数的に増大していく。そうなれば、料理がなかなかできなくなるし、ミスだって増えます。そしてある臨界点を超えてしまったら…。
今回紹介する映画はそんなレストランの労働現場を描く作品。それが本作『ボイリング・ポイント 沸騰』です。
本作はロンドンにある高級レストランの現場を映し出す作品で、それこそどの飲食店でも見られるようなルーチンワークの仕事をしている姿を淡々と描きます。その点では何も変わったことはありません。普通の風景です。
ただ、この『ボイリング・ポイント 沸騰』はまずその描き方に個性があって、全編長回しのワンショットで撮影されているんですね。これまでも長回しを上手く活かした映画はたくさん見てきましたが、働いている現場の空気をリアルタイムで観客に体感させるという手段になっているのは面白いです。観客は本当にその現場で働いているスタッフのような気分で映画の世界に放り込まれます。
で、次にこの長回し撮影とも関係があるのですが、本作『ボイリング・ポイント 沸騰』はレストランを題材にしていますが、決してお料理映画ではありません。飲食店業界のリアルを映し出していますが、その業界のPRになるような映画でもないです。むしろ、レストランで料理を食べたいという気分は減退するんじゃないかと思いますし、これを観てレストランで働きたいと考える人もそうそういないでしょう。
なぜなら本作『ボイリング・ポイント 沸騰』は、言ってしまえば「労働現場が限界点を迎える瞬間を描く」、労働の闇を浮き彫りにする物語だからです。
日本映画でも「お仕事映画」は人気で、昨今も話題作も公開されていますが、よくありがちなのは「仕事の大変さは描くけど、最終的には“やりがい”もあるし、汗水流して仕事に情熱を注ぐっていいよね!」という、結局は「労働賛歌」で終わってしまうパターン。
でも本当にそれでいいのか。労働ってどんなに表面を綺麗にデコレーションしたとしてもやっぱりクソみたいなもんじゃないのか。働く・働かせるということは社会の義務とか権利とかで大義名分を獲得しているけど、実際はとても暴力的な所業ではないだろうか。私はそういう視点の方が大事だと思っている人間なので、仕事ディストピアな作品に惹かれやすいです(最近だと『セヴェランス』とか…)。
『ボイリング・ポイント 沸騰』は約90分でその仕事ディストピアのフルコースを全部平らげることになる、嫌な満腹感を味わえること間違いなしの映画です。だから私なんか本作を見終わった後は労働する意欲はゼロに等しい値にまで下がりましたよ。
この『ボイリング・ポイント 沸騰』は極めて高い評価を受け、英国アカデミー賞(BAFTA)では4部門(英国作品賞、主演男優賞、キャスティング賞、新人映画賞)にノミネートされ、英国インディペンデント映画賞(BIFA)では最多11部門にノミネート、4部門(助演女優賞、キャスティング賞、撮影賞、録音賞)の受賞という快挙を果たしました。
その評価も沸騰した『ボイリング・ポイント 沸騰』を監督したのは、俳優業でキャリアを始め、2010年代後半から監督の仕事もするようになった“フィリップ・バランティーニ”。本作はもともと“フィリップ・バランティーニ”監督の短編映画を長編化したものだそうです。
俳優陣は、『パブリック・エネミーズ』『ナチス第三の男』の“スティーヴン・グレアム”が主人公のオーナーシェフを演じ、ドラマ『SHERLOCK(シャーロック)』の“ヴィネット・ロビンソン”がパートナーシェフを、ドラマ『Save Me』の“アリス・フィーザム”が給仕長(メートル・ドテル)を、『スナッチ』の“ジェイソン・フレミング”がライバルのセレブシェフを、それぞれ熱演。他にもレストランで働いている労働者がごちゃごちゃと顔を出すのですが、まあ、整理つかなくてもその怒涛の勢いのままに鑑賞していればいいと思います。
『ボイリング・ポイント 沸騰』を鑑賞後は、レストランに入ったらちょっと落ち着かないかもですね。
オススメ度のチェック
ひとり | :隠れた良作として |
友人 | :仕事トークで盛り上がる |
恋人 | :ロマンス要素はない |
キッズ | :子ども向けではない |
『ボイリング・ポイント 沸騰』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):レストランは忙殺の時間
ロンドンの街の夜道を急ぎ足で歩くひとりの男。電話を切り、建物裏へ。そこでケリーの留守電に電話し、「すまない」と何度も謝り、必死に言葉を紡いで弁明のメッセージを残します。
そして自身の職場である「Jones & Sons」というレストランに入ります。アンディはこの店のヘッド・シェフでした。
開店間近でスタッフはほぼ揃っています。しかし、そこに保健所のアランがいるのを目にし、どうやら抜き打ちの点検に来たようです。アランはずかずかと厨房でチェックを開始。調理用シンクで手を洗っているのかと新人のカミーユに指摘し、「食品衛生の講習を受けた?」と説教します。フリーマンには「鴨肉は何度で焼く?」と質問したり、かなり厳しくあちこちに手を突っ込みます。
アンディは「もうすぐ開店なんだが、いつまでかかる?」とイラついていましたが、机でアランと向き合うと書類に記入漏れがあると言われます。これによってスコアが5点から3点に下がるとのことで、アンディはまるで元気なく座ってその話を聞いていました。3か月後に連絡を取って改善すればスコアを戻せると言い、アランはひとまず立ち去ります。
その後、アンディはスコア低下について厨房でスタッフに怒ります。厨房で働いたことがあるんだろうとカミーユに口汚く怒鳴り、トニーに対しては手袋をして牡蠣を扱えと大声を上げ…。
しかし、カレイがないことが報告され、それはアンディのミスだったことがわかると、急に元気なく謝るアンディ。
パートナーシェフのカーリーには賃上げの話をだされますが、なんとか対処できているとその場を誤魔化します。
ホールでは給仕長のベスがスタッフブリーフィングを開始。ジェイクはまだ遅刻。必要な食材の不足を確認し、全員で写真を撮ります。今日は最も賑わうクリスマス前の金曜日。しかも、オーバーブッキングしており、多忙が避けられません。
加えてライバルシェフのアリステアが来店することを知り、アンディは動揺します。アリステアとはいろいろ因縁がありました。
ウェイターのジェイクが今さら出勤し、ベスに怒られつつ、注文を取りに行きます。アンドレアも注文を取りますが、相手は冷たい客で「ワインの注ぎ方を教わらないのか」と怒ってきます。
アンディも忙しいです。料理の他にキッチン奥ではパティシエのエミリーが作るデザートの味を確かめ、店内をあちこち移動します。
ベスはナッツ・アレルギーのある客に対応し、13番テーブルの客への注意としてアンドレアにメモを渡して、厨房に伝達させます。また、メニューにないステーキを注文する客の要望に応えるようにもキッチンに指示をだします。
そこへ例のライバル・シェフのアリステアが来店。しかも、有名な料理評論家のサラも同行していることが判明し、厨房に緊張が走ります。下手な料理でも出してしまえば酷評で店の看板に傷がつくのは不可避。慎重にやらなければ…。
しかし、レストランの忙しさは時間が経てば経つほどに悪化していき、それは人間関係にも悪影響を及ぼしていき…。
追い詰められた男性の精神的不安定さ
『ボイリング・ポイント 沸騰』は何の説明もなく、ヘッド・シェフのアンディをカメラが追いかけるかたちで始まります。それにしてもこの冒頭時点でアンディが、こうなんていうか、情緒不安定で、明らかにこれはヤバそうだなという雰囲気をびんびんに漂わせています。実際、本作はこのアンディの不安定さがしだいに職場全体に延焼し、最終的に崩壊へと突き進むわけです。
アンディがなぜここまで不安定状態になるのかと言うと、明確な状況提示はないのですが、電話などの内容から妻子と別居中であり、関係性が今にも立ち消えそうになっているのが察せます。本人は必死に謝罪しているので関係修復を望んでいるようですけど、具体的な糸口はなく、無味乾燥な平謝りを繰り返しているだけのようです。つまり、アンディは自分の問題点と向き合えていません。
そして店内へ。ここで保健所の検査で書類記入ミスという初歩的な問題を指摘され、スコアを下げられる痛恨の失態をしてしまいます。ここでの虚無状態な話の聞き方といい、書類もまともに書けない状況といい、アンディの不安定度が推し量れます。
その後は厨房で新人相手に衛生面の不手際について怒鳴り散らすのですが、現実的にはアンディの書類記入ミスが根本的な減点理由なので、これはほぼ八つ当たりです。このあたりはいかにも男性的な鬱症状の一例みたいですよね。急に場も関係なしに怒鳴る男性…。その直後の異様なテンションダウンも含めて…。
そんな明らかに外部のサポートやケアが必須であろうと診断されそうなアンディを、周りのスタッフはずっとカバーしようと頑張っています。
そこへ現れるライバルで成功しているらしいシェフのアリステア。作中では嫌な奴として警戒対象になっているのですが、これも見方を変えればアンディに救いの手を差し出しているとも受け取れます。確かにアンディはこの店をひとりで仕切れる精神状態にありません。アリステアの店で一時的に働いて、1度労働的な重圧をひとつふたつ肩から降ろして、自分の心と向き合う時間を作った方がいいです。
けれどもアンディはそれを断る。それはアンディにとってこの「Jones & Sons」というレストランはもうひとつの家族、家父長的な空間だから。それを失うのは男として欠点になる。そういう男らしさの有害性がアンディ自身をもっと追い込んでいきます。
そして事態は破滅的な結末へ加速していくのですが…。
働き続けなくてもいいという選択肢は大切
『ボイリング・ポイント 沸騰』はメインのアンディ以外にも、さまざまな労働者のキャラクターごとにドラマがあって、よくこんな90分のうちに、しかも長回しで撮りながら、そのドラマを押し込められたなと感心してしまいます。
父親がレストラン事業の大部分を所有しているらしいヘッド・ウェイトレスのベスと、パートナーシェフのカーリーとの、いかにも大きめなレストランでありそうな「キッチンvsホール」の対立。トイレでひとり泣くベスの姿を見ると本人もこの仕事にそんなに乗り気ではないことがわかり、ここにも家父長的な重圧に苦しんでいる女性像があったり。カーリーも最終的にはアンディにあんなことを言われてしまい、ベスと同じような運命を辿るのも…。
レストランあるあるで言えば、面倒な客の相手というストレスも多数描かれていました。
人種差別的な態度をとってくる奴もいれば、女性蔑視的なノリで接してくるアホ男たちもいるし、無邪気に同性愛差別を振りまく女性グループもいる…。ウェイター&ウェイトレスもうんざりモードです。
他にもパティシエのエミリー&ジェイミーや、裏で片づけを担当するいわば最も底辺労働者と言える人たちの嘆きなど、レストラン自体がまるで社会の縮図のようにドラマに満ち溢れています。
こうした人間模様の中で最悪の事態が起こるべくして勃発。客の女性のひとりがナッツのアレルギーによるショック症状を起こしてしまい…。
そこでの完全なアンディのパニック。それからのアルコールとドラッグへの依存。そしてアンディが気を失って倒れて映画は暗転エンド。
単純に考えれば、このレストランは破滅です。ヘッド・シェフもパートナーシェフもいないし、致命的な不祥事を引き起こしてしまえばもう…。
どんな労働環境でも適正に管理できなければ壊滅する瞬間は訪れてしまいます。今回はその労働環境のリーダーであるはずの人間の不調が発端です。それは書類の記入漏れや準備の忘れなど、些細なミスから徐々に浮き彫りになって、気が付いた時には取り返しのつかないことになる。
こういうのは別にレストランだけではありません。最近のニュースでも、労働環境の不備が観光船の沈没に繋がって何人も亡くなる事態になったとか、ハラスメントを放置していたら社員が命を絶ったとか、そういうことが日常茶飯事ではないですか。
悪意のある過失なら批判されるべきですが、本作のように真面目に働いていても人間はダメなときは来るものです。『ボイリング・ポイント 沸騰』を見ていると「働くことがすべて」という帰結にならない、ときには「働かなくても保証される一時的な人生」というメニューが私たち社会には必要なんだろうなと実感しました。人生の沸点を迎えてしまう前に…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 99% Audience 86%
IMDb
7.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)MMXX Ascendant Films Limited ボイリングポイント沸騰
以上、『ボイリング・ポイント 沸騰』の感想でした。
Boiling Point (2021) [Japanese Review] 『ボイリング・ポイント 沸騰』考察・評価レビュー