脚本も興行も…映画『アバター3 ファイヤー・アンド・アッシュ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
日本公開日:2025年12月19日
監督:ジェームズ・キャメロン
恋愛描写
あばたー ふぁいやーあんどあっしゅ
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『アバター ファイヤー・アンド・アッシュ』物語 簡単紹介
『アバター ファイヤー・アンド・アッシュ』感想(ネタバレなし)
3作目も極上映像体験
1作目が特大ヒットしたからといって2作目も同じように特大ヒットするとは限らない…ましてや前作から13年も経過していたらなおさら。
それでも堂々たる記録を達成してのけたのが2022年公開の『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』でした。
結果、2025年12月初め時点でも、世界の映画興行収入ランキングの1位は『アバター』、3位は『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』が陣取っています(間に挟まれているのは『アベンジャーズ エンドゲーム』)。
そしてそうこうしているうちに3作目が来てしまいました。
それが本作『アバター ファイヤー・アンド・アッシュ』です。
“ジェームズ・キャメロン”監督はこの「アバター」シリーズをまだまだ作りたいと言っていますからね。どこの誰だが「じゃあ、近い将来、映画の興収ランキングは“アバター”作品が埋め尽くすんじゃないの?」とボヤくのもわかります。
まあ、でもとりあえずこの3作目に集中しましょう。もう映画業界の未来なんて誰にもわからないし…。
2作目の『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』は1作目から16年後の時系列でしたが、今回の3作目の『アバター ファイヤー・アンド・アッシュ』は2作目から3週間程度しか経っていません。実質、2作目が「PART1」で、3作目が「PART2」の2部作のようなものだと思ってもらっていいです。
2作目と3作目のトーンもほぼ同じですから。ただ、本作のほうが少し暗めかなという感じでしょうか。
前作を上回る約197分の極上の映像体験が待っています。トイレは…各自の任意のタイミングでどうぞ。
『アバター ファイヤー・アンド・アッシュ』を観る前のQ&A
A:前作である1作目と2作目の鑑賞をオススメします。
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | ただし長いので注意。 |
『アバター ファイヤー・アンド・アッシュ』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
ナヴィという先住民族が独自の文化を築いて暮らしている、アルファ・ケンタウリ系惑星ポリフェマスの最大の衛星であるパンドラ。この星の資源を獲りつくすべく入植を目論んでいる地球から派遣されてきたRDA社(資源開発公社)は、圧倒的な兵器と人員を投入して、邪魔なナヴィを排除していました。
その軍隊のひとりとして派兵された過去があるも、反旗を翻した元海兵隊のジェイク・サリーは、地球人とナヴィそれぞれのDNAを掛け合わせた人造生命体「アバター」に自身の神経を接続して意識を憑依させて、今は海に暮らす部族であるメトカイナ族のコミュニティに身を置いていました。
しかし、こちらもアバターに身を移して復活したマイルズ・クオリッチ大佐率いる軍団が、メトカイナ族の大切なパートナーの海洋生物であるトゥルクンを狙って、攻撃を仕掛けてきてきました。ジェイクは家族一同と、メトカイナ族の族長のトノワリとその妻のロナルと一緒に戦い、敵を退けることに成功。
ところが、ジェイクは長男のネテヤムを戦死させてしまい、その激戦から数週間経過しても家族は悲しみに包まれていました。
次男のロアクは亡き兄を思い、自分の未熟さを噛みしめています。亡きグレイス・オーガスティン博士のアバターが妊娠して生まれた養女のキリは、ナヴィの信仰する精霊エイワとの接続中に気を失ったことで、フィーラーでの接続を控えていました。地球人でありながら幼い頃からナヴィと暮らしてすっかりナヴィ同然に生きているスパイダーは、前回の戦いの中で実の父のクオリッチから誘われるも拒絶。しかし、命を助けてもしてやったことに複雑な感情を押し殺したままです。ジェイクの妻であるネイティリは、喪に服しながらも人間(スカイ・ピープル)への憎しみが膨れ上がり、スパイダーすらも受け入れられなくなっていました。末っ子のトゥクは、バラバラになっている家族を前にどうすることもできません。
肝心のジェイクはひたすらに前回の戦いの場となった海中から銃器を集め、次の戦闘に備えています。もう誰も失うまいと、何か力になりたいと言うロアクも遠ざけます。
一方、生き残ったクオリッチはジェイクとの再戦を望み、復讐の闘志を燃やしていました。
そんなある日、風の部族がメトカイナ族の集落を訪れます。
そしてジェイクはある決断を子どもたちに伝えますが…。

ここから『アバター ファイヤー・アンド・アッシュ』のネタバレありの感想本文です。
エイワって何ですか?
『アバター ファイヤー・アンド・アッシュ』は映像美についてはもう2作目から引き続きなので言及するまでもないでしょう(技術的にも同じものだろうし)。
物語の展開は、前作の繰り返しが結構多めなので、その点においては新鮮味が薄いのは残念なところ。
舞台がガラっと変わるのかと思ったら、多少の移動はあるものの、今作の最終的な決戦は前回と同じ海上ですからね。前作の「海」という非常にわかりやすく視覚的にも見栄えがある新しいフィールド要素は今作でも最大限に活かされており、“ジェームズ・キャメロン”監督がいかに「海が大好き」な人間か、その熱量がこのシリーズに詰まりまくっています(今回もトゥルクン乱獲をとおしての「反イルカ漁・反捕鯨」が前面にでまくり)。
今作にいたってはトゥルクンもいち部族としてしっかり描かれていましたから。わざわざ頭部だけ垂直に突き出して会議に参加してくれるの、姿勢的に大変だったろうに…。もうちょっと先制攻撃できていれば、トゥルクンだけでRDAに勝てると思うので、平和主義は脇に置いて頑張ってほしいですね。
自然破壊と植民地主義を掛け合わせてそのおぞましさを映し出すシリーズのメインテーマはここにきて集大成なのでしょうか。というか、“ジェームズ・キャメロン”監督がやりたいそのテーマの到達点は、自身の偏愛する海洋保護を遠慮なく打ち出せるこの方向性以外考えられないのかもしれません。これ以外にこのシリーズでやりたいことはあるのか?
最終決戦のアクション面も、1作目と2作目の合わせ技みたいなボリュームではありました。空と海の縦軸の移動が頻出するので、目に入る映像量が多いこと、多いこと…。
ただ、あれなんですよね。結局どうであろうと、「エイワ」という切り札を繰り出せれば勝負はいくら不利でもひっくり返せてしまうのがハッキリしてきたな、と。私たちにはエイワが何なのか依然として不明ですけども(ガイア理論を拡張させた星規模の神経ネットワーク…ということなのかな)、少なくとも「なんだかあらゆる生き物が味方してくれる凄いパワー」くらいの認識が1作目から3作目に至るまで変わらない気もする…。
このシリーズが『DUNE』みたいに宇宙規模の地政学的な作用が今後も関わってこないなら、このエイワ頼みで全部解決してしまうのではないだろうか…。
キリのマジカル・ネイティブアメリカン
『アバター ファイヤー・アンド・アッシュ』での新しい要素もあるにはあります。しかし、問題はその新しさが面白さに繋がっているというよりは、このシリーズの問題点に紐づいている点が多すぎることで…。
例えば、今作の悪役。今回は全く懲りないクオリッチだけでなく、火山帯に暮らす「アッシュ」とも呼ばれるマンクワン族も強力な敵として立ちはだかり、その族長のヴァランにいたってはクオリッチとなんだかラブラブな関係にさえなっていきます。暴力で結ばれたヴィラン・カップルですが、拠点でのあの対峙はアバター流のBDSMだったのだろうか…。
ともかくそのヴァランなのですが、エイワに失望しているという背景はさておくにしても(正直、観客としてもエイワについてはなおも1ミリもわかっていないのでヴァランを責められない)、基本的にクオリッチありきの悪役なので、あまり面白味はありません。
しかも、先ほども書いたようなクオリッチとの愛し合いゆえに、先住民のフェティッシュ化が一層目を背けづらくなってきたし…。
そして「家族」のテーマですが、『アバター ファイヤー・アンド・アッシュ』では憎しみと喪失感でバラバラになってしまった家族が再集結する物語です。そこは全然いいのです。まあ、家族の物語としては無難な安全路線ですけどね。
問題はジェイクとネイティリの亀裂に繋がるスパイダーの件です。今作でスパイダーはマスク(エグゾパック)装置なしでパンドラの大気でも呼吸できるようになります。それはキリの力によって人体が菌糸体で再構成されたかららしいのですが、この新特性を会得したスパイダーがもし敵の手に渡ればパンドラの入植のしやすさは完全に流れが変わるので「彼を殺すべきか」でジェイクとネイティリはぶつかります。作中で最も暗いシーンです。
でもどうなんですかね。別にスパイダーがいなくても、アバターの技術があれば、パンドラの入植は余裕でしょうし(現にクオリッチがやってみせてる)、そもそもで言えば、一番にヤバい前例を作ったのはジェイク本人じゃないですか。
ジェイクは作中ではトゥルーク・マクトと呼ばれる乗り手の英雄として持て囃されているので忘れそうになりますけど、客観的にみればホワイト・セイバー的な白人酋長モノであるのは否定しようがないです。しかもそれをテクノロジーで可能にしてしまっている…。この最大の問題はこのシリーズはずっと不問にして逃げています。
私は本作含めシリーズをずっと見てきて、諸悪の根源にあるのはやっぱりあのアバターという技術であり、どこかでこのアバターという技術と決別する展開が来ないと、植民地主義のテーマに真正面から答えられないと思うのです。
“ジェームズ・キャメロン”監督的には「テクノロジーが自然との一体化を促進してくれる」という理想を信じたいのでしょうけど、本当にそれでいいのか。その願望もまた「知的な海洋生物を金儲けの資源としか見ていない奴ら」と根は同類ではないのか。もう少し自己批判してもいいのではないかなと感じます。
シリーズの今後の方向性を左右するのは、どう考えても“シガニー・ウィーバー”演じるキリです。今作でグレイス博士のアバターの誕生の際に単為生殖で命が授かった存在で(父はいない)、エイワそのものであるかのように示唆されました。
キリは表象としてはいわゆる「マジカル・ネイティブアメリカン」であり(「マジカル・ニグロ」の先住民バージョン)、純粋無垢な超神秘的な力で唯一無二となっています。
今作ではスパイダーへの唐突なキスといい、ちょっと「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」も混じってきている感じも…。
“ジェームズ・キャメロン”監督はAIの濫用には反対でも「luddite」(技術革新反対派)ではないですし、このシリーズで露骨に浮き彫りなように「自然とテクノロジーを調和させたい派」の人でしょう。そんな監督にとって、キリは究極の理想を体現する「ドリーム・ガール」です(だから自然大好きな白人が妄想する最高の先住民女性…みたいな人物像なんですけどね)。
シリーズは4作目、そして5作目へと続いていくのかわかりませんが、“ジェームズ・キャメロン”監督の良い部分も悪い部分も結実したシリーズの本質は変わりそうにないので(“ジェームズ・キャメロン”監督にモノが言える同等級のクリエイターの参加なんてありえないでしょうし…)、とりあえず走り抜けた先のその完結を見届けようとは思います。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『アバター ファイヤー・アンド・アッシュ』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)20th Century Studios. All Rights Reserved. ファイヤーアンドアッシュ
Avatar: Fire and Ash (2025) [Japanese Review] 『アバター ファイヤー・アンド・アッシュ』考察・評価レビュー
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