中国のアニメの到達点を眺める…映画『ナタ 魔童の大暴れ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:中国(2025年)
日本公開日:2025年4月4日(字幕)、12月26日(吹替)
監督:ジャオズ
なた まどうのおおあばれ

『ナタ 魔童の大暴れ』物語 簡単紹介
『ナタ 魔童の大暴れ』感想(ネタバレなし)
中国の国産IPの本領発揮
2025年の世界の興行収入のトップ10はかつてない大激変が起きました。コロナ禍が直撃して全世界的に映画館が閉鎖となった2020年のような異例の外部要因無しで、2025年がここまで異彩を放つとは…。でもこれが今後の見慣れた風景になるかもしれません。
それは何と言っても現時点(2025年11月)で2025年の世界の興行収入ナンバーワンに輝いたこの映画の存在があってこそ。
その作品とは本作『ナタ 魔童の大暴れ』。
例年だとハリウッドの映画が上位を占めるのですが、まさかの中国映画がトップクラスの興収を記録するとは…。確かに最近は中国映画がポツポツと興収ランキングに食い込む事例がいくつかありました。しかし、この『ナタ 魔童の大暴れ』はとにかくぶっちぎりでした。約19億ドル(約2930億円)ですよ。
しかも、ここが一番注目すべき凄さですが、『ナタ 魔童の大暴れ』はその世界興収の約98%を中国本国で記録しているということです。要するに世界の興収ランキングでトップに輝くのに全世界的にヒットする必要は全然なくて、中国市場だけでこの桁外れの記録を達成できてしまうのです。あらためて中国の映画市場のバカでかさを実感する…。
でも中国の映画産業を観察しているとこの『ナタ 魔童の大暴れ』の記録も納得できます。これはたまたまバズっただけの偶発的な好成績とかではなく、積み重ねの到達点だと。
よくこういう興収の好記録を指して「作品が革新的だったからだ」などと理由を分析する面白さ純粋主義みたいな考え方をする人も見かけますが、私はこういう事象こそ映画は産業であり、「ビジネス」なのだということに注目したほうがいいと思っています。
『ナタ 魔童の大暴れ』は3DCGアニメーション映画です。キャラクターで売るタイプのIP(知的財産)コンテンツでもあります。
中国と言えば、どうしても昔はそれこそ日本のような他国の人気キャラクターが大衆に好かれることが散見されました。しかし、それはもう過去の時代です。中国は「国産の国民的キャラクターを作る」ということにかなり本格的に取り組んでおり、2010年代あたりからそれが結実してきました。
例えば、今や日本を含む世界中で熱狂的なファンを生み出している「ラブブ」というキャラも、中国の「ポップマート」という企業のIPです。スマホゲームでも「miHoYo」など中国企業のものが続々進出し、日本でも多くのユーザーを獲得しています。
中国はモノ作りで世界に影響力を与えてきましたが、キャラクター・ビジネスでもいよいよその力を見せ始めている…。そういう転換点の時期なのだと思います。日本も今はキャラクター・ビジネスで世界中でヒットを飛ばしていますが、将来的には中国に買収される日本のキャラクター企業もでてくるんじゃないかなと個人的には思うほど。
で、話を本作『ナタ 魔童の大暴れ』に戻すと、この映画は「北京光線影業(Beijing Enlight Pictures)」という中国企業が手がけています。この会社は、2016年に『紅き大魚の伝説』を送り出しており、そのあたりから中国産アニメーション映画に価値を見いだしたのでしょうか。
ともあれ、2019年に『ナタ 魔童降臨』を手がけ、これが中国で特大ヒットを記録。この映画のキャラは瞬く間に中国の国民的キャラクターになります。日本で言うところの「ドラえもん」みたいなものです。
その『ナタ 魔童降臨』の満を持しての続編が2025年の『ナタ 魔童の大暴れ』であり、空前絶後の超ヒットで中国大衆に迎えられるのは必然でした。
『ナタ』シリーズは、子どもでも楽しめる(というか基本は子ども向けの)ファミリー・アニメーションであり、非常にコミカルなノリです(ちょっと下品さもある)。同時にアクションにも力が入っており、見ごたえはじゅうぶん。
明の時代の歴史ファンタジー小説『封神演義』から着想を得ているのですが、こういう中国の有名創作物を題材にしたアニメはいくらでもありますけど、私はその全部をもちろん観れてはいませんが、私の観てきた作品の中ではダントツの個性とクオリティだと思いました。全然原作知らなくても普通に楽しいエンターテインメントです。
後半の感想では、同じく2025年の世界の興行収入のトップ10に食い込んだ『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』の『鬼滅の刃』シリーズと比較しながら、ざっくばらんに書いています。
『ナタ 魔童の大暴れ』を観る前のQ&A
A:物語は前作のラストから直結しているので、1作目の『ナタ 魔童降臨』を観ることをオススメしますが、鑑賞する機会が乏しいかもしれません。
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 子どもでも観れますが、多少の暴力描写があります。 |
『ナタ 魔童の大暴れ』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
天地の太古から突如現れた混元珠が危険をもたらしかねないと判断した最高神である元始天尊は、仙界にいる弟子の太乙真人と申公豹に鎮めさせようとしましたが、あまりに強大なその力は消えそうにありませんでした。
そこで混元珠を魔丸と霊珠の2つの相反する物質に分離し、元始天尊は魔丸のほうに天の呪いをかけ、3年後に天の雷によって破壊されるという宿命を与えました。そして太乙真人に、霊珠を持って人間界の陳塘関の里にいる大将軍の李靖(リセイ)と殷(イン)夫人との間の子に転生し、哪吒(ナタ)と名付けるよう指示します。
ところが申公豹はその霊珠を盗んでしまい、誤って魔丸が転生し、ナタが生まれてしまいます。まだ幼いながらも世を混乱させる魔王になりかねない危険な児童でした。
しかし、李靖と殷はそのナタを愛情を持って育てることに決め、ナタは村から忌み嫌われながらも育っていきます。
そして、東海竜王の敖光(ゴウコウ)の息子である敖丙(ゴウヘイ)が霊珠の転生として生まれ、最初は対立するも唯一無二の親友となります。
しかし、天の雷によって破壊されるという宿命を覆そうとし、ナタとゴウヘイは消滅の危機に陥ります。
この事態に、太乙真人の指揮のもと、村人総出で秘宝の七色宝蓮を加工し、澱粉質からナタとゴウヘイの肉体を再生。ナタは相変わらず落ち着きがないものの、ゴウヘイは穏やかに鎮座。太乙真人の力を注ぐもなかなか安定しません。
そうこうしているうちに申公豹が攻めてきます。今度は独りではありません。ゴウヘイの父ゴウコウは息子が死んだと勘違いをし、裂空雷公鞭という龍の力を宿した武器を申公豹に与えていたのです。これによって妖魔の軍勢を一気に現世に送り込みます。
陳塘関はかつてない危機に陥り、兵士を揃えるも絶体絶命。敵襲は溶岩の中から無限のように這い出てくるため、こちらの防戦一方になり、圧倒的な力になすすべもなく船も防壁も壊されます。インとリセイも参戦するも、強敵が多すぎて対処しきれません。
その最中、申公豹はナタとゴウヘイがまだ肉体を再生中だと知り、攻撃のチャンスだとみなします。結界を破り、自身が拘束している3体の龍王(西海龍王の敖閏、北海龍王の敖順、南海龍王の敖欽)を送り込みました。
まだ完全ではないゴウヘイは攻撃を防ぐために身を犠牲にします。その存在を感知し、父ゴウコウが駆けつけます。
ナタは肉体が蘇ったものの、ゴウヘイは消滅寸前。肉体は滅んでしまいます。
最後の手段はナタの身体にゴウヘイの魂を一時的に移すことであり、ナタは躊躇なくそれを実行。
ナタはゴウヘイと体を共有しながら仙界の玉虚宮にいる練丹術が得意な無量仙翁による3つの試練をクリアする必要があります。これが達成できれば、ゴウヘイの新たな体を作る薬を得られるのです。
果たしてそれは上手くいくのか…。

ここから『ナタ 魔童の大暴れ』のネタバレありの感想本文です。
アニメーションと市場の違い
中国の『ナタ』シリーズと、日本の『鬼滅の刃』シリーズ。ともに2025年の世界の興行収入のトップ10に顔を出したアジア映画の仲ですが、相違点もあれば、共通点もあります。
わかりやすいのは『ナタ』シリーズは3DCGアニメーションであり、『鬼滅の刃』シリーズは伝統的な手書きアニメーション(もちろんデジタル技術はたくさん用いていますが)であるということです。日本も少し前はピクサーの成功をマネようとCGアニメに挑戦する試みがいくつかありましたが、あまり上手くいかずに主流になりませんでした。その点、中国映画界はCGアニメを挫折せずに完全に軌道に乗せ、『ナタ 魔童の大暴れ』で頂点に上り詰めました。この二国のルートの分かれ方は考えてみると興味深いですね。別に日本は技術が劣るわけではないですし、やはり継続的な資金力の差なのか…。
『ナタ 魔童の大暴れ』はアニメーション映像が前作と比べると格段にパワーアップしており、何よりも次の展開になるたびに目を奪われる物量で飽きさせません。今作は群衆戦闘シーンがことさら際立ちましたね。終盤の決戦となる無量仙翁の天軍とのバトルは、このジャンルとしては至れり尽くせりでした。
戦闘演出は『ナタ』シリーズも『鬼滅の刃』シリーズも、それぞれのお国柄で得意とするアクションを軸にしており、そのアプローチは似ています。
市場としてはどちらも大衆向けに作られていますが(だからこそ大ヒットさせやすい)、微妙にその射程とする市場は二作でズレています。『ナタ』シリーズはよりファミリー向けであり、比較的子どもにも見せやすい内容です。そのためレーティングも世界的に低めになっています。おならや放尿など(『ナタ 魔童の大暴れ』ではおしっこ入りの水を飲むというギャグもありました)やや下品なネタがレーティングを少し上げている国もありました。
一方の『鬼滅の刃』シリーズは日本だとPG指定なのですが、他の国々ではその残虐な描写の多さゆえにレーティングは高めで、アメリカに至ってはR指定でした。つまり、とくに低年齢の子ども向けには届きづらいわけです。実際、日本国外の市場を観ると、『鬼滅の刃』を映画館で観に行くのはもともと日本のアニメ・漫画が好きなオタク層の大人たちですから。
今回の『ナタ 魔童の大暴れ』も陳塘関が壊滅するシーンなど前作よりも暴力的な描写が増えてはいますが、世界的に客層は『ナタ』シリーズと『鬼滅の刃』シリーズで全然想定市場が違うのは明白です(ゆえにこの二作はそんなに競合していない)。要は世界的なポテンシャルはまだまだ『ナタ』シリーズのほうは秘めていると言えるのかもしれません。
文化的アイデンティティとテーマ性の違い
アニメーションと市場という外側に視点を向けてまず眺めてみましたが、中国の『ナタ』シリーズと、日本の『鬼滅の刃』シリーズ…この二作の最大の面白い比較点はその中身…原作の有無と文化的アイデンティティに絡むテーマ性かもしれません。
『鬼滅の刃』シリーズは、主人公は最初から義のある人物像で、未熟であっても正しいことをなそうと努力を惜しまず、命を脅かす敵と戦っていきます。結構単純明快な正義であり、そこがあの作品の掴みやすさでもありました。
文化的アイデンティティの観点でみれば、それは「侍」のデザインそのままに、純朴な日本男児に期待される真っ当さのようなものであり、主人公は「家族」というものを軸に、その役割を果たそうとしています。
対する『ナタ』シリーズはなかなかに滅茶苦茶な開幕です。悪ガキというか、もう見た目も性格も悪役みたいな主人公なのです。そんな奴が正義になれるのか…というところにサスペンスがあり、これは「誠実な両親と仲間のもとで義を学ぶ」という物語です、
私は初めて『ナタ』シリーズを観たときは、“チャウ・シンチー”監督の『西遊記~はじまりのはじまり〜』っぽいなと思いましたが…。
しかも、『ナタ』シリーズは明確な原作がなく、『封神演義』をインスピレーションもとにしていますが、全くなぞっていません。だからこそ観客は「これはどうなるんだ?」というハラハラドキドキで楽しめます。
『ナタ 魔童の大暴れ』ではスケールが上がり、世界の社会格差もみえてきました。今作の悪役である闡教の無量仙翁は、配下としているのが全員見た目の整った人間だけであり、妖族さえも教化して人間の見た目にさせるという、いわば優生思想が丸出しです。これを無量仙翁って現実では道教の神ですから、わりと宗教に対してシニカルなテーマ性ですよね。
ナタは意図せず多様な種族を代表する抵抗の象徴になっており、偏見や差別を乗り越えることの強さを体現しています。中国は『羅小黒戦記』でもそうでしたけど、こういう迫害される種族をファンタジーに表現する作品が多いのかな。
主人公の元ネタである「哪吒(なた)」は、中国でも孫悟空と並ぶ人気な空想上のキャラクターですが、その文化的アイデンティティを保持しつつ、かなり世界に通じる反権力のテーマに乗せており、どっちかと言えば日本の作品だと『ONE PIECE』に近似していたなと『ナタ 魔童の大暴れ』を観て実感しました。
このあたりも『ナタ』シリーズの世界に訴求する潜在的将来性をまだまだ感じるところです。
そして…レンコンのでんぷんは凄いということもわかりましたしね。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『ナタ 魔童の大暴れ』の感想でした。
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Ne Zha 2 (2025) [Japanese Review] 『ナタ 魔童の大暴れ』考察・評価レビュー
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