誰も拾わない…映画『落下の解剖学』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フランス(2023年)
日本公開日:2024年2月23日
監督:ジュスティーヌ・トリエ
動物虐待描写(ペット) 自死・自傷描写 DV-家庭内暴力-描写
らっかのかいぼうがく
『落下の解剖学』物語 簡単紹介
『落下の解剖学』感想(ネタバレなし)
犬の付き添いが必要な映画
盲導犬、介助犬…。人間をサポートするために訓練された犬は何種類かいますが、中には裁判所だけで活躍する犬がいます。「付添犬」です。
この犬は、証言台に立つことになった人の精神的なサポートとして傍にいてくれます。主に子どもや深刻なトラウマを負っている被害者などに付き添うことが多いです。
ただ、裁判所が付添犬を提供してくれることはほとんどなく、日本でも数頭しかいないそうで、世界中でもあまり浸透はしていない様子。
それでも裁判という非常にメンタル面での負担が大きくなってしまう場で、いかにそのケアを両立しながら裁判を進行させるかというのは大切なこと。その証言者の心の状態しだいで証言が変わってしまったら、判決だって左右するかもしれません。
今回紹介する映画は付添犬はでてこないのですが、「付添犬、こういうときにいるんだよ!」と心の中で叫びたくなる作品でした。
それが本作『落下の解剖学』です。英題は「Anatomy of a Fall」。
本作は2023年の第76回カンヌ国際映画祭で、最高賞のパルム・ドールを受賞したこの年の顔となった一作。このカンヌ国際映画祭のコンペティション部門の審査員長は2作連続でのパルム・ドール受賞を果たした“リューベン・オストルンド”だったのですが、あの『フレンチアルプスで起きたこと』『ザ・スクエア 思いやりの聖域』『逆転のトライアングル』を手がけた監督なら、この『落下の解剖学』は絶対に一番に選ぶだろうなという内容です。
『落下の解剖学』は、ある家族がいて、夫(父)が死亡するところから始まります。そしてその死の真相は何なのか…捜査と裁判が行われていく過程がじっくり描かれるという、一見するとミステリー・サスペンス。
しかし、実際のジャンルはいわゆる「夫婦倦怠期モノ」という感じ。倦怠というか、完全に機能不全に陥ったというべきかな…。
『落下の解剖学』を監督するのは、フランスの“ジュスティーヌ・トリエ”。2013年の『ソルフェリーノの戦い』で長編監督デビューし、2016年の『ヴィクトリア』、2019年の『愛欲のセラピー』と続いて、今回で長編4作目。このペースでパルム・ドールに辿り着いたのは順調なキャリアですかね。
でも、パルム・ドール受賞者で女性監督の映画としては3本目(他の2作は1993年の“ジェーン・カンピオン”監督の『ピアノ・レッスン』と、2021年の“ジュリア・デュクルノー”監督の『TITANE チタン』)だそうで、1946年から歴史のあるカンヌ国際映画祭を考えると「やっと3本目か…」ってなりますが…。
“ジュスティーヌ・トリエ”監督の作家性が凝縮した『落下の解剖学』は、脚本をパートナーの“アルチュール・アラリ”と執筆しており、観れば「この中身を夫婦で書いたのか…」と気まずくなります。
俳優陣は、『ありがとう、トニ・エルドマン』でも高評価を獲得した”ザンドラ・ヒュラー”、『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』の“スワン・アルロー”、『BPM ビート・パー・ミニット』の“アントワーヌ・レナルツ”、『揺れるとき』を監督した“サミュエル・セイス”、ミュージシャンでもある“ジェニー・ベス”など。
「事件の真相はこれだ!」とズバっと解決する爽快感は求めないでください。『落下の解剖学』はそういうサクっと楽しめるミステリーではないです。いかにもヨーロッパ映画らしいトーンで、徐々に壊れていた家族がついに失墜してしまった瞬間を迎え、社会に晒されて身ぐるみを剥がされていくという、結構息苦しい物語です。
約150分(2時間半)と長めで、長時間もこの重苦しい空気に耐えるのは、膀胱以上に心理的な面で大変なのですけど、やはりパルム・ドールを獲っただけあって、見ごたえはあります。気になる人は鑑賞後のストレス解消もセットで考えておきながら、臨んでみてください。
なお、作中で犬が辛い目に遭うシーンがあるので、犬好きの方は要注意です。犬に慰めてほしくなる鑑賞体験なのですけどね…。
『落下の解剖学』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :シネフィル必見 |
友人 | :スッキリはしない |
恋人 | :デート向きではない |
キッズ | :大人のドラマです |
『落下の解剖学』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
町から離れた雪山に立つ山荘。そこで作家として成功しているサンドラは女性からインタビューを受けていました。すると、サンドラとインタビュアーの会話を打ち消すほどの大音量の音楽が、いきなり流れてきます。上の階にいるサンドラの夫のサミュエルがその音を流しているようです。それでも気にしないでと饒舌にインタビューを続けるサンドラ。
ひととおり取材が終わり、インタビュアーは帰ります。雪積もる外にある車に乗り込み、それを上のベランダから見送るサンドラでした。
家には息子のダニエルもいます。ダニエルは視力に障がいを抱えており、愛犬といつも一緒。今もダニエルは犬と外へでていき、散歩です。雪原を歩き、木の棒を投げたりしてテキトーに遊んだ後、小さな橋を渡り、また家に戻ってきます。音楽はなおも大音量で鳴っているようです。
ところが家の前で急に犬が走りだします。ダニエルもついていきますが、そこにはサミュエルが仰向けで倒れていました。ダニエルは必死に母を呼ぶと、サンドラが目にしたのは血を流した夫の遺体。 さっぱり理解できず混乱しながらサンドラは通報しますが…。
警察と救急が駆け付け、家は慌ただしくなります。
検死の結果、死因は頭の致命的な衝撃で、他の目立った外傷はありません。しかし、落下地点が傷跡と一致せず、一撃を受けた後に落下した可能性が浮上します。
一方、サンドラの家には弁護士のヴィンセント・レンツィが訪れます。サンドラは今回の出来事は事故だと言いますが、ヴィンセントは裁判所はそれを安易に鵜のみにはしないだろうと思っていました。
当然のようにサンドラは「自分は殺していない」と明言。悲鳴を聞くまでは寝ていたと言います。
ヴィンセントは遺体発見現場や屋根裏を実際に目で見て確認。ダニエルはショックでベッドで泣いており、サンドラは慰めようとしても反応はありません。
サンドラとヴィンセントはまた向き合い、食事をとりつつ情報を整理。ヴィンセントは落下の状況を絵に描きます。屋根裏の窓から1度真下に落ちて下にある小さな屋根つきの構造物にあたってバウンドしたと推定されます。
サンドラの腕はアザがありましたが、キッチンにぶつけるからだと説明してきます。
同時に警察署でのダニエルへの聞き取りも行われ、ダニエルは散歩前に両親は落ち着いて会話していたと話します。
鑑識の詳細な再現調査もあり、実際の当日の音楽を鳴らして会話してみるなど、細かいところまでチェックがありました。
その結果、サンドラは殺人の容疑で起訴されることになりました。検察側はサンドラとサミュエルが前日にも夫婦喧嘩しており、その録音音声を入手していたのです。これを大きな証拠に、夫婦の亀裂にともない、サンドラがサミュエルを暴行し、殺した後に窓から落としたのだと主張します。
対するサンドラと弁護側は、これは偶発的な事故で、サミュエルが普段から飲んでいるアスピリンの影響もあったと主張します。
真っ向から対立することになったこの裁判。その行方は…。
物語が進んでも何もわからない
ここから『落下の解剖学』のネタバレありの感想本文です。
“ジュスティーヌ・トリエ”監督はフィルモグラフィー的にももともと劇映画とドキュメンタリーの手法をミックスするアプローチを得意技とする人ですが、今回の『落下の解剖学』もそのスタイルで基本は全編を通して進んでいきます。
警察による現場検証や取材、裁判のシーンなどは、本当に起きた事件についてカメラが追いかけて撮っているような雰囲気で、妙によそよそしく生々しいです。
そしてカメラが登場人物の内面に踏み込むようなことはほぼなく、観客がキャラクターに同調する隙を与えてくれません。
こうして情報がひとつひとつ整理されて積み重なっていくと、一般的にはその出来事の真相が絞られてわかってくるものなのですが、本作の特徴はそうした解明が一切ないことです。「これだ!」という確証になる決定的な情報がなく、ずっとモヤモヤさせられます。
逆にこれだけ映画全編にわたって曖昧なままにしておけるのは凄いですよ。普通、何かしらの確定的な事実を設定したりするものですからね。
しかも、どのキャラクターもステレオタイプというわけではなく、「こういうキャラはどうせこうなんだろう」という経験則みたいな見方も通用しにくい構成になっているのがまた練られています。かといって、トリッキーな仕掛けがあるわけでもなく、とにかく淡々と曖昧さを抱えて進むんですね。
検察側は、おそらく早々に「サンドラがサミュエルを殺した」という筋書きを推理し、それを前提に裁判に臨んでいます。あの夫婦喧嘩の録音音声も、音声だけだとどちらがどういう力関係にあるのかもわからず、解釈がいくらでもできるものになっていますが、検察は結果論としてサミュエルが死んでいるのだからサンドラを加害者とするという紐づけをしているようです。
あげくにはサンドラの書いた本の内容が事件背景と重なるといった、かなり「論理の飛躍では?」みたいな主張まで、検察側は法廷で言いきります。
ちなみに、サンドラはバイセクシュアルで女性との不倫の過去があることも判明しますが、クィアな人物が容疑者となる事例ではあるものの、ドラマ『ザ・ステアケース 偽りだらけの真実』なんかとは全然違って、クィアであることがセンセーショナルに扱われるようなことは基本はないです。
とは言え、不倫はそれだけで人間性の評価のマイナスに作用するのが世の常なので、サンドラの世間の心象を悪くしていきます。
一方で、サンドラ側は偶発的事故を主張するも、それを裏付ける証拠も無いので、かなり厳しい立場に追いやられます。本作は観客側にもサンドラの無実の裏付けとなる人間性を示唆する特別な情報を一切与えないので、全体的にサンドラに厳しいトーンの映画です。プライベートな録音音声を流されたり、サンドラは生きているけど屈辱を受けまくる裁判の日々なので、なおさら…。
夫婦倦怠期モノのジャンルから考えても、ギリギリの攻め方ですね。“リューベン・オストルンド”監督作のようなわかりやすい露悪的な悪趣味さよりも、この“ジュスティーヌ・トリエ”監督のほうが精巧にリアルなので余計にエグイ感じさえします。
極限まで追い込まれれば愛する犬にも…
『落下の解剖学』のオチ。とは言っても特筆できる衝撃の事実とかは何もないです。
ダニエルの証言もあってか、やはり決定的な有罪の証拠がないせいか、サンドラは無罪となって裁判は終わります。しかし、サンドラの無実の決定的な証拠を提示することなく映画は終了ので、観客にしてみれば完全放置状態。
結局、あれは事故なのか、事件なのか、自殺なのか…。真相は…?
ひとつこの映画がずっと描いていることとして言えるのは、あの家族は機能していなかったということ。
それは冒頭から示されていて、犬が階段から自分でボールを落としてひとり遊びしているという、なんとも虚しいシーンから始まり、家族同士の繋がりの欠落を象徴しています。
ダニエルが動物病院に行く際に聞いたという父の言葉も、裁判ではあれをサミュエルの希死念慮の表れと受け止めたようですが、当然、犬の話をしているだけかもしれません(犬は人間より早くに寿命を迎えるので)。
しかし、サミュエルは自分の起こした事故で息子が視力に障がいを負ってしまったことをかなり後ろめたく思っており、その一件から希死念慮を強めていたという推測もできます。
対するサンドラは息子との距離があるようで、終始ぎこちないです。この夫婦の決裂の背景には、キャリアの成否はもちろん、複雑なやむにやまれぬ事情があったのでしょう。視覚障がいを持つ息子に抱く感情は、単なる障がい者差別とラベルを貼ることもできない、この当事者にしかわからない心情が察せられます(こういう障がいを持つ子がいる親にはありがちな心境だと思う)。
どちらにせよこの映画は露骨な悪意を持った人物を設定していません。あの犬にアスピリンをあえて飲ませて実験までしてみせたダニエルの姿さえも、極限で追い込まれて倫理的な一線を超えざるを得なくなった人間の弱さを突きつけるような感じです(おそらくその極限下の心情はサンドラもサミュエルも経験している)。そう、あの子も相当にツラいですよ。メンタルケアが本当に心配になる…。
これまでずっと家族らしい団欒のシーンもなかった本作ですが、最後の最後でダニエルを寝かせて抱き合うサンドラだったり、サンドラに犬が寄り添ったり、今までのは何だったんだというくらいにわざとらしい家族描写が連発します。
これもズタズタになった家族がまた再生の一歩を踏み出したと好意的に解釈できるし、ある種の共犯関係が家族というものを構築するのだとも読み取れる。わからないままですが、そもそも家族ってわからないものじゃないかという、そんな話か…。
自分にとって何が真実なのか決めればいいという言葉どおり、観客にこの映画は委ねるという丸投げの結末は、どっちつかずで人を選ぶ締め方かもしれません。ただ、真実が解釈や考察で上書きされやすい今の世の中を映す物語でもあったと私は思いました。私は…ね…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 96% Audience 90%
IMDb
7.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)LESFILMSPELLEAS_LESFILMSDEPIERRE アナトミー・オブ・ア・フォール
以上、『落下の解剖学』の感想でした。
Anatomy of a Fall (2023) [Japanese Review] 『落下の解剖学』考察・評価レビュー
#フランス映画 #ミステリー #法廷劇