私の体で起きている、誰も知らない闘い…映画『あのこと』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フランス(2021年)
日本公開日:2022年12月2日
監督:オードレイ・ディヴァン
性描写
あのこと
『あのこと』あらすじ
『あのこと』感想(ネタバレなし)
”あのこと“は今も昔も…
2022年6月、アメリカの連邦最高裁は中絶権を認める「ロー対ウェイド」判決を覆すという異例の一手にでました。人工妊娠中絶を巡ってアメリカでは1973年に連邦最高裁が「中絶は憲法で認められた女性の権利」だとする判断を示し、このきっかけはテキサス州の妊婦が起こした訴訟で、原告の妊婦を仮の名前で「ジェーン・ロー」と呼んだことから、相手の州検事の名前と合わせて「ロー対ウェイド」裁判と呼ばれていました。
一般的には連邦最高裁は過去の自身の判決を覆すなんてことは容易には行わないのですが、最高裁判事が保守派で多数占められたことで形勢が反転。今のアメリカの保守化を印象づける出来事となりました。
これによって中絶の扱いは州に委ねられ、保守層が強い州では続々と中絶を原則禁止する法律が発効。あらゆる段階の胎児を対象に適切に扱わなければ医療従事者を罰する法案すらも登場し、性的暴行を受けて妊娠しても中絶はできないなど、状況は深刻化しています。中絶をするために他の州に移動せざるを得ない人もでてきています。
「アメリカは大変だね~」と他人事ではいられません。日本も中絶に関しては非常に厳しい現状があります。日本ではいまだに中絶は完全に非犯罪化されておらず、刑法で「堕胎罪」が設けられています。加えて中絶には原則として配偶者の同意も必要です。さらに身体を傷つける恐れのある掻爬法という中絶方法が主流で、安全な中絶薬は認められていません。医療業界の中でさえも中絶にタブー意識が蔓延しているありさまです。
今回紹介する映画も、中絶というものをめぐる社会の抑圧がまざまざと映し出される、かなり強烈な作品です。
それが本作『あのこと』。
なんとも変わった邦題ですが、本作はフランス映画で、原題は「L’evenement」。英題は「Happening」となっており、「事件」や「出来事」という意味です。察しがつくとおり、これは中絶を意味することになります。でもこれは単に中絶だけでない、中絶をめぐる世の中全体を暗示するような、意味深で皮肉に満ちたタイトルだと思います。
『あのこと』はフランスを舞台にしており、なおかつ1963年という時代設定になっています。
まずフランスにおける中絶の歴史を簡単に知っておくといいでしょう。
フランスではカトリック教会の力が強かったゆえに、中絶は昔から厳禁とされてきました。しかし、1939年に一時的に中絶が法律で認められます。ところが第二次世界大戦時のヴィシー政権は中絶を重罪とし、極刑にすることができるようにしました。当時の女性と中絶における出来事で有名なのが、“マリー=ルイーズ・ジロー”です。堕胎を手伝う行為を密かにしていた“マリー=ルイーズ・ジロー”はギロチンにかけられて死刑となり、今ではフランスの初期の中絶権利活動家として認知されています(『主婦マリーがしたこと』という映画もあります)。結局、1975年に中絶が合法化する流れができるまで、何十年も中絶禁止の社会が存在し続け、望まぬ妊娠をした人は辛い思いをしてきました。
『あのこと』はまさにこの中絶禁止の社会と化している時代のフランスでの物語。フランスの小説家”アニー・エルノー”が自身の実話を基に書き上げた作品が原作になっています。そのため、描かれている内容はかなり当時のリアルが反映されたものと思われます。
主人公はひとりの若い大学生の女性。文学を学び、キャリアを得たいと夢見るも、突然の妊娠。子どもを産めば、自分の夢は終わる。でも中絶は法律で禁止されている。主人公は社会の中で孤立し、彷徨い、迷走していきます。
このひとりの主人公の視点を軸にし、この映画『あのこと』は当時のフランス社会に没入させます。それは過去の時代の体験になるわけですが、同時にそれは「今」でもある。そのことは前述したとおりの昨今の現状を知っていれば当然無視できません。「今の日本で中絶を望む女性が置かれている立場もこんな状態なのではないか」と並列させながら鑑賞していきたいものです。
映画『あのこと』を監督したのは、『ナチス第三の男』や『バック・ノール』の脚本を手がけた“オードレイ・ディヴァン”。2019年に『Mais vous êtes fous』で監督デビュー。監督2作目となる本作『あのこと』で、ヴェネチア国際映画祭にて金獅子賞を受賞したことで、一気にキャリアが輝いています。確実に今のフランス映画界を引っ張るひとりに追加ですね。
なお、察せられることだとは思いますが、本作には中絶に関する生々しい描写が多数含まれます。実際の経験者の中にはフラッシュバック等の苦痛をともなう可能性もありますので、留意してください。
『あのこと』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :見逃せない良作 |
友人 | :題材に関心あれば |
恋人 | :デート向きではない |
キッズ | :やや性描写あり |
『あのこと』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):妊娠が全てを変えていく
1963年。フランスの大学に通うアンヌは、友人のブリジットとエレーヌと一緒に、バーにでかける準備をしていました。アンヌとブリジットは胸をよくみせようと調節するのに鏡の前で夢中で、後ろでもじもじと立っているエレーヌも引っ張り、なるべく足を見せるといいなどと、はしゃいでいました。
夜のバーに行くと、男たちでいっぱいで、アンヌは自由に過ごします。
翌日、大学の講義にいつもどおり出席。アンヌは勉強熱心であり、教師にあてられてもすんなり答えることができます。
友達含めて3人で外でのんびり。試験に受からなかったらどうしようと心配をしながらも、3人で力を合わせればなんとかなると前向きに考えていました。
そんなアンヌにまだ誰にも言っていない不安なことがありました。部屋で服を脱ぎ、下着も外します。その足元の下着は白いまま。しばらく生理は来ていません。もうきてもおかしくないはずなのに…。
体調が悪そうだと周囲に心配されるも、アンヌは「大丈夫」と言って平気な顔をします。それでもその不安は増すばかり。
密かに診察を受け、医者から「性行為は?」と聞かれ、「ありません」と答えます。しかし、医者は「君は妊娠している」と告げ、アンヌは驚いた表情を浮かべます。「なんとかしてほしい」と医者に懇願しますが、中絶を勧めたら刑務所行きになってしまうのでそう言われても医者も何もできません。
その衝撃の診断を受けた後もアンヌは友人2人のもとに平然と向かい、何事もなかったかのように振舞っていました。
鏡で自分の体型を横から確認し、お腹に力を入れます。図書館で妊娠に関する本を漁り、知識を得ようともします。
しだいに体にも異変が起きてきました。普段以上の食欲が自然と沸き上がり、友達の前ではバレないようにするも、冷蔵庫の食べ物を衝動的につまみ食いしてしまいます。
寮生活ではシャワーなど他人の視線も気になります。いつまでも隠しきれるとは思えません。
病院に助けを求めますが、相変わらず医者は消極的。それでも月経を起こす薬を教えてくれ、自分の脚に部屋で注射してみます。しかし、目立った効果はありませんでした。
吐き気が頻繁に起き、トイレに駆け込む日々。体調は悪化するばかりです。
やむを得ないので、大学で一番女子との付き合いが多そうな男子に声をかけ、「中絶をしたい」とこっそり今の状況を伝えますが、その男子は逃げるように去ってしまいました。
これだけ体調悪化が継続すれば、成績にも悪影響が生じてきます。講義では教師に責められ、なぜこんなに調子が悪いのかと聞かれても、まともに答えることもできません。
ついにアンヌは友人2人に自分の状態を告白することにしました。けれどもそれは状況の改善に繋がることはなく、むしろ孤立を深めることになってしまい…。
孤立していく「私」
『あのこと』は1963年のフランスという、中絶禁止が当然となっている社会が舞台です。
その抑圧的な空気というものは序盤からじわじわと伝わってきます。専門的な医者ですらも、中絶という言葉を迂闊に口にできません。最も関与しかねない立場にある以上、相当に神経質になっているのでしょう。
もちろん男たちも役に立ちません。それどころか妊娠しているんだからもう妊娠する心配もない都合のいい体としてさらに消費しようとしてきたり、なんとも身勝手です。この大学生という時期に妊娠するということの重みを何もわかってくれません。男性教師だって全くの無能です。
かといって女性が味方になるのかと言えば、そうでもありません。普通の妊婦だったら、妊婦同士のコミュニティで助け合って出産に臨むかもしれませんが、出産するつもりがない妊婦はそうはいきません。むしろ密告されるのではないかという不安が疑心暗鬼にさせてきます。
そしてあの序盤であんなに仲良さそうだった女友達にも見捨てられてしまうのが一番精神的にキツいシーンではないでしょうか。
とくにブリジットという金髪の子は、性経験は無いようですが、性行為の方法をベッドで模擬的に実演してみせたり、いろいろと性にオープンな感じがありました。しかし、いざ相談してみると明らかに拒絶的な態度をとられてしまいます。
そもそもこの学生たちは大学で文学を学んでおり、その内容からもかなり反体制的な考えにも理解があり、リベラルというか、知識人層としての立ち位置のはずです。にもかかわらず、中絶には目を背ける。
これはそれだけ中絶禁止という概念が社会に浸透しているからであり、ある種の監視社会における全体主義の怖さとも言えます。
同時に中絶だけでなく性全般がタブー視されているのも状況を一層に悪化させています。妊娠も避妊もわからなければ、中絶に対して正しい知識なんて得られるはずもない。適切な情報アクセスの場もなく、サポートもない。
アンヌの置かれている状況は本当に孤立無援の地獄です。
中絶というレジスタンス
『あのこと』は冒頭の講義で、“ルイ・アラゴン”と“エルザ・トリオレ”というレジスタンス文学活動で有名なフランスの詩人が言及されます。文筆活動によってナチズムに抵抗したことで知られ、まさに反体制派でした。
そしてラストの試験のシーンでは、「レ・ミゼラブル」でおなじみのフランス・ロマン主義の詩人“ヴィクトル・ユーゴー”も引用されます。
このことからも、本作の主人公であるアンヌは、中絶というレジスタンス活動に投じているとも解釈でき、この映画のジャンルも実質はポリティカル・スリラーとも言い切っていいんじゃないでしょうか。
最近はドラマ『キャシアン・アンドー』がポリティカル・スリラーとして最高の出来だったみたいな話を私も感想でしていましたけど、この『あのこと』も負けず劣らずの緊張感のある攻防です。
これはアンヌの闘いの歴史の断片です。強大な中絶禁止という支配体制に真っ向から立ち向かっていこうとする若い女子学生の物語。
最初は孤軍奮闘です。ろくに武器もありません。しだいに火で熱した編み針を陰部に差し込んでいくなど、実力行使に出ざるを得ない状況にまで発展します。このシーンはかなり生々しく撮っており、激痛に苦悶の表情を浮かべるアンヌの姿が本当に痛々しいのですが、敵ではなく自身の体に武器を突き刺さないといけないことが何よりも辛いことであり、同時にそれこそ中絶の権利を奪うことの恐ろしさそのものを表している…そんな感じです。
そして協力してくれる女性がいるらしいという情報を聞きつけ、コンタクトを試みます。このあたりもスリラーとしてのサスペンスがあります。敵か味方かわかりかねる相手への交渉なんて、それこそ戦時中のレジスタンスと同一です。
そうしてまたもや激痛を伴う処置を受けることになる…。こうなってくると敵に捕まって拷問を受けるレジスタンス・メンバーみたいな光景にも思えてきますが…。
最終的には悶え苦しんだアンヌはトイレで流産します。ポチャンという音が、アンヌがこの何週間で苦しみ抜いて辿り着いた全てのゴールです。
この映画が何とも嫌なのはこの後にまた平然とアンヌが試験に舞い戻っていることで、私たちはアンヌと隣り合わせで没入していたのでわかりきっているのですけど、世間はこのアンヌの苦しみを一切認識もしていないんですよね。凄まじい闘いを切り抜けてきたのに、誰かにその労をねぎらわれるわけでもなく、ケアをされるわけでもない。淡々とこれはこれでまた競争の激しい学問の世界という次の戦場に移る。
なんかもうアンヌに何と声をかけたらいいのやら…。
でもこれはやっぱり中絶を取り巻く社会の今でもあるんだということ。今だってあなたの隣で何気なく過ごしているその人がこんな壮絶な闘いを潜り抜けてきたか、現在進行形でそうしているのかもしれない。当事者はそうやってこの社会で不可視化されているんでしょうね。
そのアンヌを演じた“アナマリア・ヴァルトロメイ”という俳優。まだ新人という扱いみたいですけど、今作では戦士みたいな鋭い目つきも見せ、凛とした佇まいに闘志を感じる、印象的な姿でした。これはキャスティングの勝利です。
中絶を題材にした映画は何かとエクスキューズが必要になることも多い作品なのですけど(見方によっては「だから中絶は恐ろしい!」とプロ・ライフ寄りに解釈しかねない)、この映画『あのこと』は現実社会とセットで俯瞰することで、この主人公の痛みをより意味のあるものに変換してほしいなと思える、そういう作品でした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 99% Audience 72%
IMDb
7.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
中絶を描いた映画の感想記事です。
・『17歳の瞳に映る世界』
・『見えない存在』
作品ポスター・画像 (C)2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINEMA – WILD BUNCH – SRAB FILM
以上、『あのこと』の感想でした。
L’evenement (2021) [Japanese Review] 『あのこと』考察・評価レビュー