その歴史は売り飛ばせない…Netflix映画『ピアノ・レッスン』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2024年)
日本では劇場未公開:2024年にNetflixで配信
監督:マルコム・ワシントン
人種差別描写 恋愛描写
ぴあのれっすん
『ピアノ・レッスン』物語 簡単紹介
『ピアノ・レッスン』感想(ネタバレなし)
オーガスト・ウィルソンは家宝です
私は「家宝」なんてものは持ってない(と思っている)のですが、持っている人はどんな家宝なのでしょうか。その家に代々伝わる代物であればいいので、別に金銭価値があるかどうかの有無は関係ないです。家宝には家族の歴史が受け継がれている…そこが大事なのかもしれません。モノによっては歴史的価値が見いだされることだってあり得る…。
でも歴史というのは厄介で、常に「良い歴史」とも限りません。歴史の「良い部分」だけを切り取って受け継ぐことはたいていはできません。良いも悪いも混ざり合って歴史です。家宝は字面では「家の宝」と書きますが、その内実は想像以上に複雑で厄介なこともあるでしょう。
今回紹介する映画は、まさにそんな複雑な歴史を背負う家宝をめぐってひとつの家族が揺れ動くドラマが展開されます。
それが本作『ピアノ・レッスン』です。
本作はいわゆる「南部ゴシック」、とくに「ブラック・サザン・ゴシック(Black Southern Gothic)」と称されるサブジャンルの一作。アメリカ南部の黒人奴隷時代、もしくはその時代の名残を受け継ぐ舞台で、アフリカ系の人たちの人間模様が繰り広げられるジャンルです。
物語は、ある黒人一家に受け継がれているひとつのピアノがキーアイテムとなります。年季の入った木製のピアノで、独特な彫刻が施されているのですが、実はそれには家族しか知らない根深い歴史が隠されていたのでした。
『ピアノ・レッスン』はあの黒人劇作家の巨匠であり、死後も偉大な演劇界の宝として語り継がれている”オーガスト・ウィルソン”の作品が原作です。『ピアノ・レッスン』は1987年の戯曲であります。
”オーガスト・ウィルソン”の作品は近年は俳優兼監督の“デンゼル・ワシントン”が精力的に映像化を進めており、2016年に『フェンス』(こちらは“デンゼル・ワシントン”自身が監督も手がけた)、2020年に『マ・レイニーのブラックボトム』と続いてきました。
今回の『ピアノ・レッスン』の映画化は、“デンゼル・ワシントン”は製作のみにとどまっていますが、なんと息子の“マルコム・ワシントン”の長編映画監督デビュー作となっています。まだ30代前半の若さですが、父の才能を継承しているのか、「これが新人監督!?」とびっくりするくらいの上質な完成度。“マルコム・ワシントン”監督の今後の将来が楽しみです。
この原作の映画化はこれが初めてではなく、1995年にテレビ映画になっているらしいですが、今回の2024年版の映画は2022年の舞台版からの影響が大きいようで、一部のキャスティングは舞台版と同じです。
主演するのは、こちらも“デンゼル・ワシントン”の長男である“ジョン・デヴィッド・ワシントン”。今作では南部訛りの癖の強いキャラを熱演しています。さらに“サミュエル・L・ジャクソン”も横に並びます。ちなみに“サミュエル・L・ジャクソン”は初期(1987年)の舞台版でも出演しており、この原作とは縁深いです。
他には、『REBEL MOON』シリーズの“レイ・フィッシャー”、『ティル』の“ダニエル・デッドワイラー”、『ラスティン: ワシントンの「あの日」を作った男』の“マイケル・ポッツ”、『カラーパープル』の“コーリー・ホーキンズ”など。
このうち、“ジョン・デヴィッド・ワシントン”、“サミュエル・L・ジャクソン”、“レイ・フィッシャー”、“マイケル・ポッツ”は2022年の舞台版からの再演となります。
『ピアノ・レッスン』は「Netflix」で独占配信中。日本では”オーガスト・ウィルソン”原作映画が全然映画館で観れないのが寂しいですが、濃厚なドラマを落ち着く環境でじっくり味わってください。
『ピアノ・レッスン』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2024年11月22日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :じっくり堪能 |
友人 | :ジャンルに関心あれば |
恋人 | :異性ロマンス少しあり |
キッズ | :やや大人向き |
『ピアノ・レッスン』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
1911年、アメリカのミシシッピ州のとある田舎。夜に打ちあがる花火を楽しむ大衆をよそに、ある黒人男性たちが一軒の無人の邸宅に集っていました。その家の前で「誰かが来たら口笛を吹け」と父らしき男に指示されるひとりの子ども。律儀に返事し、大人たちは家の中に忍び込んでいきます。
そして、暗闇に紛れ、邸宅の中にあるひとつの家具を運び出します。それは木製の重たいピアノです。独特な彫刻が施されています。そのピアノを懸命に馬車に積み込み、空を花火が照らす中、撤収します。怪しまれないように、ひとりを残して…。
しかし、持ち主はすぐに犯人に目星をつけたようで、仲間と共に追跡してきました。松明を持って馬に乗った白人男たちが、「どこだ、ボーイ・チャールズ!」と言いながら、武装して屋敷に火を放ちます。近くでチャールズはその騒動の中を逃げるしかなく…。
25年後、ライモン・ジャクソンが運転する収穫物のスイカでいっぱいのトラック。そこにはウィリー・チャールズも同乗していました。
2人は夜にピッツバーグに到着し、親戚のドーカーの家にお邪魔します。会って早々にウィリーとドーカーは再会を喜び合います。スイカを売りに来たウィリーは、地主の白人のサターが井戸に落ちて死んだそうで、サターの弟が土地を売るので、このスイカの売り上げで土地を買って自分の土地で農場をする夢を語ります。以前は父が奴隷だったあの土地を今度は自分が所有者になる…それが何よりも心を躍らせていました。
家にはウィリーの姉バーニースもおり、起きてきます。まだ寝ている娘のマリーサを心配するバーニース。
そのとき、ライモンが「これが例のやつか?」とピアノに気づきます。彫刻が掘られた年季の入った代物です。このピアノも売れば土地を買えると饒舌にウィリーは話しますが、バーニースにはその気はありません。
静まり返った夜中、バーニースは2階で何か不審な人影をみます。それはサターの霊だとバーニースは言い、ボーイ・ウィリーを呼んでいたと説明します。地元を離れなかったサターがこんなピッツバーグにいるはずはないとウィリーは信じません。サターを井戸に落としたのはイエロードッグの幽霊の仕業だと繰り返すだけ。「サターが俺を捜しているなんて妄想だ」とウィリーは姉の目撃体験を否定します。
バーニースは怒って2人とも出ていってと言い放ちますが、ウィリーは「スイカを売り切ればすぐに出ていく」と呑気です。そして「サターが捜しているのはピアノのほうだろ」と愚痴をこぼすのでした。
朝、起きてきたマリーサに挨拶するウィリー。「農場を買ったらおいでよ」とここでも陽気です。何かピアノで弾いてみてとウィリーは頼み、その傍で「なんで彫刻してあるか聞いたか?」と話題にしたくてウズウズしているように語ります。教えてもらっていないようで、ウィリーは手をあてさせ「これが君の先祖だ」と意味深に呟くのでした。
そこにエイヴリー・ブラウンがやってきます。説教師で教会を開くつもりであり、実はバーニースに婚約を申し込んでいましたが、返事はありませんでした。
その日の夜、ドーカーの弟のワイニングもやってきて、昔話で盛り上がります。
そして家族の歴史が語られることに…。
イエロードッグの幽霊の正体
ここから『ピアノ・レッスン』のネタバレありの感想本文です。
『ピアノ・レッスン』は観客に核心部分の背景を知らせないままにしばらく物語が進行します。各登場人物の会話の中でとくに意味深に言及されるのが「彫刻のピアノ」、そして「イエロードッグの幽霊」です。
それは家族の歴史に関わるもので、その詳細は作中の中盤、ライモンに教えるようなドーカーの語りで明らかになります。
昔、奴隷所有者であった白人の地主のロバート・サターは妻へのプレゼントとして同じ白人のノーランダーのピアノに目を付け、そこで自分の黒人奴隷と交換することにしたこと。その際に選ばれたのがドーカーの祖母と父(当然まだ子ども)だったこと。しかし、その後にサターの妻は奴隷が恋しくなり、ドーカーの祖父ボーイ・ウィリーにいなくなった奴隷をピアノに彫るように命じたこと。けれどもボーイ・ウィリーは先祖全ての歴史を彫ってみせたこと。
そして少し年月は流れ、事件が起きました。ウィリー・チャールズ(“ジョン・デヴィッド・ワシントン”演じるほうのウィリー)の父ボーイ・チャールズはあの歴史の詰まった特別なピアノを欲し、1911年に兄弟でピアノを盗むことにしました。まだウィリーが6歳の頃でした。
しかし、その所業はサターたちにすぐにバレたらしく、ボーイ・チャールズらとその仲間はイエロードッグ汽車に乗っていたところ、貨物車両ごと燃やされて死んでしまいました。
それからというもの、サターに関わりのある白人たちが次々と井戸に落ちて死亡する事件が発生。その犯人は殺された黒人たちの怨念であるイエロードッグの幽霊だという噂が広がり、ついに作中の直前にサターまでも井戸の落下で死亡した…という経緯です。
要するにあのピアノはいわくつき、それも呪われていても仕方がないような代物だったんですね。
ただ、それでもなおも曖昧な部分が残り、それがこの物語の味わいすらも混迷にさせます。
まず作中でピアノがあるドーカーの家に出現するのが「サターの霊」だということ。イエロードッグの幽霊なんてものは観客には提示されず、明らかに井戸で亡くなったサターとおぼしき幽霊が心霊現象を起こしていきます。
また、そもそもサターは本当に幽霊のせいで死んだのかもわかりません。作中で問い詰められるようにウィリーが殺した可能性もじゅうぶんあり得ます(都合よすぎるタイミングですから)。
少なくとも言えるのは、奴隷所有者の白人が怨霊になってまた黒人たちを苦しめている以上に、複雑で振りほどけない状況に置かれていること。そしてどれは「過去をどう受け止めるか」という黒人たち当事者のそれぞれの想いの差異によって、余計に混乱が増しているということです。
過去を否定しても自己肯定は上がらない
原作者の“オーガスト・ウィルソン”はこの『ピアノ・レッスン』に「過去を否定することで自尊心を獲得できるか」というテーマ性を込めているらしいですが、今回の映画でも各俳優陣の名演もあって、それぞれのキャラクターがその突きつけられた主題にどう葛藤しているかがよく伝わってきました。
年配のドーカーはどっちつかずな態度で、自分の意見よりも周りの反応を気にしています。「年長者だから俺が決める!」という強引な手段にはでません。どこかで恐怖があるのかもしれません。
ワイニングはかなり苦々しい態度で、できれば付き合いたくはないけれどもそういうわけにもいかないという苦悩が滲みます。酔っぱらってピアノを弾くシーンが切ないです。
一方のウィリー・チャールズは当初はもう周囲が引くくらいの楽観主義者で、とくに根拠もなく「大丈夫!」の一点張りでピアノをカネに換えようとします。過去は捨てきって新しい人生に進もうという姿勢が独りで先走っている感じです。
このように本作の男たちは一応にどこか頼りありません。エイヴリーも最後にピアノを清めることを「無理だ」と諦めてしまいますからね。
『ピアノ・レッスン』は同じ“オーガスト・ウィルソン”原作の『フェンス』と比べると、あちらが家父長制の呪いが強調されていたのに対し、『ピアノ・レッスン』は父不在の設定が目立ち、後半に女性たちの存在が鍵になります。
バーニースが怒りを込めて語るように、このピアノは男たちがただ所持欲で盗んできたものの、その維持管理をさせられていたのは他ならぬ母であり、母はずっとこのピアノに縛られてきた、と。誰よりも歴史を直視させられ続けてきた母の心の苦しさを察したことはあるのか、と。
ここには「奴隷を愛でることで家父長制の中で慰めを感じていたであろう白人の妻たる女性」と「奴隷と家父長制の重圧で二重に苦しんできた黒人の妻たる女性」の、同じジェンダーでも歪な決定的な差が浮かび上がるのも印象的です。
結局、バーニースの先祖への救済の祈りによってとりあえず心霊現象のようなものは止みます。ウィリーも納得したようで、ピアノを諦めます。しかし、「ピアノを弾き続けろ。さもないと自分とサターがやってくる」と、なんだか不気味な脅迫じみたことも告げます。
どう解釈するかは人それぞれですが、ピアノはこれからも歴史であり、それは一生ついてまわるという宿命のようなものなのでしょうか。
作中でドーカーたちが『Berta, Berta,』という刑務所の労働者の歌を歌って気持ちが昂るシーンがあります。歴史は自分たちのアイデンティティを思い出させる効果があると同時に、自分たちの辛い過去をフラッシュバックさせます。それは「加害者」「被害者」のような単純な二項対立におさまらない複雑なものです。
いつの時代も「過去なんて忘れて、今だけを生きよう!」なんて楽観的な人生論を語る人はいるものですが、2024年に蘇った『ピアノ・レッスン』の重低音はその声を黙らせる力がありました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)Netflix ピアノレッスン
以上、『ピアノ・レッスン』の感想でした。
The Piano Lesson (2024) [Japanese Review] 『ピアノ・レッスン』考察・評価レビュー
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