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『アサシン クリード』感想(ネタバレ)…ゲームの楽しさの映画化は難しい

アサシン クリード

ゲームの楽しさの映画化は難しい…映画『アサシン クリード』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Assassin’s Creed
製作国:イギリス・フランス・アメリカ・香港(2016年)
日本公開日:2017年3月3日
監督:ジャスティン・カーゼル
アサシン クリード

あさしんくりーど
アサシン クリード

『アサシン クリード』物語 簡単紹介

記憶を失った死刑囚カラム・リンチは、最新のテクノロジーを用いた遺伝子操作により祖先の記憶を追体験させられることとなる。その祖先は普通では想像できない秘密があった。カラムの祖先はルネサンス期のスペインでテンプル騎士団という強大な集団に立ち向かうアサシン教団の伝説のアサシン。そして、人類には計り知れない禁じられた秘宝のありかを知る、歴史上最後の人物でもあった。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『アサシン クリード』の感想です。

『アサシン クリード』感想(ネタバレなし)

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触って楽しいゲームを映画化すると…

TVゲームという存在はすっかり市民権を得て、今ではスマホが主流になっている感じもありますが、今回はお手頃なパズルゲームみたいなものではなく、もう少し作り込みの深い世界観のあるゲームの話。

そういうTVゲームの醍醐味は、普段の自分とは違う別の存在になりきれる!という部分ではないでしょうか。勇者になって世界を救ったり、兵士になって戦地で銃撃戦をしたり、動物になって大自然を駆け回ったり…。

そんな“自分とは違う別の存在になる”というTVゲームのシステム的楽しさをゲーム内の世界観設定にそのまま落とし込んだTVゲームタイトルがあります。それが「アサシン クリード」というアクション・ステルス・ゲームです。主人公は過去のある時代の人間の記憶を追体験し、その別人として世界を冒険する…という内容。時代は作品によって、12世紀末のエルサレム、ルネサンス期のイタリア、独立真っ最中のアメリカ、海賊黄金時代末期のカリブ海、フランス革命期のパリ、産業革命期のロンドンとさまざま。一番の魅力は、その時代の街がそのまままるごと再現されていることで、プレイヤーは自由に探索したり、有名な建物に登ったり、歴史上の人物と出会ったりもできます。たいへん“触って楽しい”ゲームです。

1作目は2008年にPlayStation 3・Xbox 360で発売され、ゲームの世界観と自由な操作性が受けて大ヒット。2017年時点では9作もの人気シリーズとなっています(ちなみに私は全作品ではないですけどプレイしたことがあります)。

その大好評ゲームがついに映画化したのが本作アサシン クリード。たぶん配給の20世紀フォックスは『バイオハザード』シリーズのようにこちらも続編バンバン出してシリーズ化していきたいのでしょうけど。上手くいくのか? 残念ながらアメリカでの評価は低いみたいですが…。

正直なところ、原作ゲームを知らない初心者は戸惑うと思います。なにせ専門用語のオンパレードですから。このへんは用語解説や相関図を事前に少しでも把握しないと厳しいかもしれません。

簡単にこちらでも紹介すると、まず「アサシン教団」という組織が存在します。ルーツは人類の歴史の初期までさかのぼると言われる古来からの謎の集団で、ある目的のために密かに活動を続けてきました。独自のルールや武器があったりするのですが、それは割愛。このアサシン教団と対立してきたのが「テンプル騎士団」です。「エデンの果実」というアイテムを手に入れて人間の自由意思を奪うことが目的らしいですが、イマイチ謎。この作品ではもともと史実のあの人物が実はアサシン教団だった!テンプル騎士団だった!という感じで歴史ifモノとして展開しています。それで、20世紀に入ってからテンプル騎士団が設立した多国籍複合組織が「アブスターゴ財団」です。科学力のあるテクノロジー大企業といった雰囲気。このアブスターゴが開発した画期的な装置で、被験者の脊髄部分を接続し、DNAに保存された遺伝子の記憶が呼び起こして、疑似的な祖先の過去を3次元の世界で追体験することができる発明品、これが「アニムス」です。で、さっきから出てくる「エデンの果実」とは何なのか。これは歴史的秘宝で、とにかく凄い力があるとだけ思っていてください(正直よくわからない)。

どうですか、思っている以上にあれこれと複雑でしょう。単なる歴史モノではなく、過去と現在の時代がクロスオーバーするという、結構難解な設定です。ゲームをしているときはキャラを動かすことに夢中なので全然気にならないのですけど、映画だとそうはいきませんしね…。

また、ゲーム原作映画というのは『バイオハザード』や『ウォークラフト』のように贅沢なCGてんこ盛りという印象ですが、本作は珍しく、CGをあまり使っていません。その点も、わかりやすいエンタメを期待しているとガッカリする原因になるかも。

原作ゲームファンと主演の“マイケル・ファスベンダー”ファン向けです。

↓ここからネタバレが含まれます↓

『アサシン クリード』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):アサシンになる

数世紀にわたり「テンプル騎士団」という組織が「エデンの果実」という代物を探し求めていました。その果実は人類初の反抗を導いただけでなく、自由意志に対する鍵だと信じていました。果実を見つけ、秘密を解読すれば、思想の自由を意のままにできる…と。そのテンプル騎士団に対して唯一立ち上がったのが「アサシン教団」でした。

1492年。スペインのアンダルシア。アサシン教団の面々が集い、そのうちのひとり、アギラール・デ・ネルハに使命を告げます。忠誠を誓わせ、その証として左手薬指を切り落とし、飛び出す刃の特別な武器を手首に装着させます。「鷲の精霊が未来を見守る」「我らは闇に生き、光に奉仕する者なり」

1986年。メキシコのバハ・カリフォルニア。ひとりの少年が自転車で建物屋上からダイブ。しかし、コンテナに乗ることができず、無様に落下。そんな失敗にもめげずに乾いた町を疾走します。

家に帰ると、母が座って動きません。息絶えていました。そこにいたのは装束をまとった父親。手から刃物が飛び出しており、意味不明なことを呟きます。「闇に生きろ」…そう告げて子どもを逃がします。家の周りには何台もの車。少年は屋上を伝ってその場を退避。なぜ父が母を殺したのか。考えてもわかりません。今できるのは走ることだけ。カラム・リンチは懸命に走ります。

30年後。アメリカのテキサス州のハンツビル刑務所。その独房でカラムは時間を潰していました。そこに牧師らしき男がやってきます。カラムは殺人の罪を犯し、今、死刑執行の日を迎えたのでした。台に拘束され、薬物が体に注入されます。そして意識を失い…。

気が付くと白い部屋にいます。そばにはひとりの女性。「私の名前はソフィア・リッキン博士。昨日の午後6時、刑は執行されました。この世であなたの存在を気にかける人はいない」

状況が呑み込めないですが、ここはどこかの施設のようです。這ってその場を離れようとしますが、強烈な眩暈で思うように歩けません。ふらふらと施設内を逃げ回ると、植物が生えているエリアに迷い込みます。広大な景色。刑務所ではありません。

ここは「アブスターゴ社」。マドリード・アブスターゴ財団のリハビリ棟です。ソフィアは説明します。「完全な人類を追及する財団で、あなたの協力で暴力を根絶したい」と。

しかし、そこでカラムは眠らされてしまいます。

眠ったカラムはアニムスという機器に繋がれ、腕にブレードを取り付けられます。

「準備開始。今回の退行は1492年のアンダルシア」

500年前に死んだ人の記憶を追体験するとソフィアは語ります。DNAを分析し、機器は作動。

こうして15世紀のルネッサンス期のスペインを生きるアサシン・アギラールの半生とシンクロすることに…。

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触れない、見ているだけの映画だと…

『アサシン クリード』、映像という点での再現度は素晴らしいとは思います。ワールドワイドな感じもありますし。ゲームで見ていたあのアサシンな感じがそのまま映画になっている!と思える程度の感動は確かにあります。

ただ、映画というのはただ映像的に再現できれば面白いというわけもなく…。

結論から言ってしまえば、映画化により原作ゲームの楽しさがなくなり、原作ゲームの欠点が強調された…そんなふうに私は思いました。

まず、原作ゲームは先にも言ったとおり“触って楽しい”ゲームです。プレイヤーが“なりきれる”ことが魅力です。でも、映画では、観客は何にもなりきることはできません。なりきっているマイケル・ファスベンダーを見ているだけです。操作する楽しさがないのは致命的だなと実感。まるで他人がゲームしてる姿をただ別の部屋のガラス越しに見せられているような気分です。

じゃあ、見ているだけで楽しいかというと…これも微妙。アクションもカッコいいはカッコいいのだけれども、見せ方が普通だったなと。原作ゲームはジャンルとして一応、ステルスゲーム(敵に見つからないように隠れながら暗殺する)なんですが、そういう要素も皆無でした。まあ、原作ゲームもかなり方向性は変わってきているので、そういう意味でも映画の着地点を見つけづらかったのかも。
完全にマイケル・ファスベンダーを眺める映画でしたね。ちゃんとファンサービスのためか上半身裸になりますし。

もちろんイーグルダイブとアサシンブレードでのバトル&アクションが見られればそれで大満足だ!という人なら充分なクオリティです。映像だって安っぽくないし、しっかり作りこまれており、VFXや美術チームの意気込みを感じます。

一方で、一番致命的なのは、映画というかたちで映像化したことで、もともと原作から抱えている世界観設定の「あれれ」な部分が余計に浮き上がってしまった気もします。

マイケル・ファスベンダーが機械に繋がれて独りアクションしている光景は、どう見てもシュールですよね。それを見ている博士一行は主人公が体験している世界で起きていることをどうやって視認しているのか、さっぱり謎でしたし。「ジャンプ!」とか指示してたけど、記憶を追体験しているだけなら、指示の意味ないのでは?とも思ったりも。

このあたりはゲームだと上手い具合に誤魔化し誤魔化しでスルーしてきた矛盾点なのですが、映画として映像化するのはやはり嘘をつきづらくなるわけで…。

というか、別にこんな大仰なことしなくても、そんだけ科学技術があれば秘宝のありかを知ることはできたんじゃないかという根本的なツッコミは…してはダメなんですけど、でも目立っちゃうな…。

ゲームと映画という2つのメディアのエンターテイメント性の本質的な違いを再確認させられた感じでした。なんかこう、もう少しジャンルとして振り切っていれば違ったファン層を獲得できたかもしれないのに、全てがヒットしないで終わってしまった映画でしたね。続編はなさそうですが、アイディアがある人は懲りずにまた映画化に挑戦してほしいです。

『アサシン クリード』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 18% Audience 43%
IMDb
5.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 3/10 ★★★

作品ポスター・画像 (C)2016 Twentieth Century Fox and Ubisoft Motion Pictures. All Rights Reserved.  アサシン・クリード

以上、『アサシン クリード』の感想でした。

Assassin’s Creed (2016) [Japanese Review] 『アサシン クリード』考察・評価レビュー