コリン・ファースとスタンリー・トゥッチの共演…映画『スーパーノヴァ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス(2020年)
日本公開日:2021年7月1日
監督:ハリー・マックイーン
恋愛描写
スーパーノヴァ
すーぱーのば
『スーパーノヴァ』あらすじ
サムとタスカーは互いを想い合う20年来のパートナーで、ともにユーモアや文化を愛し、家族や友人にも恵まれ、幸せな人生を歩んできた。今はイギリスの湖水地方を車で旅している。ところが、タスカーにはすぐそこまで大きな苦しみが迫ってきており、2人で歩む人生は思いがけず早い終幕を迎えることとなる。最後の最後までどう生きるか。それぞれが相手の心を探り合う中で2人は、ある決断をするが…。
『スーパーノヴァ』感想(ネタバレなし)
イギリスと同性愛の歴史を感じつつ…
2021年6月23日、イギリスで新50ポンド紙幣が発行されました。この日であることには意味があります。それはこの新紙幣に描かれた人物の誕生日だからです。その人物とは「アラン・チューリング」。第2次世界大戦中の暗号解読者であり、そのずば抜けた才能は当時の諜報に大きく貢献しました。そこでの実績は戦争のみにとどまらず、後のコンピュータの誕生に重要な役割を果たしたと言われています。しかし、彼は自宅で死亡しているのが確認されました。自殺と考えられています。
アラン・チューリングがなぜ死に至ることになったのか。実は彼は同性愛者であり、亡くなる前にゲイであることを告発され、有罪となり、矯正するべく“治療”を受けさせられていました。その顛末は『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』という映画にもなっています。要するに同性愛差別が死を招いたわけです。
イギリス政府はこの悲惨な差別が招いた結果をそれからずいぶんと年月が経ってから謝罪し、ようやく2013年に正式に恩赦となりました。そしてこの新50ポンド紙幣の肖像画というわけです。あまりにも長すぎる名誉回復の道のり。イギリスの同性愛差別の歴史も決して順調ではなく、やっと光が見えた感じでしょうか。
そんなことを考えつつ、このイギリス映画も観てほしいものです。それが本作『スーパーノヴァ』です。
本作は相も変わらず日本の公式サイトでは禁止ワードにでもしているのか触れることもされていませんが、れっきとした男性同士の同性愛を描いた作品です。
ゲイを描くもの自体は今のイギリス映画では騒ぐほどに珍しくもないですが、本作は中年男性(ほぼ高齢者に差し掛かっている感じだけど)を主役にしているという点で希少かもしれません。最近であれば(アメリカだけど)『フランクおじさん』といった映画もありましたが、そうしたゲイの中年男性を主軸にするのは珍しく、どうしても近年は青春を描ける若い子にフォーカスしがちです。
それにしてもこの『スーパーノヴァ』、主役のゲイ・カップルを演じるのが“コリン・ファース”と“スタンリー・トゥッチ”であり、なんかもうあからさまに“おじさま”俳優好きファン層を鷲掴みにしようという雰囲気がプンプンしますね。“コリン・ファース”と言えば『キングスマン』シリーズでおなじみの現実でも紳士として知られる俳優であり、最近は『喜望峰の風に乗せて』や『1917 命をかけた伝令』でも活躍。“スタンリー・トゥッチ”は俳優業で多数の作品に出てきましたが、2017年に『ジャコメッティ 最後の肖像』を監督するなど、仕事の幅を広げています。この『スーパーノヴァ』はそんな2人をひたすらにたっぷりと眺めていられる至福の時間を提供してくれる(しかもイギリスの美しい湖水地方の風景とともに)、ヒーリング映像みたい…。
でも本作は悲劇を描いているのですが…。ただし、悲劇といってもゲイゆえに差別にあって悲劇が起きるわけではありません。これは強調しておかないといけないですけど、本作はゲイだからこその悲壮感を映すものではないので、そういうお約束な感じではないです。じゃあ、何の悲劇なのかというと、それはネタバレになるので後半の感想で…。
とにかく「同性愛だからという理由で悲しい目に遭う物語はもう見たくないな…」と思っている人も本作は大丈夫でしょう。
監督は“ハリー・マックイーン”。俳優をしていた人ですが、2015年に『Hinterland』で監督デビュー。『スーパーノヴァ』では脚本も担当。私は“ハリー・マックイーン”監督の映画はこれが初見なのでワクワクです。
静かで詩的な物語がゆったり進みます。劇場で邪魔されることなく全身で映画を体感するのがベストでしょう。
オススメ度のチェック
ひとり | :じっくり堪能しよう |
友人 | :場を乱さない相手と |
恋人 | :パートナーとの愛を深める |
キッズ | :大人向けのドラマです |
『スーパーノヴァ』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):男と男の旅路の終わり
1台のキャンピングカーがイギリスの田舎を走り抜けています。ハンドルを握るサムは助手席のタスカーに話しかけます。ボーっとしている感じのタスカー。眼鏡がどこにいったのかとキョロキョロし出しますが、頭の上にあることをサムが教え、タスカーは眼鏡を戻します。
今、2人は旅の最中でした。本来はピアニストであるサムの巡業の最中であり、目的地に向かうだけ。しかし、2人はこれを良い機会に道中を楽しむことにしていました。タスカーは作家ですが、もうしばらく筆をとっていません。
サムはナビを使おうかと提案しますが、タスカーは頑なに紙の地図を使う気のようです。
ダイナーで食事。タスカーは全然食べておらず、皿にほとんどが残っています。
そしてまたサムの運転で走りだしますが、タスカーは地図を膝に乗せて眠ってしまいました。振動で頭が揺れても起きないほどにぐっすりです。サムは起こすことなくそのまま走り続けます。
また道中で停車。今度は買い物。しかし、サムが店から駐車場の車に戻ってくるとタスカーの姿が見当たらないことにすぐに気づきます。電話を鳴らすも車の中に置きっぱなしなのか、全然コンタクトとれず。見える範囲の周囲にもいません。
サムは藁にも縋る思いで狭い森の道を車で走っていきます。タスカーは見つかりました。犬とたわむれており、そばには車。誰かの車を盗んでしまったようです。急いで駆け付けてサムは抱きしめます。心底安心したように…もう離したくないように…。
またもキャンピングカー。いろいろあった今日はここで泊まります。サムは食事を作っていました。社内のキッチンで玉ねぎを切りながら、そのせいで涙が出たように振舞うサム。けれどもトイレにこもるとタスカーに悟られないようにひとり悲しみに沈みます。
タスカーに寄り添い、口づけ。今日の行動についてサムは気にしないようにタスカーに言います。実はタスカーは認知症でした。ときおりこうやって予想外の行動に出てしまいます。ゆったりと病気は進行していましたが、何が起きるかは当人もわかりません。さらなる悪化を懸念するタスカーでしたが、サムからは何も言えません。
静かに車内で夜を過ごす2人。乏しい明かりの中、不安そうな互いの顔を視界に入れつつ、時間だけが過ぎていきます。
翌日。また車は走行。運転はもちろんサムです。着いたのは雄大な自然が見渡せる場所。車を停め、2人は降りて、肩を寄せ合います。どこまでも続く水辺、山々、空。ちっぽけになったような気分になります。
夜。外で語り合う2人。ここでは2人だけ。2人はベッドで横になり、肩が触れ合う程度の狭さですが、気にもしません。上向きに寝ると星座早見表が見えます。電気を消して眠りにつき…。
翌日。やはりまた走るのみ。そして一軒の家に到着します。そこはサムの妹の家でした。家族は温かく迎え入れてくれます。2人の関係も、タスカーの病気のことも知っています。
ここでの宿泊は昔のサムの部屋。2人が寝るのには狭すぎるベッドで、落っこちたりしてふざけあいながらも、やはり2人の時間を満喫します。
しかし、サムがあるものを見つけたことをきっかけに、タスカーの本音がわかってしまい…。
同性愛にはしっかり触れている
『スーパーノヴァ』の(日本語圏の)他の人の感想や批評をあまり見ずにこの記事を書いているのですけど、きっと一部の人たちの中には本作を「普遍的な愛」とかでいかにも綺麗そうに綴るでしょう。もしかしたら同性愛についてことさら触れていないのが良い…みたいに書いているかもしれません。
しかし、本作はかなり直球で同性愛に触れている作品だと私は思います。
まず冒頭のファーストカットで、2人の男性が裸でベッドで抱き合って寝ているシーンで始まるわけで、この一発で「ゲイです!」と宣言しているようなものです。これ以上のわかりやすさもないでしょう。
そしてとくに説明もなくキャンピングカーでの移動のシーンに移ります。乗っているのは「Auto-Trail」というイギリスのキャンピングカーで、就寝定員がどうなっているのかは知らないのですけど、大の男が2人でこのスタイルで旅するあたりで、2人の親密な関係が伝わります。決して一晩の関係ではなく、長年を共にしてきたパートナーだということがです。
ここでの会話も大事です。タスカーはカーナビの声と口調がマーガレット・サッチャー(イギリスの元首相)みたいに聞こえることに不快感を露わにし、それでナビを使いたがりません。サッチャーと言えば同性愛者にとっては嫌いも嫌い、もはや天敵みたいな存在です。なぜなら同性愛への差別的な政策を実行したことで知られており、当時はイギリスの同性愛をめぐる世間の反応はセンセーショナルに煽られるばかりでした。イギリスにおける同性愛コミュニティからのサッチャーの評価については、『世界に嫌われる男 ピーター・タッチェル』というドキュメンタリーを観るといいですし、当時のコミュニティがどう戦ったかを知りたければ『パレードへようこそ』などの映画があるのでオススメです。とにかくこの短いセリフからでも、この2人がゲイで、長年イギリスで連れ添ったことがわかります。
そんなこんなでタスカーがある問題行動を起こしつつ、その日の夜、車内で2人は優しく口づけを交わします。ここに関しては言うまでもないですね。
『スーパーノヴァ』は俳優も監督もゲイ当事者ではないですが、だからなのかはわかりませんが、結構わかりやすいパーツをあちこちで提示して「これはゲイです」とアピールしていた感じもします。ステレオタイプに頼らずに非当事者でもここまで自然にゲイを描くあたりは時代の進歩なのかもしれません。
作中の2人は20年来のパートナーということですが、2人の年齢が60歳程度だとして、40歳程度でパートナー関係になったのか。イギリスで同性愛結婚が認められたのは2014年なのですが、少なくとも2人の生活には差別がいつもあったのは確かでしょう。
本作は差別を直接的に描いていませんが、あの言葉少なげな2人の人生史には間違いなく暗い時代があって、それを2人で必死に乗り越えてきた。その苦労があるからこそ、別れというものが強く悲しみをもたらします。まだ差別によって引き離されるなら闘えばいいのですが、今回はそういう相手でもないですから。
病気とともに描くことの重要性
『スーパーノヴァ』はゲイの中年男性に悲劇が舞い降ります。そういう構図であれば同じく“コリン・ファース”主演の『シングルマン』を思い出しますが、『スーパーノヴァ』はゲイであることが悲劇の引き金にならず、ましてやよくありがちなエイズでもありません。他の外部要因が立ちはだかります。
それは認知症、とくに本作では若年性認知症ということになっています。つい最近も『ファーザー』という認知症の恐怖を当事者視点で描くという凄まじい挑戦作がありました。
若年性認知症に苦しむ中年を描くと言えば、『アリスのままで』(2014年)が評価も高く、あちらでは子どもを含めた家族の支えが描かれていました。
しかし、『スーパーノヴァ』のタスカーはゲイということで、少なくともこの2人に関しては子どもに恵まれた家庭を築いてきたわけではありません。サムの家庭は親身ですが、タスカーの家庭はそうではなかったのかもしれません。詳細は描かれないのでセリフだけで推測するしかありませんが、性的少数者が何らかの闘病生活をしなくてはいけないことになったときの、マジョリティと比較しての立場の弱さというものが、本作でもしっかり映し出されていたのではないかな、と。
映画自体は淡々としています。男同士で最期についてモヤモヤを抱えながら一緒に過ごす映画としては『パドルトン』みたいな空気も漂います。『スーパーノヴァ』はロードムービーでありつつ、最期をどう迎えるかを考える実存的危機への対処の物語です。
イギリス映画ながら主演の“スタンリー・トゥッチ”はアメリカ人なのですが、実は2009年に乳がんによって妻を失っています。おそらくその現実で経験した喪失感を演技にも反映しているのでしょう。“コリン・ファース”と役柄を交代したそうですけど、それも納得の配置でした。
私は「性的少数者+病気(障がい)」という組み合わせの映画はもっと増えるべきだと思っています。例えば、摂食障害に苦しむゲイとか、乳がんと向き合うレズビアンとか、自閉症と共に生きるバイセクシュアルとか、下半身不随を抱えるトランスジェンダーとか、アルコール依存症からリハビリしようとするアセクシュアルとか…。それが以前として乏しいのは、現状のLGBTQ映画が「LGBTQは健全です!」というメッセージに走りやすく(特定の性的指向や性自認が病気扱いされてきた歴史的事実があるのでそれも大事なのですが)、なかなか複雑な設定を背負い込んだキャラクターを物語る余裕がないからなのかもしれません。
この領域を開拓するたびはまだまだスタートしたばかり。『スーパーノヴァ』はその最初の数キロを走った程度ですが、この走行を無駄にしたくはありませんね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 88% Audience 69%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2020 British Broadcasting Corporation, The British Film Institute, Supernova Film Ltd.
以上、『スーパーノヴァ』の感想でした。
Supernova (2020) [Japanese Review] 『スーパーノヴァ』考察・評価レビュー