コーエン兄弟は何を見せる?…Netflix映画『バスターのバラード』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2018年)
日本では劇場未公開:2018年にNetflixで配信
監督:イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン
バスターのバラード
ばすたーのばらーど
『バスターのバラード』あらすじ
アメリカ開拓時代。この土地には、いろいろな人間がいて、いろいろな思惑を抱えているが、必ずしも上手くいくとは限らない。それでも、最後に行き着く場所は決まっていた。これは今だけ語ることができる、それぞれのストーリー。
『バスターのバラード』感想(ネタバレなし)
コーエン兄弟がやってきました
あの著名な映画監督の新作がNetflixで独占配信だって!?…もうそんな言葉は聞き飽きましたよね。そんなことで驚くのは昔の話。今では次から次へと名だたる監督が「ネット配信」という世界に足を踏み入れているのが日常化しました。
ただ、いまだに誤解があるのであらためて説明しておきますけど、「Netflixオリジナル作品」と銘打ってあっても、それは必ずしも映画自体がNetflixの製作体制で作られたことを意味しているわけではありません。なかには大手の映画会社が制作し、劇場公開を予定していたものの、興行収入が見込めないので、全地域(もしくは一部地域)の配給権をNetflixに売ったものもあります。映画会社にしてみれば、手堅くほどよい利益で手を打ったかたちであり、Netflixにしてみれば、棚からぼたもちで良い買い物ができた…そんな感じです。「Netflixオリジナル作品」というのは、“ネット配信では”Netflixが独占配信していますよという意味です。
ともあれ、そんなイマドキの流れにこの人も参入しました。
“ジョエル・コーエン”と“イーサン・コーエン”のコーエン兄弟です。
映画ファンなら知っていて当然クラスの超有名監督であり、あまりブロックバスター大作など商業性に傾倒せず、インディペンデント精神でもって、クラシカルなアメリカ映画スタイルに独自のセンスを組み合わせた名作を生み出す、控えめに言って“才能ある”兄弟。
そんなコーエン兄弟がNetflixで新作を…というのは正直意外でした。というのも、『ファーゴ』や『ノーカントリー』などアメリカ映画史に残る作品を作った彼らですが、どちらかといえば保守的な映画伝統を重んじるタイプだと思ったので、このインターネット時代の覇者であるNetflixは邪道だと考えるのではと。
でも、Netflixは映画制作に関して自由な現場を約束してくれるので、独自の作家性があり、挑戦が好きそうなコーエン兄弟には合っているという側面もあるのかもしれません。
そのコーエン兄弟のNetflixとタッグを組んで生まれた最新作『バスターのバラード』は、なかなかの異色作。当初は、映画を予定しておらず、6つの作品のミニシリーズだったものを、紆余曲折あり、6章構成の西部劇アンソロジーとして一本化したという映画です。こんな過程でもすんなり製作が進むのもNetflixならでは。
ネットと言っても普通にテレビの大画面でも鑑賞できるのですが、やはり映画館で観たいもの。今作はなんとネット配信前に限定で劇場公開されたというのも特筆されます。しかし、アメリカの話。残念なことに日本ではそんな話はなく…。まあ、日本の映画館のシステムは、ただでさえ海外作品の公開が本国から遅れに遅れることは映画好きの悩みの種でしたし、Netflixの映画を劇場公開する余裕はないのかもしれないですけど…。
そんな愚痴は置いといて、コーエン兄弟の新作です。見ない手はありません。相変わらず監督らしいサスペンスの中にシュールなブラックユーモアも織り交ぜてきていますし、今作は2018年のヴェネツィア国際映画祭では脚本賞を受賞しただけあって、シナリオにも捻りが光っています。
ネタバレにならない程度で説明すると、6章構成で本を読むように物語が一話ずつ語られていきます。毎回、各物語が開始する前に本の挿絵と文章が示されるので、その内容がどういうふうにストーリーに現れるのか楽しみにすると良いと思います。
6つの物語につながりはありませんが、最後の物語だけ、本作を総括するような仕掛けもあるのでお楽しみに。
『バスターのバラード』感想(ネタバレあり)
The Ballad of Buster Scruggs
「手を見たならそれでやれと鼻であしらった」
最初の物語は映画のタイトルでもある「バスターのバラード」。いきなり超陽気で、頭のオカシイ男の話です。軽やかに歌いながら、周囲を煙に巻き、邪魔な奴は軽口を言いながらも容赦なく殺す。しかも、カメラ目線で観客に話しかける。完全に『デッドプール』を思い出す、なんでもありな主人公。
しかし、その主人公も最後の決闘ではいとも簡単に死亡。なんの猶予も、情緒もなく、一瞬でした。そして、昇天して天使になってもなお歌を歌う陽気さは忘れない。
最初の物語からコーエン兄弟節が炸裂していましたが、人がアホみたいに死ぬ場面(賭け事シーンでの机を駆使した強制自分撃ち、1回目の決闘の指全部撃ち)が最高に気持ちよく、「ああ、人が死ぬって素晴らしい」とサイコパスみたいな感情の高揚を感じました。
バスター・スクラッグスを演じた“ティム・ブレイク・ネルソン”も良くて、この本作の中では一番長編映画化してほしいお話でした。
Near Algodones
「ヘタクソ!と老人は叫んだ」
2つ目の物語の舞台は、荒野にポツンと建つ銀行。明らかに変な立地ですけど、たぶん銀行なんでしょう。そこへひとりのカウボーイがやってきて、窓口の男が対応。この窓口の小柄なオッサン、やたらとしゃべってきてトークが止まらない(役名が「Teller」なのがまた皮肉)。強盗にあった話なんかをしていると、このカウボーイも強盗でした。そんなこんなで窓口係が痛い目みるのかと思ったら、予想外の臨戦態勢。最強アーマー(家庭でも作れます)を身につけ、カウボーイに突撃。
目覚めた時には、死刑が決まったばかりで、先行で縄で首をつってくれていたサービスつき。しかし、そこへどこからともなくネイティブアメリカン。周囲を殲滅し、満足気に帰り、取り残されたカウボーイは、乗っている馬が動くと首が絞まるので必死に耐えます。時間経過とともにどんどんキツイ体勢になり、やっと通りすがりの家畜商人が助けてくれたと思ったら、また御用。
また首に縄の状態。同じく絞首刑待ちの隣で泣いている男に「初回か?(First Time?)」と余裕な主人公が本作のベストセリフかもしれません。命の終了まであとわずか、群衆に美しい女性を見かけ、一瞬、気持ちがゆらいだ瞬間、あっさり絞首刑。
主人公を演じた“ジェームズ・フランコ”は、ほぼ“やられやく”でしたね。
もうこの時点で観客は「あ、これ、毎回、主人公が死ぬパターンなんだな」とこの映画のルールがわかってきたはず。
Meal Ticket
「慈悲は強いられることなく優しい雨のように天から降り注ぐ」
3つ目の物語は雰囲気が変わり、各地を渡り歩いて見世物をする男が主人公。陽気な不思議マジックショーとありますが、陽気さは欠片もなく、ステージに登場したのは手足のない若い青年。そして、手足のない男が語りだす、語る、語る、まだ語る。内容は割とシリアスなことばかり。どこからへんが不思議なのかは不明ですが、とりあえず客はぼちぼちな状態。
あるとき、計算するニワトリの芸が好評な現場を目撃し、座主の男は、そのニワトリを買います。そして、ニワトリと荷車に乗る手足なし青年でしたが、進路にはボロボロな橋。下の川の深さを確かめに行った座主の男は複雑な顔で帰ってきます。すると、次のカットでは、荷車にはニワトリだけが乗っている。
おい。いや、何が起こったのか、あえて書かないですけど、おい。1話目と2話目を軽々超える最低ストーリーじゃないか。毎回、主人公が死ぬパターンなのはわかってましたけど、もしかしてどんどんその結末が悪趣味になっていく展開なのか? だとしたら…面白いじゃないか(コーエン兄弟にまんまと乗せられている)。
座主を演じた“リーアム・ニーソン”のクソ野郎っぷりが忘れられません。こういう役もいいですよね。
All Gold Canyon
「大地のどこにも人の気配や細工は見当たらなかった」
続いての4つ目の物語は、金を探し求める男の話。自然豊かな川の近くで、まだ見ぬ金塊地帯(ポケット)の存在を確信する孤独な男は、ひとりで一心不乱に穴を掘ります。結構、考えて穴を掘っており、位置を変えながら、お目当ての黄金を突き止めようと汗を流す男。
察しの良い観客であれば、「あ、これは金塊が見つかった瞬間、死ぬな」と結末の予想がついてしまうもので、あとは3話目を上回る凄惨なことになるのかと、ハラハラワクワクしながら見守るだけ。
そして、案の定、輝く金塊地帯を発見したとき、背後に殺意が。男はあっけなくよくわからない別の男に撃たれた倒れるのでした。こうやって夢半ばで死…と思いきや、実は生きていて、襲撃者に反撃して逆に殺してみせるという意外な展開。「大変な作業だけさせて、後ろから撃ったな」と怒り心頭ながらも、大丈夫そうで、金をいっぱい手に入れて、立ち去っていくのでした。
運命を覆しやがった…。こうなってくると、観客ももうわかりません。コーエン兄弟に弄ばれているだけです。
The Gal Who Got Rattled
「アーサーはビリー・ナップに合わせる顔がなかった」
5つ目の物語。邦訳では「早とちりの娘」というタイトルですが、全然そんな可愛い言葉でどうこう言えるものじゃなかった…。
兄と一緒にオレゴンに出発します。そこでもしかしたら結婚相手がいるかもしれません。そんなアバウトな旅路に出たアリスと兄のギルバートですが、道中で兄は病死。右も左もわからない世間知らずの少女は、途方に暮れてしまいます。
とりあえず旅仲間のナップに相談すると、なんだかんだで結婚してくれて、人生が再スタートできそうな雰囲気に。
流されるままになんか生きているアリスは、「ピアース大統領」という名の犬とプレーリードッグに爆笑していると、アーサーが駆け付けます。すると、どこからともなくネイティブアメリカン。集団戦が勃発。絶体絶命だ、助かる可能性は低い、終わりだと思ったらこの銃で自分を撃て、捕まったらレイプされて酷い目に遭う…そう言われて顔面蒼白なアリス。いざ、戦闘開始。プレーリードッグの穴トラップが功を奏したのか、意外に勝ってしまうアーサー。後ろを振り返ると、すでに自決済みのアリスの亡骸が…。
「撃たなくて良かったのに」。本当ですよ。落として上げてまた落とす。コーエン兄弟のストーリーテリングのトラップにハマっている私。
The Mortal Remains
「聞こえなかったのか御者は減速しなかった」
最後の物語は少し変わっています。ほとんどが馬車の中の会話劇になっており、登場人物は5人(厳密には死体と御者がいるので7人)。
非常に地味ですし、とくに今までの物語と比べて大きな出来事は起こらず、何より誰も死にません。唯一の女性が発作を起こしたときは、「これでオチなのか」と思いますが、普通に何事もなく、目的地に到着。「これ、なんだったんだ?」と思ってしまう物語です。
しかし、よく話の内容や着いた先を考えてみると、この馬車はあの世に向かっているものだということが推察できます。乗っていた男の二人組は「命を刈りとる者」だと名乗り、狩り人は「賞金稼ぎか」と納得しますが、どう考えても不気味。まさに死神です。
その死神風な男の話も、「話の中の登場人物と自分を結びつけてしまう。でも結局は自分じゃない」「(ターゲットが)あの世へ移る過程で理解しようとする姿。それがたまらない」と、明らかに本作を観ている観客を代弁するようなメタ的な発言をしています。
そしてたどり着いた屋敷も、中は階段の先は光で眩しく、まるで昇天しているかのよう。
まさにこのアンソロジーの最後を飾るにふさわしいオチでした。
総括して思うのは、やっぱりコーエン兄弟は話運びが上手いなと。アンソロジーでさえもここまで面白くさせるのは凄いと思いますし、お手本のような作りではないでしょうか。
どんな媒体で鑑賞できる映画であっても、巧みな人が生み出す作品の面白さは不変的なんだなと痛感する一作でした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 91% Audience 69%
IMDb
7.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)Netflix
以上、『バスターのバラード』の感想でした。
The Ballad of Buster Scruggs (2018) [Japanese Review] 『バスターのバラード』考察・評価レビュー