感想は2100作品以上! 検索はメニューからどうぞ。

『ボンベイ・ローズ』感想(ネタバレ)…Netflix;インドのアニメ映画は愛を言葉にしない

ボンベイ・ローズ

インドのアニメーション映画は愛を言葉にしない…Netflix映画『ボンベイ・ローズ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Bombay Rose
製作国:インド(2019年)
日本では劇場未公開:2021年にNetflixで配信
監督:ギタンジャリ・ラオ
恋愛描写

ボンベイ・ローズ

ぼんべいろーず
ボンベイ・ローズ

『ボンベイ・ローズ』あらすじ

多種多様な人が入り乱れるように集まるインドの都市。ひとりの女性は健気に家族を支えるべく働くばかりの日々で、自分の幸せを考える余裕はない。また、あるひとりの男性は宗教的な軋轢の中で自分の意味を見い出せない。そんな彷徨いながらも夢を追う若い2人の間に芽生えた愛。だがその行く手に、簡単には乗り越えられない大きな壁が立ちはだかる。現実は映画のようにはいかないとわかっているはずなのに…。

『ボンベイ・ローズ』感想(ネタバレなし)

スポンサーリンク

インドのアニメを知っている?

「公的発言におけるジェンダー差別を許さない会」が2020年の政治家ワースト性差別発言を発表しました。堂々の1位は、党本部の会合で性暴力被害者支援に関して自民党の杉田水脈衆院議員が口にした「女性はいくらでもウソをつける」発言が選ばれました。

また、最近は男女共同参画担当大臣を務める丸川珠代議員が選択的夫婦別姓制度を支持しない行動をとっていたことも問題視され、世界的に報道されました。今や日本の女性差別ネタは格好のワールド・ニュースです。女性ですらこうも女性差別に加担している状況は日本のヤバさの証左です。

ただ、こんな不愉快極まりない態度ばかりの女性を取り上げるだけだと、なんとも失望が広がるのみで喜ばしくはありません。本来ならもっと女性にエンパワーメントを与えられるお手本になるような女性をいっぱい紹介したいところ。

ということでこんな女性をピックアップしたいと思います。その人の名は“ギタンジャリ・ラオ”。この人は1972年生まれのインド・ムンバイ出身の女性。若い頃から芸術を学び、とくにアニメーターとして大きな成功をおさめます。

インドにおけるアニメーションはあまり知らないと思います。どうしてもインドというと実写映画のイメージが強いですし、事実、市場では実写映画が圧倒的に支配的です。

そんな中で“ギタンジャリ・ラオ”は2006年に『Printed Rainbow』という短編アニメーション作品で注目を集めます。孤独な老女を描いたこの作品は高く評価されました。

とても独特な視点を持つ才能の持ち主で、インドのクリエイティブな世界でも個性を放っていると思います。“ギタンジャリ・ラオ”がメディアのインタビューで最近観た印象に残ったアニメーション作品として高畑勲監督の『かぐや姫の物語』と『レッドタートル ある島の物語』を挙げていたのですが、確かに高畑勲イズムのあるセンスを持っている感じもします。

インドは何かと男尊女卑の国だと見られがちですが、こうやって才能を輝かせている女性クリエイターがいるということも覚えておきたいです。

その“ギタンジャリ・ラオ”が長編アニメーション映画として創り出したのが本作『ボンベイ・ローズ』です。

本作は“ギタンジャリ・ラオ”監督が2014年に発表した『True Love Story』という短編映画のストーリーを一部素材として流用し、長編化したような作品となっています。

物語はインドの街で出会った2人の男女のロマンスという王道なもの。なのですがそこにインド社会への風刺や創作物へのシニカルな目線もあったり、とてもユニークな存在感を放っており、“ギタンジャリ・ラオ”監督の作家性がこれひとつに集約されていると言えるような…。

ちなみに『ボンベイ・ローズ』のヒロインの声を演じている“サヤーリー・カレ”という人は、音楽家なのだそうで、本作でも音楽を担当しています。音楽要素も重要になってくる作品ですね。

最近は『FUNAN フナン』『失くした体』『幸福路のチー』『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』など各国のアニメーション映画を観られる機会がたびたびありますけど、それぞれその国の特色がよく出ており、舞台となった地域の背景も知れて、いつも面白い体験ができるものです。この『ボンベイ・ローズ』もその期待に応えてくれます。

とは言っても私もインドにはまるっきり疎いので、後半の感想では自分なりに調べた範囲で本作の背景を解きほぐしていっています。

今回の『ボンベイ・ローズ』は運よくNetflix配信となりましたので、この貴重なチャンスに感謝しつつ、インドのアニメーションに触れてみませんか。

スポンサーリンク

『ボンベイ・ローズ』を観る前のQ&A

Q:『ボンベイ・ローズ』はいつどこで配信されていますか?
A:Netflixでオリジナル映画として2021年3月8日から配信中です。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(海外アニメ好きなら)
友人 ◯(インドが好きな人同士で)
恋人 ◯(趣味が合うなら)
キッズ ◯(やや大人向けですが)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ボンベイ・ローズ』感想(ネタバレあり)

スポンサーリンク

あらすじ(前半):引き寄せるバラの香り

サングラスをかけた、シャツをはだけた筋肉男が、不届きな野郎どもに捕まった美女を助けに颯爽と現れ、敵となる男を拳でなぎ倒していく…。鉄拳制裁の餌食となった男たちになすすべはなし。どんどんぶち倒されて、やがては起き上がるものはひとりもいない。

これは現実…ではなく、映画のワンシーンです。ここは映画館。真っ暗なシアターで、大勢の観客はスクリーンで繰り広げられる見どころの場面に総立ちで大盛り上がり。周囲もお構いなしで、自由に歓声を上げたり、応援をしたりします。これがインドの映画館の日常。

そして映画の物語内では、ヒロインとのハッピーエンドに歓声を…と思ったら、キスシーンで映像が乱れます。肝心のラブシーンは雑にカットです。

「また検閲か」と観客は口々に不平不満を放ち、席を離れて出ていきます。これもまたインドの映画館の日常。

そんな一方で、別の場所では選り取り見取りの品々が並ぶ市場で買い物をするカマラという若い女性がいました。いつもの知り合いの店の女性と話し込みます。その女性はカマラの身寄りを気にかけてくれています。カマラはまだ結婚をしていません。そのつもりもとくにありませんでした。その女性も「結婚なんて面倒なだけだよ」と言ってきます。

そこへ妹のタラが元気にかけよってきます。タラはその店の女性から「爆竹ちゃん」と呼ばれており、活発な子です。学校で一番になったらしく、自慢してきます。

しかし、全ての子が学校に通えるわけではありません。この店の女性の子について「サミールは?」と聞くと「家から出さない」「警察が怖いから」と答えてきます。学校に行かないからといって店で仕事させるわけにもいかないのです。今は警察による児童労働の取り締まりも厳しくなっています。

タラはお世話になっているドゥスーザ先生のもとにひとりで向かいます。その道中、タラは後退するトラックに轢かれそうになった猫を助けようとしますが、代わりに少年が助けてくれました。その少年に「英雄だね」と声をかけるも無視です。何も話しません。どうやら聴覚に問題があるようで、聞こえていないようです。

そんなこともありつつ、タラはシャーリー・ドゥスーザのもとへ。その人は未婚の老人の女性であり、「ミセスじゃなくてミスだよ」「ここでは英語を話すこと」と言ってきます。

クラスで一番になったことを自慢げに語るタラを褒めてくれるドゥスーザ。そのまま一緒に外へ。向かうのはお墓。そこにバラを供えます。警備員にまだバラが盗まれたと文句を言いますが、たいして対応はしてくれません。ドゥスーザは自分の過去を思い出します。

カマラの方は、自分の祖父のもとに戻りました。この祖父が孫娘2人を連れて街に出てきたのであり、祖父も時計修理店をしているものの、今はカマラが家計を支えています。実はカマラはひっそりと踊り子としてバーで働いていました。

祖父は「私はお前に夢を託した。学校を卒業して結婚を…」と呟きますが、その言葉を遮るカマラ。それでも「お前は海へ行け」と祖父は何かを託すように語ります。

そこに道路を挟んで向かいの嗅ぎたばこ店の前で花束を売る男・サリームがたまたま使いっぱしりとして近づいてきます。サリームはカマラに目をやります。こうして2人は意識し合うことになります。

頻繁に語り合うなんてできません。ただ店と店、その道路を境界にするかたちで、ときどき視線を交わし、互いを認識するだけ。それでもサリームにとってカマラはかぐわしい匂いを放つバラのように夢中にさせるものがありました。自分は引き寄せられる虫…。

しかし、別の男につきまとわれていたカマラに困った事態が起きてしまい…。

スポンサーリンク

インドの言語を知る

『ボンベイ・ローズ』について感想を語る前に、インドの言語の話。

インドの映画を理解するうえで「言語」はとても大事です。でもこれが意外にも難しい…。

そもそもインドの公用語は何でしょうか。「インド語?」なんて答えたら笑われますが、「知ってる、ヒンディー語だ!」と自信満々に言ってもそれは正解ではなく…。まあ、私もよく知らなかったのですけどね…。

確かに連邦政府の公的共通語として「ヒンディー語」「英語」が定められています。英語なのはもちろんインドが以前はイギリスの植民地支配を受けていた歴史があるからです。

ところが厄介なことに公用語はまだあるのです。それもかなりの数が。

まず最も話者の多い「ヒンディー語」は、主に北インドで話される言葉であり、つまり他の地域となると事情が違います。5つの州からなる南インドではそれぞれ言語があり、アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナ州では「テルグ語」、タミル・ナードゥ州では「タミル語」、カルナータカ州では「カンナダ語」…といった感じで、それぞれの州公用語があります。連邦憲法では22の指定言語を定めているそうです。これは多すぎる…。

インド映画を観ていると「テルグ語版」とか表記されていたりしますが、そうやって映画も地域の市場ごとに言語を変えてフォーカスしているんですね。

こうやって知るとインドは本当に多様性に富んだ国です。話す言語が違うというのは大きい部分。

でも私はわからない…。そう考えるとインド映画を観ていても言語のニュアンスとか、このキャラクターはこっちの言語を使って、別のキャラクターはあっちの言語を使うとか、そういう言語要素による作品の雰囲気・トリックを把握していないことになります。私はインド映画をちゃんと理解して観れているのだろうか、ちょっと不安…。

スポンサーリンク

言語に依存しない愛

そのインドの言語事情を踏まえると、この『ボンベイ・ローズ』、実はすごく言語が大事な要素になっている作品なのです(まあ、私もインドの言語を理解している解説者のおかげでわかったのですが)。

本作のカマラの家族の故郷はおそらく、作中で「リーワー川」の歌が出てくるとおり、マディヤ・プラデーシュ州。この州の公用語はヒンディー語なので、その言語が作中でも広く使われていますし、カマラの家族もヒンディー語を利用します。

しかし、それ以外の言語も頻繁に耳に入ってきます。

まず本作の舞台はマハーラーシュトラ州のムンバイ。ここの公用語は「マラーティー語」です。なので冒頭の店の女性はそのマラーティー語で話しかけてきます。また、タラが出会う“ろう”少年の雇用主は「タミル語」を話しており、出自がここではないのだろうということが推測できます。児童労働させているくらいですから貧しいのでしょう。さらに、作中で流れる曲は「コンカニ語」のものが使われてもいます。そして、タラとドゥスーザは英語で会話し、ここでは教養の高さを窺わせます。

これだけでも本作の世界が複雑な文化の重なり合いのもとに成り立っていることがわかります。

そしてここからが大事なのですが、本作は言語に頼らないコミュニケーションというものを強調するようなストーリーになっていきます。

例えば、カマラとサリーム。2人はその出会いから視線だけの奥ゆかしい愛の育みが続きます。ましてやサリームはカシミール出身のイスラム教徒(ムスリム)なので異教徒同士で安易に近づけません。

タラと“ろう”少年(ティプー)もまさしく言語を使わない手話のやり取りで仲良くなっていきます(このあたりでタラの教養の高さがあらためてわかる)。

また、もうひとつのカップルと言えるドゥスーザとその想い人もまた、ある種の言葉が届かない中での愛の成り立ちを描いています。

『ボンベイ・ローズ』が描いているのはこういう“言語に依存しない愛”なのでしょうね。

日本語字幕だとそういう言語の違いがまるで反映されないのが残念です。セリフの後ろに「(マラーティー語)」とか書いてくれるといいのだけどな…。

スポンサーリンク

女性のパワーに思いをはせて

『ボンベイ・ローズ』のもうひとつの特徴はその愛の着地。私は本作を鑑賞前は「どうせ異性愛ロマンスでしょう」といつもの感じだろうとややわかりきった顔を浮かべて観ていたのですが、全然違う方向性になったので恥ずかしくなりました。

カマラとサリームの愛は最終的にはサリームの死という悲劇で終わります。あの冒頭で描かれたようなインドの古典的なロマンチックなハッピーエンドにはなりません。ここにまず本作の皮肉的な目線があります。

さらにカマラはあの踊り子の仕事をばらすぞと脅してくるドバイ誘い野郎を完膚なきまでに拒絶するラストにたどり着きます。冒頭の映画のように男が男を倒すのではない、女が男を倒すオチ。自分の主体性を獲得するに至る物語だったのです。

つまり、『ボンベイ・ローズ』は表のパッケージではさほど目立っていないのですが、その中身は明確にフェミニズムな自立のストーリー。ああやって悲劇を乗り越え、クズ男を切り捨てるヒロインなんて、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』にかなり近いですよね。最近観た中だと、フィリピンのアニメーション作品の『ニャンてこと!』にも通じるものがある。女は“男女”じゃない、“女”で生きられるんだ!という躍動的なカタルシスです。

カマラ以外にもそのベタな愛を棄却する要素はいくつかあって、例えば、ドゥスーザというキャラクターは女性が結婚というシステムに頼らずとも生きられることの象徴であり、同時に愛という幻想に引っ張られる不安感も体現する、そんな存在です。また、タラは姉のサポートもあって学業でぐんぐんと成長しており、次世代を引っ張れそうな有望さがあります。未来の女性像ですね。

作中では終盤にカマラが王女のようなかたちで眼下の争いを見下ろすというイメージ・シーンが挿入されます。あれはおそらくムガル帝国とその城塞なのでしょう。ムガル帝国は16世紀初頭から存在し、やがてインド亜大陸の広大な世界を支配し、300年以上の繁栄を極めた帝国です。その帝国も国内の争いによってバラバラになり、とどめに海外からやってきたイギリスの一撃で轟沈していきました。そのかつての帝国の頂点に立つカマラの絵は既存の社会への再興を表現しているのでしょうか。

そう捉えると、偶然にも同時期に公開された東南アジアを題材にしたディズニー映画『ラーヤと龍の王国』に似た主軸を持つものになっていますね。どっちも女性にリーダーとしての“調和”という力を期待しているのですから。『ボンベイ・ローズ』は空想で終わってしまうのですが。

ちなみにこの『ボンベイ・ローズ』という作品のタッチ自体が、ムガル帝国時代に描かれた「ムガル絵画」の雰囲気に似ています。“ギタンジャリ・ラオ”監督のようにインドで芸術を学んだ者ならきっと普通に知っているインドの絵画文化なのでしょう。赤を中心に据えたカラーパレットのデザインバランスも美しく、“ギタンジャリ・ラオ”監督のアートセンスが光っていました。

気軽に観たつもりが予想以上にインド文化を濃厚に体験できる作品になりました。

『ボンベイ・ローズ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 88% Audience –%
IMDb
5.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Cinestaan Film Company ボンベイローズ

以上、『ボンベイ・ローズ』の感想でした。

Bombay Rose (2019) [Japanese Review] 『ボンベイ・ローズ』考察・評価レビュー