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『クリード 炎の宿敵』感想(ネタバレ)…クリード2は続編としてKO勝ち

クリード 炎の宿敵

クリード2は続編としてKO勝ち…映画『クリード 炎の宿敵』(クリード2)の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Creed II
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2019年1月11日
監督:スティーブン・ケイプル・Jr.

クリード 炎の宿敵

くりーど ほのおのしゅくてき
クリード 炎の宿敵

『クリード 炎の宿敵』あらすじ

伝説のボクサーだったロッキーの指導の下、厳しいトレーニングのすえ、世界チャンピオンに上り詰めたアドニスは、かつて父アポロの命を奪ったイワン・ドラゴの息子ヴィクターと対戦することになる。それは宿命の対決だった。

『クリード 炎の宿敵』感想(ネタバレなし)

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『ロッキー』はだから凄い

俺は以前はクズみたいな男だった
クズだったよ
そんなことはいい
試合に負けてもどうってことはない
脳天が割れてもいいさ
最後までやるだけだ
相手は世界一なんだ
最後のゴングが鳴ってもまだ立ってられたら
俺がゴロツキじゃないことを
初めて証明できるんだ

以上の文章は、『ロッキー』で主人公ロッキーが恋人のエイドリアンの横に寝ながら試合前に心情を吐露するときのセリフです。

スポーツといえば、勝ち負けや記録が大事とされます。それはビジネスでも政治でも学問でも、なんでも同じかもしれません。でも、『ロッキー』は最初からそれを重視した映画ではありませんでした。ありのままの自分を肯定してもらうこと…アイデンティティの話でした。

これは他所で散々語られていることであり、聞き飽きたと思いますが、『ロッキー』という映画は“シルヴェスター・スタローン”の半伝記的な内容であり、かつ彼のもうひとつの「if」の世界観のようなそんな作品です(スタローン自身はロッキーを「イマジナリーフレンド」と表現しています)。

イタリア系という血筋と言語障害によって映画界でチャンスをつかめず、ポルノ映画で食いつなぐしかなかった29歳の男。そんな男がふと思いつき、持ち込んだ脚本が、たまたま認められ、たまたま低予算で映画を作らせてもらえ、自身が主演にもなれた。言わばお情けのような機会。しかし、そこから“シルヴェスター・スタローン”の快進撃が始まる。

映画と出演俳優の実人生がシンクロしている作品は多く、最近だと『アリー スター誕生』がありました。

でも、それらはあくまで過去もしくは現在のシンクロ。『ロッキー』の場合は未来までもを引き寄せてしまったのだから凄いものです。こんな言葉は普段使うなら恥ずかしいだけですが、『ロッキー』に関してはハッキリ言えます。「運命」ですよ。

しかもです。その「運命」を次世代に継承してみせたのです。『ロッキー』シリーズのスピンオフ、いや、私は正統な継承映画と呼びたい、『クリード』シリーズ。“ライアン・クーグラー”という、これまたほぼ無名に近い人間を監督に抜擢し、『クリード チャンプを継ぐ男』は見事に成功。“ライアン・クーグラー”自身はその後『ブラック・パンサー』という超大作を監督し、こちらはこちらで新たな伝説を残していますし、スタローンは『クリード チャンプを継ぐ男』の名演で各所で助演男優賞に輝き、俳優としてのキャリアに花を飾る。

こんな完璧なストーリー、ありますか? こういう脚本を誰かが持ってきたら「都合よくできすぎでしょ~」とバカにしていると思いますよ。それくらい映画と現実が異常な相互作用を生み出した、とてつもない作品であり、私はこの『ロッキー』伝説があるから「運命」を信じたくなるのです。

そんな新たな伝説を描く新章『クリード』シリーズの第2弾、『クリード 炎の宿敵』

さっき“運命を信じたくなる”とかセンチメンタルなことを書いておいてなんですが、正直、この続編は上手くいくのかなと半信半疑な部分もあったというのはここに告白しておきます。やっぱり、そんな都合よく…と考えてしまうのですよね。

しかし、そんなチキンハートな私を殴り飛ばすかのごとく、本作はまたもやってくれました。はい、もう一生、ついていきます。私をサンドバックにしてください!

今作では監督は『クリード』1作目の“ライアン・クーグラー”から、その彼が所属していた大学の後輩の“スティーブン・ケイプル・Jr.”にバトンタッチしているという、ここでもプチ継承が起こっているのがアツい。

…テンションが高いままでクールダウンできない私ですが、来るもの拒まず、観たいなら観ろ、迷うなら観ろ、観たくないなら帰れ…そういうことです。

過去作を観たことがないのだけど…という人は、とりあえず最低限は『クリード チャンプを継ぐ男』だけ、できれば『ロッキー』の1作目から4作目を連続でおさえておくと良いと思います。

↓ここからネタバレが含まれます↓

『クリード 炎の宿敵』感想(ネタバレあり)

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続編として見事なファイト

本作『クリード 炎の宿敵』はシリーズ4作目だった『ロッキー4 炎の友情』の世代交代バージョンです(邦題も合わせているのがニクい)。

『ロッキー4 炎の友情』では、ロッキーの良きライバルであるアポロ・クリードがソビエト連邦から訪れたアマチュアボクシングヘビー級王者イワン・ドラゴを相手にエキシビションマッチで勝負。結果、試合に敗れるばかりか、死亡してしまうという非業の最期を迎えます。そして、そのリベンジとしてロッキーがイワン・ドラゴと対決し、勝利をおさめる。

この歴史的な戦いを再現するように、今度はアポロ・クリードの息子のアドニス・クリードと、イワン・ドラゴの息子のヴィクター・ドラゴが対決するのが『クリード 炎の宿敵』です。

最初、この映画内容を私が知ったときは「まあ、順当だよね」と冷静に見ていました。作中に登場するこの対決をセットするプロモーターのバディ・マーセルが狙うとおり、絶対にウケる試合なわけですから。ビジネス的には成功しますよ。

ただ、映画芸術としてあまりにも商業的にベタな続編企画で、当初は大丈夫か…と思ったものです。

この手のシリーズが続いてきた作品は、積み重ねてきた“モノ”が絶対にあります。それらは人によって「過去」「歴史」「伝統」「遺産」「ノスタルジー」「呪い」とか色々な呼ばれ方をします。続編ではこれらとどう折り合いをつけるかを考えなくてはなりません。例えば、それらを意識しすぎてただなぞると“マンネリ”と呼ばれてしまいますし、逆に意識しすぎて大きく変えると“オリジナル軽視”と批判されます。要するにめちゃくちゃ難しいものです。最近もこの問題に苦慮している映画がたびたび見られますよね。

しかし、本作は映画における続編モノが陥りがちな落とし穴をきっちり回避しつつ、素晴らしいパワーアップを遂げている、見事な作品だったと思います。

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家族の戦いが始まる

まず、アドニスの物語はわりとシンプル。前作で父アポロとの因縁を乗り越えた彼は、今やその父の存在自体が自分の「遺産」となって力になってくれています。連戦連勝の成果をあげ、その果てに現れた宿命の存在であるヴィクター。父の敵を討つという勝敗に憑りつかれたアドニスは身体に大ダメージを負うほどの敗北を喫し、轟沈。それでも勝ち負けではないアイデンティティのために戦うというロッキーイズムを取り戻したアドニスはヴィクターと再戦し、勝ってみせます。

これだけだと超王道なのですが、アドニスの物語を単調にさせていないのは周囲の人間の存在です。例えば、妻となったビアンカ。もともと『ロッキー』シリーズにおけるロッキーの妻エイドリアンは男性を献身的に支える女性という言ってしまえばステレオタイプそのものであり、それ以上のものはなかったわけです。しかし、ビアンカの場合、自分の夢があり、彼女もまた自己実現のために生きており、つまるところ、ひとりの“人間”としてアドニスにとっての先駆者となりうる存在になっています。ここが『ロッキー』シリーズが積み重ねてきた“モノ”にはない、新要素として効いていました。

加えて、物語のお約束として「結婚」や「出産」は無条件に“善”として良い方向に導くものと描かれがちでしたが、本作ではそこに一抹の不吉さを交えているのがまた上手いなと。序盤のプロポーズのくだりの耳が聞こえないシーンから、生まれた赤ん坊の聴覚障がいの発覚にいたるまで、このアドニスの家族の未来は決して楽な道のりではないことを予感させます。ありのままに生きることを目指す別軸の“家族の戦い”がまさに今作で始まったんですね。

『ロッキー』シリーズでは夫婦の将来の明暗がお金をどう使うかという部分に終始していて、若干のチープさもあったので、それとは物語レベルで大きな改善だったのではないでしょうか。

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「私の写真はない」

対するドラコ側。

負け犬の烙印を捺され、世界から孤立してしまった敗者の苦悩。シリーズが積み重ねてきた“モノ”が「呪い」になっている者たち。

こういう人たちを描く作品は、私は大好物ですが、本作はここにもしっかり手を広げてカバーしてくれる、“わかってる”映画でした。

イワンとヴィクターのドラコ父子こそ勝ち負けに完全に憑りつかれた存在であり、その先にどんなビジョンを期待もしていない。ただ勝つのみの戦闘マシーン。イワン・ドラゴを演じた“ドルフ・ラングレン”の恐演も素晴らしく、ロッキーと鉢合わせするエイドリアン・レストランのシーンの試合以上の張りつめた緊迫感。観ているだけで怖かったです。「私の写真はない」って“ドルフ・ラングレン”に言われたら失禁しますよ。『エクスペンダブルズ』なんてなかったかのような犬猿の殺気でしたからね…。

そんな二人が、ラストで劣勢に苦しむ試合から立ち去る元妻(母)の姿を見たときのあの表情。もうこの瞬間、私は完全にドラコを応援していたし、それに呼応するようにあのドラコ父子にも勝ち負けではない自己実現のためのロッキーイズムが宿る…涙、涙です。そして、あのロッキーでさえできなかった白旗を上げる行為をイワンがやってみせるのですから。ラストにアドニス側と慣れ合わないのもいいですよね。

相手を叩きのめすだけが男ではない。劣等感に沈んだ男が“男らしさ”の呪縛から、まさしくリングから降りる物語でもありました。

う~ん、最高だなぁ、この映画(言語喪失)。

少なくとも『ロッキー4 炎の友情』の頃にあった、政治的プロパガンダのためだけの悪役としての登場と比べたら、天と地の差がある、大躍進でした。

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「お前たちの時代だ」

そんな対峙する両者をよそにロッキー当人はどうしていたのか。

もうロッキーはこのシリーズの役目を終えてきたのでは?と思っていましたが、実際、そのとおりで、アドニスが父アポロを継承するようになったので、役目もほぼなくなりました。

本作は本当に最後のセコンドという感じ。

「お前たちの時代だ」の言葉とともに、ロッキーの背中(しかも「CREED」と書いてある)を映すカットに、こっちの胸もいっぱいになり、肋骨が折れたような気分に…。

息子との和解も最後に見せて、もう完全に「終活」しているじゃないですか…。ロッキーの栄光は銅像に残り、彼の肉体は消える…その時期は遠くない…。冒頭、初めてロッキーがす~っと登場するシーンとか、もはや会場に棲みつく精霊みたいでしたよ。

そんなこんなで正直、本作以上の続編を私は考えることはできません。続編として文句なしです。むしろ本作の続編の在り方に不満があるなら、ぜひ『クリード』シリーズの次回作の監督に名乗り上げるべきですよ。スタローンに脚本案でも送ってね。

でも、これ以上の続編はちょっと…。なぜならロッキーが、ロッキーが永遠にいなくなりそうで…。

続きを観たくない。見たくない…。

『クリード 炎の宿敵』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 83% Audience 84%
IMDb
7.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★
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関連作品紹介

続編の感想記事です。

・『クリード 過去の逆襲』

(C)2018 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. AND WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

以上、『クリード 炎の宿敵』の感想でした。

Creed II (2018) [Japanese Review] 『クリード 炎の宿敵』考察・評価レビュー