中川龍太郎監督は深く深く偲ぶ…映画『やがて海へと届く』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2022年)
日本公開日:2022年4月1日
監督:中川龍太郎
自然災害描写(津波)
やがて海へと届く
やがてうみへととどく
『やがて海へと届く』あらすじ
『やがて海へと届く』感想(ネタバレなし)
レジリエンスを濃密に2時間たっぷり
死は避けられないもの。大切な人が亡くなってしまうことはあります。人ではなくペットかもしれません。とにかく大切な存在が自分のそばから消えてしまう。永遠に…。
その死から立ち直るのにかかる時間は人それぞれ違います。ある人は数カ月で普段と変わらない生活を送れるかもしれませんし、もしかしたら亡くなった直後でも平静でいられる人もいます。でも何十年経っても死を引きずってしまう人だっています。
そういう差はなぜ生まれるのでしょうか。世間では「いつまでも引きずるな」とか、逆に「なんでそんな忘れられるんだ」とか、そうやって死への向き合い方について未練だ薄情だと非難を飛ばしてくることもあります。けれどもその差はあって当然のもの。個人差なのです。
こうした大切な存在の死を経験したときに自分が立ち直っていく能力を心理学用語で「レジリエンス(resilience)」と呼びます。別に死別に限らず、何か強いストレスを受けたりしたときの回復力などに対しても用いられる言葉です。
レジリエンスは個人で異なり、計測できるものではありません。でも特殊な能力でもないです。筋肉のように誰しもが持っていて、その能力差があるということです。人生において大きな影響力をもたらすので意識するのは大切です。
アメリカ心理学会は個人でレジリエンスを高める方法として以下の事項を紹介しています。
- グループ参加など、良い人間関係を構築する。
- セルフケアの実践。負の影響をもたらすものは避ける。
- 目的や目標を見つける。
- 健康的な思考を受け入れる。
人によっては自身の自発的な治癒力だけでは不足するため、メンタルケアのサポートを必要とする場合もあります。
今回紹介する映画も、大切な人の死と向き合う主人公を丁寧に描いたものですので、このレジリエンスを2時間たっぷりと濃厚に映し出した作品と言えるでしょう。もしかしたら自身のレジリエンスを考えるきっかけになる…かも。
それが本作『やがて海へと届く』です。
物語は、ひとりの女性が主人公。大学入学時に出会った友人の女性との悲しい別れを引きずって過ごしており、その関係性が紐解かれていく中で、主人公が死と向き合う姿が映し出されます。淡々とした、でも心理的な葛藤を誠実に捉えていく、良質なストーリーです。
この『やがて海へと届く』を監督したのが“中川龍太郎”。大学進学後に独学で映画制作を開始したという珍しいキャリアの出発点を持ち、2012年には自主制作で監督した『Calling』を発表。2014年の『愛の小さな歴史』、2015年の『走れ、絶望に追いつかれない速さで』、2017年の『四月の永い夢』、2019年の『わたしは光をにぎっている』、2020年の『静かな雨』と、映画を続々と生み出し、その才能が増しています。最近はドラマシリーズの監督もしていますね。
“中川龍太郎”監督のフィルモグラフィーは特徴があって、とくに死別をテーマにした作品が多いです。監督自身が好みの題材なのでしょうか。実際にその扱い方も上手く、死をショッキングなネタで消費することなく、シリアスではありますけど当事者の心の揺れ動きに焦点を当て続けているので、安心して観やすい作品です。日本の映画業界は「死」が映像的なインパクトとして利用される傾向にありますけど、映画業界で正規に育成されたわけではないせいか、“中川龍太郎”監督は自身の原点である「詩」のようなアプローチで「死」を分解していく。そんなテイストと言えるのかな。若い監督ですが、やっぱり特異な逸材ですね。
今作の『やがて海へと届く』はこれまでの“中川龍太郎”監督作の積み重ねを経てきて、一層成熟したクリエイティブなきらめきを発揮している感じがします。着実に進化している監督ですよ。
本作の原作は“彩瀬まる”の2016年の小説です。2010年に「花に眩む」で第9回「女による女のためのR‐18文学賞」読者賞を受賞してデビューしました。
“中川龍太郎”監督作と言えば、俳優の魅力を引き立てるのも上手いのですが、今回も一級品です。
主演は、『愛がなんだ』やドラマ『恋せぬふたり』など自然体の名演で心を振るわせてくれる“岸井ゆきの”、そして『シン・仮面ライダー』など注目作への起用が続いて話題の若手筆頭である“浜辺美波”。この2人の関係性がメインなのですが、ずっと見ていたくなる2人です。
共演は、『羊とオオカミの恋と殺人』の“杉野遥亮”、『花束みたいな恋をした』の“中崎敏”、『青くて痛くて脆い』の“光石研”、『妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII』の“中嶋朋子”、『麻希のいる世界』の“新谷ゆづみ”など。
『やがて海へと届く』は観やすい映画だとオススメできますが、一応の注意点として東日本大震災を取り扱っています。地震の直接的な描写はありませんが、津波に関してマイルドな抽象的表現があります。フィクションではありますが、被災者やその関係者の当時の記憶をフラッシュバックさせるだけの内容のリアリティはあると思います。その点だけは理解したうえで鑑賞を検討してみてください。
オススメ度のチェック
ひとり | :静かに落ち着いて観たくなる |
友人 | :信頼できる友達と |
恋人 | :互いに語り合える仲と |
キッズ | :淡々としたドラマだけど |
『やがて海へと届く』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):深く深く…
ホテルのダイニングバーで働く湖谷真奈はその仕事中にボーっとしてしまい、同僚から心配されます。すぐに気を取り直し、客の注文を聞きます。
その店長の楢原文徳はいつも店内のオーディオで曲をかけます。「曲を選ぶコツってあるんですか?」と質問すると、店長ならではのこだわりがあるようです。「どんな曲を聴くの?」と逆に聞かれ、「パフィとか…」と答える湖谷。「でも世代じゃないんじゃない?」と店長は疑問を挟みますが「友達が好きだったんですよ」と湖谷は答えます。
すると知り合いという人がロビーで待っていると言われ、湖谷が仕事終わりにロビーに向かいます。座っていたのは遠野敦という男でした。
「すみれの家に行くんだ、明日。だから今日しかないかなって」と話題を切り出す遠野。
2人は遠野の部屋へ行きます。すみれのものだけ残っているそうで「本当に引っ越すんだね」と湖谷。「湖谷のところにはないの? あいつの荷物」「あるよ、そのまま」
すみれの部屋に足を運ぶ湖谷はドアをゆっくり開け、中へ。綺麗に片付けており、段ボール箱がいくつかあるだけでした。その箱を覗くと中に猫のポーチがあり、他にはハンディのビデオカメラがひとつ。
「大丈夫?」と遠野に心配され、「なんか変な感じ。友達のアクセサリーや服なんてこんな無防備な感じで見ないのに」と呟きます。
「全部捨てる?」「捨てるって決めたのは私じゃない」「湖谷も行く? あいつの実家」…そんな会話のあと、湖谷は「私、実はずっと、遠野くんのこと苦手っていうか、あんまり好きじゃなかった」と打ち明けます。
湖谷は昔を思い出します。それは大学に入学したばかりのこと。サークル勧誘で賑やかの中、新入生の湖谷は落ち着かない様子で歩いていました。湖谷は猫のポーチを拾います。そのとき、しつこく勧誘に絡まれてしまい、オロオロしていると、そこに自分も文学部の新入生だというひとりの女性が。名簿をとりあげて自ら名前を書くその女性の名は卯木すみれ。
流れで飲み会に参加して居心地が悪そうな湖谷。すみれというあの子に目がいきます。無理やり飲まされてすっかり気分が悪くなってトイレにいると、すみれが心配してくれました。そして口に指を入れて吐くのをサポートしてくれます。
すみれは、先輩たちに可愛いと褒められ、「高校はどこ?」「カレシいた?」と質問攻め。湖谷は恋人がいなさそうだと勝手に決められ、男性の先輩たちにカレシになってと無遠慮に言われます。
するとすみれはいきなり湖谷の口にキスをして、高校から付き合っていると嘘をついたのでした。そしてバカがうつると一緒にその場を後にしてくれます。
帰り道。「嫌な気持ちにさせたらごめんなさい」と謝る卯木すみれ。互いに名乗り、2人は仲良くなりました。
すみれはいつも親身で無邪気です。湖谷は昔の恋人の話をして、ほんとつまらないことで別れてしまったと嘆くのですが、すみれは素直に同調し励ましてくれます。
すみれの案内で2人は旅に出かけ、高台へ。海を一望できる場所です。すみれはビデオカメラで撮りだします。カメラを持っていると落ち着くのだそうです。
「私たちには世界の片面しか見えてないと思うんだよね」「安心できないなら無理して誰かと一緒に居ないくていいと思う」とすみれは語ります。
そんな2人でしたが、関係はずっと続かず…。
居心地の良い2人の関係性
『やがて海へと届く』の魅力はやっぱり“岸井ゆきの”と“浜辺美波”の化学反応です。2人の主演俳優の空気感だけで、この映画を観たかいはあったなと思わせる。
そもそも“岸井ゆきの”と“浜辺美波”の2人は俳優として結構似た性質を持っているんじゃないかなと思うのです。“岸井ゆきの”はブレイク作の影響もあってか、自然な存在感のままでどこかその内側を見せずに佇んで生きている姿を演じさせると抜群にハマります。一方で、“浜辺美波”は『咲-Saki-』とか『映画 賭ケグルイ』とか『約束のネバーランド』とか、コミック系の実写化作品にも多く起用され、エンタメ的誇張の強い演技もやる人ですが、やはりブレイク作である『君の膵臓をたべたい』に象徴される、どこかその内心が掴めない存在感で魅せるのが得意で、そっちの方が性に合っている感じです。
2人とも1作品にひとりはいると物語が引き立つようなキャラクター性。ではこの2人が同じ作品に同居していたらどうなるだろうか。その混ぜてみて起きる変化を楽しめるのが『やがて海へと届く』。
2人の出会いが描かれる序盤からその関係性の良さが伝わってきて、観客すらもそこに居心地の温もりを共有できそうな気分になります。
だからこそこの2人の関係性が永遠に引き裂かれ、もう2度と会えないのだとわかってしまうことで、観客にもその喪失感がもたらされるのですが…。
その死別以前に遠野という男が間に入ることで2人の関係がゆっくり静かに着実に離れていく。その姿も見ていて辛いですけどね。「なんだ、あの男…邪魔するなよ…」と私もイラつきながら観ていましたけど。
まあ、でもああいう女性同士のウーマンスな関係軸が異性愛という規範的な存在に「こっちの関係が上位だ、そっちの関係は下位だ」と勝手にジャッジされるよう感じで後回しにされてしまう居心地の悪さというのは、女性同士関係にはしょっちゅう起きうることだと思いますが…。
“浜辺美波”は作品内で天真爛漫で超越的なピュア感を醸し出す起用で終わってしまうことも多いのですが、この『やがて海へと届く』はそんな都合よく終わらず、終盤で卯木すみれの視点に切り替わることで、彼女にも実は湖谷真奈と同等の無力で切実な人間味があったと最後に提示される。この反転構造がまた上手く刺さるもので…。
“中川龍太郎”監督の俳優の魅せ方は個人的に好きですね。女性を男性的まなざしで消費的に描かないのも安心するし…(むしろあの新歓コンパのシーンのようにそういうウザさを自覚的に描く)。
自分なりのレジリエンスを見つけよう
『やがて海へと届く』は2011年3月11日の東日本大震災を題材にしています。
卯木すみれはひとりでいつものように東北へ旅行に出かけ、そこで被災し、津波に飲まれて、いまだに帰らぬ人のままなのでした。
この卯木すみれのシチュエーションは本作の原作者である“彩瀬まる”の体験が元になっています。当時25歳だった“彩瀬まる”は、ひとりで2泊3日の旅行をしに東北を訪れており、福島県いわき市で被災。幸いなことに命を無事でしたが、地元の被災者と経験を共にすることになってしまい、その体験をノンフィクション「暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出」として本にしています。
今作での卯木すみれは長期行方不明ということで死亡扱いになってしまったようですが(実際に東日本大震災による行方不明者数は2022年3月時点でも2523人いる)、卯木すみれの恋人であった遠野は婚約者もできて引っ越しを決めており、卯木すみれの母親も娘とは疎遠だったものの自分なりの整理を付けようとしていました。しかし、湖谷真奈だけはどうしても整理ができない。
そうこうしているうちに職場の店長の自死という出来事まで起きます。このあたりの描写も『彼女が好きなものは』の感想で取り上げたWHOの「自殺予防のためのガイダンス」と照らし合わせても丁寧に描かれていたと思います。
つまり、全体的にも湖谷真奈のレジリエンスに真摯に向き合っている映画でした。
“中川龍太郎”監督の得意であろうポエティックな演出は多用せずに自然な挿入に抑え、今作では冒頭と終盤にアニメーション演出を取り入れるアイディアを活かしています。確かに津波の直接的な描写を入れるのはあれなので、この演出が無難ではありますけどね。
ただ、本作は湖谷真奈だけでなく、被災者の人たちの声を拾っていくような疑似的なドキュメンタリー風の構成になっており、“中川龍太郎”監督作の中でもかなりカバーの広い映画になったのではないでしょうか。
そう言えば、あの民宿の娘である“新谷ゆづみ”の演技も良かったですね。彼女を主役にした映画が見たいくらいですよ。
人は他者をよく知らない…その事実を噛みしめつつ、それでも他者の想いを何かのかたちで尊重したいと願う気持ちも嘘ではなくて…。
最後は前を向けた湖谷真奈の姿はこちらにも届きました。
ROTTEN TOMATOES
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IMDb
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シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2022 映画「やがて海へと届く」製作委員会
以上、『やがて海へと届く』の感想でした。
『やがて海へと届く』考察・評価レビュー