ティム・バートンの裏にいる影の製作者とは?…映画『ダンボ』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2019年)
日本公開日:2019年3月29日
監督:ティム・バートン
ダンボ
だんぼ
『ダンボ』あらすじ
サーカスに愛らしい子象が誕生した。大きすぎる耳をもった子象はダンボと呼ばれ、ショーに出演しても観客から笑いものになってしまう。ある日、ダンボの世話を任されたホルトの子供ミリーとジョーが、悲しむダンボを元気づけるために遊んでいると、ダンボがその大きな耳で飛べることを発見する。
『ダンボ』感想(ネタバレなし)
幼少期の思い出の一作
誰しもが幼少期の頃に何かしらのアニメーション作品を見ていたと思います(いや、厳格な家庭でそんなことはなかったという人もいるでしょうけど)。幼い子どもの時に見ていたアニメはなぜか異常に頭にこびりついて大人になってもおぼろげながら覚えていることもよくありますよね。
私にとっての幼少時代にそばにいたアニメ作品のひとつが『ダンボ』でした。1941年にディズニーが制作したディズニー初期を代表するクラシックです(日本での公開は戦争もあって大幅に遅れて1954年でした)。劇場で観たわけではなく、家でビデオで何度も何度も繰り返し見ました。60分程度の長さなので見やすいというのもありましたし、それ以上にただただ見ていて楽しい…視覚的な仕掛けがいっぱいあったのも惹きつけられた一因だったのかなと。
当時の幼い私が『ダンボ』にどんな感想を抱いていたのかはさっぱりですが、耳が大きいという理由で虐められるダンボの姿に悲しさを感じ、そのダンボが自分の欠点を活かして空を飛ぶクライマックスに感動していた…そう思いたい…。
大人になって久しぶりに『ダンボ』を見返しましたが、不思議と子どもの頃の感覚に戻った気がして謎の感慨にふけりました。ああ、何も考えずに作品を楽しむ無垢な心に戻りたい…。
その『ダンボ』が実写映画化するという話を聞いたときは、正直、大丈夫かという不安しかなかったのですが、幼少の思い出の中の存在にまた向き合う機会を得られたので、結果的に良かったなと思っています。
そして監督を手がけるのは“ティム・バートン”です。これは彼の作家性を知っている人にしてみれば、これ以上ないぴったりな人選だと納得のはず。自身も変わり者で、常に疎外感の中で自分の居場所を求めてきた人生を背負う“ティム・バートン”ですから、ダンボとの相性は抜群。監督いわく、『バットマン・リターンズ』、『ビッグ・フィッシュ』、そして『ダンボ』の3つで「サーカス3部作」だと言っています。
そんな実写版『ダンボ』ですが、実写リメイクというわけではありません。どちらかといえばリブートです。なにせ元のアニメが60分ちょっとしかないのですから、それを2時間の映画にするには大幅に改変しないといけません。そのため3分の2以上が独自のオリジナルストーリーになっていて、事実上の『ダンボ2』みたいな様相ですらあります。
一番重要な改変は、動物主体のお話から人間主体のお話に切り替わっているという点。アニメ版ではサーカスのゾウやネズミ、鳥が普通に人の言葉をしゃべって物語が進むのですが、実写版では会話はしません。リアルな動物そのままです。その代わり、サーカスの所属する人間たちが物語を引っ張っていきます。そういう意味では、ベタな人間と動物のハートウォーミング・ドラマになった感じはあります。まあ、このへんはしょうがないのかな…。ただ、“ティム・バートン”監督なら全然“動物主体”でもいけたと思いますけどね。
出演陣は、“マイケル・キートン”、“ダニー・デヴィート”、“エヴァ・グリーン”と、いつもの“ティム・バートン”監督作の座組が揃いつつ、“コリン・ファレル”のような新顔も追加。監督はいつも自分の作品に出る俳優は「奇妙な人」だと言っているので、監督作にキャスティングされると、実質“奇妙な人”認定されたも同然。確かに“コリン・ファレル”、あんたは奇妙だ…。
“ティム・バートン”監督作にしては不気味さは抑えられているので、普通に小さな子どもでも楽しめる一作になっています(ただ映像的に暗いシーンは多めですが)。親御さんの皆さん、本作を子どもに見せれば「ダンボが見れる動物園はどこか」としつこく聞かれるかもと不安にならないでください。大丈夫、そこはディズニー、ちゃんとカバーしてくれていますよ。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(ディズニーファンはとくに) |
友人 | ◯(やや子ども向けだけど) |
恋人 | ◯(ダンボが可愛い) |
キッズ | ◎(子どもにも親しみやすい) |
『ダンボ』感想(ネタバレあり)
ゾウが飛べるのは普通です
『ダンボ』を実写化するときの最大の難問は2つあると思います。
そのひとつが「ゾウが飛ぶ」という絶対にあり得ないことをどうやって観客に信じさせるか。
アニメ版だとそこが非常に上手く描かれています。しかも、かなりトリッキーな手段で。失意に落ち込むダンボがひょんなことから酔っぱらって目が覚めるとそこは木の上で、自分が空を飛んだことに気づく…という展開。要するにこれ、社会人になった大人が一度は経験したことがあるであろう、ハメを外して泥酔し、ふとが気が付いて「あれ、私はなんでこんなことに…」っていう現象ですよ。それを小象相手でやってしまうという当時のディズニーのノリ。それからのおまじないの羽がなくても飛べるという本番サーカスのクライマックス。なかなかの怒涛の流れなのですが、理屈抜きであり得ないことを信じさせるこの強引さは、なんでも辻褄を合わせないといけない昨今のアニメ映画事情にないカタルシスだなと今も思います。
では実写版だとどうかというと、ダンボは登場してすぐ序盤で、耳をバタバタさせて空中を舞い上がれることをホルトの二人の子どもたちは目撃します。だからもうそこは観客を信じ込ませようとあれこれ画策はシナリオ上してないんですね。もう、ダンボ、飛べるの知っているでしょ?という感じ。
なのでアニメ版の見せ場だったダンボ初飛行を大衆に披露するシーンは前半に登場。
じゃあ、あとはどうなるのかと言えば、空を飛んだダンボは「人を乗せて飛ぶ」という次なるステップを進むのでした。いや、ただでさえ実写のゾウが空を飛ぶのも信じにくい絵面なのに、人を乗せちゃうの!?とびっくりだったのですが、“エヴァ・グリーン”演じるコレット・マーチャントを背にまたがらせて割とあっさり飛んじゃうんですね。空を飛べるかどうかを問わず、小象の上に大人の人間がまたがるのはどうなんだという気もしますが…。あとはもう、タクシーみたいに人を乗せてあちこち飛びまくりでした。
つまり、「ゾウが飛ぶ」という絶対にあり得ないことをどうやって観客に信じさせるかという難問に対して、本作は「そこはスルーする」というまさかの禁じ手を使ってきたという…。
この点に関しては原作の一番の良さでもあったわけですから、失望する人も一定数はいるんじゃないかなと思うところ。やっぱり空を飛ぶシーンはラストにとっておきたいですよね。
サーカスが嫌いだった監督
つづく『ダンボ』を実写化するときの最大の難問の二つ目。
それはサーカスという存在の倫理的問題。とくに動物を労働させて見世物にするタイプのサーカスです。
今は動物を鞭打って見世物にする行為は完全にアウトであり、動物園や水族館など狭い場所に閉じ込めること自体も禁止されたりし始めているのが当たり前になってきています(日本はその点で遅れていますけど)。そんな中、当時は許されていたとしても、それを今の時代、ましてやファミリー映画で見せていいのか。私が『グレイテスト・ショーマン』の時にも感じた「“フリークショーを美化していいのか”問題」にも通じる部分。
ちなみにアニメ版ではダンボを虐める他のゾウや人間はいましたが、別にサーカスそのものを否定する意味合いを含む物語性は基本はありませんでした。
ただ、これに関して“ティム・バートン”監督はハッキリこう述べているんですね。
「子どもの頃からサーカスは好きじゃなかった」と。「動物たちが捕らわれの身となっているのが嫌だった」とキッパリ明言。
だからあのダンボとその母ジャンボが野生の森にいる仲間の元に帰るというエンディングは、“ティム・バートン”監督の本心なのでしょうね。もしかしたらあのオチが一番“ティム・バートン”監督らしさなのかもしれません。
私もあのオチはテンプレすぎて普通じゃないかと思ったのも正直なところですが、それが監督の願いなら、まあ、そうすべきかなと。根本的に間違っているわけではないですし。さすがにこれを「偽善」と表現するのは賛成できませんよ。だって日本の法律ですらサーカスといえど動物に苦痛を与える行為は違法ですから。まごうことなき「善」です。
ただ、私があまり納得いかないのは、サーカスの存在まで全否定しないために、さらにその上を行く資本主義の巨悪として巨大娯楽施設「ドリームランド」の経営陣をヴィランに設定したことですかね。なんか自分の悪さを誤魔化すために、さらなる悪者を登場させて描くのは、端的に言って卑怯だし、それこそ教育的にどうなんだと思わなくもないです。
脚本家はあの問題作の人だった
とまあ、全体的に“う~ん”な印象で個人的には終わった本作ですが、“ティム・バートン”監督やディズニーの手腕を疑う人も出てくるでしょう。
でもちょっと待ってください。
本作を語るうえでもうひとり忘れてはいけない人物がいます。
それが本作の脚本をつとめた“アーレン・クルーガー”。この人、ディズニー作品に関わるのはおそらく初めてかと思いますが、過去に携わった作品は最近だとあの『トランスフォーマー』2作目~4作目、そして『ゴースト・イン・ザ・シェル』…。
どおりで後半のオリジナル展開といい、悪役の設定といい、画一的に見えるわけです。たぶん“アーレン・クルーガー”は元の素材を映画というフォーマットに綺麗に納めるのが上手い、製作側が喜ぶタイプの映画人なのでしょうね。
ただ、これだと彼のせいにしているみたいで良くないです。そもそも“ティム・バートン”と“アーレン・クルーガー”という全然合わなさそうな組み合わせを配置したプロデューサーの判断も問われるべきです。まったく、どこのどいつだ、プロデューサーの名前は…。
“アーレン・クルーガー”だった…。
製作“アーレン・クルーガー”。製作には他にも名前がいますけど、脚本まで兼ねているのですから、もうこの実写版『ダンボ』は“アーレン・クルーガー”の映画ですよ。なんでディズニーに来たのかな…パラマウントから降ろされたのかな…。
ふ~ん、そうか、よし(リセット)。
本作は良い部分もいっぱいあります(精一杯の笑顔で)。
もうこれはディズニー実写映画の定番見どころですが、あれです、“全部セットで作りました”というポイント。
今作は巨大遊園地が舞台ですが、その中でも基本はサーカステント(それでもかなりデカい)がメイン。このテントはCGではなく全部実際に作ったセットです。加えて、エキストラは最大で1日850人もの数におよび、世界中から本物のサーカス・パフォーマーを集めたそうで、凄まじい物量。ドリームランドという遊園地自体も、みんなが連想するディズニーランドの他に、ニューヨーク・ブルックリンにある「コニーランド」というアメリカ史において非常に歴史のある遊園地など、それらからマッシュアップ的に構築されていて、本当にカタチにしてしまうディズニーの底力を痛感。
あとアニメ版でも最大の印象に刻まれるクレイジーな場面である、酔ったダンボがみる「ピンクのゾウの幻覚シーン」が、シャボン玉という形で魅惑的に再現されていたのが良かったですね。
ぜひアニメ版の「ピンクのゾウの幻覚シーン」も見てほしいので(実写版の100倍は狂っている)、まだアニメ版を観たことがないという人は、これを機に鑑賞してみてください。
アニメ版の鑑賞者が増えるなら実写版も作られた価値があったと自分に言い聞かせます。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 50% Audience 61%
IMDb
6.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 4/10 ★★★★
作品ポスター・画像 (C)2019 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved
以上、『ダンボ』の感想でした。
Dumbo (2019) [Japanese Review] 『ダンボ』考察・評価レビュー