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『ぜんぶ売女よりマシ』感想(ネタバレ)…「セックスワークイズワーク」を語るなら

ぜんぶ売女よりマシ

まずこの事件を知ることから…ドキュメンタリー映画『ぜんぶ売女よりマシ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Everything’s Better Than a Hooker(Là où les putains n’existent pas)
製作国:フランス(2017年)
日本では劇場未公開:U-NEXTで配信
監督:オヴィディ
DV-家庭内暴力-描写

ぜんぶ売女よりマシ

ぜんぶばいたよりまし
ぜんぶ売女よりマシ

『ぜんぶ売女よりマシ』あらすじ

スウェーデンで暮らしていたエヴァマリーは、セックスワーカーであるというだけで親権を得られず、幼い子どもは虐待歴のある元夫の手に渡った。決定権を握る福祉事務所はセックスワーカーには子どもはふさわしくないと判断し、頑なにエヴァマリーに会わせようとしない。そして子どもを取り戻す闘いのさなか、残酷な悲劇が起きてしまう。「スウェーデン・モデル」の犠牲となった彼女の人生を記録に残す。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『ぜんぶ売女よりマシ』の感想です。

『ぜんぶ売女よりマシ』感想(ネタバレなし)

「セックスワーク・イズ・ワーク」の議論とは?

「セックスワーク・イズ・ワーク(Sex work is work)」…こんなフレーズを聞いたことはありますか?

「セックスワーク」というのは「性」に関する労働のことで、つまるところ、おカネを貰って性行為をする人や、性的なパフォーマンスをする人、ポルノ業など多岐にわたります。そうした職業で働く人を「セックスワーカー」と呼びます。原則的に強制の人身売買などはセックスワークとは言いません。

「セックスワーク・イズ・ワーク」とは直訳すれば「セックスワークは労働だ」となり、なんだかこれだけ抜き取ってもイマイチどういう意図の言葉なのかわかりません。

このフレーズの誕生には歴史があります。全部を詳細に解説しようとする何万字の文量になってしまうのでざっくり説明します。

セックスワーク、昔から「売春(prostitution)」、当事者を「売春婦(hookers)」と呼んでいましたが、それが社会に半ば無秩序に広がっていた中、1900年代後半になると「セックスワークは女性の搾取なので犯罪化して禁止しよう」という動きが活発化します。

一方で「セックスワークを一律で禁止するのは間違っている。これは女性の自己決定権の問題だ」とその犯罪化に反対する動きも起きました。

この論争はフェミニストを二分させ、「セックス戦争(Sex wars)」と呼ばれる非常に苛烈な対立に陥ります。日本でも「廃娼運動」という歴史があります。

この対立は2020年代の現在も解消していないのですが、セックスワーカーの自己決定権を支持する人たちは「セックスワーク・イズ・ワーク」というフレーズを用いて声を上げていますTeen Vogue

これは別に「セックスワークを良い仕事だから奨励しよう」と言っているわけではなく、あくまで他の職業と同じように「労働」としてまずは位置づけ、しっかり安全性や労働環境を管轄・改善すべきだということです。日本でもコロナ禍の際にセックスワーカーに給付金が支払われず、セックスワークが社会に労働として認められないという不平等が浮き彫りになりました。

なのでセックスワーカーの自己決定権を支持する人たちは、セックスワークの犯罪化はスティグマを増すだけだという理由で反対しています。対するセックスワークの犯罪化を支持する人たちは、セックスワークはどう正規に扱おうとも女性を傷つけるだけなのでセックスワークを社会から排除するほうが女性のためになると考えています。

セックスワークの犯罪化を支持する人たちは、支持しない人たちからは「SWERF」と呼ばれたり、はたまた「カーセラル・フェミニズム」なんて用語も作られたりしていますが…。

現状、多くの国々ではセックスワークの扱いは曖昧でありつつもネガティブな扱いが色濃く、日本のように公権力によって取り締まりが恣意的に行われることも平然と起きています。

そんな中、このセックスワーク論争において、話題から外すことはできない国があります。それはスウェーデンです。

スウェーデンは50年代から性解放の旗手として北欧を牽引していましたが、しだいに保守派の勢力が強まり、1999年に売春した客への罰金・懲役刑を法律で明文化し、セックスワークを部分的に犯罪化しました。これは「スウェーデン・モデル」と呼ばれ、世界の“良き”先進事例として大いに注目されました。

しかし、その「スウェーデン・モデル」の裏で最悪の事件が起きていた…それを克明に掘り起こすドキュメンタリーがこの『ぜんぶ売女よりマシ』です。

どんな事件なのかは実際にこのドキュメンタリーを見てもらえれば…。本当に酷い事件です。直接的な描写も再現映像もありませんが、とにかく辛くなる内容です。

ただ、セックスワークをめぐる論争の大前提として、この事件は必ず知っておくべきだと思います。必見です。この事件を知らずに、セックスワークを論じることはできないと言いたくなるほど。主題に興味ある人は鑑賞リストの一番前に並べておいてください。

ドキュメンタリー自体は約55分なのですぐに観れます。

日本では現時点(2023年5月)では「U-NEXT」で配信されていますが、本作はあくまで個人規模の配給作品なのでいつまで取り扱っているかわかりません。観れるうちに観るのがベストだと思います。

なお、本作の日本語字幕製作に携わっているひとりは、セックスワーカー研究で有名な“青山薫”氏です。

『ぜんぶ売女よりマシ』を観る前のQ&A

✔『ぜんぶ売女よりマシ』の見どころ
★セックスワークをめぐる議論の歴史的事件を学ぶ。
✔『ぜんぶ売女よりマシ』の欠点
☆非情な暴力を題材にしているので心理的に辛い。

オススメ度のチェック

ひとり 4.0:題材に興味あれば必見
友人 4.0:関心ある人に薦めて
恋人 2.5:デート向きではない
キッズ 2.5:子どもには見せづらい
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ぜんぶ売女よりマシ』感想(ネタバレあり)

スウェーデン・モデルの中で起きた犠牲者

ここから『ぜんぶ売女よりマシ』のネタバレありの感想本文です。

ドキュメンタリー『ぜんぶ売女よりマシ』で主題になるのは、エヴァマリーというごく普通の女性の身に起きる惨劇です。

2013年7月11日、スウェーデンのバステラスでエヴァマリーは殺されました。犯人は元夫の31歳男性。凶器はキッチンにあった刃物。現場は福祉シェルターの一室…。子どもと面会する予定の場所で無惨に殺されました。

アメリカの統計ですが、「The Hotline」によれば、女性の3人に1人が生涯において親密なパートナーからレイプ・身体的暴力・ストーカー行為を受けています。女性の約15%がそれらの暴力によって負傷しています。毎分平均で24人の被害者が発生していると言われています。なのでDV(家庭内暴力)というのは残念ながら日常茶飯事です。

しかしです。このスウェーデンのエヴァマリーに起きた事件は氷山の一角として見過ごしていいものでしょうか。なぜなら、福祉事務所で殺害されたのです。暴力はあらゆる場所で起きるものですが、そうは言っても福祉事務所は本来は最も安全でないといけない空間のはず。家庭の問題に対処するのが福祉事務所の役割なのですから。

どうしてこんなことになったのか。ドキュメンタリー『ぜんぶ売女よりマシ』は淡々とそれを説明します。

2009年、8か月の乳児を抱えてエヴァマリーは第二子を妊娠。しかし、パートナーであるヨエルの家庭内暴力は徐々にエスカレートし、福祉事務所に相談すると離婚をすすめられます。ただ、金銭的理由から別れることはできないので、出産後、ストックホルムでセックスワークを始めることに…。そのときの名はジャスミン・ペティートでした。

ところが従姉に話すと通報され、福祉職員と警察が家に上がり込んで、何の説明もなく子どもを保護され、ヨエルに引き渡されてしまいます。以降、一切子どもに会えないことに…。

これは『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』でも描かれたことですが、母親がセックスワーカーというだけで「児童を虐待した」とみなされるという理不尽な偏見です。

今回のエヴァマリーはたった2週間のセックスワーク業でしたが、それが永遠の烙印を押しました。祖母すらも孫に会えない。セックスワーカーはその家系もろとも汚れた存在として、汚れなき子どもの純潔を保護するために、徹底的に排除されるのでした。一度でもセックスワーカーであったならば人権はありません。

普通に考えると、DVをする男のほうがよっぽど子どもには有害なのは火を見るよりも明らかだと思うのですが、世間はセックスワーカーを何よりも敵視する…。

活動家のジャスミン・カラムが作中で「セックスを売ることは恥ずべきこと、自分の意思に反して無理やりやらされていること、あるいは精神を病んでいるから…そうみなされる」と発言していましたが、世の中の偏った価値観が強烈に浮かび上がる一件です。

もちろん「本当はしたくないのにな…」と思いながらセックスワークをしている当事者も普通にいるでしょう。それも当然です。問題はその有無や割合とかではなく、「セックスワーカーはこうに決まっている」と勝手に外部に判断されてしまうことであり、それが自己決定権の無さの実態なのだ、と。このドキュメンタリーは突きつけます。

「売春婦が存在しない場所」は理想郷なのか

世間にそういう偏見がまかり通っているのは百歩譲って置いておくとしましょう(良くないけど)。でも専門家であったら、公共のサポートであったら、ちゃんとセックスワーカー当事者を偏見なしで扱ってくれるはず。その期待は打ち砕かれます。

作中でセックスワーカーの権利のために闘う団体「ローズ・アライアンス(Rose Alliance)」の設立者ピイ・ヤコブソンが皮肉交じりに「スウェーデン人はこの国は世界で一番民主的な先進国だと教育で教え込まれて楽観的になる、政府の嘘だ」と吐き捨てていましたが、私たち海外勢にとっても「スウェーデンは福祉国家」というイメージに安易に依存しすぎだと反省させられる現実を見せられます。

スウェーデンでは福祉事務所の決定は絶対的で、社会福祉士(ソーシャル・ワーカー)にはかなりの自由裁量権があります。それは諸刃の剣で、一歩間違うと最悪の結果を生みます。今回がそのまさに最悪なのですが…。

エヴァマリーの福祉事務所担当者は最初から敵のように扱ってきて、もはやセックスワーカーいじめだったと振り返られています。

これだけだと「その福祉事務所だけが異様だったのだ」「別にスウェーデン・モデル自体は失敗じゃない」と擁護できそうですが、そうも言ってられません。

本作ではセックスワークの権利活動家たちは、スウェーデン・モデルを支える法律そのものが父権主義的で、女性を「守る」、女性の性を「守る」のが狙いであり、この「守る」というのは「支配する」ということであると解説。

つまり、根底にあるのは女性差別であり、男性だけが性奔放を許されて男のセックスワークは不問にされているのは動かぬ証拠だと語ります。

しかし、セックスワークの権利を訴えると異常者扱いであり、セックスワークの権利を支持する「アムネスティ・インターナショナル」絡みだと作中で登場した文化人類学者のペトラ・オステルグレンも、「自宅の地下でSMクラブを運営している」「トランスジェンダーだ」などの事実無根の誹謗中傷に遭ってきたことを吐露します。

そしてそうこうしているうちに、女性を正真正銘で脅かしている男性加害者は野放しになり、毅然と法廷でも闘ってきたエヴァマリーは命を落とす。その殺人を犯した男は、18年の実刑判決となるも、いまだに親権は剥奪されていない…。

本当に虚しくなって、やるせない。辛すぎる現実です。

犠牲者をだせないという目的を忘れずに

ドキュメンタリー『ぜんぶ売女よりマシ』をもってして、「セックスワーク・イズ・ワーク」に反対する人たちを愚かだと見下そうとは私も考えていません。

問題はもっと複雑です。

「仕事なんだから多少は我慢が必要だ」などと心無い言葉を浴びせられ続けて、「work」という言葉にすらも嫌気がさしている当事者もいます。労働者の安全が完璧に守られる職場なんてありえないから、もう「work」として理想を追い求めるのにも無理があると絶望してしまった人もいます。

いや、それどころか「work」ではなく「sex」のほうにすら幻滅して、それ自体を否定するしかないと思い詰める人さえいるでしょう。性嫌悪が性憎悪へと膨れ上がり、自己否定が世界への絶望へと悪化し、反出生主義的なもう何もかも消えてしまえと呪いを吐き続けるしかない状況に陥った人もいる…。

「sex」も「work」も自分の利にならないのであれば、では一体どうすればいいのか…。「セックスワーク・イズ・ワーク」をめぐって賛否が起きる世の中はこんな悲しいすれ違いに満ち溢れています。

賛否どちらの側であろうといずれの人々も結局はもともとは暴力の被害者です。しかし、対立し合っているうちに今度は自分が心理的加害者になってしまうこともあったり…。負の連鎖です。

このセックスワークをめぐる論争は「誤った二分法」や「完璧主義者の誤謬」に陥りやすく、極端な二元論で膠着状態になりやすいですPinkNews。「セックスワークの犯罪化」を支持する人は「労働化」なんて完璧じゃないからダメだと指摘しますし、「セックスワークの労働化」を支持する人は「犯罪化」なんて完璧じゃないからダメだと非難します。

私はこのドキュメンタリーを観るうえで、「セックスワークの犯罪化」を支持する側と、「セックスワークの労働化」を支持する側、双方の主張をメディアなどで一応は整理して目を通していますが、確かに互いの表向きの主張は正反対なのですが、双方とも使っているレトリックは似たり寄ったりだったり、何よりも共に女性差別に心底傷ついています。どちらにも深い失望の色が見えます。

実際は「犯罪化」と「労働化」はどちらも規制を求めている点では実は同じで、道徳規範の問題はさておき、理想をどちらに重きを置いたかという当事者のちょっとしたバランスだったりもします。

本当は「犯罪化」と「労働化」の二項対立ではなく、共に「暴力や不平等は許せない」という共通認識が地面の下に埋まっているはずで…。

だからこそこのドキュメンタリー『ぜんぶ売女よりマシ』は大切になるのではないかなと思います。こういう犠牲者をださないためには何ができるのか。「犯罪化」も「労働化」も手段にすぎません。手段はいくらでも変えていいと思います。目的を達成することが常に大事。手段が違う者同士で憎み合って相手を悪魔化し続けても、犠牲者の墓は増えるばかりです。

セックスワークをめぐる実情は、国や地域でも違いますし、人種やLGBTQといったインターセクショナリティなトピックになってきます。セックスポジティブでも、セックスネガティブでもない、表面的なキャッチコピーでもない…より包括的な解決策を私たちは見つけられないと、このドキュメンタリーに記録された声は有耶無耶にされるだけです。

『ぜんぶ売女よりマシ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
7.0

関連作品紹介

女性差別を題材にしたドキュメンタリー作品の感想記事です。

・『ロレーナ事件 世界が注目した裁判の行方』

・『キャッチ&キル / #MeToo告発の記録』

・『サイバー地獄:n番部屋 ネット犯罪を暴く』

作品ポスター・画像 (C)Ovidie 全部売女よりマシ

以上、『ぜんぶ売女よりマシ』の感想でした。

Everything’s Better Than a Hooker (2017) [Japanese Review] 『ぜんぶ売女よりマシ』考察・評価レビュー