レズビアンとコナミコマンドが町を救う…Netflix映画『フィアー・ストリート Part1: 1994』『フィアー・ストリート Part2: 1978』『フィアー・ストリート Part3: 1666』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2021年)
日本では劇場未公開:2021年にNetflixで配信
監督:リー・ジャニアク
イジメ描写 ゴア描写
製作国:アメリカ(2021年)
日本では劇場未公開:2021年にNetflixで配信
監督:リー・ジャニアク
イジメ描写
製作国:アメリカ(2021年)
日本では劇場未公開:2021年にNetflixで配信
監督:リー・ジャニアク
フィアー・ストリート 3部作
ふぃあーすとりーと
『フィアー・ストリート 3部作』あらすじ
何世紀も前から忌まわしい出来事が続く悪名高き街、シェイディサイド。それは偶然なのか、それとも運命なのか。凄惨な殺人が繰り返されるその街で、高校生たちが住民を呪う邪悪な力に立ち向かってゆく。鍵となるのはひとりの女性。その得体の知れない秘密を探っていくと1978年のキャンプでの事件、さらに1666年の全ての始まりにいきつく。点と点が線で繋がったとき、愛する者を救うことはできるのか。
『フィアー・ストリート 3部作』感想(ネタバレなし)
3連発で待たせはしません!
シリーズものの映画はそれはそれで壮大なストーリーをたっぷり楽しめるという醍醐味がありますが、次の新作まで間が空いてしまうのがちょっとしたネックです。そうやっていつになるかわからない次作の公開日を数年以上も待ちに待った人も数知れず。
邦画でも長期間に渡るシリーズ実写映画は滅多にないですが、2部作構成での映画は一定数あります。たいていは1か月くらい空けての公開です。これもこれでなかなかに難しい商売戦略なんですよね。前編がヒットしてくれないと後編は絶対にヒットしないし、前編でたとえ観客が入ったとしても後編はやや観客の入りが減ってしまうことが多いし…。2部作全体を大ヒットさせるのは至難の業です。
ましてや3部作なんてもっと難しい…という理由もあってか邦画ではかなり3部作は避けられがち。ハリウッドでも3部作が実現できるのはよほどのブランド力のある人気タイトルだけの特権です。
そんな業界の常識をぶち破る奇策で勝負してきた映画がありました。それが本作『フィアー・ストリート』3部作です。
この3部作はホラー映画なのですが、『フィアー・ストリート Part1: 1994』『フィアー・ストリート Part2: 1978』『フィアー・ストリート Part3: 1666』という3つの映画で構成されます。
そして凄いのはこの3つの映画を毎週ひとつずつ配信して送り出すという戦術を用いているということ。具体的にはNetflixで配信されたのですが、1作目の『フィアー・ストリート Part1: 1994』を最初の週に、その次の2作目『フィアー・ストリート Part2: 1978』を翌週に、3作目の『フィアー・ストリート Part3: 1666』をまた翌週に…計3週間で3作がドドーン!と大盤振る舞いで投入されました。もう待たせやしません。お話の続きは来年かぁ…と考える必要はゼロ。ドラマシリーズみたいなテンポ感。
しかも一本一本がきっちり作りこまれたちゃんとした長編映画です。物語は3つの映画で雰囲気がガラっと変わるティーン・ホラーですが、最終的には全てが繋がって大団円へ向かっていきます。他にもジャンルとして革新的な要素があったりするのですけど、それはネタバレになるので後半の感想で…。
さすがNetflixと言いたいところですが、もともとは20世紀フォックスの配給で計画されていて、コロナ禍でスケジュールが上手くいかなくなり、スタジオがNetflixと契約し直したみたいです。これが劇場公開で成功していたらまた凄かったのですけどね。
監督はドラマ『アウトキャスト』でエピソード監督を務めたこともある“リー・ジャニアク”。まだ若いですが、この挑戦的な3部作の成功によって、確固たる注目を集めることになったと思います。
主演は“キアナ・マデイラ”や“オリヴィア・ウェルチ”といったフレッシュな顔が揃いつつ、『ストレンジャー・シングス 未知の世界』から“セイディー・シンク”、“マヤ・ホーク”なども登場。
原作は“R・L・スタイン”の同名の書籍シリーズで、この人はあれですね、「グースバンプス」とかを手がけている小説家ですね。
かなりいろいろなホラー映画の名作のオマージュが満載なのでマニアの人はネタ探しでも楽しめると思います。ホラー映画ファンと一緒に「あのシーンはあれだよね」とワイワイ盛り上がるんじゃないでしょうか。
ちなみにグロ描写が多めなスプラッター映画でもあるので苦手な人は注意です。
『フィアー・ストリート 3部作』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として『フィアー・ストリート Part1: 1994』は2021年7月2日から、『フィアー・ストリート Part2: 1978』は2021年7月9日から、『フィアー・ストリート Part3: 1666』は2021年7月16日から配信中です。
A:1作目から2作目、3作目と素直に鑑賞するのがベストです。物語もそれでわかるように繋がっています。
オススメ度のチェック
ひとり | :ジャンルのファンも必見 |
友人 | :マニア同士で盛り上がる |
恋人 | :同性愛ロマンスに注目 |
キッズ | :残酷描画が多めだけど |
『フィアー・ストリート 3部作』感想(ネタバレあり)
Part1: 1994
『フィアー・ストリート』シリーズはオハイオ州のシェイディサイドを主な舞台として一貫させています。この町はサニーヴェイルという隣町と常に対立関係にあり、何かと明るい話題の多いサニーヴェイル(「sunny」は晴れの意味)に対して、シェイディサイド(「shady」は日陰の意味)は暗い出来事ばかり。ある人はそれを呪いだと言ったりしますが、それは本当なのか…というのが物語のメインの土台です。で、3部作を全部観るとその呪いの正体がわかりますが、それはそんな単純な負の側面ではありませんでした。
第1陣となる『フィアー・ストリート Part1: 1994』はその名のとおり、1994年が舞台。ディーナはサマンサ(サム)と交際していましたが、両親の離婚が原因でサムはサニーヴェイルへ引っ越しすることになり、ディーナも自分を置き去りにしたサムに憤りを感じています。ところがそんな10代の青春喧騒の最中に残酷な殺人事件が発生。しかもその殺人鬼はなぜかサムを執拗に狙ってきて…。
1作目からすぐにわかるように本作はディーナとサムのレズビアン・ロマンスが主軸にあります。これはホラーのジャンルではとても意味深いことです。なぜなら作中でもディーナが自嘲気味に発言していましたけど、この手のジャンルではレズビアンは異常者として殺人鬼の役になるか、もしくは哀れな犠牲者の役になるか、その2つにひとつが定番だったからです。
つまり本作は明らかにレズビアンがこのジャンルによって呪われてきた側面を解放するべくメタ的に構成されたストーリーになっています。とくに終盤の怒涛の展開が印象的。トイレにおびきよせて一網打尽で丸焼きにする大胆作戦でも倒せなかった殺人鬼。最終的にはサムを一旦死亡させて蘇生させれば呪いは解けることが判明。クスリ大量服用&溺死という荒業で、まさにディーナが殺人鬼の役になり、サムが犠牲者の役になります。
これは本当にわかる人にはわかるアツい展開。収まりのいい悲劇、でも現実は映画と違う。過去のフィクションを現在のフィクションが上書きする…1作目だけで「あ、これはスゴイ映画かも」と確信を持てるものでした。
結果、物語はまだまだ終わらない。魔女サラ・フィアーの存在。そして昔に同じ殺人鬼現象から生還してみせたC・バーマンの口から過去が語られることに…。
Part2: 1978
『フィアー・ストリート Part2: 1978』はキャンプナイトを舞台にした70年代~80年代ジュブナイルホラーへと模様替え。このキャンプでもシェイディサイドとサニーヴェイルはあからさまに火花を散らしています。ちなみに作中で「カラー・ウォーだ!」と大盛り上がりしていましたが、あれはアメリカのサマーキャンプでよく行われるチーム対抗戦で、いろいろな競技で競い合うものです。
キャンプにてジギー・バーマンはシーラ含む周囲の女子に陰湿にイジメられており、一方で姉のシンディ・バーマンは性に夢中な同級生にどうもついていけず、ボーイフレンドのトミー・スレーターとも踏み込んだことができません。そこでやっぱり起きてしまった凄惨な大量殺人。これは魔女による悪魔的な儀式が関与しているのか。ジギーも親しくしてくれるニック・グッドとこの謎を解き明かそうとしますが…。
2作目は典型的なノスタルジーを喚起させるスラッシャーなので、中年世代を狙い撃ちという感じでしょうか。1作目との時代性のギャップがまた面白いです。
ただ、1作目があまりに直球なレズビアン・ロマンスだったわけで、その方向性を期待していた人は、この2作目を見始めたとき、ちょっと残念に思いながら鑑賞を進めたかもしれません。ジギーもニックとの異性愛ロマンスに入っていきますからね。しかし、そうは問屋が卸さない。これはミスリードでした。実はこのニックこそがとんだ曲者で…。それは終盤に突きつけられます。そう考えると全体的に異性愛をおちょくった展開が続いていたとも言えるかもしれません。
そして2作目の本当の主題はジギーとシンディの姉妹愛モノであり、何かと姉妹らしく衝突していた2人でしたが、全てから敵意を向けられる中で最後は犠牲で片方を生かすことに。息を吹き返したジギーはシンディと名前を偽ることになり、そのまま生きていくことになります。
この姉妹愛が果たせなかった想いというのが、1作目のディーナへと引き継がれ、2作目の終盤パートでサラ・フィアーの肉体と手をひとつにする。すると今度はサラ・フィアーの過去のヴィジョンが見え始め…。
継承の物語はいよいよ原点に…。
Part3: 1666
『フィアー・ストリート Part3: 1666』の前半パートはいわゆるフォーク・ホラーです。『ウィッチ』とかと同じ、要するに魔女狩りなので、想像していたとおりの壮絶で目を背けたくなるような残虐のシーンの連発。精神的にキツイ…。
しかし、ここで明らかとなったのはユニオン(シェイディサイドとサニーヴェイルはもともと一緒だったようです)に暮らすサラ・フィアーは牧師の娘であるハンナ・ミラーと恋に落ちていました。つまり、あの村八分の迫害はレズビアンへの差別が根底にあるわけで…。
サラは魔女でも何でもなくただ愛する女性を想う心を持っていただけ。その無念、苦しさ…。それを受け継ぐことになったジギー(シンディ)とディーナ。それにしてもディーナを演じた“キアナ・マデイラ”はサラとの兼役ですが、利き手を変えたり、手の込んだ演技を見せていました。
ついに真の悪が暴露され、ディーナと仲間たちはあのモールで最終対決に望みます。同性を愛する女性が受けた屈辱を晴らすためにも…。
本作はこうしたストーリーラインがあるゆえに、間違いなくジャンルの中でもネクストステージを駆け上がった一作になったと思いますし、カルト化するでしょうね(事実、海外なんかはかなり熱狂でもって受け入れられている)。
思えばレズビアンとホラーのジャンルとの因縁と言えば、本作でも何度か言及があった『キャリー』が挙げられます。ブライアン・デ・パルマ監督版の1976年の『キャリー』は、女子を主人公に性とホラーと青春を合体したこのジャンルの礎になったものですが、当時の出演俳優のコメントもあったように、この映画はレズビアンの文脈でも解釈できるものになっていました。しかし、時代的にも直接的に同性愛を描写はしていません。そして、リメイク版の2013年の『キャリー』ではレズビアンを公表しているキンバリー・ピアース監督(『ボーイズ・ドント・クライ』で有名ですね)が手がけたものの、やっぱりレズビアン表象として明確とまでは言えませんでした。
そんな『キャリー』の果たせなかった想い(もっと遡ればレズビアンとホラーの関係の原初は「カーミラ」ですけど)、それに真正面から答えて愛を貫いたのがこの『フィアー・ストリート』シリーズ。
しかも、その『フィアー・ストリート』シリーズを生み出したのは“リー・ジャニアク”監督という、若き女性クリエイターですよ。連続3部作という意欲作で提供された本作はその公開手法以上に新しい扉を開いた(こういう言い方よりも「古い足枷を壊した」の方がいいかな)ことにこそ意味がある。レズビアンが恐怖の対象として、狂気の対象として、ポルノの対象として、ずっと当事者抜きで消費されてきた時代に終わりを告げる、見事な解呪映画です。本作がスラッシャーしたのは異性愛規範ですね。
これからのホラー・スリラーのジャンルにおけるジェンダーやセクシュアリティ表象は『フィアー・ストリート』シリーズを起点に無視できないものになると思います。次世代の王道の誕生、おめでとう。
ROTTEN TOMATOES
P1: Tomatometer 83% Audience 65%
P2: Tomatometer 89% Audience 82%
P3: Tomatometer 94% Audience 84%
IMDb
P1: 6.2 / 10
P2: 6.8 / 10
P3: 6.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Chernin Entertainment フィアーストリート フィア・ストリート
以上、『フィアー・ストリート Part1: 1994』『フィアー・ストリート Part2: 1978』『フィアー・ストリート Part3: 1666』の感想でした。
Fear Street (2021) [Japanese Review] 『フィアー・ストリート Part1: 1994』『フィアー・ストリート Part2: 1978』『フィアー・ストリート Part3: 1666』考察・評価レビュー