声は残り続け、なおも助けを訴えている…映画『ヒンド・ラジャブの声』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:チュニジア・フランス(2025年)
日本公開日:2026年9月4日
監督:カウテール・ベン・ハニア
児童虐待描写
ひんどらじゃぶのこえ

『ヒンド・ラジャブの声』物語 簡単紹介
『ヒンド・ラジャブの声』感想(ネタバレなし)
映画というメディアが果たす役割
戦争はメディアの印象操作によって成り立つ…。
そのことを現在まさに浮き彫りにしているのが「イスラエル・パレスチナ紛争」です。いや、虐殺であり、占領であり、植民地支配…ですね。
メディア研究の第一人者である“ロビン・アンダーセン”の著作『The Complicit Lens: US Media Coverage of Israel’s Genocide in Gaza』は、そのメディアの罪を鋭く指摘しています(FAIR)。
「massacre(虐殺)」という言葉を、イスラエルがパレスチナ人を殺害したときにはほとんど使わず、パレスチナ人によって殺害されたイスラエル人を指すときだけ多用したり、はたまた「民族浄化」や「占領地」といった言葉を避けたり…。
どの物語を語るか、どの論点を取り上げるか、どの視点を無視するか…。この積み重ねによってメディアは戦争の印象を変えてしまいます。
そんな主要メディアの多くが沈黙と言葉の選択(いわゆるメディアによるゲートキーピング)によって、パレスチナで起こる惨劇を矮小化する中、映画というメディアが役割を果たすときがきました。そう、映画もメディアですからね。
2025年に米アカデミー賞で長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』を始め、あの地の出来事を生々しく伝える作品が続々と現れています。
今回紹介する映画は、さらにそこに加わった一作です。
それが本作『ヒンド・ラジャブの声』。
本作は、2024年1月29日にパレスチナのガザ近郊で6歳(5歳とする資料もある)のヒンド・ラジャブという少女が家族と避難中にイスラエル軍に攻撃を受け、孤立した車両内から救援を求める緊急通報がありました。
『ヒンド・ラジャブの声』は、その緊急通報を受けた人道支援組織「パレスチナ赤新月社」のボランティア・チームの人たちの視点で、その日の出来事を描いています。
この事件は、当時、ヒンド・ラジャブの安否がわからない状態に一時置かれ、緊急通報時のヒンド・ラジャブの実際の音声が公開され、世間に衝撃を与えると同時に、「一刻も早く攻撃を停止し、幼い命を救え」と世界中から声があがりました。
本作はそのヒンド・ラジャブの緊急通報音声がそのまま使用されているのが最大の特徴で、ほぼそれをメインに物語を展開しています。ヒンド・ラジャブ本人は役者の演技では描写されません。
そのため、劇映画ではあるのですが、非常にドキュメンタリー性が濃いです。
この『ヒンド・ラジャブの声』を監督したのは、『皮膚を売った男』(2020年)や『Four Daughters フォー・ドーターズ』(2023年)で高く評価されたチュニジア出身の“カウテール・ベン・ハニア”。
“カウテール・ベン・ハニア”監督は当初はずっと考えていた自身の企画を進めようとした矢先だったらしいですけど、例の事件が世間の話題となり、ヒンド・ラジャブの音声を聴いて、すぐにこの映画化に取りかかったそうです。
ヒンド・ラジャブの母親の支援も受けながら、パレスチナ人を中心にキャスティングし、2025年に完成。その年の第82回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞し、第98回米アカデミー賞では国際長編映画賞にノミネートされました。
ハッキリ言って、『ヒンド・ラジャブの声』はとても残酷で心がグシャグシャになる映画です。私も観終わった後は、気分が塞ぎ込み、ひたすら悲しくなり、ただただツラかったです。でも観る意味はあったと思います。
鑑賞後にどうしようもなく心苦しい感情に陥った人も、私の後半の感想を読みながら、少しずつ気持ちの整理のお手伝いができると嬉しいです。
『ヒンド・ラジャブの声』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 子どもが犠牲になる展開があります。 |
| キッズ | モザイクで遺体が映る実際の映像シーンがあります。 |
『ヒンド・ラジャブの声』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
2024年1月29日、イスラエルによる封鎖と爆撃でパレスチナ自治区ガザは荒廃し、大勢が避難を余儀なくされていました。そして侵攻するイスラエル兵は無抵抗のパレスチナの民間人を殺害してもいました。
そんな中、ヨルダン川西岸のラマッラーに「パレスチナ赤新月社」の緊急コールセンターがありました。ここはイスラム教徒が多数を占める国々での赤十字に相当する組織であり、人道支援を提供している拠点です。
その建物内では、各スタッフが自分のデスクでモニターを前に緊急通報の対応をしています。毎日が忙しいですが、スタッフたちはそれぞれのペースで、ときに休憩したり、リラックスしながら仕事に向き合っています。
そのスタッフのひとりであるオマルはある通報を受けます。ドイツからでした。どうやら爆撃の続くガザから車で家族みんなで逃げて移動している際に攻撃を受ける出来事があったらしく、家族の危機の情報を知って海外からここに通報したようです。
現場はガザの北部。場所もある程度は特定し、車も把握します。ラマルは後ろのガラス張りの部屋にいる上司のメヒディに救急車が必要の可能性があると伝えます。
それでも情報はまだ不足しています。1時間半前の出来事で、生存者がいるのかもわからないです。救急車を呼ぶべきかまだ判断できません。
そしてこちらから車の中にいる人の携帯電話に電話をかけてみることにします。
電話にでたのは意外にも幼い女の子の声でした。
「私たちは撃たれています」
その子はそう言います。今も戦車が傍にいるとのこと。
「車の中にいるんだね?」とあらためて確認すると、叫び声が聞こえ、何も聞こえなくなります。
「もしもし?」と何度も呼びかけるも、応答なし。呆然とするラマル。
そのやりとりを聞いていたメヒディは、スーパーバイザーのラナーに対応してもらうべきだと言います。
メヒディはラナを呼び、彼女がラマルの傍に近寄ってきます。「女の子が撃たれて、名前も聞く暇もなかった」とラマルは状況を細切れに伝えます。
ニスリンはなおもショックを隠せないラマルを励まします。この仕事に犠牲者は付きもの。乗り越えるしかない…。
気を取り直したラマルがまた席に着くと、また通報。しかも、それはあの車からのもので、もしかしたらまだ助けられるかもしれないです。
ラマルは電話をかけてみます。でたのは別の女の子でした。
「私はここにいます。早く来て」
「名前を言える?」
「ヒンド・ラジャブです」
「撃たれてます」
銃声が重なって聴こえ、ラマルはメヒディにすぐに救援を向かわせるべきだと強く訴えますが、しかし、メヒディは即決できません。
「今まさに撃たれているんですよ」
こうしている間にも時間だけがすぎ…。

ここから『ヒンド・ラジャブの声』のネタバレありの感想本文です。
メディアの責任を自覚して
世の中には「社会的に弱い立場の主人公(とくに子ども)がただ衝撃的で残酷な酷い目に遭い、テーマとして現実的に向き合えもせずに、一部の観客の俗悪な好奇心を楽しませる消費対象として利用される」という典型的な物語があります。こういう作品は、「トラウマ・ポルノ」だとか、「ミザリー・ポルノ(misery porn)」だとか、批判的に揶揄されることもしばしばです。
ではどうしたらトラウマ・ポルノにならず、残酷な宿命や現実を作品で描けるのか。「面白ければいい」という幼稚な発想は論外として、簡単な模範解答はありませんが、そのテーマに選んだものに対する誠実さは常に問われるでしょう。
もっと言うなら、なぜ作られるべきなのか…そのことをメディアの責任としてどこまで考えているか…でしょうか。やっぱり作品は創作物でありつつ、メディアでもあるんですよね。当然、作り手と受け手の間に相互作用が生じます。
『ヒンド・ラジャブの声』は、まさにそのメディアの責任を非常に自覚的に意識して制作された映画だと思いました。
つい最近起きた現実の事件、それも幼い子どもが残忍に殺されるという結末は紛れもなくそこにあります。扱いようによっては容易にトラウマを煽るだけの消費に終わりかねません。
しかし、『ヒンド・ラジャブの声』の“カウテール・ベン・ハニア”監督はそうさせません。その要となっているのが、本作の大部分を構成する「実際の緊急通報の声」の素材の活用です。
ヒンド・ラジャブの事件を題材にした映画は他にもあって、『Close Your Eyes Hind』や『Hind Under Siege』といった短編映画で、いずれもヒンド・ラジャブを役者の子が演じることで直接的に描いています。
そのスタイルが悪いというわけではないですが、『ヒンド・ラジャブの声』はそのアプローチは一切とらず、本当に緊急通報の音声だけを駆使しています。しかも、わざわざ「ここは本物の音声です」とわかりやすいように提示しており、ごちゃ混ぜにしてリアルとフィクションの境界をわからなくすることもしていません。
この緊急通報の音声だけを駆使する演出は、観客にそれこそあの「パレスチナ赤新月社」の緊急コールセンターのスタッフと同じ体験をさせるものです。
この事件は、当時はとくに欧米のメディアは報道に消極的で、報道したとしてもまるでヒンド・ラジャブが成人女性であるかのようにミスリードする言葉づかいを選ぶなど、その伝えかたは猛批判されました。それを踏まえたうえで、この映画は評価すべきじゃないかなと思います。
『ヒンド・ラジャブの声』は「極力そのようなゲートキーピング無しでこの声を聴いてほしい」という場を提供します。観客の良心を信じて突きつける一作であり、同時にメディアはこうあるべきだったのではないかというメディア批評性も有しています。
最近だとドキュメンタリー映画『パーフェクト・ネイバー 正当防衛法はどこへ向かうのか』とも通じますが、遺族の協力のもと、被害者の記録を届ける意義。それは被害者を風化させないことにも繋がります。
現にイスラエルはヒンド・ラジャブとその家族を殺害することで「無かったこと」にしたつもりでしょうが、この声は残るわけです。無かったことには絶対にさせないという強い信念がこの『ヒンド・ラジャブの声』を成立させているでしょう。
精神的麻痺を乗り越えて声を受け継ぐ
『ヒンド・ラジャブの声』は、緊急通報のオペレーター・ルームだけが舞台になっており、こういうワンシチュエーション・サスペンスは『THE GUILTY ギルティ』とも似ています。
スタッフたちは多少の追加情報はあれど基本的に「声」だけを頼りに現場を把握しないといけません。
『ヒンド・ラジャブの声』の序盤はその声から探っていく過程の緊張感が凄まじいです。しかも、相手は5~6歳の子ですから、状況認識ができていないし、それを上手く伝える能力にも乏しいです。
そしてしだいに「この子は家族の遺体しかない車の中に独りで閉じ込められている」という壮絶なリアルタイムの事実を把握します。
しかも、戦車に攻撃されている…。これ、要するに、戦車なんてその気になれば車内にいる子どもなんて瞬殺できるわけで、それをしていないというのは、わざと弄ぶようにいたぶっている…ってことですからね。
人間はここまで残酷になれるのか…と吐き気がしてくる現実。私はどんな加害者でも悪魔化したくないのですけど、同じ人間であることが心底嫌になる…。
ジェノサイドというとどうしても大量の殺戮に注目してしまいますけど、こういうひとりを狙った殺戮でも間違いなくジェノサイド。直接的に描かれないがゆえに、観客の想像力がその恐ろしさを補完します。
この事態に誰よりも怒りの声をあげるのがオマルです。直面するのは、精神科医の“ロバート・ジェイ・リフトン”が「精神的麻痺」と呼ぶ状態(Truthout)。それは人間の苦しみに対する反応能力の低下、道徳的無関心、そして倫理的判断力の衰退…。「ガザ」と「その他の世界中の地域」の2つのエリアは、映画『関心領域』のように分断された区画であり、あの本作のオペレーター・ルームだけがその接続点になっている…。
『ヒンド・ラジャブの声』はこの不均衡な世界スケールの空間構造を、ミニマムな映画構成で巧妙に捉え、映し出していました。
2023年10月以降、イスラエル軍は占領下のヨルダン川西岸地区で約1200人のパレスチナ人を殺害しており、これに加えて、イスラエルによるガザ地区での戦争中に73000人以上が殺害されていると分析されています(Al Jazeera)。暴力はなおも横行中です。
『ヒンド・ラジャブの声』を観た後は、まずはゆっくり深呼吸を繰り返し、涙を拭き、自分ができることを考えていきたいところ。あの声を聴いたら、今度はこちらが声をあげることができる。戦車に撃たれる車の中から声をあげるよりは、簡単なはずですから。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
関連作品紹介
イスラエル・パレスチナ紛争を題材にした作品の感想記事です。
・『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』
・『The Lobby』
以上、『ヒンド・ラジャブの声』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)MIME FILMS – TANIT FILMS ヒンドラジャブの声
The Voice of Hind Rajab (2025) [Japanese Review] 『ヒンド・ラジャブの声』考察・評価レビュー
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