アダム・ドライバーの危険運転の結末…映画『フェラーリ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本公開日:2024年7月5日
監督:マイケル・マン
交通事故描写(車) ゴア描写 性描写 恋愛描写
ふぇらーり
『フェラーリ』物語 簡単紹介
『フェラーリ』感想(ネタバレなし)
企業の踏み間違えた…は只事じゃない
「アクセルとブレーキを踏み間違えた」…これは最近では駐車場で起きる単独自動車事故の報道で最もよく耳にするフレーズになりました。
しかし、そんな踏み間違いよりもとんでもない間違いを日本の自動車メーカーはやらかしていたことをつい最近になって自白しました。
「トヨタ」「マツダ」「ホンダ」「スズキ」「ヤマハ発動機」の5社は2024年6月に一斉に記者会見し、国の型式指定の申請に伴う認証試験で不正があったと発表(NHK)。しかし、その発表での口ぶりは言い訳が滲み、「車の安全性や性能には問題がない」と弁明し、「不正」の言葉を避けたがり、車でなく制度に問題があるのだという都合のいい論点ずらしが見え隠れしていました。
大企業にとって「車」はおカネを稼ぐ道具に過ぎず、命を乗せているという自覚はないのでしょうか。そんな企業思想なのだとしたら、それこそブレーキをかけるべきです。
今回紹介する映画もそんな「過ち」を無視して危険走行する世界有数の車メーカーの関わる物語です。
それが本作『フェラーリ』。
本作は、タイトルのとおり、超有名なイタリアの自動車メーカー「フェラーリ」を主題にしており、その創業者”エンツォ・フェラーリ”を主人公にしています。伝記映画です。
ただし、本作『フェラーリ』は、作品のビジュアルから大衆が期待するような映画ではないということを最初に明示しておきます。
一部の宣伝でこう書かれていることもあるのですが、本作は、エンツォ・フェラーリの生涯を描いた物語…ではないです。伝記映画と言っても、生まれてからの一生を追いかけてはおらず、それどころか、1957年というたった1年しか描いていません。企業創業のオリジンが描かれるわけでもないです。エンツォ・フェラーリというポートレートを基にこの1年に凝縮した感じです。当然、脚色もあるので、史実どおりとは完全にはいきません。
また、エンツォ・フェラーリを偉人として崇め讃えるような話でもありません。「フェラーリ」はスポーツカーを製造するメーカーで、作中ではモータースポーツも描かれますが、カッコいいエキサイティングな映像を中心に届けるエンタメでもなく…。
「フェラーリ」で映画と言えば、『フォードvsフェラーリ』が2019年に公開されましたが、あちらの映画とはだいぶ雰囲気が違います。
本作『フェラーリ』はもっと抑制的な語り口で、エンツォ・フェラーリという人物の内なる葛藤とそれが周囲にもたらす破滅性を描いていく…非常に暗い作品です。映画時間は130分ですが、ずっと影で覆われています。
伝記映画のテイストで、カーレーシングに挑んでいくという表の流れは同じなのに、こうも作品の方向性が違う…これもまた映画の醍醐味。
なにせ本作『フェラーリ』を監督するのは、あの“マイケル・マン”。近年はドラマ『TOKYO VICE』を手がけていましたが、そんな“マイケル・マン”監督は何でも2000年頃からこの『フェラーリ』の企画を考えていたそうです。何度か企画が中断しながら、やっとのことで2023年に劇場公開に至りました。
なお、脚本は『ミニミニ大作戦』の“トロイ・ケネディ・マーティン”なのですが、2009年に亡くなっており、それでも本作のクレジットには名が残っています。
『フェラーリ』で主役のエンツォ・フェラーリを演じるのは、『ホワイト・ノイズ』や『65/シックスティ・ファイブ』の“アダム・ドライバー”。実在の人物を演じることは、『ザ・レポート』や『ハウス・オブ・グッチ』で経験済みです。
共演は、『パラレル・マザーズ』や『コンペティション』の“ペネロペ・クルス”、『アドリフト 41日間の漂流』の”シェイリーン・ウッドリー”、ドラマ『DOMドン ~若きギャングの物語~』の“ガブリエウ・ネオーニ”など。
エンツォ・フェラーリの伝記映画としては2003年のイタリア映画『フェラーリ』がオーソドックスなものとして良いのですが、日本では現状観づらいのですよね。レーシングドライバーに焦点をあてるなら、ドキュメンタリー『フェラーリ ~不滅の栄光~』も補助資料くらいにはなりますが、時代がズレます。
本作『フェラーリ』における史実の背景については後半の感想でもちょっと書いていますけども、もう少し関連する映像作品が増えるといいな。
『フェラーリ』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :偉人の暗い側面が気になるなら |
友人 | :車好き同士で |
恋人 | :恋愛気分は盛り上がらない |
キッズ | :大人のドラマです |
『フェラーリ』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
1957年、イタリアのモデナ郊外の閑静な地。エンツォ・フェラーリはベッドの上で目覚めます。隣で抱いているのはリナ・ラルディ。ひとり起き、ピエロという子どもの寝顔を確認し、静かに家を出ます。車でゆっくりと出発。家から離れると車の速度をどんどん上げ、道路を勢いよく走行します。
あのリナは妻ではありません。エンツォの妻はラウラ。リナとは浮気の関係で、子どもまで作っていました。ラウラにも誰にも秘密で…。
モデナの街に着いたエンツォでしたが、アルフォンソ・デ・ポルターゴという男が呼び止めてきます。しかし、エンツォは無視して車を前進させます。人の目を避けるようにエンツォはラウラのいる家に帰宅・
ラウラはひっきりなしの仕事絡みの電話に苛立っていました。それを無視してエンツォはレーシングドライバーのエウジェニオ・カステロッティに電話をかけます。そんな中、ラウラはいきなり拳銃を向け、エンツォのすぐ横の壁に発砲。夫婦の仲は冷めきって破局寸前でした。
それでもエンツォはその現実を見て見ぬふりするかのように散髪に行き、墓へ向かいます。1年前に亡くなったひとり息子ディーノを悼むためです。誰もいないこの暗がりでエンツォは感情を吐露し、涙をみせます。
入れ違いでラウラが墓参りに来ますが、2人は言葉を交わしません。
エンツォは「フェラーリ」という自動車メーカーを1947年に創業し、順調に成長させていました。エンツォ自身もレーシングドライバーの経験があり、スポーツカーを売ることで、モータースポーツに投じています。今はそれが全てです。フェラーリのレーシング・チーム「スクーデリア・フェラーリ」を設立して以来、エンツォは多くのレーシングドライバーを率いてきました。
現在、会社は業績不振によって破産寸前。競合他社からの買収の危機に瀕しており、対処しなくてはいけません。この窮地を脱するにはエンツォは、イタリア全土1000マイルを縦断する過酷な公道自動車ロードレース「ミッレミリア」で勝つしかないと考えます。
モデナ・オートドロームのテスト走行でドライバーとして呼び寄せたエウジェニオはさっそく運転開始。ところが、エウジェニオの車は不調をきたし、勢いよくコースアウト。クラッシュし、彼は帰らぬ人となりました。
それでもエンツォは全く手を止めることをしません。淡々と次のレーシングドライバーを探します。
そして白羽の矢が立ったのが、以前にコンタクトしてきたアルフォンソ・デ・ポルターゴでした。彼に才能を見い出し、「ミッレミリア」に向けて前進しますが…。
アダム・ドライバーは無理がある?
ここから『フェラーリ』のネタバレありの感想本文です。
『フェラーリ』は1957年しか描いていませんが、かなり時間の歪みが生じており、ロードレース「ミッレミリア」の開催時期も含めて辻褄は合いません。そこらへんは全然気にしないという思い切った脚色です。
ただ、最も賛否両論ある部分は、ストーリーよりもキャスティングでしょうか。
本作でイタリア人のエンツォ・フェラーリを演じるのはアメリカ人の“アダム・ドライバー”。映画で話される言語が英語なのはハリウッド映画なのでやむを得ないとしても、ここまで全然イタリア人じゃなければ、そりゃあ、イタリア本国の人からすれば「んん?」とはなると思います。実際、イタリアの批評家は本作にあまり良い評価は与えていないようです。
一応、見た目の雰囲気だけはメイクとかでそれっぽくしているのですが、それが余計にエンツォ・フェラーリのコスプレ感を強めている気がする…。
そもそも本作はたいていのキャラのキャスティングで国籍を気にする様子はなく、そこは度外視しているのは明白。なのですが、ピエロのような子どもはきっちりイタリアの子で、めちゃくちゃイタリア語の口調全開なんですよね。そんな父と子が揃うと余計に“アダム・ドライバー”が浮く…。
“アダム・ドライバー”なりの頑張りもあって、イタリア人らしさに依存せずに自己流のエンツォ・フェラーリを作り上げようという演技魂は感じるものでしたけども…。
ちなみに『フォードvsフェラーリ』でエンツォ・フェラーリを演じていたのはイタリア人の“レモ・ジローネ”。なんだかんだで一番堅実なキャスティングをしていた映画だったんだな…。まあ、あっちは国対決を強調するところはあったし…。
『Lamborghini: The Man Behind the Legend』(2022年)でエンツォ・フェラーリを演じていたのはアイルランド人の“ガブリエル・バーン”でした。
本作『フェラーリ』の企画初期段階では”クリスチャン・ベール”や“ヒュー・ジャックマン”が候補にあがっていたそうですけども…。う~ん、それはそれで違和感だったろうな…。
イタリア系アメリカ人ならいいというわけでもないんですよ。“ブラッドリー・クーパー”(母がイタリア系)や“クリス・エヴァンス”(母方の祖父はイタリア系)でもどうなんだという話だし、2000年代初期に作られてたら“レオナルド・ディカプリオ”(父はイタリア系)になっていそうだけど。
エンツォ・フェラーリは1900年代の経済界で最も有名なイタリア人を挙げるならまず名前がでてくるであろう人物です。たぶんイタリア人の中では確固たる「エンツォ・フェラーリと言えばこうだろう」というイメージ像があるんでしょうね。
レースで勝てば全て良くなる
キャスティングの話題はこれくらいにして、本作『フェラーリ』の物語に移ります。
冒頭、白黒でやけに牧歌的な感じさえあるレース・シーンが映し出されます。これはエンツォ・フェラーリ自身がレーシングドライバーだった時代の様子。そのすぐ後にベッドで目を開けるエンツォに移行するので、これは夢なのでしょう。つまるところ、エンツォはこの時代を懐かしみ、あの感覚を欲して、なおもスポーツカーを売り、レースにカネを投入しています。
これが本作におけるエンツォの唯一の目的になっています。あの頃に戻るのは無理なのですが、それでも思い焦がれている…。
しかし、現実は厳しいです。企業として「フェラーリ」は経営難に陥っている状態が描かれます。なお、史実では1957年の時点ではそこまで資金繰りに苦労はしておらず、傾き始めるのは1960年代になってからです。
とにかく本作はエンツォを追い込みます。その打開策としてエンツォは「レースで勝てばどうにかなる」と考えます。この「勝ち続ければ…」というあたりがもうギャンブル思考ですよね。破滅的です。
で、実際はエンツォ個人が破滅するならまだしも周りの人間が破滅、文字どおり「死」を招くのですから最悪です。
序盤でレーシングドライバーのエウジェニオ・カステロッティがあっさりと事故死します。そのときのエンツォの感情が凍っている感じ。もう怖いです。
そしてあの「ミッレミリア」を終焉させる大事故へと突き進む…。あの事故で、運転していたアルフォンソ・デ・ポルターゴとナビゲーターと、そして9人の観客(うち5人は子ども)が亡くなります。本作は一切の遠慮なしに生々しく映像化しており、あの真っ二つの遺体も史実どおりです。
勝つことが全てという企業姿勢がここまでの犠牲者をもたらす。史実では企業として刑事訴追で過失致死罪に問われるのですが、最終的には1961年に棄却されます。でも1960年代に企業内のベテランが相次いで離脱し、エンツォの支配は揺らぐことに…。
本作は、「車」の他に「子ども」を重要なキーパーツとしてピックアップしています。エンツォにとって、当初の息子のディーノに会社を継がせるつもりでしたが、筋ジストロフィーで亡くなってしまいました。隠し子であるピエロがいますが、その存在は世間的にスキャンダラスで安易に後継ぎにできません。
そんな子に「フェラーリ」の名を継がせることがそのままエンツォにとって何を意味するのか。レースしかない人生だった自分とは違う未来を見い出してくれるだろうか。
本作は最後の最後で少しエンツォを救いますが、5人の子どもの未来を奪った罪としてはそんなもので救われていいものではないかもしれません。
“マイケル・マン”監督は『ALI アリ』(2001年)などで伝記映画を作ってきましたが、『インサイダー』(1999年)などでタバコ業界の不正を描くなども大企業にも切り込んできました。この『フェラーリ』は趣味も混じりながら“マイケル・マン”監督のフィルモグラフィーの集大成なところがあったと思います。
あのピエロは後にちゃんと「フェラーリ」の副会長を務め、今や純資産が1兆円超えの大富豪。
そんな「フェラーリ」は、2022年、ブレーキ故障の可能性があるため、2005年以降にアメリカで販売したほぼ全ての車をリコールしました。
やっぱり企業の踏み間違えは変わってないかな…。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2023 MOTO PICTURES, LLC. STX FINANCING, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
以上、『フェラーリ』の感想でした。
Ferrari (2023) [Japanese Review] 『フェラーリ』考察・評価レビュー
#伝記 #アダムドライバー #車