もちろんそれだけではダメなんだけど…映画『フェイブルマンズ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本公開日:2023年3月3日
監督:スティーブン・スピルバーグ
イジメ描写 人種差別描写 恋愛描写
フェイブルマンズ
ふぇいぶるまんず
『フェイブルマンズ』あらすじ
『フェイブルマンズ』感想(ネタバレなし)
スピルバーグもいよいよ自伝的映画を撮る
有名になった監督が最終的によく作りがちな自伝的作品。
ついにこの人もそれを作るときが来ました。
その人とは“スティーブン・スピルバーグ”(スティーヴン・スピルバーグ)です。
“スティーブン・スピルバーグ”について今さら語るまでもない、ハリウッドはもちろん世界の映画界における巨匠の中の巨匠のひとりです。最近もリメイクの『ウエスト・サイド・ストーリー』を成功させ、その熟練した実力をさらりと発揮していました。
その“スティーブン・スピルバーグ”は子ども時代はどんなふうに過ごしていたのか。ユダヤ系であるというのは知ってる人は知っている話だと思うのですが、では家庭環境や友人関係、何よりもどうやって映画に興味を持ったのか…。
そんな“スティーブン・スピルバーグ”が自らの手で自伝的映画を送り届ける日が2022年に到来し、そして生まれたのが本作『フェイブルマンズ』です。
完全な自伝映画ではなく、主人公はあくまで“スティーブン・スピルバーグ”の子どもの頃を投影したサミー・フェイブルマンという少年。その子の視点で、家族や友人、映画との関わりが描かれていきます。
やはり“スティーブン・スピルバーグ”なので、「きっと映画愛に溢れる温かい物語なんだろうな」と期待するかもしれませんが、この『フェイブルマンズ』は意外なほどにシリアスというか、映画と人生の重く闇深い接点をスルっと浮き彫りにさせており、「スピルバーグ…こんなこと描いちゃうの!?」と初見時はざわつくと思います。
『フェイブルマンズ』は事実上は家族ドラマ、とくに崩壊しかけている夫婦を描くタイプのやつです。あれですね、『アメリカン・ビューティー』や『ブルーバレンタイン』とかと同類です。
“スティーブン・スピルバーグ”はこれまでも自身のフィルモグラフィーの中で、機能不全に陥っている家族をよく描いていました。『E.T.』も『宇宙戦争』も『レディ・プレイヤー1』もそうです。それはスピルバーグの人生経験が多分に影響していたわけですが、今回の『フェイブルマンズ』ではその原点が突きつけられることになります。
ということで非常にプライベートな作品であり、こっちとしては偉大な監督の私生活の、それも超秘匿にしたくなるようなピンポイントを覗いてしまったような気分になって、なんだか気まずく申し訳ない気持にもなるのですけど、スピルバーグがこれを作って公開したということは本人もじゅうぶんに納得してのことなんでしょう。
『フェイブルマンズ』はアカデミー賞でも多数ノミネートされ、高評価を獲得していますが、この映画はそういう賞がどうとかよりも、何よりも「作った」ということに意味がある映画ですね。
脚本にはスピルバーグの他に、スピルバーグとはおなじみのタッグである“トニー・クシュナー”が関与しています。撮影はこれまたスピルバーグ作品では毎度のことである“ヤヌス・カミンスキー”で、今作も素晴らしい映像センスを堪能できます。音楽はまたしても舞い戻って来た“ジョン・ウィリアムズ”。
これぞスピルバーグ映画!という鉄板の座組であり、この組み合わせで映画を作るのはもしかしたらこれが最後になるかもしれないですしね…。
俳優陣ですが、肝心の主人公を演じるのはオーディションで大抜擢された“ガブリエル・ラベル”。今作で一気に賞ステージに駆け上がってブレイクスルーしたので、今後も活躍するのかな。
主人公の母親を演じるのは、『ゲティ家の身代金』の“ミシェル・ウィリアムズ”。相変わらず抜群に上手く、本作では繊細で難しい役どころを見事に演じ切っています。
そして父親の方を演じるのは、『ワイルドライフ』の“ポール・ダノ”。私の中ではまだ『THE BATMAN ザ・バットマン』でのいきいきとした“ポール・ダノ”の雄姿が脳裏に残っているから、今作を観ていてもいきなり人を殺し出すのではないかとヒヤヒヤする…。
他には、『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』の“セス・ローゲン”、『アンカット・ダイヤモンド』の“ジャド・ハーシュ”、ドラマ『Generation』の“クロエ・イースト”、『グレイマン』の“ジュリア・バターズ”など。
とくにスピルバーグの映画とかを見ておかないとわからないということはありません(もちろん鑑賞済みだと小ネタに気づけるけど)。透明な親戚になったつもりで『フェイブルマンズ』を見守ればいいんじゃないでしょうか。
『フェイブルマンズ』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :映画好きは要注目 |
友人 | :監督好き同士で |
恋人 | :気まずい夫婦モノだけど |
キッズ | :大人のドラマ要素多め |
『フェイブルマンズ』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):映画が人生を変えていく
1952年1月10日、ニュージャージー州の映画館を前に、その片隅でひとりの子どもが両親と立っていました。「でも暗いんでしょ」とその子、サミー・フェイブルマンは初めての映画に不安げです。
しかし、「夢の世界だよ」と両親に諭され、父は熱心に映写の説明をしてくれます。「これが動画(モーション・ピクチャー)なんだよ」と…。
いざ劇場に入り、座席に座ると『地上最大のショウ』が上映されます。みんなが固唾を飲んでスクリーンの物語に息を呑みます。車が列車に突っ込んで大事故となるシーンでは、サミーは思わず身を乗り出し、釘付けになります。
帰りの車の中でもサミーは目を開いたまま座っていました。あれほどの刺激は初めてだったかのように…。
父は電気技師であり、サミーの自室にはオシロスコープがあってそれを見つめつつ、眠りにつきます。けれどもあの映画を思い出しながら、目を閉じるも、夜中にベッドで飛び跳ねてハヌカで欲しいものがあると親におねだり。
ハヌカの日。サミーにプレゼントされたのは列車のオモチャでした。修理するテレビでいっぱいの部屋で列車を父とセット。スイッチをオンにするとライトと煙をあげて動き出す本格的なものです。しかし、サミーの脳裏にはあの映画があり、単に走らせているだけでは満足しません。
オモチャの線路に車を置いてあの映画のシーンを再現してみると、吹き飛ぶ列車のオモチャに興奮が全身をかけめぐります。
クラッシュを見たがる息子に困惑しつつも両親は仲良く過ごしていました。母は事情を察し、父のカメラで撮影すれば動画を繰り返し見れると、「パパには内緒ね」と言いながら8ミリカメラをくれました。
こうしてサミーはそのオモチャの列車のクラッシュを撮り、映像を手に映写。母にも夢中で見せると、手を叩いて褒めてくれます。
調子に乗ってどんどんいろいろなシチュエーションを作って撮影を開始。トイレットペーパーを使いまくったり、家のものは何でも道具です。妹のレジーとナタリーも付き合わせます。
翌年、採用が決まったと父は母に報告。しかし、自分の中で気がかりがある母は動揺し、遠くの外にトルネードが発生しているのに気づくと、母は見に行こうと子ども3人を車に乗せます。赤ん坊を夫に託して…。
けれども我に返った母は停車し、「すべてに意味がある」と呟き、子どもたちにも呟かせます。
そんなこともあった後、フェイブルマン家は父の同僚のベニーと一緒にアリゾナへ引っ越しします。
サミーはティーンとなり、ボーイスカウトに所属。今や同年代の仲間と多くの出演者を登場させて、より本格的な映画を撮っていました。
父はサミーの作った映画を褒めますが、趣味に100ドルは使いすぎだと注意し、「想像のものではなく、現実のものを作りなさい」と苦言を呈します。
それでもサミーは映画を辞めません。それがどんな結末になるかも知らずに…。
世界で最も芸術的に美しい自傷的な演出
『フェイブルマンズ』の序盤はひとりの少年が映画の魅力に憑りつかれていく姿を、実にスピルバーグらしい手際で描き、とてもベタな映画愛を鼓舞する始まりです。
しかし、もうこの時点で本作は無邪気な映画愛賛歌ではない予感を漂わせています。
なにせサミーが夢中になって再現しようとしているのは列車の大事故。大勢が死傷するようなクラッシュです。さすが後に『激突!』を撮る人物…すでに狂気がこぼれている…。
そしてそこからトルネード、祖母の死など、不吉な予兆が続き、ついにダメ押しで現れるのがボリス叔父さんです。このボリスはどうやら昔はサーカスのライオン使いだったらしく、その後にハリウッドで仕事をこなしたという過去があり、サミーは食いつきます。けれどもこのボリスは「お前は映画を作る、そして苦しむ。心を引き裂き、孤独になる。芸術はライオンの口だ」と破滅の宣告みたいな言葉を呟くわけです。
ボリスの通って来た時代はまさに『バビロン』と重なると思われ、テーマ的にも接続します。つまり、「映画は楽しいことばかりじゃない、そこには闇があるんだ」とあの狂乱を知っている経験者だからこその至言です。
どういう意味なのかさっぱり実感が湧かなかったサミーでしたが、家族とベニーでキャンプに行った日の出来事をホームムービーとして編集しているとき、気づいてしまいます。母とベニーは愛し合っているのだ、と…。
『フェイブルマンズ』はサミーが映画とは何かに気づいていく物語で、技術的には冒頭で父が説明したとおりに「コマが切り替わって連なって動画になる」というそれだけです。でもそれだけじゃない。
単に好きなものを撮って楽しむという自己満足では終わらない。映画とは、何かを浮き彫りにさせ、それが現実に意図せずとも影響を与えるものなのだという“力”の問題。
それをあの母の不倫が映画で突きつけられてしまうという展開で描いてくるとは…。あれはもう私は他人ですけど、でもサミーの心境を思うとツライなんてもんじゃないですよね。
しかも、それを象徴するシーンが、車のライトに照らされてネグリジェが透けるのも気にせずに父と第2の男の前で舞い踊る母の姿なんですよ。非常にスピルバーグらしい光を駆使した構図なんですが、でもあんな使い方を今作でするとは…。
こんな演出、例えるなら世界で最も芸術的に美しい自傷行為みたいなもんです。
「スピルバーグ、それ以上自分を傷つけるのはやめてくれ…」と私も映画を観ながら心の中で思いました…。
ラストの安心感
母の衝撃的な出来事があった後、『フェイブルマンズ』はまた穏やかな日々を描いていくかに見えますが、ここでもやっぱりまた不吉な前兆が積み重なっていきます。
ボーイスカウトでは次に戦争映画を撮り、そこで役者の子に演技を指示。ここで初めて「人を撮る」という対象者を強く意識した展開になってきます。
カリフォルニアに引っ越した後は学校でユダヤ系ということもあってイジメられるのですが、イジメっ子のローガンと付き合っているクラウディアを通して熱心なクリスチャンのモニカという女子と巡り合い、交際しだします。
そしてビーチで学校の思い出ムービーを16ミリカメラで撮影。これがまた波乱を生むことに…。なんだろう、スピルバーグは映画を撮ると不幸を招くのか…。
プロムでの上映会の後、映画での花形であったはずのローガンは激怒。それは自分にとって映し出してほしくない自分の姿だったのか…。またしても映画が他者を滅茶苦茶にするということを実感することになってしまうサミーです。
そのうえ、いよいよフェイブルマン家の夫婦仲も崩壊し、サミーも妹に責められ、分裂状態に。本当にこの映画、徹底して報われないですよ…。
そんな中、本作がフィクションとしてあえて現実を改変して描いているのが、父との一件で、スピルバーグ本人は父に離婚の原因があると思っていたらしく、かなり父と疎遠になってしまいます。本作では父との決別は描かず、終盤で父は息子を受け入れてくれます。
別にここで終わっても良さそうなのですが、最後の最後に満を持して登場するのが、当時の巨匠であるジョン・フォード。演じるのは“デイヴィッド・リンチ”で、もうジョン・フォードというか、“デイヴィッド・リンチ”そのまんまな感じなんですが、そこでのあのあまりにもぶっきらぼうすぎる粗暴なアドバイス。
これまでのシリアスな論調からすれば「え? そんな助言で今さら何を?」って思うのですが、でも本作は「それでいっか」と半ば開き直るように、「地平線が下でも上でもいい絵になる。真ん中だと退屈でクソだ」という助言をそのまま従うように、ラストカットは地平線が真ん中の絵で晴れやかな後ろ姿で去るサミーのシーンで、慌ててカメラが上を向いて地平線が下になる終わり方。
この遊び心で閉幕させるあたりが、今のスピルバーグの成せる技というか、あれほど作中でずっとトラウマ的な描写を連続させておいて、「あ、でも今はもう私は大丈夫ですから」と安心させてくれるエンディングでしたね。
70年、映画を撮ってるとここまで境地に到達できるんだなぁ…。
スピルバーグは『フェイブルマンズ』がキャリア最後の作品ではなく、まだまだ現役で撮りまくってくれるようですから、とことんそのオモチャのレールを走りまくってほしいです。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 92% Audience 82%
IMDb
7.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『バルド、偽りの記録と一握りの真実』
・『ベルファスト』
作品ポスター・画像 (C)2022 Universal Pictures. ALL RIGHTS RESERVED. ファベルマンズ
以上、『フェイブルマンズ』の感想でした。
The Fabelmans (2022) [Japanese Review] 『フェイブルマンズ』考察・評価レビュー