月に立った男を再評価する…映画『ファースト・マン』(ファーストマン)の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2019年2月8日
監督:デイミアン・チャゼル
ファースト・マン
ふぁーすとまん
『ファースト・マン』あらすじ
空軍でテストパイロットを務めるニール・アームストロングは仕事に集中できずにいた。家族が抱える問題が立ちふさがり、ニールは悲劇に苛まれる。その絶望も消えぬまま、彼はNASAのジェミニ計画の宇宙飛行士に応募する。それは人類の歴史を変える、とてつもない一歩への入り口だった。
『ファースト・マン』感想(ネタバレなし)
なぜ彼は月に立てたのか?
「科学」という言葉を聞くだけで拒否反応がでるほど学校時代は数学や科学が嫌いだった人には申し訳ないですが、私は科学がとても好きな人間です。
科学というとどうしても理論や証明といった難解さだけが先行しがちですが、実はとてもシンプルな行為で成り立っています。それは「データを集めて分析すること」。それだけです。ある人は世界中の水を集め、またある人は世界中の土を掘り返し、またある人は世界中の蟻を探し回る。興味ない人にしてみればただの自己満足に思える行為。実際、データ集めに奔走する科学者も自分のこの行為の先にどんな価値が開けるのか正確には理解せずに無我夢中になっていることもあります。でもその小さな積み重ねが大きな一歩、もっといえば人類の歴史を変える革命を引き起こすことだってあるのです。だからデータを偽ったり、不正に分析したりすれば、逆に大変な事態を招きます。
膨大なデータを正確に収集・解析して成し遂げた科学史の偉業の代表といえば、間違いなく1969年の「月面着陸」です。今では“困難だが実現すれば大きなインパクトを起こす挑戦”のことを「ムーンショット」と呼ぶようになるほど、この月面着陸は人類の限界を超えた最初の出来事でした。
ではデータだけをしっかり積み重ねていけば誰でも月に行けるのでしょうか? それこそ大金持ちの人なら資産をジャブジャブ注げば、月に行き放題だったり?
いや、そうではないと、本作『ファースト・マン』は主張しているような映画でした。
本作は人類で初めて月面に降り立った人物である「ニール・アームストロング」を題材にした映画です。彼が初めて月面に自分の足を踏み降ろした瞬間に行った言葉は有名ですね。
That’s one small step for (a) man, one giant leap for mankind.これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。
この手の“宇宙ミッション実話モノ”はわかりやすいカタルシスを期待する人も多いと思います。『アポロ13』(1995年)や『ドリーム』(2016年)のような、“果てしない困難をクリアして遂に達成したぞ!やったー!”といったノリ。
でも、本作はそういうタイプの映画ではありません。描かれているのは、ひとりの宇宙飛行士の人間としての普通の葛藤と苦悩です。そこには科学やロマンといった崇高な象徴も、国を背負った英雄像さえもなく…。
なによりも特筆すべきは、本作の監督があの『セッション』『ラ・ラ・ランド』と立て続けに素晴らしいミュージック映画を生み出し、誰もが魅了され、もしくは嫉妬する若き天才“デイミアン・チャゼル”だということ。『ファースト・マン』でも『ラ・ラ・ランド』と同じ製作チームで、“ライアン・ゴズリング”主演といういつものメンバー。てっきりずっと音楽映画だけを作るのかと思っていたので、本作の起用には驚き。もちろん、ニール・アームストロングが月で踊ったりとかはしないし、鬼教官が出てきて激怒されることもないです(でも歌とダンスはちょっぴりでてくる)。
でも本作を観ると、音楽を抜いた後に残る“デイミアン・チャゼル”の作家性がハッキリわかる内容になっていてそれはそれで面白いです。とにかくこの監督は空間構成センスに異様にこだわる人なんだなと。本作が2018年のアカデミー賞では視覚効果賞、美術賞、音響編集賞、録音賞にノミネートされていることからもわかるように、視覚&聴覚で観客を揺さぶる演出が本作では光ります。そして人間描写も実にこの監督らしいです。
脚本を手がけた“ジョシュ・シンガー”はこれまで、内部告発サイトのウィキリークスの創設者を描いた『フィフス・エステート 世界から狙われた男』(2013年)、カトリック教会のスキャンダルに挑んだ新聞記者たちを描いた『スポットライト 世紀のスクープ』(2015年)、政府に隠蔽されたベトナム戦争を分析した国防省文書を暴く決断をした女性経営者を描いた『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』(2017年)と、ジャーナリズムを題材にした実話モノを連続で扱ってきた人物。監督との良い化学反応を引き起こしたかもしれません。
そんなこんなで大衆の見たい理想像ではないでしょうが、本作が最も「ニール・アームストロング」のリアルに急接近した一作なのは事実だと思います。
『ファースト・マン』感想(ネタバレあり)
英雄ではなく人間として
あの月面着陸はアメリカにとって国家の誇りともいえる出来事として語り継がれています。実際、ソ連に先を越されて相当に焦っていた中での努力の賜物ですから、その気持ちもわかります。しかし、“デイミアン・チャゼル”監督は、「この出来事を神話から解放してあげる良いタイミングだと思った」とインタビューでも語っているとおり、月面着陸という歴史を作った“一歩”を、本当にただの“一歩”のように描いてしまったのでした。
これはなかなか勇気のいることです。アメコミ映画が繁栄している今の時代に、あえてヒロイズムを否定する映画を作るのですから。ゆえに、アメリカ国内では本作に対してちょっとしたバッシングも起こったりしたとか。愛国主義的な人ほど不快ですよね。とくに月面でアメリカの旗を立てる場面が無かったことに怒る人もいたそうです。ただ、本作をしっかり鑑賞した人ならわかることですが、作中で国旗を掲げるシーンはあるし、ソ連に対抗意識を燃やすスタッフも描写されています。決して国の存在を否定はしていません。それでも本作は国という概念と一定の距離をとったのは、ニール・アームストロングがそういう人間だったからに他なりません(宇宙飛行士の中には引退して政治家になる人も多いなか、ニールは政治に手を出しませんでした)。
そもそもニールは自分が商業的な事業に使われることにかなりセンシティブで否定的だった人物。本作の原作となる伝記もなんとか許可をとって生まれたものであり、映画自体も遺族に念入りにインタビューするなど、本人に寄り添うことを最優先にして作られています。
エンタメとして考えるなら、本作は魅力が欠けているかもしれません。でも、本作が行ったことの意義はとても深いと思います。私たち(とくにアメリカ人)は散々とニールという人間を好き勝手にアイコンとして扱ってきたのですから、今作くらい彼を普通に描いてもいいですよね。
「英雄視されがちな偉人をありのまま“人間”として描く」という映画の姿勢は、最近だとクリント・イーストウッド監督の『ハドソン川の奇跡』(2016年)に通じるものがあります。実は『ファースト・マン』は企画の初期段階ではクリント・イーストウッド監督が手がける案もあったそうで、あながち“デイミアン・チャゼル”監督は監督センスが似ているのかもしれません。
それにしても、一般的にこの手の“宇宙ミッション実話モノ”は巨匠監督がメガホンをとるものなのに、それをこの若さで、しかもここまでの上質なクオリティで映画にしてしまう“デイミアン・チャゼル”監督…凄いとしか言いようがないですね…。
上の世界か、下の世界か
ニール・アームストロングを“英雄”ではなく“人間”として描く本作。では、どんな“人間”として描くのか。本作は、家族を主軸にこの人間を解きほぐしています。
最初の序盤、アームストロング家に悲劇が起こります。まだ幼い娘のカレンは脳に悪性腫瘍が見つかり、懸命に治療をしていましたが、肺炎のため死亡。埋葬される小さな棺と、家で独り嗚咽を漏らしながら涙するニール。
以降、本作のニールは感情を殺したように表情の見えないキャラクターとして描写されます。演じた“ライアン・ゴズリング”はこの手の不幸な宿命を背負う男が似合うものだから余計に…『ラ・ラ・ランド』『ブレードランナー 2049』と救われないなぁ…。
まるでニールは宇宙空間でぽつんと取り残されて居場所もなくクルクルと彷徨っているようです。ニールは感情をガンガンと表に出すことが少ないタイプの人間ですが、作中では彼の不安定さを地球と宇宙を行き来する行為に重ね合わせて象徴的に表現していました。
例えば、冒頭、「X-15」という高高度極超音速実験機のテスト・パイロットとして空を飛行するニールは、高度を上げ過ぎてそのまま大気圏へ行ってしまい、降下できなくなりそうになるというトラブルに遭います。自分の意思とは関係ない“上の世界へ引っ張られる”恐怖と“生”への執着です。それでこの後に娘を失い、彼女の体は埋葬というかたちでこれまたニールの意志とは関係ない“下の世界へ引っ張られる”…そしてそれを止める手立てはない。これらの2つのシーンは非常に対比的ですね。
宇宙飛行士として訓練を受けることになって以降は、激しく体に負荷がかかるたびに、カレンの記憶をフラッシュバックしたり、幻影を見たりします。それこそニール自身が“上の世界”へ行きたいのか、“下の世界”へ行きたいのか、わからないように。
アポロ11号が飛び立つ日の直前。ニールは息子に「帰ってくるよね?」と尋ねられます。この時、初めてニールは自分には“上の世界”でも“下の世界”でもない“帰ってくるべき場所”があると実感したような気がします。
そして、いよいよ月面。そこに一歩を残し、カレンの形見のブレスレットをクレーターに投げ入れます。それはカレンをニールの届かない“下の世界”からニールが初めて届いた“上の世界”へ連れてきてあげる行為のようで…父としての優しさに満ちていました。
“デイミアン・チャゼル”監督作ではたいてい二人が見つめ合うシーンのあるラストで終わるのですが、今作も同じでしたね。帰還して隔離状態にあるニールと、会いに来た妻ジャネットが、ガラス越しに相対する…そこには“上”も“下”もなく平行で…。この二人は後に離婚してしまうのですが、二人にしかわからない一瞬のつながりを描くことで幕を閉じるのも、“デイミアン・チャゼル”監督らしいじゃないですか。
私は宇宙飛行士にはなりません
忘れてはいけない、視覚効果などの映像面も凄まじかったです。
本作の白眉はなんといっても作中で何度か登場する飛行体に登場しているシーン。最初は「X-15」高高度極超音速実験機の緊迫のミッション。掴みからこれですからね、もう私は人生で飛行機のパイロットにはならないと固く決心させるのにじゅうぶんな映像でした。
続いて、真ん中に挟まれるのがジェミニ8号のミッション。このシーンでは、映像と音のコンビネーションが本当に絶妙。発射前、狭いコクピットに固定された内部では、静寂で、ハエが飛んでいて叩くと、また静寂。ギシギシときしむ音が聞こえる。これは私は嫌です、発狂すると思います。で、カウントダウンで発射すると、振動、爆音、火花、閃光、暗闇、静寂、浮遊する小さな鏡が目に入って宇宙へ来たことがわかる。流れるようなシークエンス。異常事態発生後の落下はこれまた怖い。あのグルグル・シーンは、スクリーンで観ていて酔う人もいるのではないでしょうか。私もワープ転送装置が発明されるまでは宇宙に行きたくないです。
一方、アポロ11号のミッションは映像的にはわりと静かなんですよね。とくに月面着陸船・イーグルが無事着陸し、ハッチを開けると、無音の世界…呼吸音だけが聞こえるというのがとても神秘的。人知を超えた世界に来た気分にさせます。
これらのシーンは、どうせグリーンバック撮影で後からCGで映像を付け加えたのだろうと思ってしまいますが、実は本物とほぼ同じコクピットを作り、窓の風景はLEDディスプレイに映った映像だというから驚き(グルグル・シーンはLEDディスプレイの映像が回転している)。ここまでリアル思考で再現するとは…。確かに『ラ・ラ・ランド』でもセットではなく、本物の高速道路で撮っていたりしたから、この監督は基本リアル重視なんでしょうけど。
音と映像のミックスという“デイミアン・チャゼル”監督の持ち味が見事にドッキングした一作。この監督の可能性を新たなに目撃できたことで、ハリウッド映画の潮流に逆らう天才若手監督の今後がますます楽しみになってきました。
アメリカの宇宙史を支えているのは、ニール・アームストロングや“デイミアン・チャゼル”のような謙虚で卓越した人間性ですね。「宇宙軍」とか作っている場合じゃないですよ、大統領さん。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 88% Audience 66%
IMDb
7.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★
(C)Universal Pictures
以上、『ファースト・マン』の感想でした。
First Man (2018) [Japanese Review] 『ファースト・マン』考察・評価レビュー