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『ハラ Hala』感想(ネタバレ)…アメリカに暮らすムスリム少女に青春はあるのか

ハラ

アメリカに暮らすムスリム少女に青春はあるのか…「Apple TV+」映画『ハラ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Hala
製作国:アメリカ(2019年)
日本では劇場未公開:2019年にApple TV+で配信
監督:ミナル・ベイグ

ハラ

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『ハラ』あらすじ

17歳のハラは悩んでいた。郊外に住む普通のティーンエイジャーとしての自分と、伝統的なイスラム教徒の家庭で育った自分との間で葛藤する日々。文学に興味を持ち、その才能は先生も認めるほど。しかし、両親の理解は理想どおりとはいかない。けれどもハラにはもうひとつ大きな気がかりがあった。それは同じ学校に気になる男の子がいたのである。けれどもそれもまた単純に想いのままにぶつかることもできず…。

『ハラ』感想(ネタバレなし)

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ムスリムでも青春がしたい

2020年の映画ベスト10に私もチョイスした『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』でアカデミー主演男優賞にノミネートされた“リズ・アーメッド”。この部門にイスラム教徒の俳優がノミネートされたのは史上初でした。

その“リズ・アーメッド”は映像業界におけるムスリムの不可視状態に異議を唱え、自身の支援する団体による調査結果(「Missing&Maligned:The Reality of Muslims in Popular Global Movies」というレポート)を公表しました。

それによれば…

2017年から2019年の間に英語圏で発表された映画のうち、ムスリムが映し出されたのは1.6%。その約3分の1が暴力の加害者役であり、半分以上が暴力の標的の役だったとのこと。

確かに映画におけるムスリムの描き方は著しく偏っています。私もそれなりの映画の本数を観てきたつもりですが、思い浮かべてみれば、ムスリムはたいていはテロリスト、もしくは治安の悪いところにいて何かしらの被害に遭うかです。逆にムスリムが平凡な日常を送っている姿は全然見えてきません。私が映画でムスリムの人たちのごく普通の日常を頻繁に見れたのは(中東映画を除けば)インド映画くらいかも…。

でも言うまでもないですが、現実社会にはムスリムの人たちは会社に行き、学校に通い、趣味に興じ、家庭や育児に悩み、他の人と同じように生きているのです。だったらそのありのままを映画に映し出せばいいのに…。映画というものはまだまだ一部のマジョリティが見たい世界しか描かないんですね。

そういう状況である以上、ムスリムの人たちの自然体の姿を観れるのはしばらくはインディーズ映画が中心になるのは継続しそうです。

そこでじゃあどんな映画があるのかということで、少しでも多くの作品を紹介したかったので、今回はこの一作にしたいと思います。それが本作『ハラ』です。

本作はすっごくマイナーで、映画ファンでも全然話題にしません。というのも「Apple TV+」でしか配信されていない作品だから(Appleさん全然宣伝しないんだもん…)。けれども貴重なアメリカのムスリムが映し出される一作です。

しかも、ムスリムの17歳の少女が主人公となる青春映画です。青春映画といえばアメリカ映画の鉄板中の鉄板ですからね。そんな王道ジャンルでムスリムの子が主役に立つ。それがどんなに異例なのかは前述した調査報告の件でよくわかると思います。

ここ最近はマイノリティな人種の子を主役にした青春作品が続々登場しています。アジア系ティーン女子の初心な恋をロマンチックに描く『好きだった君へのラブレター』シリーズだとか、インド系ティーン女子の痛々しい恋模様をコミカルに描くドラマ『私の初めて日記』とか。

その流れで言えば『ハラ』も「ムスリムの女子だって恋をする!」と高らかに謳うものになる…と期待しますが、本作はしっかり現実的な問題を直視させるシリアスなトーンも併せ持っていて…。

そんな『ハラ』を監督したのは“ミナル・ベイグ”という人で、パキスタン系のアメリカ人。自身の人生経験を素材にしながら本作を作り上げたそうです。『ハラ』を手がけた後はアニメ『ボージャック・ホースマン』の一部エピソードの脚本を担当するなど、活躍は広がりつつあります。今後もっと話題作に抜擢される可能性はじゅうぶんありますね。

主人公の女子を演じるのは、インド系オーストラリア人で『ブロッカーズ』にも出ていた“ジェラルディン・ヴィスワナサン”です。

「Apple TV+」で配信されているオリジナル映画の中では目立たないかもしれませんが、埋もれるのはあまりにももったいないですし、ぜひ注目してほしい一作なので時間があるときにどうぞ。

オススメ度のチェック

ひとり 3.5:マイナー作品をお探しなら
友人 3.5:シネフィル同士で
恋人 3.5:青春を語り合う
キッズ 3.0:やや性描写あり
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ハラ』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):沈黙の間で耐える少女

朝から湯船に浸かっている17歳のハラ・マスードは、家族にも邪魔されないプライベートな空間をいいことに、息を荒くしつつ、自らで性的な快感を味わっていました。そこに母・エラムのいつもどおりの口うるさい声が飛んできます。「毎朝礼拝をサボるつもり?」

居間で食卓につくと、母は小うるさくチクチクと説教をしてきます。これは日常です。一方、父・ザヒド「男子と一緒じゃなければ好きにさせてやれ」とそこまで関心なさそうな態度で座っており、クロスワードに夢中。わからない単語を文学に詳しいハラに聞いたりします。

ハラは登校のために家を出て、スケボーで街を疾走。もちろん頭にはヒジャーブを被りながら。

学校では作文の発表。優秀とされているハラは真っ先にみんなの前で読み上げます。

「彼女が恐れたのは言葉ではない。きつい言葉、意地悪な言葉、傷つく言葉。それは耐えられる。耐えられないのは無言の間合い。沈黙、品定め、言葉の裏、口に出さない何か。彼女が恐れたのはその余韻。言いかけて、言おうとして、言えたのに、言えなくて。口にしないこと。その底知れぬ闇が恐ろしかった。何かを言ったあと、または何かを言い始める前の沈黙に広がる闇。その沈黙、その闇、その間合いにこそ、自分が何者かを知るのだ」

作文のテーマは「Point of View」です。それぞれが考えてくることになります。

食堂で友達のメラニーと、夏が迫る中、何をするかをお喋り。そんなときでもメラの視線はある男子に注がれます。実はその子、ジェシーのことが気になっていました。

体育があるので更衣室へ行きますが、ハラはひとりトイレで着替えます。ムスリムの教えでは他人に肌や髪を見せることはできません。

帰宅。ヒジャーブをとり、顔を洗い、ヒジャーブをまたつけてお祈り用のじゅうたん(サッジャーダ;モスクに行けないときはこれを敷く)を広げて部屋で祈ります。

夕食。またも母はハラを責める言葉が止まりません。父がかばってくれます。

翌日。車の中で父と2人きりとなったハラは父から「ママに理解を示してやったら」と言われますが、母の過保護な態度にはハラはうんざりです。「娘が生まれてからそうなった」と父は語り、「カラチで私の両親がお前のママを見つけた」と見合い結婚だったことを口にします。「親が結婚相手を選んだの?」「パキスタンではそれが普通だ」「ママを愛している?」「バカな質問だ。大事なのは愛ではなく価値観だ、お前も善良なムスリムの男と結婚すればそれで上手くいく」…そう父はサラリと断言するのでした。

ハラはジェシーへの想いがおさまりません。スケートボード広場で滑るジェシーを眺めつつ、自分も滑ります。すると隣にジェシーが座り、少しの沈黙の後に話しかけてきました。

「怖くなった?」「なんで?」「沈黙を恐れるって言ってただろう」「あれはただの作文」「君のことじゃない? でも君の気持ちも入っているだろう」「まあね」「もっと読んでみたいな」

ハラは耐え切れずにその場を離れます。

そのことは目ざとい母に知られました。スケート場で男子と一緒にいたでしょうと詰問され、「メラニーともいたし」と誤魔化すも、「ムスリムの間で噂されるでしょう」と母は怪訝な顔。

それでもハラの恋心は大人しくできません。ジェシーとはどんどん打ち解け合い、幸せを感じていきますが…。

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恋愛すれば万事解決…とはいかない

『ハラ』は前半は割とオーソドックスな青春恋愛ドラマです。

こっそりセルフプレジャーなひとときを味わいつつ、頭の中ではジェシーという男子でいっぱいに。性と恋でぐるぐるする女子の典型的な姿がそこにあります。

そのジェシーと交流を深めていくシーンも甘酸っぱいです。基本的にこのジェシーは“良い人”として描写されているので、常に紳士的ですし、ハラのことを第一に考えて振り回すことなく寄り添ってくれます。体を交える初めての場面も、さりげないですがハラの方からリードするように描いているあたりもいいですね。

家庭では両親の厳しい監視があり、一方で学校ではムスリムゆえにどうしても浮いてしまう自分もいて、どっちにおいても居場所のなさを感じていたハラにとって、このジェシーという存在はそのどちらでもない居場所としてのセーフティーゾーンになっていました。

しかし、本作はその流れのままに「恋をすればハッピーエンド!」というロマンス至上主義な着地にはなりません。

なぜか。それはハラの置かれている境遇に答えがあります。ハラの属するムスリム社会では「恋愛=結婚」であり、「結婚=規範」です。自由に恋を謳歌…という単純な話にはなりません。でもそれはムスリム社会だけでなく、そもそもあらゆる社会においてそういうものかもしれません。恋愛はどういうものであったとしても多かれ少なかれ“人生を縛る”ことが起きえます。何かを我慢しないといけないかもですし、相手に合わせないといけないかもです。恋愛は見方を変えれば宗教と同じです。

ハラがメラニーに男付き合いを訊ねるシーンが印象的です。メラニーは随分と冷静な口ぶりで、カレシを家に呼んだ話、そしてそのカレシには付き合う意思がなかったことを語ります。このことからも、恋愛がとくに女性の人生を無条件で幸せにすると考えるのは早計では…という視点を投げかけます。

ハラの母親の件もそうです。父に尽くしてきた母。でも父はその母に愛というかたちで尽くしてきたのだろうか。そういう疑念を抱かせてしまう父の姿を見てしまったハラは心をかき乱されます。

ムスリム社会における自由恋愛を許さない結婚圧力の恐ろしさは『アリの結婚』でも描かれていましたが、『ハラ』はそこからさらに一歩進み、恋愛伴侶規範からの脱出を描いています。そこはこのジャンルとしては非常にフレッシュでしたね。

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娘と母は同時に自立する

とは言っても『ハラ』の物語における要にあるのは「ムスリムであること」という要素を生まれながらにして背負ってしまった10代のドラマです。

ムスリムはアメリカの社会ではマイノリティです。女性の場合はただでさえ頭にヒジャーブを巻くのですぐにムスリムだとバレます。ハラの通っている学校ではとくに悪目立ちするようなイジメの描写はありません。しかし、ハラはあの学校空間の中で明確に孤立に沈んでいたのは言うまでもないでしょう。

そのハラにとっての開放感を示すパーツとして、本作ではスケートボードが活用されています。ヒジャーブ少女がアメリカのよくある住宅地をスケボーで駆け抜けるのは、なかなかにアンバランスで新鮮です。こういうムスリムの少女と乗り物を組みあわせる感じ、『少女は自転車にのって』という2012年のサウジアラビア映画に通じるものがありますね。

ハラが当初から嫌悪感を持っていたのは母親の存在です。何かにつけては小言ばかり。ウザい親としてずっと付きまとってきます。しかし、しだいにその母の心の内側を覗けるようになっていくと、その印象は変わっていきます。

母が「ここがパキスタンならこんな生き方はできないのよ」と自由なアメリカで生きていける娘の恵まれている状況を訴えるのも、その裏には母自身が経験してきた人生があるからでしょう。きっと母は一切の自由がなく、結婚を他者に決められ、従うしかなかったはずです。

そんな母にとって唯一与えられた自由、自分の功績が「メラを生んだこと」、そして「メラと名付けたこと」なのでした。「ハラ」はアラビア語で「光の輪」「月の暈」という意味で、最初は父が自分が命名したかのように語っていましたが、それは違いました。本当は母の想いが詰まった名前。

ハラに刺激された母は父(夫)に離婚を突きつけて、自分で生きていくという自立の道を模索し始めます。それは遅いということではなく、ハラという娘であり、同じ女性という仲間を手にして、初めて実現するための入り口に立てた瞬間。

ハラもまた大学の寮に住まいを移し、ヒジャーブをとって外に出た瞬間、自分の新しい人生の入り口に立つことができました。

娘と母が同時に自立するというスタートラインがまさに大事なところなのかな。

細かいところを言えば、ジェシーの件とか、先生の件とか、ややフォローアップが欲しい部分もありますが、ムスリムの少女を主人公にした物語として誠実で時代の先頭を走りだそうとする意義のある一作だったと思います。

あとはこういう作品がインディーズだけでなく大手の作品として生まれていってほしいものです。朗報があるとすれば、現在ハリウッドを突っ走る大ヒット・フランチャイズであるマーベル・シネマティック・ユニバースが、ドラマシリーズとしてムスリムの少女を主役にした『ミズ・マーベル』を制作中ということですかね。

ムスリムの存在が映画やドラマで偏見なくしっかり可視化されますように。

『ハラ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 89% Audience 55%
IMDb
6.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
7.0

作品ポスター・画像 (C)Overbrook Entertainment

以上、『ハラ』の感想でした。

Hala (2019) [Japanese Review] 『ハラ』考察・評価レビュー