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ドラマ『私の初めて日記』感想(ネタバレ)…インド系だって恋をする!

私の初めて日記

インド系だって恋をする!…ドラマシリーズ『私の”初めて”日記』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Never Have I Ever
製作国:アメリカ(2020年)
シーズン1:2020年にNetflixで配信
シーズン2:2021年にNetflixで配信
原案:ミンディ・カリング、ラング・フィッシャー
恋愛描写

私の”初めて”日記

わたしのはじめてにっき
私の初めて日記

『私の”初めて”日記』あらすじ

短い高校生生活はすぐに終わってしまうので充実させないといけない。それなのにその貴重な1年を最悪のかたちで浪費してしまったインド系アメリカ人女子高生のデービー。この不運で遅れたぶんを挽回するためにデービーが目指すのは、冴えない負け組からイケてる勝ち組への転身。しかし、友達や家族、心の葛藤がそんな彼女をひたすらに悩ませる。

『私の”初めて”日記』感想(ネタバレなし)

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インド系アメリカン青春ドラマの到来

皆さん、インド人というとどんなイメージを持っているでしょうか。

陽気? おしゃべり? カレー? 大勢でワラワラしている? 踊っている?

実際それぴったりなインド人も確かにいるでしょう。でも、そういう印象の多くはステレオタイプであり、たいていはそれこそインド映画のようなフィクションのせいで誇張的に植え付けられ、流布しているものです。私もインド映画をたくさん観て、この感想ブログでも散々好き勝手に知ったかのようにインド人についてあれこれ書いていますけど、現実ではインド人とはいえ個人のアイデンティティがあるものだということを頭に入れておかないといけないなと気を付けています。

それでもなかなかインドとなるとなぜか創作の世界では極端なものが多いためか、イメージの偏向がどうしたって激しくなりがちです。

例えば、インド人の女優がハリウッドで活躍することも最近はありますが、よくありがちなのがエキゾチックな美人というセクシーアイコンとしてしか扱われないパターン。そのキャラが普段はどういう生活をしているのか、そういう背景は全く見えてこない、極めて表面的なハリボテです。

もっとインド以外の国々がインド系の人たちをリアルに描きだすことはないのだろうか…そう思っていたらドンピシャな作品が登場しました。それが本作『私の初めて日記』というドラマシリーズです。

本作は青春学園モノであり、学内で日陰の立場でいた女子が理想の恋をゲットするために背伸びしていく、リア充になろうと奮闘する…まあ、よくあるタイプです。最近だと『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』とか『スウィート17モンスター』とか、類似作品は映画でドラマシリーズでも枚挙にいとまがありません。

しかし、この『私の初めて日記』の主人公はインド系アメリカ人なのです。これはかなりレアじゃないでしょうか。何かと脇役に配置されることが多いインド系ティーンをあえて真正面に描く。さらに、その人種的バックグラウンドも網羅的に描いて、物語を彩る。しかも、群像劇の一部を担うのではない、ドラマシリーズの主役を引っ張るのですよ。

以前にアジア系アメリカ人の女子ティーンを主役にして学園恋愛ドラマの新時代を切り開くエポックメイキングな一作となった『好きだった君へのラブレター』という映画がありましたが、まさにそれと同じことを『私の初めて日記』はインド系でやってみせています。

本作の原題は「Never have I ever」で、直訳すると「私は今まで全然したことない」という意味になりますが、各話で「Never have I ever ~~~」とサブタイトルが続き、意味が浮かんでくるシャレた仕掛けです。邦題は「私の初めて日記」となり、かなり翻訳に苦悩している感じがする…(なお、日記は出てくるは出てきますが、そんなに重要ではない)。

ともあれこんなインド系アメリカ人のティーンに素直に向き合ったドラマシリーズは“今まで全然見たことない”ですよね。

そんな新しい扉を開く『私の初めて日記』を生み出した功労者のひとりが“ミンディ・カリング”です。インド系アメリカ人の女優兼コメディエンヌとして、最近は『オーシャンズ8』などの大作にも出演する傍ら、『レイトナイト 私の素敵なボス』では脚本&製作を手がけてユニークなストーリーを打ち出すなど、マルチなフィルムメーカーとして才能を発揮。

その“ミンディ・カリング”がまさに自分のアイデンティティを直球で活かせるこの『私の初めて日記』で製作総指揮&脚本を担当。これが面白くないわけがありません。

そして主演に抜擢された若き新人も見逃さないでください。本作の主人公を演じるのは“マイトレイ・ラマクリシュナン”。彼女はスリランカのタミル系を家族に持つカナダ人(カナダにはスリランカ内戦時の難民としてタミル人がたくさん移住してきた歴史があります)。役者としてのキャリアは全然なく、オーディションで『私の初めて日記』の主役の座を射止め、一気にブレイクしました。作品を観れば一目瞭然ですが、そのフレッシュな演技は文句なしに素晴らしく、今後も活躍してほしいと切に願いたくなる逸材です。“マイトレイ・ラマクリシュナン”を知るためだけに本作は観るかいがあると言いきれますよ。

『私の初めて日記』は多様性時代を象徴する新たな青春学園ドラマのマスターピースとなりうる一作です。このジャンルが好きな人はマストで鑑賞です!

オススメ度のチェック

ひとり 4.5:学園モノ好きは必見
友人 4.5:ワイワイと楽しんで
恋人 4.5:ロマンスもいっぱい
キッズ 4.5:ティーンにはオススメ
↓ここからネタバレが含まれます↓

『私の”初めて”日記』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤):神様、処女は嫌だ!(直球)

「私はデービー・ビシャクマー」…そう自己紹介しているのは15歳のインド系アメリカ人の少女。誰に向かって名乗っているのか、それは神様たちです。彼女は他のインド系と同じくヒンドゥー教徒。今日は学校の新学年初日だからお祈りです。「お酒とドラッグのパーティに招待されたい、腕の毛を薄くして、カッコいいカレシが欲しい」…私欲駄々洩れな願望を堂々と要求するデービー。

ここから物語のナレーションはなぜかあの有名なプロテニス選手のジョン・マッケンローが担当します(本当に本人が声をあてている)。

デービーの両親であるナリーニモハンは2001年9月に渡米(それがいい時期ではないのは911同時多発テロのせい)。デービーが生まれるわけですが、事件は彼女がシャーマン・オークス高校での高校1年のときに発生。デービーのハープの演奏会で父モハンは突然の心臓発作で帰らぬ人に。しかもデービーはその事件以降から足が動かなくなる症状に襲われ、車椅子生活に。スクールライフは車椅子の変な子として過ごす最悪な1年でした。

デービーには親友が二人います。ひとりはファビオラ、ロボット工学チームの主将です。もうひとりはエレノア、演劇部の部長です。そして、ここからが大事。デービーが今、一番愛を捧げたいと思っている相手。それはパクストン・ホール・ヨシダというセクシーガイな同学校の男子。もうたまりません。

そして2学年になり、デービーは歩けるようになったことで、この心機一転のリスタートに燃えていました。絶対に最高の学生生活を送ってやる、と。

さっそく友人二人に問答無用で計画を語りだすデービー。3人でカレシを作ろう。とにかく外側だけでもバカにされないように。そんな雑な提案で、ファビオラはアレックス・ゴメス、エレノアはボリス・コスノフ、デービーはジョナ・シャープに勝手にカレシ作戦アプローチをかけることに。ジョナはゲイではないの?という疑問に関して「ストレートのカレシを見つけるまでの隠れ蓑にするだけ」と悪びれもせずに言い切るデービーはもう周りは見えていません。

そんな中、同級生のベン・グロスがこちらを見ていました。デービーとベンは学業優秀で常にトップを競い合っているせいもあって犬猿の仲。ベンはデービーたちを「UN(国連)」と呼んで揶揄います。

そのベンを無視しつつ、恋愛作戦を実行している最中、まさかの急展開。なんとあの上級生であるパクストンが授業を落としたのでこのデービーの授業に来たではありませんか。これはジョナどころではないと、完全にターゲットを本命に乗り換えることにします。

デービーにはセラピストである児童心理学者ジェイミー・ライアンがついており、定期的に面談をしています。ジェイミーはセラピー日記を薦めますが、当のデービーは恋愛しか眼中にありません。

イメチェンで派手派手に登校し、グラブス校長に怒られつつ自己流で奮闘。その暴走っぷりは独断専行で、友達にさえも苛立ちをぶつけ始めます。そんなとき、パクストンに遭遇。焦りすぎたデービーは勢いのままに好きだと告白、セックスをすることを考えてほしいと口走ってしまいました。すると「いいよ、セックスだけなら」とパクストンもアッサリ了承。念願の処女喪失まで秒読みカウントダウンに入ったと言ってもよしか。

これは…めでたしめでたし?

しかし、デービーの波乱万丈な学生生活はここからが本番でした。友達との衝突、母親との対立、そして、見え始めた亡き父の幻影。

デービーの危なっかしい運命は神様にも読めません。

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こじらせすぎて…

『私の初めて日記』の主人公であるデービー・ビシャクマーは、性格的にもひと言でいえば典型的な「イタイ奴」です。相当にウザいし、普通に考えて主人公として“これはアリなのか?”という言動を乱発します。恋に憧れている乙女心というよりは、完全に人間を「リア充」と「陰キャ」の2タイプでしか分類しておらず、自分は勝ち組になるためにはどんな手段もいとわない自己中心的な人物です。もっといえば、ひたすらに“こじらせている”というべきか…。そして、だいたい人間関係が間違っているという…。

本作のナレーションがジョン・マッケンローなのも、表向きの物語上の理由はデービーの父が彼を好きだったからなのですが、設定上はおそらくジョン・マッケンローが審判に暴言を吐くことで有名だったから…という重なりもあるのでしょうね(彼を題材にした映画『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』もぜひ)。

そんな破天荒ガールなデービーに周りの人間は振り回されまくることに。

親友のひとりファビオラは実はレズビアンで自分の気持ちを誰にも言えずにいます。イヴという女子に好意を寄せていますが勇気が出ず、そのままデービーの“とりあえずカレシ”作戦に流されるかたちに。デービーはとくにLGBTQへの偏見があるわけではないのですが、自身のヘテロセクシュアルな恋愛猛進状態がそれ以外の当事者の息苦しさになっていることにまで気が回っていません。

もうひとりの親友であるアジア系のエレノア・ウォンは、実はもうカレシがいてデービーには悪いので隠していました。そんなエレノアにも悩みが。それは自分の母親ジョイスのことで、女優として世界で活動していると思っていたら、近所のメキシカンレストランで働いていたことが発覚。ここでもデービーが善意のつもりで余計な気を回し、状況を悪化させる一因になってしまい…。

デービーの家には従姉のカマラがいます。彼女は周囲の男が見惚れる美人で、スティーブという恋人がいるのですが、プリシャントというインド人の裕福な男とのお見合い話が勝手に進行中でやや不満げ。ドラマ『リバーデイル』を観たり、ムスリムと結婚したから孤独になったというジャヤと話をしたりするうちに自由な生き方に憧れ、やがて彼女なりの道を歩み始めます。カマラはどちらの男を選ぶかという選択ではなく、最終的には自立を選ぶという、非常にプログレッシブな生き方に向かって奮闘していきます。一方のデービーにとっては「男が群がる美人=嫉妬すべき敵」ですので、存在自体に腹立っており、本質的なレベルの違いが浮き彫りになっていますね。

そのデービーが夢中になっているパクストン。デービーは彼を超人無敵で完璧な人間くらいにしか見ていませんが、実はパクストンにも人間らしい悩みがあります。それは自分の仲間グループについていけるかという不安。ステータスを常に示さないといけないプレッシャー。また彼にはレベッカという妹がいて作中で明確な言及はないですけどダウン症なんですね(演じている“リリー・D・ムーア”はダウン症)。その妹に過保護的ですが、実際はレベッカの方がむしろ自分を隠さずにハツラツと生きている。そこへの不甲斐なさも見え隠れする苦悩をあります。

そしてデービーのライバルであるベン・グロス。彼はユダヤ系で相当に裕福な家庭ですが、両親は全然かまってくれず、家では広い室内でポツンと孤独に生活。恋人もいますが、そのシーラはベンを金持ちカレシがいるというステータスとしてしか見ていません。そのベンにとって、デービーはなんだかんだで自分を一番かまってくれる相手です(それが敵対意識だとしても)。模擬国連でのデービーによる核攻撃級の裏切りシーンはコミカルさもありつつ、ベンの孤独がよくでていました(その後のエピソードもいい)。

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シーズン1:移民一世と二世の和解

デービーがなぜそこまでして勝ち組スクールライフにこだわるのか、その事情がしだいに見えてくる『私の初めて日記』の物語の後半。と同時に、これは単に「恋人ができました!」で終わるタイプの話ではないこともわかってきます。

当初は父親との確執があったのかとミスリードさせる本作。これはインド系にありがちな家父長制を視聴者は先入観で想定するだろうという反応へのくすぐりがあるのだと思います。そして実際はデービーが演奏会前に大喧嘩した相手は、父ではなく母親でした。

本作の物語は、移民一世と二世の女性の生き方の軋轢がテーマになっており、そういう観点では『クレイジー・リッチ!』と共通するといえるかもしれません。

移民一世の女性はその母国の保守的な生き方と新天地の自由な生き方の間で板挟みになりながら、何とか生きてきた世代です。対する移民二世はもう生まれた時から自由。縛りなんて気にしませんし、邪魔があれば平気で文句も言います。

そしてデービーの恋に爆走する理由は、父の喪失感を紛らわし、母への苛立ちを消し飛ばすためでした。コヨーテに噛まれようが(インスタではバズった)、親しい友人に嫌われようが、なりふり構わないデービーの心の痛み。母も母で「あの子は私の娘じゃない」と言い過ぎてしまうほど、自分の生き方に自信を失っていて…。

互いが率直な気持ちを打ち明けて和解していくシーズン1の最終話の散骨の場面は、ベタではありますが、すごく今の世界各地に生きる移民世代(インド系に限らず)の共感を与えるシーンなのではないでしょうか。結局のところ、支え合うことでしかこの世界で寂しさや偏見に打ち勝っていく方法はない…そんな寄り添いが伝わってくる良いラストです。

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インド系あるあるネタ

『私の初めて日記』はさすがインド系コミュニティを題材にしているだけあって、インド系のあるあるネタが満載で、ときに遠慮なくディスりまくるので、新鮮で面白いです。

デービーの宗教やインド文化への雑極まりないなスタンスも不謹慎&アホっぽくてイチイチシニカルですし、彼女自身が実はインドのことをよく知らない(偏見すら抱いている)のも見て取れるのがまた二重で皮肉ですし…。

ガネーシュ祭りの場面で、大学に行った男が「自分も最初はインド系という枠が嫌で焦っていたが、いざ大学に行くとルーツを捨てることはないと気づいた」というような話をしていましたが、まさにそういう気持ちになる人は多いのかな。デービーはまだその段階の入り口にも立っていないけど…。

もちろんインド系を取り巻く非インド系からの目線もときおり目立ちます。サリー衣装のデービーに白人の女の子が無邪気に「ジャスミンみたい、写真撮って」と言うところとか、インド系の人は言われまくっているのだろうな、と(一応補足しますけど、『アラジン』はイスラムの物語がベースであり、インド人とは全然関係ない。というかインドとムスリムは歴史的には敵対関係にすらあるから、迂闊に混同するのは失礼以前の問題)。

こういうその人種(とくにマイノリティになってしまっている人たち)が素で思っている社会へのあれこれが普通に描かれるのってやっぱりいいものですね。

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シーズン2:“こじらせ”はさらに暴走

※シーズン2に関する以下の感想は2021年9月16日に追記されたものです。

シーズン2は以前にあれだけのことがあったし、デービーも反省するのかなと思いきや、最初のエピソードから暴走。というか“こじらせ”度合いがさらに増している…。

この初カレシにしていきなり二股できると勘違いしたこじらせティーンは救いようがありません。しかし、同じインド系であるアニーサ・クレシという転入生の登場をきっかけに「自分に人気がないのは人種のせいだと思ってたけど、自分がダサいだけなのか」と気づくという…このイタさ。アニーサは摂食障害であると情報を流してしまってからの下心しかない謝罪プランとか、ウザいのなんのって…。

シーズン2は全体的に「マイノリティをこじらせてしまうこと」がテーマになっている感じでした。何らかのマイノリティ性を持っている人なら共感性羞恥を感じるかもしれません。

例えば、ファビオラはレズビアンとしてカミングアウトできたはいいものの、クィアなイケてる集団のポップカルチャーの話題やファッションについていこうと必死すぎるあまりに自分を見失います。まあ、これも当事者なら何かしらの経験はあることですよね。自分では失格じゃないかと焦る不安。カミングアウトして「はい、幸せ」にはならない。そういうものではあるのだけど…。

エレノアはアジア系として自分を低く位置付けることが無自覚に習慣化しており、それがマルコムとの付き合いを無批判的に受け入れてしまう原因に。

イケメンでスポーツ万能だけどそれ以外は全くダメなパクストンも、努力というものに真剣に取り組みつつ、アジア系として祖父の強制収容所体験など、意外にも自分には他の人にはない“できること”があると気づきます(“ジジ・ハディッド”がナレーション)。“男らしさ”ありきではない、純粋に勉学に励む男子を描くってまだまだ珍しいですよね。

逆にカマラやデービーの母ナリーニはマイノリティの鎖を切って新しいステージへ行こうとします。それを後押しするのはデービーだったり、まさかの祖母だったりする。インド系の女性は保守的な規範にただ従っているだけの従順な人たちだという世間のイメージを吹き飛ばします。

マイノリティもマジョリティと同じように盛大にこじらせながらアイデンティティを模索する。その醜態をイタイタしいほどに爽やかに伝える、本当に新時代の青春学園ドラマでした。

『私の”初めて”日記』
ROTTEN TOMATOES
S1: Tomatometer 97% Audience 89%
S1: Tomatometer 93% Audience 87%
IMDb
8.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
8.0

作品ポスター・画像 (C)Kaling International, Inc., Netflix

以上、『私の”初めて”日記』の感想でした。

Never Have I Ever (2020) [Japanese Review] 『私の”初めて”日記』考察・評価レビュー