今泉力哉監督は日本のLGBTQ映画の補助輪になる…映画『his』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2020年)
日本公開日:2020年1月24日
監督:今泉力哉
恋愛描写
his
ひず
『his』あらすじ
男子高校生だった井川迅は、湘南の高校に通う日比野渚と出会い、2人の間に芽生えた気持ちの揺れはやがて心をときめかせる愛へと発展するが、迅の大学卒業を控えた頃、渚は「一緒にいても将来が見えない」と別れを告げる。出会いから13年後、同性愛者であることを周囲に知られるのを恐れ、田舎で孤独な生活を送る迅の前に、6歳の娘・空を連れた渚がふいに現れる。
『his』感想(ネタバレなし)
日本では想定されていない愛
同性結婚は日本では認められていません。2020年、同性カップルらが国を相手取り、全国の5地裁で「同性婚が認められないのは憲法違反である」と訴えを起こしました。その第一陣として、8月に裁判の審理が札幌地方裁判所で開かれ、あらためて同性カップルが切実な想いを主張しました。
それを伝える報道記事の中で、こんな言葉が書かれていたので一部を抜粋します。
原告となってから取材などで「結婚できないと何が困るの」と問われる。一方、心の中では違和感を感じてきた。「何かに困っていないと結婚できないの?」「異性カップルは困っているから結婚するの?」
一部のセクシュアリティだけが結婚を認められないのは明らかに不平等です。しかし、それ以前に社会は同性愛をフェアに認識していないことがよくわかる事例だと思います。無意識な見下し…マイクロアグレッションというやつですね。
今回のケースに限らず、日本社会全体に漂うLGBTQに不寛容な空気は当事者は頻繁に肌で痛感しています。ただ、なかなかそれをマジョリティには理解してもらえません。それを口で説明しても焼け石に水にしかならないこともしょっちゅうです。できればいろいろなアプローチでこの問題を世間に提示していかなくてはなりません。より多くの人に深く届くように。
その手段のひとつとして映像作品というのは大きな役割を果たしており、今、世界のLGBTQ映画は第4波フェミニズムの躍進に乗っかってかつてない存在感を示しています。当事者にとってはまたとない千載一遇のチャンスです。
その大波の一部は、この手のムーブメントから出遅れがちな日本列島にも少しずつ到達しています。中にはとんでもなく残念な差別的映画もなくはないのですが(タイトルを紹介するのも嫌だ)、良作として評価される作品もチラホラあります。
そんな中で今回紹介する映画は日本映画界の大きな一歩になったかもしれません。それが本作『his』です。
本作はもともとは『his〜恋するつもりなんてなかった〜』という2019年に放送されたテレビドラマシリーズが土台になっており、そこで描かれた物語の13年後を描くのが映画版です。つまり、続編になるのですが、とくにドラマシリーズを鑑賞していないとわからなくなることはないので、映画単体でも楽しめます。
ストーリーは、二人のゲイ男性を主軸にしたもので、ゆっくりしたテンポで進むロマンスありの映画です。それだけだと「BL」的なイチャイチャのみに特化しているのかと思われるかもしれませんが、そうではなく同性愛者を日本社会がどう見ているのか、受け入れているのかという社会的な視点も含まれています。その中で、保守的な家庭観とは異なる、新しい家族のカタチを模索していくような、そんな未来を予感させる内容でもあります。
この『his』を手がけた監督は、今の日本映画界における恋愛映画の名手と言ってもいいと私も思っている“今泉力哉”です。自主制作映画の頃から注目度はあったようですが、彼を一躍映画ファンの間で有名にさせたのがやはり2019年の『愛がなんだ』。一部で熱狂的に支持されて旋風を巻き起こしていました。その後も『アイネクライネナハトムジーク』や『mellow』など恋愛ジャンルにおいて確かな実力を証明し続けています。
邦画業界では恋愛はどうしてもベタな表現に頼りがちなのですが、“今泉力哉”監督はそこに陥ることなく、かといってアバンギャルドなアート派で攻めるわけでもなく、恋愛を堅実に描き、あまりステレオタイプさも感じないのが良いのかな。恋愛を描くのは世間が思っている以上に才能がいりますけど、間違いなく“今泉力哉”監督はその才能を持っている人です。
その“今泉力哉”監督がゲイを題材にした作品を作るとあれば、注目しないわけにはいきません。おそらくインタビュー等を見るに監督自身は別にLGBTQ当事者ではないのでしょうけど、それでもあれだけ才能があればどんな映画になるのか、気になってきます。
私の感想の結論を先に言ってしまえば、“今泉力哉”監督はやっぱり凄いな、と。異性愛ではない題材でもそこは健在でした。実力がある人は地盤がしっかりしているから臨機応変に対応できるのですかね。
もちろん『his』に関しては私もついつい書きたいことがあれこれと出てきてしまい、それらは後半の感想で整理することにします。
とりあえずまだ観ていないという人は、2020年の見逃せない邦画の一本ですのでぜひどうぞ。
オススメ度のチェック
ひとり | ◎(ひとり鑑賞でもじゅうぶんOK) |
友人 | ◎(仲間同士で偏見抜きで) |
恋人 | ◎(同性愛でも異性愛でも) |
キッズ | ◯(多様な愛を知るきっかけに) |
『his』感想(ネタバレあり)
「俺はゲイなんだ」
密着して寝ている二人の若い男。仲睦まじくじゃれあいながら、片方の男が相手の服を勝手に着て「これ、俺の方が似合ってない」とご満悦。「俺のやるから」「似合ってるよ」なんて言い合い、楽しく過ごしています。ところが相手から思わぬ言葉が。
「別れよっか」「え?」
アラームで目覚める男。井川迅はひとりでのっそり起き上がり、いつもの朝を迎えます。
井川迅はとある田舎で単身生活をしています。その暮らしは質素で静か。朝起きて、家の前の畑で、大根など野菜を収穫し、洗い、朝食。その後は、車を走らせ、店で買い物。
河原でのんびりと読書しつつ昼寝していると、近所の緒方という地元の年配のおじさんが猟銃を持ってやってきます。「昼寝にはピッタリの場所やろ」「そろそろ都会が恋しくなってきたんやない?」と言われるも、「いや、こっちの方が合ってます」と井川迅はすぐに返事。緒方の獲った肉をもらって家に帰ります。
しかし、家の前には先客がいました。まだ幼さの残る幼稚園くらいの女の子がひとり無邪気にシャボン玉をしています。「何しているの? 誰と来たの?」と聞きますが、「知らない人と話をしたらダメってパパが言ってた」とマニュアルどおりの拒絶対応。
すると「パパー!」と女の子が今やってきた男に駆け寄ります。その男は「よっ!」と気楽に挨拶し、「パパ、この人誰?」と娘に聞かれて「この人はね、パパの…」と答えかけたところで、おしっこだと言いだした娘、空(そら)を相手するために井川迅の家のトイレを借りに行きました。
茫然の井川迅。少し落ち着いた後、二人でじっくり会話します。「何しに来た? パパになったって知らせに来た?」と井川迅は静かだけれども棘のある言葉で、その男、日比野渚を問いただします。日比野渚とは以前は付き合いがありましたが、ある理由で別れてしまって、それ以来疎遠です。日比野渚は離れてからの経緯を簡単に説明し、オーストラリアで通訳の女の子と仲良くなったと語ります。「お前、バイだったの?」と井川迅は聞くものの、「ゲイの自分が子どもを持てるって思わなくて…自分から結婚しようって」「今は離婚前提で別居中」だと日比野渚は歯切れ悪く弁解。「こんなとこ来ていいの?」との質問に「なんとなく会いたくなったんだよ」と答えるのみでした。
日比野渚と空は井川迅の家に泊まります。翌朝、勝手に食事を作っている親子。どうやら空は父が卵を片手割りするのがお気に入りのようです。
食事を一緒にとりながら、自給自足とブツブツ交換で生きていると聞いた日比野渚ですが、自分については「働いていない、家事と育児に専念してきた」と語るのみで、井川迅の「これからどうするの?」という質問にはスルー。
いつものひとり買い物は3人になり、親子は“はみがき”を買っていました。
次の日、お湯の調子が悪いので移住サポート課の吉村美里に見てもらいます。そこに日比野渚を紹介。日比野渚も「友人の渚です。しばらくいる予定です」と軽く挨拶。
こうして3人の田舎生活は続きますが、ある時、日比野渚が離婚調停で都会に行ってしまい、井川迅は空と二人で一時的に暮らすことに。
そして思わぬトラブルが起きます。「なんで俺がお前と一緒に子育てしなきゃいけないわけ? 俺はどういう立場で子育てするわけ?」…井川迅の動揺は破裂。
「俺が求めてたのは男の体じゃなくて迅だって」
「勝手すぎるだろ、ふざけるなよ、俺はやっと渚のことを忘れて生きていこうとしたのに」
二人の想いは再び重なりますが…。
新しい家族のカタチ
『his』の前身となるドラマシリーズ版は青春時代を描いており、自分が同性愛だと自認する過程を描いていく、非常にわかりやすい流れがありました。そういう意味ではとてもプライベートな物語でした。
対するこの映画『his』は、主役の二人が完全に大人になっており、否応なしに社会との関係を考えないといけなくなっているため、プライベートな物語とも言っていられません。なのでテイストは結構変わっており、そこも新鮮で楽しいです。
しかも、当然、ちゃんと日本社会にフィットしたものになっています。なかなか欧米のLGBTQ映画はリベラルな空間での物語も多く、やや日本から見れば先進的すぎる感もありましたが、この『his』はすごく日本社会の素がそのままこぼれ出ています。
離婚調停に苦しむ日比野渚が言われる「男だけの環境で育てるのはどうかと」「本来、子どもはお父さんとお母さん、夫婦のもとで育てるのが一番いいですからね」という“普通”(と世間では思われている)のセリフや、井川迅が若い社会人時代に経験した「ホモ」という差別用語を使いながらの何気ない飲み会ノリの“からかい”。
それだけでなく、本作には同性愛以外の側面の生きづらさも描いています。
例えば、育児をする男性の苦悩。「男性が親権をとるのは難しいとされています。子育ては女性の方がむいているという世間一般では考えが残っているからです」という言葉のとおり、専業主夫を見る社会の目は厳しいです。
また、日比野渚の妻である日比野玲奈の境遇もツラいもの。働くことに集中する女性が当たり前のように受ける、女なのになぜ子育てしないのか?という育児能力だけで評価されてしまう実態もよくあること。
つまり、『his』は同性愛映画でありつつ、同時に今の日本社会で認められていない“新しい家族のカタチ”がもがくさまを映す家族映画でもあるのでしょう。
離婚訴訟での「特殊な環境は問題」「本件は普通ではないと言わざるを得ません」というジャッジは、まさに今の日本ではこの“新しい家族のカタチ”が認められていない現実そのものです。
気になる点もなくはないけど…
そうした現実問題としての社会の残酷さを逃げずに描いていることも素晴らしいですし、そこに“今泉力哉”監督らしい機微を上手く掴んだ繊細な表現が加わって、実に落ち着いた一作になっています。
社会や人が少しずつ変わるということを、卵の片手割りや空の自転車の練習風景、パイプオルガン工房で暗示していく演出も気持ちがいいです。
もちろん主演を演じた“宮沢氷魚”と“藤原季節”の自然体なスタイルもとても良かったです。誇張せず抑制の効いた演技は観ていて安心感があります。
『his』は邦画の中でも最もプログレッシブに“新しい家族”というテーマに向き合っている、最先端の一作だと言っていいのではないでしょうか。
ただそれでも細かい点を言わせてもらえば気になる部分はありますよ。
例を挙げるなら、子どもの使い方があざとすぎるかなと思ったり。作品の根幹に関わる綺麗事をピュアを武器にする子どもに言わせるのはズルい…とか。でも、あの“外村紗玖良”演じる空が尋常ではなく可愛いのは否定できないし、本作の魅力でもあります。緒方さん家での「犬、犬~」とか、おばちゃんたちに麻雀習っていたりとか、常に一定のシリアスさを出し続ける本作に絶妙なホッコリさを与えてくれる。ほんと、子どもというのは卑怯ですよ…。
また、井川迅に告白してフラれてしまう吉村美里にフォローがあってもいいかなと思ったりも。彼女も地域の中で搾取されがちなキツイ立場にいる労働者であり、女性ですから。そこにこそ空を使って無邪気な“どんまい”があっても良かったのでは…とも。
あとはあれですね、カミングアウトに重きを置きすぎるかなとも思いました。とくに作中では井川迅が大勢集まっている場で「僕はゲイです。渚を愛しています」と発表するわけです。でもこれはLGBTQにとってカミングアウトの中でも最高難易度レベルのやつでしょう。不特定多数の人の前で言うなんて、そもそも異性愛者だって普通はやらないでしょうし…。そこはもっとカミングアウトのストーリーテリング上の重さを下げるようにしないと、「この世界はゲイにとって優しくない」そのものになっちゃいます。
非当事者ゆえの遠慮がある
たぶん『his』の作り手である“今泉力哉”監督や脚本の“アサダアツシ”などの製作陣は、LGBTQについてしっかり学びながら映画づくりにあたったんだと思いますし、その誠実さ、言い換えれば配慮というものは伝わってくるのです。
ただ、逆に作り手も加減がわからず慎重にならざるを得なくなっているんだろうなというのも、私も感じる部分ではあります。こうなってくると配慮というか、おっかなびっくりなぎこちなさでもありますよね。
ゆえに、田舎は優しく理想的で、都会は厳しく冷酷的というちょっと単純すぎる二項対立をセッティングしたり、終盤の裁判シーンという露骨に説明的な展開を加えたりして、徹底してわかりやすさ重視にしているんでしょうね。
おそらく異性愛だったらもっと映画的な非説明描写を駆使するはずです。けれども、説明的になりすぎるのは今の日本のLGBTQリテラシーを考慮するとしょうがないのかなとも思います。
非当事者ゆえの遠慮は最終的な作品の着地にも影響していて、どこかやっぱり部外者目線がある感じです。実際は大概のことは勝手に解決しないし、同性愛者だから謝ることもないのですが、どうしても物語の主軸が受け身になりがち。これは当事者だったらもっと社会を変えるという方向性に動くことにためらいはないはずです(ましてや映画ならなおさら)。まあ、日本の当事者自身も社会に遠慮している人は多いのですが…。
『his』はジャンルは全然違いますけど『新聞記者』に似ています。あちらはポリティカル・サスペンスという政治批判を含む作品で日本では見慣れない題材に果敢に挑戦し、高評価を得ました。それでも海外と比べると全然です。
『his』も同じ。海外のLGBTQ映画は、とくに最近のものは本当に革新的なものが際立っています。カミングアウトすらもどうでもいい『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』だったり、ダイバーシティを代表するような受容力の高い『セックス・エデュケーション』だったり、インターセクショナリティのど真ん中を突っ切る『POSE ポーズ』だったり。最も保守的だったファミリーアニメの領域さえもLGBTQの花火があがっています。『his』は自転車をやっとこげたのに、他ではロケットで宇宙に行っているようなものです。
それでもこの『his』は世界的には全然斬新とも挑戦的とも言えないけど、日本映画界にとっては大きな一歩になる一作だと私は信じたいです。
ぜひ今度は当事者を製作陣にどんどん入れたり、異性愛も同性愛も境なく入り混じった構成にしたり、他のジェンダーやセクシュアリティを題材にしたりして、“今泉力哉”監督にはガンガンと壁を破壊していってほしいと思います。
この『his』がちょっと違うことをした、ただの異色作扱いで終わらないために。
ROTTEN TOMATOES
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IMDb
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シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2020 映画「his」製作委員会
以上、『his』の感想でした。
his (2020) [Japanese Review] 『his』考察・評価レビュー