13歳の少年を殺人犯に変えたのは?…「Netflix」ドラマシリーズ『アドレセンス』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス(2025年)
シーズン1:2025年にNetflixで配信
原案:ジャック・ソーン、スティーヴン・グレアム
あどれせんす
『アドレセンス』物語 簡単紹介
『アドレセンス』感想(ネタバレなし)
マノスフィアの影響力を直視する
2024年、イギリスでは英国警察長官会議にて、女性や少女に対する暴力が国内で「流行」レベルに達しており、「国家的緊急事態」であると説明され、報告書では過激なオンラインコンテンツと女性蔑視的なインフルエンサーが「過激化した10代の少年による性犯罪を煽っている」と指摘されました(The Week)。
背景にあるのは「マノスフィア(manosphere)」と呼ばれる存在です。
マノスフィアというのは、オンライン・サブカルチャーのひとつで、「フェミニズムなどが重視される現代社会では“男性こそが真の被害者である”」という考えで団結する男性中心のネットワーク/コミュニティのことです。
マノスフィアとひとくちに言っても多彩な顔触れがあり、社会における男性差別と闘おうと息巻く男性権利活動家、女性を誘惑する術を教えると豪語するテクニック・アドバイザー、モテない自分こそ弱者だと言い切るインセルなどいろいろです。たいていはネット上に信奉されている人がいて、その人を中心にマノスフィアが形成されます。信者はそんな莫大なフォロワーを抱える人(アルファ男性)を崇めて、この世で迷える男の人生を導いてくれる教祖とみなしています。
現在、多くの若い世代の男性がこのマノスフィアに惹かれ、居心地の良さを感じています。劣等感を多様性のせいにし、フェミニストやポリティカル・コレクトネスを敵視し、過激主義の沼に沈んでしまっています。それはさらに孤立を生み出し、ときに暴力として発露され…。
イギリスはこのマノスフィアを近年になって社会問題として本格的に認知するようになりました。国連でも話題になっています(UN News)。日本ではまだ報道で取り上げられる機会が少ないですが、日本でもマノスフィアは非常に深刻です。
今回紹介するドラマシリーズは、そんなイギリスの社会問題となっている「マノスフィアに影響された少年たち」に真正面から向き合った真摯な一作です。
それが本作『アドレセンス』。
本作はイングランド出身の俳優“スティーヴン・グレアム”が企画したものです。現在、50歳をすぎ、2人の子の父でもある“スティーヴン・グレアム”は、2021年にリヴァプールで12歳のエイヴァ・ホワイトという少女が14歳の少年に刺殺された事件など、相次ぐ少年による少女殺害事件に衝撃を受け、その背景を探るべく自分が主演で作品づくりに着手しました。
そこで共同原案者となったのは、『JOY 奇跡が生まれたとき』などフェミニズムな題材を得意とする脚本家の“ジャック・ソーン”。
そして監督を任せられたのは、“スティーヴン・グレアム”とは『ボイリング・ポイント/沸騰』でタッグを組んだ“フィリップ・バランティーニ”です。
『アドレセンス』は、架空の事件を描いています。イギリスにて13歳の少年が同じ学校の少女を刺殺したという殺人事件です。なお、イングランドとウェールズにおける刑事責任年齢は10歳です。つまり、10歳以上の子どもは逮捕されて犯罪で起訴されたりします(日本では刑事責任年齢は14歳)。
ただ、殺人事件を描くといって、センセーショナルな描き方は極力避けています。そもそも直接的な殺人の描写もなく、事件後が描かれます。主に加害者の少年と、その少年の家族、警察などの視点です。おそらく相当にリサーチしているのでしょう…かなりリアルな現場対応の描写が淡々と続きます。
そして全4話構成のミニシリーズなのですが、1話ごとにワンテイクの長回しで撮影されているのも特徴です。これは『ボイリング・ポイント/沸騰』と同じやりかたですが、今作『アドレセンス』はこの目を背けたくなる現実を視聴者に直視させるという効果をこれ以上ないほどに発揮しています。
架空の物語で、直接的な殺人の描写がないとはいえ、ショッキングな題材であることには変わりありません。それでも現代社会の闇を映す最大の磨かれた鏡なのは間違いないでしょう。観終わった後は、私たちに投げかけられた問題提起の重さにしばらく動けなくなりますが…。
2025年の最も心を揺らす一作となるであろう『アドレセンス』は「Netflix」で独占配信中です。
『アドレセンス』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナルドラマシリーズとして2025年3月13日から配信中です。
鑑賞の案内チェック
基本 | 子どもが殺害される事件を主題にしています。過去の性的嫌がらせやイジメを示唆するセリフがあります。 |
キッズ | 題材ゆえに低年齢の子どもには不向きかもしれません。 |
『アドレセンス』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
朝、ルーク・バスコム警部とミシャ・フランク警部補は車内で待機していました。今日も仕事が始まります。無線が入り、エンジンをかけます。複数の警察車両が列をなして近くの住宅地のある1軒の家の前に停車します。
そして武装チームが素早く降りてきて、家に突入。その家はミラーという家族の住まうところで、父親のエディ、母親のマンダ、娘のリサ、13歳の息子のジェイミーの4人家族です。
突然の物々しい状況に混乱している家族はその場で手を上げて大人しく従います。危険なものは部屋にありません。誰かが人質にとられているわけでもないです。室内は平穏な家族が住む、ありふれたものしかありません。
バスコムは10代前半の少女を残酷に殺害した殺人犯の人物を逮捕しに来たのです。その犯人とは13歳のジェイミーでした。ジェイミーはベッドの隅で固まって、父を呼ぶしかできません。恐怖で失禁しています。しかし、ジェイミーは連行され、警察は淡々と家を捜索しだします。
父親のエディ、母親のマンダ、娘のリサの3人は警察を前に訴えるも、連行時に同席はできない決まりなので、ジェイミーは車でひとり連れていかれます。
ジェイミーは移動中の車内で泣きじゃくったりと落ち着きません。警察署に到着し、いくつかの質問に答え、ひとまず拘置所に座らせます。大人しく座ります。
バスコムはすでに待っていた別部屋のジェイミーの両親のもとへ向かい、手順を説明し、父親のエディは身体検査と聴取の間に同席することに同意。
拘置所内でエディは横にいながら聞き取りが始まります。そうこうしているうちにジェイミーの弁護士が来て、バスコムとフランクと話します。
次にジェイミーは写真撮影、指紋採取、血液採取、さらに裸で身体検査を受け、ここでも横でエディが見守ります。次に弁護士とジェイミーの会話に同席します。
警察による本格的な聴取が始まり、話題はつい先日、ジェイミーの学校の同級生である刺殺されたケイティ・レナードに移ります。
バスコムは2人の前でノートパソコンを開きます。そして映像が流れます。ジェイミーがケイティを刺殺する瞬間をとらえた監視カメラの映像でした。はっきりと映っています。何度も刺す姿が…。
残されて呆然とするジェイミーとエディは泣き続けるしかできず…。
なぜこの少年は殺人を犯したのか

ここから『アドレセンス』のネタバレありの感想本文です。
『アドレセンス』はいざ直面すれば途方にくれてしまいそうな難題に対し、非常に焦点を絞った抑制的なストーリーテリングを用意してくれます。
刑事の視点は挿入されますが、捜査による全容解明は描かず、裁判という最も事件が整理される場すら描きません。共感を誘いやすい被害者の遺族側の視点にいたっては一切なく、メディアによる俯瞰した視点も提供されません。結構びっくりする思い切った構成です。
このたった4話(「1日目」「3日目」「7か月目」「13か月目」)のドラマは「なぜこの少年は殺人を犯したのか」という一点の問いだけに徹し、加害者中心の視点からブレません。加害者中心と言っても加害者に同情的とかそんな浅はかなものでも微塵もないです。加害者の実像に淡々と迫ります。
一般的に子どもが凶悪犯罪を起こした場合、「その子はサイコパスだ」などと異常性を推定されやすいです。ときに精神疾患を疑われたり、「暴力的なゲームや漫画の影響だ」という主張もひと昔前から定番でした。もしくは「親のせいだ」「学校のせいだ」という子どものごく身近な範囲にその原因を見出そうとするものです。
本作はそれらのよくありがちな推論をばっさり否定します。
まず第1話の殺人容疑で逮捕される少年であるジェイミーの姿。本当にどこにでもいる平凡な13歳の子です。ひ弱で、無力。暴れることもしなければ、意味不明なことを口走ることもない。何の変哲もなさすぎて、こちら側がむしろ「こんな物々しい逮捕体制はやりすぎでは?」と思ってしまうほどです。同情とまではいきませんけど、ついあのジェイミーを可哀想に思ってしまいます。
家族も心配している姿からすぐにわかるように、ジェイミーを愛情深く育っているのが察せます。虐待とかも当然ないですし、関係性はとても良好そうにみえます。甘やかしすぎているわけでもなく、放置しすぎているわけでもない。普通の家庭にみえます。
第1話のラストで刑事が提示するノートパソコンに映る小さな映像。そこでメッタ刺しで殺害するあの子がこのジェイミーと同一人物だとは到底思えません。
第2話はバスコム警部とフランク警部補がジェイミーの通う学校で聞き取りをするエピソードで、こちらでも映し出される校内の様子はありきたりなものです。素行が悪い子もいるけど、先生は適度に叱っている。決して学校自体が崩壊しているわけでもないです。
あの殺人は子どもの喧嘩が一線を越えて行き過ぎてしまったのかな…とここでも思いたくなります。
じゃあ、一体何があのジェイミーを殺人に至らせたのか。親や教師が知らないうちに特定の人々が子どもに影響を及ぼしていることがあるという現実。それが次回のエピソードで突き付けられることに…。
私たちの知らない子どもの一面
『アドレセンス』の第3話。本作の最大の衝撃回です。このエピソードは長回しもそこまでカメラが動き回らず、フィールドも最小で狭いのですが、シンプルな演出が研ぎ澄まされていました。どの撮影の画角ひとつとっても映像自体が雄弁でした。
主な登場人物はたったの2人。ジェイミーと、その彼に面会に来た臨床心理士のブリオニー・アリストンです。
この第3話のジェイミーが第1話のあの子と同じなのかと目を疑うほどに豹変しているようにみえます。この子にこんな一面があったのか、と。
要するに、ここではジェイミーは「マノスフィアに影響を受けた者」としての存在感を容赦なく発揮するんですね。もうその一挙手一投足、どの発言もきっとどこかのマノスフィアのインフルエンサーが動画か何かで言っていたことをそのままコピペで言い放っているのだろうな…と容易に想像がつくくらいです。
このエピソードで非常に演出が効いているのは、ジェイミーと対峙するのが女性だということです。しかも、アカデミックな立場にある女性…つまり、マノスフィアに染まった男性にとって最も気に入らない女性のタイプです。
ジェイミーはアリストンという大人の女性をときに強迫的に威圧してみせます。13歳の子どもがですよ。論破できると言わんばかりの自信満々さで、やけに饒舌に、狂気すら滲ませて、話が通じない…(男性のスタッフに声をかけられたときだけ一瞬静かになるのがまた…)。
それはマノスフィアの人たちがネット上で女叩きをして発散している光景と何ら変わりません。この延長であの殺人が起こったのだと推測するのは簡単です。
そしてあの殺人は衝動的な喧嘩の行き過ぎとかではなく、明確にフェミサイドを狙ったものだともわかります(性暴力すら示唆する)。男は女をコントロールできるはずだし、男に大人しくコントロールされない女は傷つけてもいい。そういう攻撃性が露わになります。
ジェイミーを演じた“オーウェン・クーパー”の演技も凄まじいですよね。
最後までプロフェッショナルに徹していたアリストンでしたが、暴れるジェイミーが連れ出された後、残されたアリストンが息を吐いて感情を抑えつつもつい吐き気を感じてしまうシーン。あそこはもう視聴者もシンクロします。ああなる、ああなるしかないよ…。
ただただ現実を受け止めるのが辛いです。
責任と罪に問われない“見えぬ加害者”
第3話の余波も抜けずに放心状態になる私たちをよそに『アドレセンス』の第4話は穏やかに始まります。カメラは原点に舞い戻るようにジェイミーの家族を映します。
「加害者」の家族となってしまった一同はこの現実をどう受け止めるのかということ。
当のジェイミーは最後に電話で登場しますが、またあの弱々しい子どもの声に戻っており、裁判に向けて罪を認める趣旨の発言をします。しかし、更生できるのかは全くわかりません。
1年以上経過すると世間も忘れているようで、たまに嫌がらせを受ける程度ですが、そんな日常でゾっとする体験をジェイミーの父親であるエディは目の当たりにします。ジェイミーの殺人を肯定するかのような同じ過激思想の支持者が身近にいる…。もしかしたらマノスフィアの間ではジェイミーは神格化されているのかもしれない…。
この作品にはジェイミーをあんな人間に変えてしまった加害者は映りません。彼らは罪に問われません。それどころか、なおも加害者の家族に苦しみを与え続け、下手したら次の加害者を生み出しているんですね。
いわゆる「確率的テロリズム」というやつですが、こうしたオンライン上の憎悪や偏見の拡散は一体どれほどの人間の人生を台無しにするのか。
たぶんマノスフィアの人たちがこのドラマを観たら「この作品は社会に苦しめられている男性の辛さをよく表現しているな」「男の生きづらさを描いてくれたよ」と悦に浸っているかもしれません。それくらいに認知は歪んでしまっています。
そんな人たちにやられるばかりで、ある意味でこちらも我が子を事実上は奪われたも同然のあのエディとマンダの夫婦。“スティーヴン・グレアム”の嗚咽の演技が耳に残る…。
『アドレセンス』は、私たちの社会にあらためてこの場で問いかける作品であり、その問いに本当に向き合わないといけないと痛感させてくれました。子どもを被害者にも加害者にもさせないために、責任と罪をあのオンライン上の人たちに突き刺して問い詰める。このドラマはそのための小さなナイフです。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)Netflix
以上、『アドレセンス』の感想でした。
Adolescence (2025) [Japanese Review] 『アドレセンス』考察・評価レビュー
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