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『ナチュラルウーマン』感想(ネタバレ)…トランスジェンダー表象の理想の姿

ナチュラルウーマン

トランスジェンダー表象の理想の姿はどこにある?…映画『ナチュラルウーマン』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

英題:A Fantastic Woman
製作国:チリ(2017年)
日本公開日:2018年2月24日
監督:セバスティアン・レリオ
性暴力描写

ナチュラルウーマン

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『ナチュラルウーマン』あらすじ

ウェイトレスをしながらナイトクラブのシンガーとして歌うマリーナは、歳の離れた恋人のオルランドと暮らしていた。しかし、オルランドはある夜、自宅のベッドで意識が薄れ始め、そのまま亡くなってしまう。突然のことだった。最愛のオルランドの死によって思いがけないトラブルに巻き込まれ、周囲からの容赦ない差別や偏見を受けるマリーナは、かつてないほどの苦難を全身で受けながら、それでも前に進もうとするが…。

『ナチュラルウーマン』感想(ネタバレなし)

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トランスジェンダー映画の到達点

毎年11月20日は「トランスジェンダー追悼の日(Transgender Day of Remembrance)」となっています。

これは日々、陰惨な差別や暴力に晒されているトランスジェンダーの犠牲者を追悼し、トランスジェンダーの尊厳と権利についてあらためて訴え、平等の獲得のために団結する日です。トランスジェンダーはトイレやスポーツなどの話題にあがりやすいトピックだけでなく、あらゆる場所で排除されており、そして明確に狙った暴力事件が発生し、死者も出ています。

2021年に殺害されたトランスジェンダーの数は世界で375人(以下のサイトを参照)。これは報告されたデータに基づくものなので、実際は未報告も多く、もっと犠牲者は世界にいると推測されています。

トランスジェンダーに向けられる差別(トランスフォビア)は非常に攻撃的です。SNSを見渡せば容易に確認できますが、そこには明らかにトランスジェンダーを誹謗中傷する目的で作られたアカウントが無数に存在し、しかもそれを露骨に表明したうえで、獲物を見つければ一斉に襲い掛かってくるのです。これは当事者でないとわからない恐怖だと思います。最近はNetflixが配信した某番組でコメディアンが露骨なトランスフォビアな発言をし、猛批判を浴びたにもかかわらず、Netflix側がそれを擁護したことで大規模なデモも発生したりしました。

その理解されているようで全く理解されていないトランスジェンダーに関して、映像作品と絡めて論じるうえで、この話題はやはり避けられません。

なぜトランスジェンダーの役はトランスジェンダー当事者の俳優が演じるべきなのか…という議題です。

でもそれについて私がああだこうだと説明するつもりはありません。すでに『トランスジェンダーとハリウッド 過去、現在、そして』という素晴らしいドキュメンタリーがあり、それに関して当事者がこれ以上ないくらいにわかりやすく解説しているのですから(私も感想を書きました)。

しかしもうひとつのエポックメイキングな映画についてはまだ感想を書いてなかったので、この「トランスジェンダー追悼の日」に合わせて感想をあげようと思います。

その映画とは本作『ナチュラルウーマン』です。

本作はチリ映画であり、監督もチリ出身(出生地はアルゼンチン)の“セバスティアン・レリオ”という人物。2005年の長編映画監督デビュー作『La Sagrada Familia』から高く評価され、出だしから国際的な監督としての地位を確立しているスゴイ才能の持ち主です。

その“セバスティアン・レリオ”監督が2017年に送り出した長編監督第5作である本作『ナチュラルウーマン』。これがなんとアカデミー賞でチリ代表作としては初めて外国語映画賞を受賞し、ベルリン国際映画祭で銀熊賞(脚本賞)を受賞するなど、かつてない称賛を受けました。

そして本作『ナチュラルウーマン』はトランスジェンダーを描いた映画、しかもトランスジェンダーの役をトランスジェンダー当事者が演じた作品だったんですね。その当事者映画がここまでのステージにあがったのは歴史初の快挙であり、映画史においてもLGBTQ史においても刻まれる出来事だったわけです。

ただ本作、下手をすると「トランスジェンダーの役をトランスジェンダー当事者が演じたからスゴイのか~、へぇ~」で終わってしまいかねません。確かにそこは大事です。でも、いや、本当はもっと詳細な部分でもスゴイんだよ!…と言いたい。それを深掘りすることで「トランスジェンダーの役をトランスジェンダー当事者が演じる」というレプリゼンテーションの価値もさらに重要性が増しますし、ここは私なりに想いを言葉にしておきたい。

…ということでこの感想に至るわけです。本格的な感想は後半で。

まだ『ナチュラルウーマン』を観ていないという人もこれを機会に鑑賞してみてください。トランスジェンダーを描いた映画としてのひとつの到達点であり、始まりでもありますから。

なお、作中ではかなり直接的なトランスジェンダーに対する差別や暴力の描写があります。嫌悪感を強く与えるものなので、その点は注意です。

作品を観れます!

オススメ度のチェック

ひとり5.0:表象を考えるお手本に
友人3.5:興味がある者同士で
恋人3.5:ロマンスは序盤のみ
キッズ3.0:暴力的な描写あり
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『ナチュラルウーマン』予告動画

ベルリン銀熊賞受賞!『ナチュラルウーマン』予告編
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ナチュラルウーマン』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):愛する人を失って…

チリのサンティアゴ。サウナでくつろぐひとりの白髪の初老の男。マッサージを受けた後、そのフィンランディアという建物から出ます。男はふと思い出したように白い大きな封筒を探しますが、車を探しても見つかりません。ホテルへ行き、受付で便箋と封筒をもらい、そこにある文章を書いていきます。

上階へ。そこは上品なナイトクラブ。男はステージで歌っているひとりの女性を眺めます。女性はこちらを意識しながら綺麗な音色で歌い続けます。男も軽く口ずさみ…。

その女性と一緒に予約していたレストランへ向かう男。入り口で名前を聞かれ、「オルランド・オネット」と答えます。そこで誕生日をケーキで祝う男。そして女性に封筒を渡します。開けてみると「イグアスの滝へ行ける券」と書かれた紙です。「いつ行く?」と女性が質問すると「10日以内に」と落ち着いて答える男。2人は親密にキスし、ゆったりした音楽に合わせてロマンチックに踊るのでした。

それが終わると2人は部屋へ。暗がりで2人はキスし、服を脱がせていきます。そして気の向くままに愛し合った後、ベッドで就寝しますが、オルランドだけは寝れないのかベッドで座っています。様子を窺う女性。オルランドは「変だ」と呟いたと思ったら、その場で倒れてしまいました

女性は彼を支え、部屋の外の廊下に出し、一旦鍵を探しに戻ります。しかし、その間にオルランドは自ら階段を降り始め、暗い階段で足を踏み外し、転げ落ち…。朦朧としながら頭を押さえるオルランドを車に乗せて病院に急ぐ女性。

病院に到着するとすぐに搬送。反応はありません。「57歳」と彼の年齢を伝える女性。「ご家族?」「いいえ」「友達です」

しばらくすると医者が出てきて「オネットさんのご家族?」と訊ねます。「はい」「パートナー?」「そうです」「お名前は?」「マリーナ・ヴィダル」「それは…あだ名?」

そんなやりとりがありつつ、内々に話があると奥へ。その話を聞いたマリーナは女子トイレの個室で崩れ落ちます。

外で電話をかけるマリーナ。「オルランドが急病で…亡くなりました」「身内の方に病院に来てもらいたい」と彼の家族に連絡。

茫然自失でふらふらと夜の街を歩いていると目の前にパトカー。病院に連れていかれ、そこにも警察が。「君のことを聞きたい」と言われます。あの医者が通報したようです。「身分証はあるかね?」「変更の手続きの途中なの」「なぜ急に帰った?」…と明らかに不審者として問い詰められます。

幸いにも後ろからオルランドの弟のガボ(ガブリエル)が話に入り込み、「いろいろ大変だったね、ありがとう」となんとかその場をやりすごしてくれました。

その後、バイト先のレストランで働いていると、ソニアという女性から電話があり、彼女はオルランドの元妻で彼の車が必要だと言って届けてほしいとのことでした。

さらに面会の人がレストランに来ます。ひとりの女性です。アドリアナ・コルテス刑事という性犯罪捜査班の人らしく、「お悔やみを」と言いますが「病院から急にいなくなったのはどうして?」「オルランドとはおカネの関係?」と質問してきます。「付き合ってた」「体の関係ではなく?」「健全な大人の関係です」

オルランドの体には擦り傷や殴打痕もあると言い、「私は現場に出て23年。あなたちのような人は心得ている。正当防衛とか?」と勝手に話を進める刑事。

マリーナは大切な人の死に悲しむ時間すらも与えられず…。

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トランスジェンダーとして描かない

『ナチュラルウーマン』のまず特筆したいポイントは序盤。冒頭からちょっと意表を突かれます。というのもトランスジェンダー女性を描く作品だと思って構えていたらまさかのオープニング。最初に映像に登場するのは白髪の初老の男、オルランドだからです。そのオルランドがクラブから連れていくのが今作の本来の主人公であるトランスジェンダー女性のマリーナなのですが、この序盤では完全にオルランド視点。しかも、ものすご~く甘いロマンスがムードたっぷりに展開される。そこにも驚きです。

そして何よりも肝心なのはこの序盤のパートでは、マリーナはトランスジェンダーとして認識されるような描写や視点は一切ないということです。観客がそこに意識を向かうことさえありません。むしろ観客の関心はオルランドの方に向くでしょう。

これはなかなかないことで、どうしてもトランスジェンダーが作品に登場しただけで作品内外で奇異の目を向けられがちです。そしてそのキャラクターがなぜトランスジェンダーなのか、とくに「移行(トランジション)」に関してストーリーテリングにおいても格好の材料になってしまいます。

しかし、『ナチュラルウーマン』はそういうトランスジェンダー当事者が最も不快感を持つ“掘り下げ”はしません。マリーナはマリーナとして当たり前のようにそこに存在し続けるのです。

これぞ自分の望むジェンダーそのままに社会で通用して存在できるという「パッシング(passing)」のあるべき姿であり、当事者にしてみれば理想的。

近年は英語圏ではこの「パッシング」という言い回しは不適切だとして使用を避ける動きもあります。

加えて女性をあえて強調しようと「子育て」とかその他の女らしさのわざとらしい設定は全くしていないというのもいいですね。

この『ナチュラルウーマン』の描く「理想」は、後の作品にも影響を与えたと思います。『POSE ポーズ』シーズン2でもトランスジェンダー女性の理想的な恋愛が素直に描かれました。

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追悼させてもらえない

しかし、その理想は一瞬で崩れ去ってしまいます。オルランドの突然の意識朦朧、そして階段からの落下という不吉な暗示をするかのような象徴的なシーンをスイッチにして…。

もしマリーナがシスジェンダー女性であれば、最愛の人の死をどう受け止めるかが物語の主軸に当然なるでしょう。けれどもここで初めてマリーナがトランスジェンダーであることが半ば強制的に、暴力的に突きつけられます。そしてその差別や偏見が追悼の障がいとなっていくわけです。

この本作におけるオルランドの遺族や警察による言葉や行動による差別描写はかなり酷いもので、正直、文章で筆記するのも嫌になるので詳細は書きません。しかし、それらは極端でも何でもなく、実際の当事者が直面するリアル。しかも、これでもまだほんの一部。何もしていない、単に愛し合っていただけなのに、あらぬ罪を疑われ、社会から排除されていく…この理不尽。

相当にショッキングなシーンも多くてシリアスなのですが、あの本作の印象を強める強風に耐える場面とか、パンチングマシーンが随所に挿入されたり、あと終盤で横になるマリーナ視点で自分の股間に鏡を置いて顔が映るシーンで何気なく犬も横に映っていたり、微妙なユーモアともとれる演出もあるのが面白いなと思います。

孤独となったマリーナは怒りと苦しみを溜め込むしかできなかったのですが、結局は「歌」としてそれを発散するだけが頼りです。まだ発散できる場があっただけ、マリーナは救済があったと言えるかもしれませんが…。

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誰でもロッカーを持っている

『ナチュラルウーマン』で物語の推進力になっているのはオルランドの存在です。彼が亡くなってからも同じ。そもそもオルランドとは何者なのか、それは常にミステリアスで、マリーナにさえも曖昧な部分が大きいです。

最終的にマリーナは冒頭で登場したサウナに向かいます。そこはバイナリーな空間ですから、マリーナのようなトランスジェンダーにとっては警戒感を持ってしまいがちな場所ですが、そこにあるオルランドのロッカーの中身がどうしても気になり、吸い寄せられるように接近。

でも中身は…カラ? しかし、カメラはそこを意味深に映し続け、暗闇だけが残ります。これが何を意味しているのかは完全に観客の解釈に委ねていますが、私は「誰しもにある“人に見せたくない部分”」なのだろうと思ったり…。オルランドはどういう人生を生きてきたのかはわかりません。でもそれが死とともに他者に暴露されてしまうかもしれない…というのは多くの人も一度は考えたことのある恐怖なんじゃないでしょうか。それが性自認の人もいるでしょうし、性的指向の人もいるし、別の何かかもしれないし…。

本作はそんな人間の心のロッカーを巧みに演出していました。

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当時者や専門家の参加は大切

以上の『ナチュラルウーマン』の素晴らしさは、トランスジェンダー当事者がトランスジェンダーの役を演じていたから実現できたことです。これがシスジェンダーの俳優、ましてや異性の俳優だったら、異なる性別になりきることだけが誇張されてしまい、こういう繊細なトーンは表現しきれないと思います。

マリーナを演じた“ダニエラ・ベガ”の見事な才能なのですが、実のところ“ダニエラ・ベガ”は最初から俳優としてキャスティングされていたわけではありませんでした。“ダニエラ・ベガ”の当初の役割はスクリプトのコンサルタント。トランスジェンダーを描くうえでの考証を担っているうちに、監督が主役としての起用を決めたとのことで、それはとても自然で当然の帰結にたどり着いた感じです。

それと同時にやはり創作において当時者や専門家の参加は大切なんだということをあらためて裏付けるものだとも思います。どうしてもLGBTQ表象は軽視されます。既存の創作の実績があれば、その延長線上でLGBTQも取り扱えるはずだという過信で、多くのベテランのクリエイターがヘマをする姿をたくさん見てきました。

『ナチュラルウーマン』からもわかるように、そんなわかりきった失敗は避けるべきです。避けられるものなのですから。避けた結果、世界的に評価される映画になるかもしれないし…。

日本でも草彅剛がトランスジェンダー女性を演じた『ミッドナイトスワン』が主にシスジェンダー客層の間で好評を博すも、当事者や専門家は懸念を表明した事例もありました。私もあの映画で自分が思っている以上にメンタル面で傷つきました。2021年にはトランス当事者起用による短編『片袖の魚』が公開されましたが、まだまだスタートラインに立っているとも言い難いのが日本の業界全体の現状です。

『ナチュラルウーマン』の公開と絶賛の出来事以降、本国チリでは変化が起きました。2019年に性自認に関する法案が通り、14歳以上であれば法的文書の氏名と性別の変更ができるようになりました。これはチリにおけるトランスジェンダーの人権をめぐる歴史的一歩です。そしてこの法律の制定をめぐって世論の後押しをしたのは何を隠そう本作『ナチュラルウーマン』だったとか。

本当に優れた映画は社会に影響を与える。それは作り手ならわかっているはず。日本のトランスジェンダーを扱う映画もそうであってほしいものです。

『ナチュラルウーマン』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 94% Audience 78%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
8.0

作品ポスター・画像 (C)2017 ASESORIAS Y PRODUCCIONES FABULA LIMITADA; PARTICIPANT PANAMERICA, LCC; KOMPLIZEN FILM GMBH; SETEMBRO CINE, SLU; AND LELIO Y MAZA LIMITADA ア・ファンタスティック・ウーマン ナチュラル・ウーマン

以上、『ナチュラルウーマン』の感想でした。

A Fantastic Woman (2017) [Japanese Review]