なりたくない?…映画『ストップモーション』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス(2023年)
日本公開日:2025年1月17日
監督:ロバート・モーガン
性描写 恋愛描写
すとっぷもーしょん
『ストップモーション』物語 簡単紹介
『ストップモーション』感想(ネタバレなし)
悪夢がストップモーションで迫ってくる
唐突ですが、私が最近みた悪夢で覚えているやつの話をしましょう。もしかしたらこれが2025年の初夢だったかもしれません。
それは…食べ物がウニョウニョ動く…という内容。私はなぜか食べ物に良い印象があまりなく、夢にでてくる食べ物はたいてい怖い象徴として現れるんですよね。この食べ物がウニョウニョ動くというのも、普段絶対に動かないはずの食品や調理済みのものが、まるで虫とかのように動き回るのです。気持ち悪いです。
食べ物はたいていはもともと生き物だったものですが、その本来の生き物とは全く関係ない動きをみせます。何なんでしょうか…。
いや、蛇みたいに動いていると解釈すれば、あれは蛇なのであって、この巳年の2025年にみる夢としては縁起が良いのか? 強引にそういうことにしておこうか…。
とりとめのない話をしてしまいましたけど、今回紹介する映画もその内容がそのまま悪夢として登場しそうなほどにゾワゾワとする不気味な体感を脳に刻み込んできます。
それが本作『ストップモーション』。
本作はイギリス映画で、ジャンルとしてはサイコロジカル・ホラーとなっています。心理的な恐怖を主軸に登場人物や観客を翻弄していくやつですね。
最大の特徴は、ストップモーション・アニメーションを制作する人物を主人公にしているということ。ストップモーションというのは、人形を動きをひとつひとつ細かくつけながら毎回撮影をして、その1枚1枚の静止画像を繋ぎ合わせて連続再生することで、一連の映像として作品化するものです。絵ではなく実物のモノに動きをつけるという作業が必要になる独特の職人技が求められます。
ストップモーション・アニメーションはこれまで数多くの名作が生まれており、『ウォレスとグルミット』シリーズや『チキンラン』シリーズでおなじみの「Aardman(アードマン)」、『KUBO クボ 二本の弦の秘密』や『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』などの高評価作を続々と贈りだした「ライカ(Laika)」…こうした有名なスタジオも存在感を示してきました。
映画『ストップモーション』は、そのストップモーション・アニメーションを主題にしているわけですが、「クリエイターは素晴らしい!」みたいな単純な創作賛歌とも違っていて…。この手があったか!という斬新なアイディアで魅せてくれます。
基本的に実写で展開されますが、ストップモーション・アニメーションも作中で挿入されます。ハイブリッドの構成です。
当然、ホラーなので怖い展開が起きるのです。どういう中身かは言えないけども…。
アイディア勝ちな映画ですが、この『ストップモーション』で強烈な長編映画監督デビューを果たしたのが、イギリス出身の“ロバート・モーガン”。もともとストップモーション・アニメーションの短編を手がけており、2011年には『Bobby Yeah』というホラーで英国アカデミー賞最優秀短編アニメ賞にノミネート。実写作品ではホラーアンソロジー『ABC・オブ・デス2』(2014年)にも参加していました。
この『ストップモーション』も明らかに“ロバート・モーガン”監督しか作れないようなセンスが詰まっています。これは凄いマニアックなクリエイターが出現してくれましたよ。
主演するのは、『ナイチンゲール』で高い評価を受け、最近だと『スピーク・ノー・イーブル 異常な家族』にも出演していた”アシュリン・フランチオージ”(アシュリン・フランシオーシ)。
共演は、『伯爵』の”ステラ・ゴネット”、ドラマ『風の勇士 ポルダーク』の“トム・ヨーク”、『Back to Black エイミーのすべて』の“セリカ・ウィルソン・リード”など。
そして鑑賞したら忘れられないインパクトを残してくれる少女を演じるのは、『ミッドナイト・スカイ』の“ケイリン・スプリンゴール”です。
悪夢的なホラー映画で1年を開始したいなら『ストップモーション』はオススメです。観終わったその日の夜にどんな夢をみるのかはわかりませんが…。
『ストップモーション』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 親による子(成人)への加虐的な支配が描かれます。また、子どもに暴力を振るうシーンがあるほか、施術的な解剖シーンも一部に含まれます。 |
キッズ | トーンは大人向けです。 |
『ストップモーション』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
エラは全神経を集中しながらセットに配置された目の前の人形をゆっくりと動きをつけ、撮影し、また動きをつけるという作業を繰り返していました。動かしているのはサイクロプスというひとつ目の怪物です。
その背後であれこれと指示してくるのは母のスザンヌです。母は有名なストップモーションのアニメーターでしたが、今は高齢となって手も上手く動かせないため、もっぱらこうして後ろで指図するだけです。エラは文句ひとつ言わず、慎重な作業に専念します。
現段階で完成した映像をパソコンで確認。母は納得いかないようで、もう1度やり直しを命じます。
作業が終われば、食事では母の代わりに肉を切ってあげるなど、日常の世話もエラが行います。家にある撮影場で母に問い詰められることもありますが、それでも反論はできません。
エラはときおりボーイフレンドのトムとゆったりとした時間を過ごすも、母の作品にまた取りかからないといけません。プライベートはほぼ無いのです。
寝る時間もほとんどなく、母に起こされ、作業再開。母は0.5ミリの単位で動きづけを要求し、怒鳴ります。
ところが部屋が暗くなり、気づくと母は倒れてしまいました。病院に運ばれるも、脳卒中で昏睡状態になり、目を覚ます見通しはありません。
トムは、母スザンヌが回復するまで一緒に住もうと誘うものの、エラはその気になれませんでした。そしてボロボロで殺風景なアパートに引っ越し、映画の撮影を続けることにしました。あれを完成させることしか考えられません。この場所なら作業に集中できそうです。
ある日、その薄暗いアパートの階段でひとりの少女に出会います。その少女は偶然にも撮影場を目撃し、中へ入ってきます。ストップモーションが何かも知らないようなので、現時点の映像をみせます。
すると少女は「ちょっと退屈」と感想を述べ、森で迷子になった少女についての別の物語をエラに提案し、そのアイディアにエラも妙に関心を持ってしまいます。
そしてエラは当初の作品の企画を放棄し、自分なりの映画に命を吹き込み始めるのでした。少女の案に沿うようなかたちで…。
しかし、少女は再び訪れ、人形が本物らしくないと無邪気に文句を言ってきます。さらに人形に腐ったステーキ肉を使えばいいという提案をしてきます。確かにそれは生々しくなるけれども、そんなことをしていいのだろうか…。
それでもエラはその案も受け入れ、自身の創作を進めることに…。
コントロールされる恐怖
ここから『ストップモーション』のネタバレありの感想本文です。
映画『ストップモーション』はストップモーション・アニメーションが主題になっているのですが、その業界裏側をリアルにみせるという楽しみに重きを置いていません。本作におけるストップモーション・アニメーションはテーマ性を風刺する仕掛けであり、それ自体がそのテーマの構造を表すメタファーです。
もっと詳細に言えば、本作は人間関係におけるコントロールの恐怖を象徴するものとしてストップモーション・アニメーションが使われています。
主人公のエラは明らかに母スザンヌに加虐的に支配されています。あの従順な態度から察するに幼い頃から母に逆らえずにずっと生きてきたのかもしれません。親子というよりは完全に操り人形です。
手が動かせない母に代わって母の作品で動きをつける作業をしているシーンでも、母の監視を受けながらエラは微動だにせずに没頭しています。一見すれば集中していると言えますが、母にエラまでも動きが細部まで支配されているので、まるでエラ自体が母のストップモーション人形になってしまったかのようです。
演出的に作り手はそう見せたいのでしょう。エラを演じる”アシュリン・フランチオージ”もこの序盤は本当に生気がなく身動きを最小限に抑えています。
親に支配される息苦しさを表現するアイディアとしてストップモーション・アニメーションの構造そのものを重ねるというのが斬新です。これはまさにストップモーション・アニメーションの芸術性だけでなく、その創作作業の抑圧的な闇まで知り尽くしている“ロバート・モーガン”監督ならではの視点です。
しかも、これで終わりません。
後半にはエラが他のストップモーション・アニメーション制作現場に採用されてそこで働く機会を得るのですが、そこでもやはり都合よくコントロールされてしまいます。
ひたすらに地味な単純作業で、自身の能力を活かせない。それどころか創作物を盗作すらされてしまう。創作現場におけるハラスメントですね。
ついにはあれほど最後の居場所のようなものであったボーイフレンドのトムでさえも見放してしまい、エラは孤立を深めます。
創作というのは自身の人間関係を豊かにすると安直に肯定されがちですが、本作は徹底的に創作がむしろ孤立を悪化させていく恐ろしい負の連鎖を描いています。例えば、『ルックバック』とかでも創作に打ち込みすぎて孤立するクリエイターの心情を映し出していましたが、そうは言っても、同時に創作が仲間を繋ぎ合わせる喜びもセットで描いてバランスをとるものじゃないですか。しかし、『ストップモーション』はそういう創作賛歌に一切傾かずに狂気の沼に沈んでいきます。ここまで極端だと本当に怖いですね。
コントロール・フリークはどこにでもいるのかもしれません。しかし、エラは常にコントロールする側にはなれません。
そして「創作する」という行為は、言い換えればコントロールする主導権争いのようなものです。同じ創作者でも「コントロールする側」と「される側」がいる。あなたはコントロールしていますか? それともコントロールしているつもりで実はコントロールされているだけではないですか? そんな問いかけを物語に感じました。
謎の少女の正体
母の昏睡状態の後も孤立を深めるエラ。映画『ストップモーション』の中盤からは、ひとりの謎の少女がエラの創作の主導権を握ります。
この少女は一体何者なのか。前半から他者には少女が認識されていないシーンがありましたので、おそらくエラの深層心理の中だけに存在するのだろうなと推測できましたが、エラが少女を絞め殺すも何事もなく背後からまた少女が登場するシーンでその実在性のあやふやさがハッキリ示されます。
非実在の少女なのはわかっても、正体は不明のままです。もしかしたらエラの創作に対する純真な執着の具現化なのか。だとするとエラは自分自身にコントロールされ、自分を殺そうとしてもそれができない苦悩が滲んできます。
アーマチュア(骨組みのこと)などストップモーション・アニメーションの専門用語を無邪気に口ずさみながら、あの少女はエラにとんでもないことを提案します。それは、食品の生肉を使え、キツネの死骸を使え、人間の肉を使え…とどんどんエスカレート。創作が倫理を踏みつけにしていきます。
ちなみに物語に反して、本作のストップモーション・アニメーションの人形の制作には実際の動物は使われていないそうです。それはそれで逆に凄いですよね。あんなに動物的肉感で生々しく描かれていたのに…。
とにかく本作における少女指導によるエラの創作物は禍々しさを増していき、エラの強迫観念が反映されて、現実と虚構が入り乱れ、境界を失います。
そもそもストップモーション・アニメーションはどこか不気味さを醸し出す効果があり、それを活かしたホラー風味の作品も、『コララインとボタンの魔女』や『ウェンデルとワイルド』などがありました。
映画『ストップモーション』はホラーに特化し、悪夢的な映像が繰り出されていくあの感じは『オオカミの家』に近いものがありましたね。金縛りの自分の足を人形がテクテク歩いてきて切り開くシーンとか、蝋でできた自分の顔をアッシュマンに与えるシーンとか、恐怖の味が似ています。
『ストップモーション』では最終的にエラは創作物の一部になってしまったようです。それは創作者にとってある意味での究極の完成の到達点なのでしょうか。
こういう創作業界系ホラーはまだまだアイディアしだいでいくらでも作れそうですが、凝りだすと本当に制作は大変そうです。でももっと観たいです。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)Bluelight Stopmotion Limited / The British Film Institute 2023
以上、『ストップモーション』の感想でした。
Stopmotion (2023) [Japanese Review] 『ストップモーション』考察・評価レビュー
#イギリス映画 #ロバートモーガン #ストップモーション #アニメ業界