悪い子は食べられる…映画『オオカミの家』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:チリ(2018年)
日本公開日:2023年8月19日
監督:クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ
オオカミの家
おおかみのいえ
『オオカミの家』あらすじ
『オオカミの家』感想(ネタバレなし)
世にも奇妙すぎる「三匹の子豚」
「三匹の子豚」という民間伝承の”おとぎ話”があります。日本でも有名ですね。
3匹の子ブタがそれぞれ自分の家を建てることになり、1匹は藁で、もう1匹は木枝で、もう1匹はレンガで家を建てますが、藁と木枝の家はオオカミに吹き飛ばされてしまい、レンガの家の子ブタだけが助かる…だいたいはそんな話。
イギリスの文学研究者である“ジェームズ・ハリウェル=フィリップス”が1886年頃に集めた童謡の中にこの「三匹の子豚」が登場したのが初と言われています。
初期の物語では、レンガの家を作った子ブタは最終的に煙突から入ろうとしたオオカミを待ち構えて茹でてしまい、そのオオカミを逆に食べる…というかなりショッキングなラストになっています。1933年のディズニーによるアニメーション映画『シリー・シンフォニー』の1話『三匹の子ぶた』でさらに一般に知られるようになった際は、もっとラストが温和になり、オオカミが逃げ帰るだけです。
この寓話の教訓は何なのか。それは個々人の受け取り方しだいだと思います。
私が子どものときは、「家を吹き飛ばせるオオカミの肺活量ってすごいんだな~」くらいのボケっとした感想しか思っていなかったし、「家を藁なんかで作るほうが悪い」と単純に考えていただけなのですけど…。
この物語は子ブタに自立を迫り、それぞれの家を作らせます。別に3匹一緒に暮らしてもいいはずなのに。自分にとって理想的なコミュニティを築く第一歩。その初手こそよく考えなさいという意味なのか…。
それにオオカミという外敵の存在も重要です。ディズニー版では「狼なんか怖くない」という曲が耳に残りますが、外敵を想定しないことへの浅はかさを指摘しているのでしょうか。
こうやって考えるとこの「三匹の子豚」の寓話は、実は結構それ自体が保守的な説教を与えているようにも解釈できます。「天敵を第一に考え、常に身を守れる強固な壁で、自分の世界を防衛せよ」と…。
その視点でとらえ直すとこの「三匹の子豚」はかなり危うさを抱えた寓話と言えるのかもしれません。使い方によってはすごく政治的な扇動にもなりえます。
今回紹介する映画はその「三匹の子豚」を意識したような、そしてそれ以上にグロテスクで不気味な寓話へと転身させた、なんとも禍々しい”おとぎ話”です。
それが本作『オオカミの家』。
本作はチリのアニメーション映画で、2018年に本国では公開され、第42回アヌシー国際アニメーション映画祭で審査員賞を受賞。日本では2019年に新千歳空港国際アニメーション映画祭で扱われた後、2023年に一般劇場公開されました。
アニメーション映画と言いましたけど、この『オオカミの家』はビジュアルが徹底して異様です。観れば一発でわかるのですが、表向きはストップモーション・アニメなのですが、『マルセル 靴をはいた小さな貝』や『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』など、ときに温かみと身近さを発揮する魅力を活かした作品が既存のものでは目立つ中、この『オオカミの家』はとにかく前衛的で異彩を放っています。
それこそ悪夢的な映像センスであり、リアルからはあえてかけ離れていく方向に振り切っており、小さい子どもが見れば「怖い」と泣きつくでしょうし、大人でも普通に恐ろしく感じます。
たぶんこれ、映画館で観るならまだマシで、もし家でこんな動画を鑑賞しているところを他人に見られたら「どうした? 大丈夫か?」と心配されるかもしれません。呪いのビデオみたいですからね…。
それに加えて物語も奇々怪々です。「これはどういうストーリーで、何を伝えているんだ?」と終始わからないかもしれません。観れば観るほどに混乱に拍車がかかります。
実はこの『オオカミの家』には明確なコンセプトがあるのですが、それを言ってしまうと先入観になるかもしれないので、ネタバレ無しの感想段階では黙っておくことにします(後半の感想で説明します)。
コンセプトを知ると「ああ、そういうことか」と納得いく部分も多い作品ですが、それにしたって奇妙すぎますけどね…。
『オオカミの家』はあの『ヘレディタリー 継承』や『ミッドサマー』の“アリ・アスター”監督が絶賛という触れ込みもあって、一部で話題でしたが、鑑賞すると“アリ・アスター”監督が好きなのも頷ける…。映像も物語もあの監督の傾倒するところど真ん中だし…。
『オオカミの家』は74分と短いですが、鮮烈に脳に刻まれるので、体感的にはドロっと濃い74分になるでしょう。
『オオカミの家』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :アート好きなら |
友人 | :趣味が合えば |
恋人 | :デート向きではない |
キッズ | :子ども向けではない |
『オオカミの家』予告動画
『オオカミの家』感想(ネタバレあり)
ダークなマジックリアリズム in ハウス
ここから『オオカミの家』のネタバレありの感想本文です。
『オオカミの家』は冒頭から頭にクエスチョンマークが連発します。のどかな映像の連続、穏やかなナレーション…。
しかし、チョークで描かれるようなアニメーションが始まり、少し不気味さが増します。そして、とある家の扉を開けてからが本番です。
実写→2D→3Dと移行しながら、この家が主な舞台になるのですが、最初は狭い家の壁にどんどん家具のようなものが表現され、ヌルヌルと壁を動き出します。
これだけでもじゅうぶんに際立っていますが、そこから人の顔(金髪で青目)がヌっと壁に描かれると、その本作の主人公と思われる少女マリアがリンゴを食べる姿が壁をぞぞぞぞと動いて表現。さらに今度は部屋の中央に実体として人の姿(作り物)が出現します。
ここからは壁と実体を縦横無尽に行き来するような表現が無数に連発し、まるで家自体が生き物のようです。実際に家の様子は常に様変わりしていき、私たち視聴者はこの不可思議な家に迷い込んでしまったような感覚に襲われます。
面白いのは人間の描写で、こういうアニメーションならそのキャラクター自体を完全に作り上げたマネキンのようなものをストップモーションで動かすことを一般には思いつきます。でも本作はそれをあえてやりません。
人間のキャラクターがその場で作り上げられていく過程を、あえて作中で映し出し、実質的にはメイキングまでも内包してしまったような映像を届けます。そのため、人間がニョキニョキと出現したり、消えたりするという映像が繰り返され、色付けとかもリアルタイムで見れます。
もしこれがただのメイキングなら「こうやって作っているんだ。すごいね」で印象は終わるのですが、それすらも映像としてまとめられると、ひたすらにキャラクターの不気味さが増大します。
私は「ブタが壁の絵として出現して、ボール遊びをしながら、ブタが壁から飛び出しつつ動き回る」というシーンを観たときは、「この作り込みは見事だな」と偉そうに達観していましたけど、もうそのブタが人間の姿に変身していったり、あの手この手で神出鬼没になっていくにつれ、「自分は一体これからどれだけの異様な映像を見せられるんだ!?」という恐れおののく感情が勝っていきましたよ。
『オオカミの家』の監督である“クリストバル・レオン”と“ホアキン・コシーニャ”は、これを5年の歳月で完成させたそうですが、よくこんなアイディアを実行しようと思いましたよね。普通、頭によぎっても「実際に作ってみよう」とはならないですから。
シュールレアリスムというか、本作がチリの作品だということを考えれば「マジックリアリズム」と表現するべきなんですかね。
同じく家が摩訶不思議に生き物のように変化していく「マジックリアリズム」の映画と言えば、『ミラベルと魔法だらけの家』があり、同じ南米という舞台ゆえに実はテーマ的にも無縁ではない部分がありますが…。
チリの歴史の最悪の闇
チンプンカンプンになるのも無理はない『オオカミの家』。この映画は何をテーマにしているのか。
それを語るにはまずこれを知らないといけません。
「コロニア・ディグニダ」です。
チリという国は1818年にスペインから独立して植民地支配から脱したのですが、それで平穏になるわけではありませんでした。数年の内戦のあと、保守派が勝利して国政の実権を握ります。そして盤石な保守支配を長期的に継続させます。
その後もいろいろあるのですが、説明すると長すぎるので割愛。
本作に関係して重要なのは、1970年に人民連合のアジェンデ大統領を首班とする社会主義政権が誕生したということ。当然、アメリカはこれを快く思いません。第2のキューバになるのではと危険視します。そこでCIAが介入して、チリ国内の右翼を扇動し、結果、1973年9月11日、アメリカの後援を受けたアウグスト・ピノチェト将軍らの軍事評議会がクーデターを起こして、チリの社会主義体制は崩壊。翌1974年にピノチェトは自らを首班とする軍事独裁体制を敷いて、新しい支配が確立するのです。
このピノチェト軍政はかなり酷い人権侵害に手をつけ、気に入らない者を容赦なく迫害していきます。
このチリの政治的大混乱が起きた1960年代~1990年にかけて、チリの片隅で密かに根付き成長し始めていったのが「コロニア・ディグニダ」です。
「コロニア・ディグニダ」は1961年に開墾されたドイツ系移民を中心とした入植地で、キリスト教バプテスト派の指導者の“パウル・シェーファー”らが設立しました。「尊厳慈善および教育協会(Sociedad Benefactora y Educacional Dignidad)」という、なかなかにあれなネーミングのコロニーを創り上げ、体面的には「古きドイツの理想的価値観」に基づいた世界を構築することになっていました。
しかし、実態は極めて劣悪で…。自由のない厳重な管理社会、強制収容所としての牢獄、無償の強制労働、児童への性的虐待、拷問、軍の組織、人体実験まで…。カルト集団でした。
“パウル・シェーファー”が元ナチスということで、センセーショナルに語られがちですが、「コロニア・ディグニダ」はチリの最悪の暗部のひとつであり、それにはチリ政府はもちろん、アメリカなども間接的に関与していたので、これは人間の闇と言っていいでしょう。
秘密主義的で長らくその実態は闇に葬り去られてきましたが、ピノチェト軍事政権終焉後、捜査が行われ、あの指導者の“パウル・シェーファー”は捕まって2010年に死亡。「コロニア・ディグニダ」は消滅したのかと思いきや、今も「ビジャ・バビエラ」と名前を変え、現在はホテルとレストランなどのレクレーション施設として運営され、多くの人権侵害は罪に問われていません。
「コロニア・ディグニダ」は、『コロニア』(2015年)や『コロニアの子供たち』(2021年)などの映画で題材にされてきました。
プロパガンダとしてのアニメーション
『オオカミの家』と「コロニア・ディグニダ」がどう関係しているのかと言えば、これは監督も明言していますが、本作は「コロニア・ディグニダ」の指導者が「アニメーション映画を作っていたらどんなものを作るだろうか」と想像を膨らませて制作したものです(映画ナタリー)。
つまり、作中の主人公マリアが逃げてきたコロニーというのは「コロニア・ディグニダ」のことであり、あの追跡してくるオオカミというのも「コロニア・ディグニダ」の関係者…ということですね。
最初、マリアは逃げ出した先で辿り着いた廃屋でひっそり隠れ暮らし始めます。実際は相当に極貧生活だと思われ、あの次々と家の中が理想的に家具が増えていくのも、あのマリアのイマジネーションの産物で、現実には全く何もない環境だったと推察できます。
そこで家族になるのが2匹の子ブタ。アナとペドロと名付けられると、その子ブタは人間の姿になり、マリアと一時期は楽しく生活するという(妄想ですが)時間を過ごします。
しかし、飢えは避けられません。単純に考えるとマリアはブタを食べるしかないと思うのですが、マリアの精神状態のせいか、マリアは逆にブタに食べられるような恐怖を感じ、それが映像に表されます。
そんなピンチに駆け付けたのがオオカミで「家に帰るときが来た」とマリアを導き、コロニーに戻ってめでたしめでたしです。「三匹の子豚」でいうところの「一番賢い豚」はマリアだと言うかのように…。
結局、「コロニーは良いところ。外は過酷で怖いです。だから教えを守りましょう」という「コロニア・ディグニダ」のプロパガンダみたいな内容になっているわけです。『オオカミの家』のエンディングのBGMもどこか軍事的な匂いがするので、そこもプロパガンダっぽさを増しています。
カルトの中のほうが良いところです…と謳っているように思えてしまう“アリ・アスター”監督の『ミッドサマー』に本当に似ていますよね。この『オオカミの家』から着想を得たのかなと思いましたけど、時期的にたぶん偶然の一致なんだろうな…。
実際に「コロニア・ディグニダ」の指導者“パウル・シェーファー”がこんなアニメーションを作っていたのかはわかりません。ただ、ナチスも芸術を政治的に利用していましたし、日本のカルトめいた某団体だってアニメ映画を作って劇場公開していますからね。全然ありうるでしょう。
プロパガンダとしてのアニメーションをメタ的に作ってみせるという、非常に手の込んだ政治風刺芸術であり、芸術で打ち返すカウンターでもある。この『オオカミの家』はそんな政治的な魔の手に牙をむけ、欺瞞を吹き飛ばす…地道で凄まじい肺活量の映画でした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 96% Audience –%
IMDb
7.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
ストップモーションアニメ映画の感想記事です。
・『マルセル 靴をはいた小さな貝』
・『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』
・『ウェンデルとワイルド』
作品ポスター・画像 (C)Diluvio & Globo Rojo Films, 2018 ウルフハウス
以上、『オオカミの家』の感想でした。
The Wolf House (2018) [Japanese Review] 『オオカミの家』考察・評価レビュー