育毛クリームの恨みはデカい!…Netflix映画『ウェンデルとワイルド』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本では劇場未公開:2022年にNetflixで配信
監督:ヘンリー・セリック
交通事故描写(車) LGBTQ差別描写
ウェンデルとワイルド
うぇんでるとわいるど
『ウェンデルとワイルド』あらすじ
『ウェンデルとワイルド』感想(ネタバレなし)
ヘンリー・セリックがあの人と手を組んだ!
自身の手がける作品が大ヒットしたり、批評的に高評価を得れば、その後のキャリアはひとまず安泰…。そう考えるものですが、現実はそう簡単にはいかないようです。
長年にわたって辛酸を舐めてきたクリエイターがひとりいます。その人とは“ヘンリー・セリック”です。
“ヘンリー・セリック”はニュージャージー州生まれの絵を描くのが好きな子どもでしたが、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズで働き、本格的にアニメーションを学びます。
そして友人だった“ティム・バートン”とタッグを組み、1993年に『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』を監督。当時は大手スタジオ公開としてはかなり珍しいストップモーション・アニメーションで制作されたこの映画は、その独創的な世界観とキャラクターで絶大な支持を集め、カルト作となります。
長編映画監督デビューとして最良の出発を決めた“ヘンリー・セリック”でしたが、なんとなく世間のイメージでは『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』は“ティム・バートン”の作品という印象が強く(実際のところ“ティム・バートン”は原案・製作”を手がけただけ)、“ヘンリー・セリック”の名はそこまで一般に認知されませんでした。
“ヘンリー・セリック”はその後も『ジャイアント・ピーチ』(1996年)や『モンキーボーン』(2001年)を世に送り出すのですが、すっかり注目は薄れます。
しかし、大きな脚光を浴びる瞬間が到来。2009年に「ライカ」というスタジオで監督した『コララインとボタンの魔女』というストップモーション・アニメーション映画が高評価を獲得。こちらもカルト的な称賛を受け、キャリアはまたも息を吹き返します。
今度は自分のスタジオを作って最高の映画をバンバン作ってやる!と意気込み、古巣であるディズニーに戻って新作の制作に打ち込むのですが…ここでまたもや苦難が…。制作が思うように前に進みません。そうこうしているうちに「ライカ」の方が有名になっていき、またもや“ヘンリー・セリック”の名は忘れ去られそうに…。
そして『コララインとボタンの魔女』からなんと13年が経ち、“ヘンリー・セリック”はアンデッド・モンスターのように蘇りました。2022年、ようやく“ヘンリー・セリック”監督の新作長編映画が登場したのです。
それが本作『ウェンデルとワイルド』。
“ヘンリー・セリック”監督作品好きな私としても「とりあえず新作が見れる!やった!」と安堵なのですけど、この“ヘンリー・セリック”復活劇には大きな立役者がいました。それがあの『ゲット・アウト』で大成功をおさめ、2022年も『NOPE ノープ』で映画ファンを沸かせた、今最もホラー界隈で勢いのある人物…“ジョーダン・ピール”です。
今回の『ウェンデルとワイルド』もストップモーション・アニメーションなのですが、“ジョーダン・ピール”が企画から関与しており、脚本にも名を連ねています。
“ヘンリー・セリック”と“ジョーダン・ピール”、この組み合わせが最高の化学反応を引き起こし、『ウェンデルとワイルド』は他の同類の作品にはない、全く新しいオリジナリティを生み出すのに成功しました。ほんと、いいコンビです。
『ウェンデルとワイルド』の物語はひとりのパンクロックな少女が、ヘアクリームを食べてハイになる悪魔の兄弟と出会ったことから始まるのですが、「なんだそれ…」という設定だと思いますけど、本当にそういう内容です。奇想天外で不気味で気持ち悪い…でもなんかクセになる面白さがある。“ヘンリー・セリック”のこれまでの作品を継承するデザインでありつつ、そこに“ジョーダン・ピール”節もあったりする。ユニークさでは突出しています。
あと、主人公の友人がトランスジェンダーで、ごく自然にトランスジェンダー表象が馴染んでおり、そういう点でも良い作品です。
Netflixの独占配信なので劇場公開されなかったのが残念ですが、この『ウェンデルとワイルド』も間違いなくカルト的な一作として刻まれていくでしょう。
『ウェンデルとワイルド』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2022年10月28日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :マニアックな面白さ |
友人 | :デザインが好きなら |
恋人 | :ロマンス要素無し |
キッズ | :怖いのが苦手でないなら |
『ウェンデルとワイルド』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):刑務所よりも…
ラストバンク醸造所で成り立つ小さな町。「この醸造所を渡すつもりはありません、クラクソンさん」…そう言って電話を切るデルロイ。隣にいる妻のウィルマは心配そうに声をかけます。「刑務所は建てさせない」とデルロイは言い切り、ウィルマは「帰るわよ」と子どものカットに呼びかけます。
帰り道を車で走っていると雷雨が降りしきる酷い天気に。そのとき、後部座席に座っていたカットは、自分の持っていたりんご飴の中に頭が2つある芋虫を目にしたような気がして悲鳴をあげます。
するとデルロイはカットの悲鳴に驚いて運転操作を誤り、橋から車は落下。ウィルマはカットを窓から出し、デルロイを助けようとしますがそのまま沈んでしまいます。ウィルマは沈む車を水中で見ているしかできません。
一方、別の場所。悪魔の世界ではバッファロー・ベルザーが自分の腹の上に建設された恐怖の遊園地で死者をもてなして楽しんでいました。そんなベルザーの頭の上の育毛場でせっせと働く2人の小さな悪魔兄弟、それがウェンデルとワイルド。
ウェンデルはヘアクリームをつまみ食いしたワイルドを責め、「おまえのせいで裏切り者として投獄された」と怒ります。でもウェンデルにもクリームを食べさせるとハイになり、緑の髪の女の子が見えた気がします。仕事に戻れとベルザーに言われますが、ウェンデルとワイルドは地獄の乙女を見つけたという知らせを聞き、これで生者の地に行けると張り切ります。2人は自分の遊園地が欲しかったのです。
その頃、事故から生存したカットは養護施設で過ごし、学校で問題行動を起こして少年裁判所から少年院へ行き、またラストバンクに戻ってきてしまいました。13歳になってもまだトラウマは消えていません。
故郷は様変わりしており、醸造所は火事で燃えてボロボロの廃墟になり、クラックス社の所有になっていました。
カトリックの学校(RBC校)に到着。学校の前で、シボーン、スウィーティ、スローンという3人の女子に絡まれますが、カットは何かの直感を感じ、シボーンを突き飛ばすと、ちょうど彼女がいたところにレンガが落ちてきました。上を見ると塔に誰かいたようです。
とりあえず学校を仕切るレベル・ベスト神父のもとへ連れて行かれ、「我々は傷ついた子に居場所を与える」という神父の言葉を話し半分に流し、これから暮らすことになる部屋へ。ラジカセで父のお気に入りの曲を流し、制服を改造して、颯爽と廊下を歩き、みんながぶったまげます。
教室であの塔の上にいた生徒を見かけます。ラウールという名で「塔で何をしていたの?」と聞くと「絵を描いていた」とのこと。
授業ではシスター・ヘリーが水槽に入ったミミックオクトパスを運んできて、カットの前でタコが恐ろしい顔のようなものに変化します。そのとき、カットの手に変な模様が表れ、ヘリーは「これは人に話してはいけない」と釘を刺します。
同時刻、イルムガードとレーンのクラクソン夫妻は学校運営資金をねだるレベル・ベスト神父を殺してしまいました。この夫妻は元醸造所跡地を刑務所にするべく、計画を進めていました。
そしてカットの夢の中にウェンデルとワイルドが現れ、両親を生き返らせてあげようと取引を持ちかけ…。
悪循環を断ち切れ!
『ウェンデルとワイルド』は前述したとおり“ジョーダン・ピール”が脚本に参加していることもあって、その作家性が前面にでていました。
“ジョーダン・ピール”はこれまでも『ゲット・アウト』では無自覚な黒人差別のおぞましさを巧妙なストーリーテリングで描いてみせるなどしており、『アス』や『NOPE ノープ』などでもそうですが、視覚効果と組み合わせながら、それらのテーマを扱うのに非常に長けています。
この『ウェンデルとワイルド』でもアフリカ系アメリカ人が直面している様々な社会問題が批評的に盛り込まれており、背景を知っていると「なるほど、ここもだな」と納得させられます。
例えば、クラクソン夫妻はラストバンク醸造所を刑務所に変えて、そこに収容者をたくさん常時送り込むことで、一種のビジネスを確立しようと企んでいます。これはドキュメンタリー『13th 憲法修正第13条』でも説明されていたとおり、黒人を刑務所に送り込んで労働者として酷使する現代の奴隷システムです。
また、この刑務所を中心に町を作り変えてしまうというのも、いわゆる「ジェントリフィケーション」の構図そのものですね。
そして、刑務所の建設を自治体で進めさせるために投票で勝たないといけないのですが、通常のやり方では反対派に押されて勝てないので、クラクソン夫妻はレベル・ベスト神父の妙案で「今は亡き退役軍人を蘇らせて選挙動員に使う」という作戦に出ます。地元の人の声が反映されなくなり、それどころか選挙不正にさえなってしまう事態です。これはドキュメンタリー『すべてをかけて:民主主義を守る戦い(All In: The Fight for Democracy)』で映し出されるような、現実にある選挙不平等と重なります。
『ウェンデルとワイルド』はそうした人種産業複合体による悪循環を断ち切れ!と言わんばかりにみんなで団結して立ち向かうというラストが待っています。
エンディングで提示されるのが遊園地というのも、非常にエンターテインメントを肯定する着地ですが、搾取ではなく楽しさを人々に与えるべきというのは、この映画のゴールとしてもぴったりでしょう。カットは音楽を、ラウールは絵を愛しているし、オチを見ても芸術賛歌でもある作品です。
悪そうにみえて根は良い奴も多い
そんな社会問題批評もありつつ、『ウェンデルとワイルド』は基本は子どもでも見られるホラー・ファンタジーを提供してくれるので見やすいです。何よりも“ヘンリー・セリック”監督らしい世界観は今回も飽きさせません。
まず主人公のカット(K.K.エリオット)のデザインが素晴らしく、悲劇的な過去を背負っておきながら、内向的に沈んでいるのかと思いきや、パンクロックで制服改造しまくって初登校をキメるというアグレッシブさ。
ここにトランスジェンダーであるラウールも加わるというこのコンビネーションも良いですね。ラウールがトランスジェンダーであるのは、「ラモーナ」という過去の名前が一瞬だけ友人からミスジェンダリング的に言及されるのと、トランジション前の写真が映されることで明示されます。でもあの学校、保守的に見えて、ラウールの服装も認めているし、カットのあの制服もなんだかんだでOKだし、結構自由な雰囲気なんだな…。
ちなみにラウールの声を演じている“サム・ゼラヤ”もトランスジェンダー当事者起用となっており、「Them」によればキャスティング募集段階からそうなっていたようですね。
そんなカットたちの目の前に出没して好き放題するのはウェンデルとワイルド。声を演じている“ジョーダン・ピール”と“キーガン=マイケル・キー”とそっくりな見た目なんですけど(似すぎなくらい)、2人の掛け合いはアホらしく、悪役というほどでもない憎めなさです。まさかこんなヘアクリームが大活躍するアニメだとは思わなかった…。
そのヘアクリームの本来の利用者であるベルザー。たぶん元ネタは「ベルゼブブ」なのでしょうけど、コイツが親玉の悪役か!と思わせておいて案外と物分かりのいい奴だったり、“ヘンリー・セリック”監督作はいつも悪そうに見えて実は愛嬌があるというキャラクターを構築するのが上手いです。レベル・ベスト神父も当初は小物な悪い奴に思えつつそれなりに頑張っていたから…(それなりに…ね)。
シスター・ヘリーと車椅子のマンバーグなど、脇にいるキャラクターたちもクセが強く、このオエっとするような気持ち悪さを弄ぶ世界観でも埋もれることのない個性を放っています。
ストップモーションの演出ももちろん大満足。個人的にはウェンデルとワイルドが地上に出現するときの、あの地面内の断面横移動のシーンが好きです。ああいうどうでもよさそうな場面をわざわざストップモーションでやっているのがいいんですよ。
やっぱり“ヘンリー・セリック”監督の世界はめちゃくちゃ楽しい!と再確認できましたし、この調子で“ジョーダン・ピール”と手を組み続けて、あと2~3作品は作ってほしいと思います。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 81% Audience 70%
IMDb
6.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Netflix
以上、『ウェンデルとワイルド』の感想でした。
Wendell & Wild (2022) [Japanese Review] 『ウェンデルとワイルド』考察・評価レビュー