あの名作の魅力はロンドンでも生きる…映画『生きる LIVING』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス(2022年)
日本公開日:2023年3月31日
監督:オリヴァー・ハーマナス
恋愛描写
生きる LIVING
いきる りびんぐ
『生きる LIVING』あらすじ
『生きる LIVING』感想(ネタバレなし)
あの黒澤明監督の名作はイギリスで成り立つのか
この時間に起床して、この時間に朝食をとり、この時間に家を出て、この時間に仕事をし、この時間に家に帰り、この時間に就寝する。いつも決まったルーチンワークで行動し、日々をそうして“生きている”。そんなとき、ふと虚しさを感じることはありませんか?
仕事でなくてもいいです。家事、育児、介護、学業…。もしくはネット生活でもいいでしょう。毎日いつも同じサイトをチェックし、いつも同じようにSNSを眺め、いつも同じアプリを開き、いつも同じインターネット上の回遊ルートがあるのでは?
これをして何か意味があるのか。その意味すらも考えない。ただなんとなく“生きている”。
そんなことを書いている私だって、映画の感想をただ惰性のように、事務的に書いてしまっているだけになってないだろうか…。そういうことを全く考えないと言えば嘘になります。
人は立ち止まるのが怖いので歩き続けてしまうのですけど、自分がどこに向かいたいんだ?と考えてしまう瞬間はいずれ訪れます。その「ハっとする」瞬間はいつ来るかはわからないのですが、避けられない通過点です。いや、もしかしたら人生の道のりの終わりが見え始めたときになって、やっとその瞬間に出くわすかもしれない…。
今回紹介するイギリス映画は、まさにそんなシチュエーションに陥ったひとりの初老の男を描いた人生劇です。
それが本作『生きる LIVING』。
本作は兎にも角にも元になった映画から言及しないと始まりません。あの“黒澤明”監督の不朽の名作『生きる』(1952年)です。この『生きる』は『羅生門』(1950年)や『七人の侍』(1954年)といったインパクトのある代表作と比べると地味なのですが、こちらも負けず劣らず国際的な評価も高く、私も“黒澤明”監督作の中ではかなり好きな一作です。
内容はとりあえず日本の全公務員は必修視聴すべき映画だと思います。ひとりの市役所の課長が余命宣告を機に、自分の生き方・働き方を見つめ直すドラマであり、官僚主義、行政の無気力、もっと言えば人間らしさの喪失…それらを巧みに風刺。この映画で風刺されるテーマは今の社会にも、いや、今こそ刺さるべきものなのかもしれない。「古い映画だからな…自分なんかには…」と謙遜しなくても大丈夫。現代人にも身につまされる話ですから、ぜひ1度は見てほしい傑作です。
その『生きる』をイギリスがリメイクすると聞いたときは、私は「それはいけるのか?」とやや半信半疑でした。というのもこの“黒澤明”監督の『生きる』は非常に日本特有の社会体質を扱っていたので…。敗戦を経験した後の覇気も意義も見失った男たち、その男たちでなおも成り立っている男社会な政治構造…。この映画は戦後映画ですが、実質は戦中と同じ実態が日本に残存していることを突きつける…そして日本はいまだにあの戦時下から抜け出せず、社会の未来像に目を向けることもできていないという、そんな強烈な日本批評作品でした。
それをイギリスを舞台にリメイクしたら根本の作品の位置づけから変わってしまわないだろうか、と。そんな不安があったわけですけど、実際にこの『生きる LIVING』を観てどうだったのかと言えば…。
見事でした…。イギリスを舞台にしても名作のまま成り立っていました…。
これはやはり『生きる LIVING』の企画・製作総指揮・脚本に関与して映画の骨格を新たに組み上げた“カズオ・イシグロ”の才能。まずはこれあってこそです。小説家としては言うまでもなく一流ですが、映画の脚色も寸分の狂いもなくきっちりこなす…“カズオ・イシグロ”、これは映画界での活躍がまた期待されちゃうやつじゃないでしょうか。
監督を務めたのは、南アフリカの監督である“オリヴァー・ハーマナス”。2009年の『Shirley Adams』という映画でデビューし、最近だと2019年の『Moffie』も高評価を獲得。この『Moffie』は南アフリカで強制徴兵された男たちを主題に、その空間における人種差別やホモフォビアといったホモソーシャルな体質を活写しつつ、こちらもその中で存在意義を見い出せないひとりの男の心情に焦点をあてています。確かにこの映画を撮る人なら『生きる』も上手く扱えそうです。
そして俳優陣がまた最高で…。主演の“ビル・ナイ”は本作の名演でアカデミー主演男優賞にノミネートされましたけど、これはもう“ビル・ナイ”を味わい尽くす極上の体験です。“ビル・ナイ”の生きざまを見ているだけで、なんだかこっちも無性に心が揺さぶられてしまう…。『パレードへようこそ』『マイ・ブックショップ』と良い映画にでていますが、この『生きる LIVING』は“ビル・ナイ”のベスト盤かも…。
他には、『シカゴ7裁判』の“アレックス・シャープ”、『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』の“エイミー・ルー・ウッド”、『Mank/マンク』の“トム・バーク”など。
元の“黒澤明”監督の『生きる』を観たことがない人でも、観たことがある人でも、どちらでも味わいがいがあるのでぜひどうぞ。映画を鑑賞した後に、自分の生き方に対する姿勢がほんの少しでも変わるといいですね。
『生きる LIVING』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :人生を見つめよう |
友人 | :素直に語れる人と |
恋人 | :互いに打ち明けあって |
キッズ | :大人のドラマです |
『生きる LIVING』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):どう生きればいいのか
1953年、ロンドン。甚大な爪痕を残した第2次世界大戦は終わりをつげましたが、完全な復興は果たしておらず、それでも街では人々が行き交っています。ロンドンはイギリスの中心です。
そのロンドンの職場へと向かっている男たちは同じような背広と帽子を身に着けた格好で、規律的に平然と歩いていました。その中に、やや背広が馴染んでいない若い男がひとり。ピーターです。彼は社会人になったばかりで、今日は初めての職場に向かう初出勤日。少し緊張しています。
駅で同僚たちと出会い、ピーターは礼儀正しく挨拶。同僚たちの反応は普通です。
列車が来て乗り込むと、車内でもそわそわするピーターでしたが、同僚たちは自分たちの上司となるウィリアムズの前ではより気をつけるように言います。
次の駅に止まり、例のウィリアムズと思われる初老の男に窓越しに少し挨拶する男たち。でも言葉はかけませんし、一緒に隣で乗り合わせることもしません。これが儀礼なのです。
降りる駅で合流するも、一緒に並んでは歩かず、少し離れた距離感でついていきます。ペースを乱してはいけません。
役所(ロンドン郡議会)の市民課に到着し、ピーターは他の同僚たちと一緒に机に積まれた書類と向き合います。奥の中央に座る上司のウィリアムズは淡々と事務処理をこなしていました。ピーターの前で仕事している女性マーガレット・ハリスは、この書類が山積みになっているこそ重要であると、ここのルールをこっそり教えてくれます。
そこに陳情に来た女性たちが現れます。ピーターも隣で対応を見守る中、女性たちは第2次世界大戦の爆撃で荒廃したままの現場を子どもの遊び場に再開発するように議会に請願したいとのことでした。
ピーターは市民課では対応できないので女性たちを他の部署へと案内。しかし、部署から部署へとたらい回しにされるだけ。
結局、市民課の仕事だと言われ、ピーターは気まずそうに戻ってきて、そしてウィリアムズに書類を差し出します。ウィリアムズは請願書を受け取り、それに全く目も通さずに書類の山に追加するのみ。ペースを崩さずに一定の仕事だけする。それがここの暗黙の決まりです。余計なことはしません。
ウィリアムズはまた決まった時間に出ていき、向かった先は医者でした。けれどもここでは予想外のことが起きます。医者は重々しく言いにくそうに言葉を続けます。末期がんの診断でした。
マイケルと妻フィオナが帰宅し、真っ暗な部屋に父のウィリアムズが佇んでいたことにびっくりして話しかけますが、ウィリアムズの様子は明らかにおかしいです。何かを語るわけでもなく、しょうがないので暮らしている2階に引っ込む息子夫婦。
そしてウィリアムズは職場に来なくなりました。あれほど絶対に不規則な行動をとらない人間が…。同僚たちはなぜだろうかと語り合うも、空席は何も教えてくれません。
命が終わりかけていると知ったウィリアムズは失意のまま、ある場所にいましたが…。
ビル・ナイの演技に染み入る
ここから『生きる LIVING』のネタバレありの感想本文です。
元の映画である『生きる』の主人公は“志村喬”演じる渡邊勘治という男ですが、いかにも日本の中高年男性管理職みたいな存在感であり、無個性で感情が希薄でした。
対するイギリス版『生きる LIVING』の“ビル・ナイ”演じるウィリアムズは、見た目は典型的なオールド英国紳士なので雰囲気はかなりかっこよくみえます。ところがそれはあくまで外側だけであり、中身はものすごく空っぽ。あのビジュアルで内面まで紳士な優しさと誠実さを兼ね備えていれば完璧だったのに、このウィリアムズは見せかけ英国紳士で、なんともガッカリな存在感です。
今作のウィリアムズはこの外と内の差が余計に虚しさを漂わせており、それがイギリスという国の在り方をそのまま風刺しているようになっています。
本作ではこのウィリアムズの空虚な内側に少しずつ「生きる」ということへの渇望が湧いてくる様子が、“ビル・ナイ”の文句なしの名演で表現されており、とても見ごたえがありました。
その“ビル・ナイ”の名演と渡り合っているのがマーガレット・ハリスを演じた“エイミー・ルー・ウッド”。この役柄はかなりバランスが難しいと思います。ケア要員としての安直な女性になってはいけないし、一方であまりに理想的に自立した女性というわけでもないし、ハリスもハリスで迷いはもちろん抱えている。でもハリスにはその葛藤を乗り越えられる“力”があって、若さや性別だけでは説明できず、それが何なのかがウィリアムズにはわからない…。
“エイミー・ルー・ウッド”と言えば、ドラマ『セックス・エデュケーション』で魅力全開でファンを獲得しましたが、やっぱりこの若手俳優はそういう形容できない“力”を素で振りまける才能があるんだろうな…。
そう言えば『生きる LIVING』では同僚にニックネームをつけていたハリスはウィリアムズを「ミスター・ゾンビ」と名付けていたと説明します(元映画では「ミイラ」というあだ名だった)。このイギリス映画は舞台が1953年で、ゾンビという言葉をジャンルと共に普及させる原点となった『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』ですら1968年なので、この年の時点で「ゾンビ」なんて言葉を知っているハリスはかなりマニアックですね。
日本とイギリス、1950年代と今
『生きる LIVING』は元映画にあったナレーションを廃し、かなりテキパキと進むのですが、オープニングから見られる当時の再現が精巧だったり、細部まで丁寧に作り込まれています。
私が当初に懸念していた日本とイギリスという2つの国の社会の違いがどう映画の位置づけに影響を与えるのかについては、確かに元映画は敗戦国というだけでない日本特有の社会体質が如実に風刺されていて、これがそのままイギリスに当てはまるわけではありません。
それでも本作はそこを踏まえて脚色が巧みで、イギリスにはイギリスの虚栄心というべきようなものがあって、それがこの『生きる LIVING』では浮き彫りになっている感じでした。同時に、戦争というのは、勝ったから良い気分、負けたら暗い気分…みたいな単純な二極化では片付けられないことも示してくれるし…。
また、この過去を描く映画が今の私たちに広く刺さる理由も考えると、新たな大戦を経験したわけでもないのに今の時代に染み渡るのは、今がまさに同じような絶望的なアパシー(虚無感)の中にあるからなのでしょう。私はつくづく現代社会全体が鬱状態にあると痛感していますが…。
終盤は元映画どおり、ウィリアムズの死後は彼の模範を引き継ごうと残された男たちが改心する展開になります。元映画ではここは実に日本らしくて、葬式の集まりで男たちが半ば酔っぱらいつつ亡き主人公を疑っていたのがしだいに讃える方向になるという、「酔うことでしか本音を出せない日本男児」の姿を観察できて、私は気に入っているシーンなのですが、『生きる LIVING』ではさすがにそれはありません。列車内での会話という控えめな場になっています。
一方で、ピーターとハリスのロマンスを最後にちょこんと据え置いていることで、社会には未来もあるということをさりげなく示しており、鬱屈して終わらないようにしてくれています。元映画よりも明るくなったかな。
と言っても最後はやっぱりブランコです。あそこで反省する警官を登場させることで、行政にも善良性の芽があることを提示し、悲しげながらも希望が残る後味に。このあたりも“カズオ・イシグロ”、隙がない…。
とくに今は警官が不正義を働いてしまい、それで市民の反感を集めるような事件が頻発していますからね。良心のある警官を描く意味はかつて以上に大きいのかも…。
『生きる LIVING』は現代でも通じる映画なのは間違いないと思いますけど、今はメンタルヘルスを誠実に描いた、『生きる LIVING』のアンサーになるような作品が無数に登場しており、この本作だけが抱えきる必要はなくなっているというのも、大きな変化なのかなとも思ったり。
無気力になるくらいなら善良さを忘れないように…それを心に補填する良きリメイクでした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 96% Audience 86%
IMDb
7.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
ビル・ナイの出演映画の感想記事です。
・『Emma. エマ』
・『名探偵ピカチュウ』
作品ポスター・画像 (C)Number 9 Films Living Limited リビング
以上、『生きる LIVING』の感想でした。
Living (2022) [Japanese Review] 『生きる LIVING』考察・評価レビュー