草しかありません…Netflix映画『イン・ザ・トール・グラス 狂気の迷路』(インザトールグラス)の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ・カナダ(2019年)
日本では劇場未公開:2019年にNetflixで配信
監督:ヴィンチェンゾ・ナタリ
イン・ザ・トール・グラス 狂気の迷路
いんざとーるぐらす きょうきのめいろ
『イン・ザ・トール・グラス 狂気の迷路』あらすじ
不気味にたたずむ広大な草むら。背丈の高い草が鬱蒼と伸びており、向こう側は何も見えない。そんな奥から人の声が聞こえてくる。不審に感じながらも足を踏み入れていけば、そこはあなたの知らない世界。どんなに前に進んでも決して外へは出られない。まるで永遠に続く狂気の迷路。草ばかりの場所に見えるかもしれない。でもそこには草以外の“何か”がいる…。
『イン・ザ・トール・グラス 狂気の迷路』感想(ネタバレなし)
その発想はなかった
「草」です。その言葉を聞いて何を連想するでしょうか。
“笑い”を意味するネットスラングを真っ先に思い浮かべたあなたは相当なインターネット脳になっているでしょう。そうではなく植物の“草”を普通に想像した人でも、その“草”の種類は千差万別。ただざっくばらんに「草」と言い切ると、たいていは綺麗な園芸植物や実用的な農作物ではなく、そこらへんに生えている名前もわからぬ雑草を漠然と思い浮かべるのではないかなとも思います。通勤通学途中の歩道に生える何気ない雑草、自宅の庭先に好き勝手に生えて鬱陶しい雑草、もしかしたらどこまでも続く大草原をイメージするかも…。
そんな草を“怖い”と思ったことのある人は少ないかもしれません。たいていは足で踏みしめるか、振り払うようなオブジェクト扱いです。でも一部の人は草の怖さを知っているはず。
というのも林道ではない森の真っ只中を探索したことのある方ならば、自分の背丈以上に伸びる草むらの危険性を痛感しているでしょう。よく山菜採りの最中に森に入って遭難するお年寄りのニュースが時期になると頻繁に聞こえてきます。この遭難のもっぱらの原因は、背丈の高い草むらです。笹とかイネ科植物が群生している草むらに、足元の山菜に気をとられながら立ち入ると、たちまち方向感覚を失ってどっちから来たのかもわからず迷子になります。
「そんなバカな」とか「それは能力の低下したお年寄りだけでしょ?」と未経験の人は軽視するのですが、実際にそういう草むらに入れば誰でも実感できます。年齢関係なく本当に一瞬で自分の空間認識を喪失します。対処するには地図やGPSなどの道具の事前準備やある程度のスキルが必要で、迂闊に草むらに侵入するのは全くオススメしません。クマなどの猛獣に出くわすリスクも高いですから。
そのわかる人にはわかる草の怖さを題材にピックアップした異色のホラー映画が本作『イン・ザ・トール・グラス 狂気の迷路』です。
本作はそのタイトルのとおりなのですが、身長を超える背丈の草むらにある理由で入り込み、そこから出られなくなるというスリラー。え? そんなの草を刈りまくればいいじゃん!…なんて思った人は甘い。この草むらは人知を超えた摩訶不思議な力が宿っていて…というスーパーナチュラル・スリラーとなっていきます。
植物が人を襲う系のホラーってあるじゃないですか。「食人植物」というジャンル。『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』とか。その系統だと個人的には思っています、この『イン・ザ・トール・グラス 狂気の迷路』。
原作小説があって、著者はあの“スティーヴン・キング”と“ジョー・ヒル”です。“スティーヴン・キング”は言うまでもないですね、巨匠です。“ジョー・ヒル”は“スティーヴン・キング”の息子です。二人が2012年に書いた短編小説の映像化となっています。
“スティーヴン・キング”はアメリカの地方を舞台した作品が多く、必ずといっていいほど、その環境の日常にあるような要素で「ホラー」を生み出すことに長けており(例えば『1922』のネズミとか)、毎度毎度よく思いつくなと思うのですが、今回もまさか「草」そのものに着目するとは…。発想力が違いますね。
監督は『キューブ』で一躍有名となった“ヴィンチェンゾ・ナタリ”。『キューブ』は異常な超閉鎖空間を舞台にしたシチュエーション・スリラーでしたが、『イン・ザ・トール・グラス 狂気の迷路』も同様なのでピッタリな人選。“ヴィンチェンゾ・ナタリ”監督は最近は、『スタートレック ディスカバリー』のプロデューサーや、『ストレイン 沈黙のエクリプス』『ウエストワールド』の監督などドラマ業界で活動しており、久しぶりの映画に戻ってきました。
“スティーヴン・キング”原作作品の映画は毎年数本程度公開されるほど、いっつも“スティーヴン・キング”・フィーバーしています。2019年も本作の他に『IT THE END “それ”が見えたら、終わり。』『ドクター・スリープ』と充実していますし。
本作はNetflixオリジナル作品として配信中。やっぱり定期的に“スティーヴン・キング”・ホラーは摂取しておかないとね。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(じっくり見るのも良し) |
友人 | ◯(友達と集まって鑑賞会) |
恋人 | ◯(暇な時間に二人で) |
キッズ | ◯(子どもも見たいなら) |
『イン・ザ・トール・グラス 狂気の迷路』感想(ネタバレあり)
出られない!
『イン・ザ・トール・グラス 狂気の迷路』は限定空間のシチュエーション・スリラーらしく、非常に観客に与えられる情報が制限されており、少しずつ小出しにされていく情報を集めながら、その物語の全容を把握していくという面白さがあります。
物語はドライブをしている男女の姿で始まります。助手席にいた女性が急に吐き気をおよぼし、停車する車。そこは近くに古びた教会がポツンと立っているだけで他には鬱蒼と生い茂る草丈の高い草むらだけの辺鄙な道路。どうやら女性は妊娠中らしく、つわりなのか、気分がすぐれない様子。運転席にいた男性は心配します。すると「やっぱり戻るべきかな?」と女性がこぼし、男性は「ここまで来たのに今さらか」とその女性の不安を払拭させようとします。
この時点で観客には何のことかはさっぱりですし、この男女の関係性も不明。名前はカルとベッキー。それだけはわかりますが…。普通に考えると“駆け落ちでもしたのかな?”と思うのですが、真実はもっと別のモノであり、それこそが本作の主軸にあることが後で判明します。
その会話をしていると、ふと草むらの方から「助けて~」と子どもの声。「出られない」「もう何日も迷子なんだ」と弱々しい声とともに、大人の女性らしき声で「やめてトービン、呼んじゃダメ」とも聞こえてきます。
明らかに不自然。でも無視するわけにはいかない。良心に従ってカルがやれやれと草むらへ入っていき、ベッキーも後から追いかけます。この時点で二人は兄妹だとわかります。すぐに見つかると思いきや、一向に姿すら見えないそのトービンという子ども。それどころか、カルとベッキーすらも合流できず、果てしなく続く草むらで迷子に。近くで声が聞こえたと思ったら通り過ぎている、その繰り返し。疲労するだけ。
まずは互いの位置を確認しようと、カルとベッキーは“せーのっ”でジャンプすると結構近くにいることを確認。もう一回ジャンプすると今度はついさっきまで見えた場所にいない。もちろんその場からは動いていないはず。オカシイ…。
得体のしれない不安を感じながら、パニックを起こして闇雲に歩き回ると、カルはフレディという犬の死体を発見。一方のベッキーはトービンの父と名乗るロスという男に遭遇。
あたりはすっかり暗くなり、夜。疲労困憊のカルはついにトービンに会います。しかし、トービンは妙に落ち着いており、「ここは死んだものを動かせない」と意味深なことを言いながら、カルの妹の名前を口にします。なぜ初対面なのに知っているのか。「岩が教えてくれた」と発言し、ついてくるように促すので従うと、謎の巨大な物体のところに案内されます。禍々しいオーラを放つその岩のような物体には、象形文字のような絵が刻まれ、触ると気持ちいいと触れるように誘われ…。そこでどこからともなくベッキーの悲鳴。
そして場面は変わり、太陽が昇った“ある日”(いつの日かが重要)。カルとベッキーを探す男トラビスが、二人の車を教会の前で発見。例の草むらに入っていき…。
日常と異常、既視感と違和感、恐怖と罪悪感、人間の心の二面性…“スティーヴン・キング”らしい魔の手が草むらから這ってくる、思わず見入ってしまうホラーでした。
草だけで終わらないツイスト
『イン・ザ・トール・グラス 狂気の迷路』に欠かせないものは自明のとおり「草」です。とくに序盤はすでに前述したような方向感覚を失う草むらの恐怖が非常によくわかる映像で、経験のある人はトラウマが呼び起こされるくらいの感じでした。
それだけだとさすがに物語のサスペンスは持ちませんが、本作では割とすぐに観客を飽きさせないための次なる仕掛けを提供してきます。トービンとロスという意味深な登場人物の乱入。全くその存在が謎だらけの物体(まあ、少なくともこの異次元草原の諸悪の根源なのは推察できる)。そして、トラビスという新しい主人公とともに、タイムループというSF的なツイストがストーリーに加わり、ますます物語は予測不可能に。
このわんこそばのようにハイ!ハイ!と次から次へと新しいサスペンス&ミステリーを以前のものを解決できていないにも関わらず乗っけていくスタイル…。すごく“ヴィンチェンゾ・ナタリ”監督の『キューブ』と同じ構成力ですね。
冷静に考えると辻褄が合わないし、矛盾も多いのですけど、そこを考えさせる時間さえ与えない怒涛のハイペースな供給。このある程度の強引さありきのストーリーテリング、これぞ“ヴィンチェンゾ・ナタリ”監督流ですよ。
加えて後半から終盤にかけてはこれまた“ヴィンチェンゾ・ナタリ”監督らしさでもある、過剰なバイオレンスとビジュアルのインパクトで持っていきます。自分の遺体、“草人”ともいうべき謎の集団、陥没した地面から沸き上がる無数の蠢く存在、自分を食べさせられる恐怖、ロスが妻ナタリーの頭部を腕力でプレス…。
もう後半は完全に草とかどうでもいい感じなのですけど…。でもこのオーバーすぎる味付け、私は嫌いじゃないです。
あとやっぱりホラーは小規模なシチュエーションで、無名に近い俳優でやるのが一番いいですね。昨今の日本の邦画ホラーも学んでほしい…。
永遠に同じ間違いを犯さないために
『イン・ザ・トール・グラス 狂気の迷路』は過去の“スティーヴン・キング”作品と同様に、おぞましいビジュアルで飾られたストーリーの内部は、意外なほど普遍的な人間の弱さへの葛藤が隠れています。基本はすごく身近なテーマです。
本作の場合は、新しい命の誕生という「出産」をめぐる、これから父になる男と、これから母になる女の迷い。
妊娠したベッキーの夫であるトラビスは実はその出産には反対。おそらく夫婦の仲はかなり悪化していたと思われます。そんな夫から離れるように、兄のカルとともにサンディエゴへ向かうことにしたベッキー。その新天地で新しい生活を赤ん坊を一緒にスタートさせるつもりなのかと思いきや、本当はそこで生まれてくるその娘(ジニー)を養子に出すつもりなのでした。
“父”になりたくないトラビスに襲いかかる恐怖の具現化した存在は「ロス」です。彼は雰囲気から察するに非常に典型的な父権主義を象徴しており、支配的。職業が不動産業者で、金勘定で考えを整理しているあたり、キャリア思考も透けて見えます。そして、あの謎の物体に「アメリカの中心」を見いだすことから、ナショナリズム的な価値観に陶酔しているのかもしれません。要は現代社会から見れば古いタイプの男です。そんなガチガチのパターナリズム全開のロスは、トラビスにとってすれば“絶対にああはなりなくない存在”であり、自分の落ちぶれた未来の姿そのもの。最終的に彼はそのロスに打ち勝ち、自らを犠牲に、父としての最初で最後の使命を果たします。
一方、“母”になりたくないベッキーは、その意思に反して誕生を求めるかのようなまだ見ぬ娘による“お腹の痛み”に苦しみます。そのたびに辺り一帯の草むらは呼応し、恐怖を増長し、養子に出すことがまるで生贄であるかのように底知れぬ罪悪感を増幅。
そんなベッキーに対する歪んだ妹愛をこじらせるカルもまた、非常に“スティーヴン・キング”らしい人間的弱さを覗かせます。
作中におけるトラビスがカルとベッキーの子どもへの恐怖と向き合わせる“子どもの代表”として機能し、ラストに草むらに入ろうとするカルとベッキーを食い止めることで“子どもは親の愛情を望んでいる”という子どもの代弁を果たす。教会と絡めた宗教的な救いも合わせて、この構成も実にオチが良かったです。
それにしても今作の犬は、恐怖の対象ではなかったですね。でも絶妙にひとりで助かっているあたり図々しいな…(ヒントになっているけど)。
「永遠に同じ間違いを犯すことになる!」という未来のベッキーからの電話は作中ではタイムリープそのものへの警告を指すわけですが、深読みすれば私たちの社会における負の連鎖全てを重ねることもできます。家庭内暴力、犯罪、不正・汚職、差別、戦争…。どこかで自分を省みて、行動を変える。そのタイミングはいつか来るもの。あとはその時に実行できる勇気を持って。
あなたは今、草むらの中にいるんじゃないですか?
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 46% Audience –%
IMDb
5.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★
関連作品紹介
“スティーヴン・キング”原作の映画化作品のうち、感想を書いた記事の一覧です。
・『1922』
・『ジェラルドのゲーム』
作品ポスター・画像 (C)Copperheart Entertainment インザトールグラス
以上、『イン・ザ・トール・グラス 狂気の迷路』の感想でした。
In the Tall Grass (2019) [Japanese Review] 『イン・ザ・トール・グラス 狂気の迷路』考察・評価レビュー