ヨーロッパ中に沸き起こる分断を過激に描く…Netflix映画『カールと共に』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:ドイツ・チェコ(2021年)
日本では劇場未公開:2021年にNetflixで配信
監督:クリスティアン・シュヴォホー
カールと共に
かーるとともに
『カールと共に』あらすじ
ドイツのベルリンで民家のアパートを狙った爆破テロが発生。この惨劇によって大切な家族を失い、ひとりの若い女性は怒りをどこにぶつければいいのかもわからずに彷徨う。そこに現れたのはひとりの男性で、とある運動に招待してくれる。それはヨーロッパを変えるために血気盛んに活動する若者たちの集まりであり、その力強い主張にしだいに惹かれていき、その運動に対して自分も何か貢献しようという感情が湧いてくるが…。
『カールと共に』感想(ネタバレなし)
差別主義者はどんな顔をしている?
「差別主義者」…その言葉から、あなたはどんな姿を思い浮かべるでしょうか。
常に差別用語を罵詈雑言として浴びせかけてくる醜悪な人たち? いかにも暴力的で粗雑な集団? 知識が浅くて世間を知らない愚か者? ネット上にしか存在しなくてリアルでは何もできない臆病者?
でもそんなイメージこそ偏見かもしれません。差別主義者の実態。それはなかなかしっかり相対しないとわからないもので、どうしても勝手な想像だけが先走りがち。極端な悪者像として固定化することで「あいつらはだから酷い奴なんだ!」と怒りを増幅させるのに活用する人もいますし、「自分は差別主義者なんかであるはずはない」と納得する人だっているでしょう。
実際に差別主義者とはどんな人なのか。大雑把な結論を言ってしまえば「いろいろ」です。つまるところ差別主義者も多様で、類型化することもしずらく、個人で違ってくるものなんですね。とくに現代は差別主義者のバリエーションも増しているのかもしれません。
映画ではそんな差別主義者が描かれることがあります。『否定と肯定』に登場するような歴史修正主義者、『ブラック・クランズマン』に登場するような白人至上主義者、『アンダーカバー』に登場するようなナオナチ、『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』で浮き彫りになるLGBTQフォビアな人たち、『続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画』では陰謀論を無垢に支持するトランプ支持者たちの素顔もそのまま映し出されていました。
しかし、今回紹介する映画の差別主義者の姿はそれらとはまた違う雰囲気を感じられると思います。その映画のタイトルは『カールと共に』。
本作はドイツ映画です。ドイツ映画で差別や分断を描く作品は近年でも『そして明日は全世界に』など、非常に攻めたものが多い印象で、さすが歴史のあるドイツなだけあるなと感心するばかりなのですが、この『カールと共に』も攻めまくりです。いや、攻めすぎたかもしれない…。描き方がかなり過激で、センセーショナル上等な勢いで突っ走っているというか…。かなり賛否両論あって当然な内容です。
物語は、爆破テロで家族を失った若い女性を主人公にしており、その人生をズタズタにされた主人公が大変な領域に足を突っ込んでいく…あまり言いすぎるとネタバレで面白くないのでこれ以上の言及は控えますね。
とにかく『カールと共に』を観ると、こういう差別主義者の姿も実在するということがわかると思います。差別主義者の固定観念を揺り動かし、私たちの中にある「自分は差別主義者になるわけない」という安心感を粉々にしていく。そういう映画でもあります。
ヨーロッパを取り巻く差別主義の高まりと分断といった社会問題に関心がある人は、とくに鑑賞するといいんじゃないでしょうか。
本作は2021年にバーチャル開催されたベルリン国際映画祭の「Berlinale Special」に出品されて上映されました(ちなみにこの年のコンペティション部門の金熊賞の受賞作はルーマニアの『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ』、銀熊賞である審査員グランプリは濱口竜介の『偶然と想像』でした)。
『カールと共に』の監督は、画家「パウラ・モーダーゾーン=ベッカー」の伝記映画『Paula』やドラマ『ザ・クラウン』の一部エピソードを手がけたドイツ人の“クリスティアン・シュヴォホー”です。
俳優陣は、不自然な身体の異常な変化を感じていく少女を描いたスリラー映画『ブルー・マインド』で鮮烈な印象を残した“ルナ・ヴェドラー”。さらに『コリーニ事件』の“ヤニス・ニーヴーナー”、『ちいさな独裁者』の“ミラン・ペシェル”など。
『カールと共に』は日本では劇場公開されておらず、Netflix配信となっていますので、気になる人はチェックリストに加えておいてください。
『カールと共に』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2021年9月23日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :題材に関心があるなら |
友人 | :興味ある者同士で |
恋人 | :ロマンスもあるけど… |
キッズ | :暴力的な描写あり |
『カールと共に』予告動画
『カールと共に』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):私はカール!
マキシ・バイヤーを父のアレックスが迎えます。アパートの家に帰ると母のイネスが温かく接してくれました。マキシは平凡な若者であり、円満な両親との関係に築き、可愛い幼い弟2人にも恵まれ、自由に生活できていました。
アレックスはアパートの1階で隣人のパプケ宛ての荷物を宅配員らしき男から預かります。その重そうな段ボールを家の玄関に置き、荷物をとるために再びアパートの外の道路にある車へ。
その瞬間、背後のアパートの建物が大爆発。粉塵の中で起き上がろうとする父。眼鏡をかけます。目の前にあったのは滅茶苦茶に半壊したアパートであり、家族の部屋があった一画は吹っ飛んでおり…。
しばらく後…。「宅配物を預かりましたよね?」と警察から質問を受けるアレックス。「宅配員の容姿は?」と聞かれても反応が薄いアレックス。放心状態です。そこにマキシが来て抱き合います。ピアの家にいて爆発は逃れたようです。
「ママはどこ?」とマキシは質問。無言の答えに泣き叫び狼狽し、「弟たちも?」の質問にも同様の反応だったことで「嘘だ」と絶叫するしかなく…。
葬儀が終わり、新しい住まい。意気消沈で暗い部屋に座り込むマキシ。スマホで「イスラム過激派テロ」を調べます。
家の現場に来るマキシ。解体作業の最中でした。そこにマスコミらしき男女がついてきたので、衣服店に入ってまきます。すると別の若い男性が話しかけてきました。変装用の上着を貸してくれ、どうやら自分を知っているらしいです。そのまま恋人のふりをして外へ。
彼の名前は「カール」で、喫茶店に一緒に時間を過ごし、マキシは好印象を持ちます。カールは現実逃避になるとプラハで行われるサマー・アカデミーを紹介してくれました。
マキシはここから離れようと父に提案しますが、父は家族への未練が残っているようで拒否されます。
孤独に苦しむマキシはサマー・アカデミーをネットで検索。カールは基調講演をする予定だそうで、そのイベントの紹介動画では「新しいヨーロッパ」を若者たちが力強く謳っていました。
父と警察に再び赴きます。進展はないようで、現場の遺留品が並んだ部屋に案内され、持ち物を教えてほしいと言われます。マキシは母のスカーフを見つけて握りしめ、悲しみに沈むしかできません。そして、暴れるマキシは父も責めたてました。
こうしてマキシは例のアカデミーに参加することを決めます。盛り上がる会場をキョロキョロと見て回るマキシ。カールがステージに上がり、まずは「追悼しよう」と呼びかけ、テロ犠牲者を悔やみます。そしてすぐに切り替え、政府の責任を追及し、「欧州を蘇らせよう! 知識の革命を! 我々が未来だ!」と主張。聴衆の若者たちはヒートアップし、団結を深めていました。その光景にマキシは圧倒されると同時に高揚感を覚えます。
マキシはカールの活動に惹かれ始め、彼が今度は選挙に出ているオディール・デュヴァルの支援会に参加するというので付いていくことにします。
しかし、このカールの活動団体にはマキシも知らない裏の顔がありました。自分の野望のためならいかなる手段も選ばない…。家族を失ったマキシの苦しい感情さえも道具にすぎず…。
これが現代の差別主義者
『カールと共に』はなかなかにショッキングなストーリーです。爆弾テロで家族を失うという部分の話ではありません(もちろんそれもショックな出来事ですけど)。それ以上にゾっとするのは、その遺族である主人公がその爆弾テロの首謀者である組織に知らずのうちに惹かれていってしまうという主軸の部分。
マキシは一部の報道を鵜呑みにして自分の母と弟たちを奪ったテロはISISのようなイスラム過激派のせいだと思い込みます。そこで偶然にも(実際は計画されていましたが)出会ったのが、「RE/GENERATION EUROPE」運動を先導するカールという若者。彼らは難民や移民はヨーロッパの脅威と考えており、人種混合を終わらせて、“正しい”ヨーロッパの姿を取り戻すために活動しています。
しかし、あの爆弾テロは実はカールの組織がイスラム過激派の犯行に思わせるべく仕組んだものであり、カールはマキシを尾行して接触の機会を伺っていたことが序盤で明らかにされます。しかも、さらに過激な陰謀まで計画して…。
まずあのカールの組織。あんな団体は存在するのか。実はモデルになったものがあり、それは「アイデンティタリアン運動」と呼ばれています。極右および白人ナショナリスト系の運動であり、とくにヨーロッパでの活動が活発です。急進的な拡大を今も続けており、日本を含む世界中で問題視されているオルタナ右翼とも無関係ではありません。
『カールと共に』にて描かれるカールの組織は、表向きはとても健全で未来志向で知的な運動に見えます。それは差別主義者という言葉のイメージを覆すでしょう(まさにそれが彼らの狙いなのですが…)。会場で参加者のジュリアが「ジークハイル」と言い放ってカールが「笑えないぞ」と真面目に叱るシーンがありますが、つまるところ、彼らにとって「ハイル、ヒトラー」とかそんなフレーズはもうダサいだけであり、今は「RE/GENERATION EUROPE」というオシャレなキャッチコピーを使っているわけです。でも本質はかつてのナチスと変わりません。単なるイメチェンというだけです。
現代の“賢い”差別主義者というのはこうやって巧妙に存在しているのだということがわかります。カールも言っていました。政治、科学、企業に自分たちは入り込んでいく…と。見事に優秀な知識層の白人という特権を使いこなしています。インターネットを駆使した広報も得意です。
だからこそ、難民支援経験がある親を持つマキシのような被害者さえもヘイトを煽る戦略に乗せられてしまう。映画を観ているだけだと、騙されるなんてマキシは愚かだと思うかもしれませんが、今まさにあなたも騙されているのかもしれません。
後半の計画と脚本は杜撰では…
『カールと共に』は物語の導入部はとても刺激的で、そこからどんな展開が待ち受けているのだろうとワクワクはさせるのですが、後半に進むにつれて、出来すぎというか、やや脚本に穴が目立つような気もします。
例えば、イスラム過激派を装った爆弾テロの事件に関しても、さすがにドイツの警察もバカではないでしょうから、証拠から容疑者を特定できるようにいずれはなると思うのですが、そのことはカールたちは全然心配はしておらず、よりにもよってさらに強引な作戦に打って出ます。
それがカールを殺害するという「若きリーダーの死」をもたらす悲劇的事件のやらせ。この事件を契機にクーデターをヨーロッパ全土で起こすというのですが、さすがにヨーロッパですよ。警察の汚職によって捜査まで根回しで支配できる国ならともかくヨーロッパでこのレベルのクーデターは無理なんじゃないか…。アメリカだって議会に乱入はしたはいいけど、最終的にはすぐに鎮圧されているのに…。
なんというかこの後半の計画を議論するカールたちは急にアホっぽくなってしまっており、それまでのリアリティとしての緊張感が霞んでしまいます。あんなことをしたら絶対にオディールも当選できなくなるだろうし…。
『ジョーカー』くらいフィクションに特化しているならこういうディストピアな展開もアリかなとも思うのですが、このリアリティラインだと強引さが目立ちますね。
あと個人的に気になるのは、作中でマキシが活動団体の女性とキスするなど、ちょっとクィアっぽい描写も見られるということ。当人の性的指向が何なのかは知りませんが、今作の描写だけだと、マイノリティな性的指向は単なる若者のノリにすぎないかのように受け捉えかねず、ただでさえ本作自体が大人からの「若者批評」みたいな側面があるので、あまり良い演出とは思えない気も…。
ラストの地下水道の奥に消えていくマキシ、アレックス、ユスフの3人。彼らも難民になってしまったというオチですが、まあ、寓話的と受け止めるにせよ、ちょっと急ぎ足で強引なストーリー展開ではあったと思います。
差別主義的なムーブメントのルックスの良さや爆発的な拡散力という怖さは伝わってはくるのですけど…。
『カールと共に』を鑑賞後はもう一度自分の周りを振り返りたいものです。「右も左も関係ない」とか「レッテルを貼られてもいい」とか、そんな聞こえのいい中立的言動を得意げに振りかざしている者はいないか。私もあなたもみんな差別主義者には簡単になれるのですから。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
5.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Pandora Film Produktion
以上、『カールと共に』の感想でした。
Je suis Karl (2021) [Japanese Review] 『カールと共に』考察・評価レビュー