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ドラマ『マーベラス・ミセス・メイゼル』感想(ネタバレ)…笑う門には女の福来たる

マーベラス・ミセス・メイゼル

笑う門には女の福来たる…ドラマシリーズ『マーベラス・ミセス・メイゼル』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:The Marvelous Mrs. Maisel
製作国:アメリカ(2017年~)
シーズン1:2017年にAmazon Primeで配信
シーズン2:2018年にAmazon Primeで配信
シーズン3:2019年にAmazon Primeで配信
製作総指揮:エイミー・シャーマン=パラディーノ、ダニエル・パラディーノ
人種差別描写

マーベラス・ミセス・メイゼル

まーべらすみせすめいぜる
マーベラス・ミセス・メイゼル

『マーベラス・ミセス・メイゼル』あらすじ

1958年のニューヨーク。ミリアム・“ミッジ”・メイゼルは、二人の子を持つ何一つ不自由のない裕福な家庭のユダヤ人の専業主婦だった。夫のジョールはビジネスマンとしてよく働き、時々スタンドアップ・コメディをしている。ミッジはそんな夫を献身的に支えていた。ところがひょんなことから苦境に立たされたミッジは、自らスタンドアップ・コメディのステージに立つことになる。

『マーベラス・ミセス・メイゼル』感想(ネタバレなし)

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スタンドアップ・コメディアンに私はなる!

「スタンドアップ・コメディ」(スタンダップコメディとも表記することも)というものを知っているでしょうか。

要するに大衆を前にマイクを片手に漫才を披露することなのですが、日本のお笑いと違ってかなりフリーダムでその気になれば誰でも参加でき、聴衆を巻き込みつつ、主に会話で攻めていくのが特徴です。その内容もバラエティ豊かで、割と単発的でしょうもないジョークから、人間観察で笑いを見いだしたり、普段は言えない下ネタをあえて堂々とぶちかましたり、政治や人種・宗教などタブー視されるようなネタに切り込んだり…とにかく何でもあり。即興でアプローチしていくことが頻繁に求められ、コメディアンのトーク能力がフルに試されます。

日本では馴染みないスタイルということもあり、中には「文句を言っているだけじゃないか」なんていう感想を漏らす日本人もチラホラ見かけますが、そもそもスタンドアップ・コメディはそういうものですからね…(サッカーに対してボールを蹴っているだけじゃないかと言っているも同じです)。

普段から「ここがオカシイ」と世の中への不満を抱きつつも言えずにいる庶民にとっての代弁者であり、ガス抜きの場であるのがスタンドアップ・コメディ。文句を言うことこそが芸なのです。

欧米ではこのスタンドアップ・コメディが主流で、ひとりでもできるので芸歴のない人でも小さなクラブなどでスタンドアップ・コメディで経験を積み、そこから人気に火がついてテレビや映画に出演したり、大観衆の前でスタンドアップ・コメディのパフォーマンスを披露するトップコメディアンになる人もいます。

そんなスタンドアップ・コメディの世界に主婦が飛び込んでいく姿を痛快に描いて、ゴールデングローブ賞やエミー賞などの数々の映画賞を総なめにした作品が、本作『マーベラス・ミセス・メイゼル』という海外ドラマシリーズです。

物語は説明したとおりなのですけど、1950年代終わりのアメリカが舞台になっているので、当時の時代性が全面に出ていますし、そんな中でコメディというものがどういう位置づけだったのかがよくわかるという意味でも面白いです。

そして主人公が先も言ったように主婦で、女性のエンパワーメントを描く作品としてもストレートに響いてくる作品でもあります。単純に主婦がコメディアンになれました!おしまい!…というプロパガンダ的なふわふわした“女性活躍”ではなく、女性が自分らしさを歩もうとすることの快感と障害という悩ましいリアルに向き合っているのが良いところ。

また夫婦モノとしても抜群に見ごたえがあります。『マーベラス・ミセス・メイゼル』の製作総指揮にクレジットされているのは“エイミー・シャーマン=パラディーノ”“ダニエル・パラディーノ”という実際に夫婦関係にある人で、原案は“エイミー・シャーマン=パラディーノ”の方。彼女は『ギルモア・ガールズ』というドラマシリーズで活躍していましたが、『マーベラス・ミセス・メイゼル』でさらなる飛躍を見せました。

加えて作品デザインがパーフェクトなのも特筆に値します。音楽・衣装・美術が最高にハマっており、全体的にオシャレ。これは観れば一発でわかるでしょう。そこに各キャラの会話自体が常にコメディ・ショーの延長のようになっており、気持ちがいいです。オリジナル作品なのに、これぞ『マーベラス・ミセス・メイゼル』!と言いたくなる作品個性があるというだけで、たいしたものじゃないでしょうか。

魅力満載の演技を盛大に披露している主演は“レイチェル・ブロズナハン”です。ドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』で評価されていましたが、『マーベラス・ミセス・メイゼル』で完全に持ちキャラを獲得した感じですかね。もうこの『マーベラス・ミセス・メイゼル』の人!というイメージが確立してしまうくらい、とにかくハマリ役。

個人的には主人公のマネージャーであるスージーというキャラを演じる“アレックス・ボースタイン”の軽妙な演技もイチオシ。本作でエミー賞助演女優賞を受賞していますが、主人公と真逆ながらこちらも魅力では負けていません。

他には“トニー・シャルーブ”、“マリン・ヒンクル”、“マイケル・ゼゲン”、“ジェーン・リンチ”などなど個性豊かな顔ぶれがコミカルな姿を披露。『シャザム!』の“ザッカリー・リーヴァイ”も出演しています。

2017年にシーズン1が配信され、すっかり長期作品になっている『マーベラス・ミセス・メイゼル』。物語自体はコメディなので何の予備知識もいらずに見やすく、気分が落ち込んだ時に鑑賞するのがオススメです。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(語り口の多い作品です)
友人 ◯(海外ドラマ好き同士で)
恋人 ◎(夫婦モノとしても面白い)
キッズ △(大人向けのドラマです)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『マーベラス・ミセス・メイゼル』感想(ネタバレあり)

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シーズン1;理想の女をやめます!

『マーベラス・ミセス・メイゼル』はどういう作品なのか。いや、もちろん主婦がコメディアンになっていく作品なのですが、それがつまり何を意味することになるのか。その本作の主軸の部分はしっかり前提として理解しておきたい部分です。

それはシーズン1の第1話冒頭からハッキリ示されます。画面に映っているのは実に幸せそうな花嫁姿の主人公ミリアム・ミッジ・メイゼル。この冒頭の彼女はいわゆる「世間的な“女が理想とするゴール”に到達した女性」です。夫のジョールはハンサムで、ビジネスマンとしても熱心。そんな夫との間には息子イーサンと、娘エスターの可愛い子どもにも恵まれる。親も祝福してくれており、家庭は円満。家柄的に裕福なので、とくに生活に困っておらず、広い家でたくさんの衣装に囲まれ、悠々自適に都会生活を謳歌。

ミッジ自身も周囲も認める器量良しで、夫が寝ている間に美容維持に注力し、体型サイズを10年前から計測し続けるほどプロポーションにも余念がない。夫の前では常にエンターテイナーとして理想の奥さんになっている。100点満点、お手本どおりの“良き妻”“良き女”。それが私ですと言わんばかりに、花嫁姿で可愛らしくウィンクします。

そんな一見すれば羨ましいと思われる女性の理想頂点にいるミッジが、“それらステータスを全て捨てて”コメディアンになる。これが『マーベラス・ミセス・メイゼル』の軸です。

それは言いかえれば“転落劇”なのかもしれません。それを示すようにミッジは「レニー・ブルース」というコメディアンに出会い、コメディの世界に入ることを決めます。このレニーは実在の人物で、過激なトークで人気を博した、いわばミッジが新たにお手本にするスタイルの持ち主なのですが、史実の彼は40歳でモルヒネを過剰摂取して死亡するという壮絶な人生を遂げます。そんなレニーが非常にキツイ言葉で「コメディアンになるものではない」とミッジに忠告するのも当然です。

実際に男性だってコメディアンで食っていくのは大変。そこに女性のゼロスタートなミッジが飛び込むなんて…。

事実、彼女はコメディアンになろうともがく過程で、夫との関係も、親との関係も、子どもとの関係も、裕福な非労働生活も、それまで理想的な調和の中にあったものを全て崩していくわけです。

でもやめられない。なぜならミッジには才能があるから。でもその才能をそれまでは夫が漫談をしていたときにメモして研究したりと、全部他者のために捧げてきたミッジ。それを今度は自分のために使う。使ってもいいんだ、と気づく。

そう自覚して決意を固めた瞬間、シーズン1最終話でミッジは「ミセス・メイゼル」へと完全に羽化します。

その実力は悔しいかな夫ジョールだって「彼女のどこがつまらないんだ」とミッジをバカにした男を殴るくらいに認めるしかないレベルです。

従来の理想の世界に浸れていた女性がエンパワーメントに目覚める時、それは傍から見れば没落に見える…という視点が本作の特徴で、そこをコミカルに描こうとする姿勢がまさにスタンドアップ・コメディ精神ですね。

ちなみにミッジのキャラクターのモデルには、実在の女性コメディアン「ジョーン・リバーズ」が参考にされているようです。

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シーズン2;女は女を武器に、男は男を捨てて

さあ、ついにコメディアンとしてスタートを切ったミッジ。シーズン2では華々しい芸人キャリアが開始…とはいきません。彼女に立ちはだかるのは大きな壁。

そのひとつが「女である」ということ。

別に女性コメディアンはこの時代にもいたのですが、やはり“女らしい”職業だと思われていないせいか、ミッジをコメディアンとしてフェアに評価してくれない人がウザいほど続出。彼女が美人で裕福な家柄ゆえに「なぜわざわざコメディアンなのか?」「歌手になれば?」と漫談の才能に向き合ってもくれませんし、彼女に寄ってくる男たちは彼女をまたしても“良き妻”の枠におさめようとしてくるだけ。

そんな障害物だらけの世の中に息苦しさを感じながら、その苦難をネタにして体当たりで躍進していくミッジがまた痛快です。彼女を見下している男コメディアンを前に「今夜のお目当ては女の失敗を見ること」「女とヤるには漫談するしかなかった男よ」と反撃。「お笑いは逆境を燃料にするの、無力感や寂しさ、失望、自暴自棄、屈辱…どれも女の専売特許よ、つまり女は面白い」と言い切ったミッジはもはや敵なし。

「女である」ということが最強の武器になっていきます。

一方、自分らしさを貫き始めたミッジに対して、その彼女の周囲の人間も徐々に影響を受けてくることに。

例えば、ミッジの父エイブは大学の教職から「ベル研究所」へと劇的なキャリアアップのチャンスを掴みます。このベル研究所というのは実在したもので、当時のアメリカで最先端の研究ができる場所で、例えるなら今ならGoogleとAppleが合体したような、とんでもないところです。そんな場所からお呼びがかかれば浮かれるのも当然。しかし、いざそこに移ってみるとなんかしっくりこない。そしてエイブは大学職もベル研究所も捨てるという道を選択。自分の本当にしたいことを模索し始めます。

そしてミッジの夫で道を別れたジョールは、自分の両親に振り回されるのにもうんざりし、「僕も夢を追う」と決意。漫談の才能はないと認めつつ、好きだったクラブに注力し、自分のクラブをオープンするという起業を目指します。

つまり、この二人の男性は「男である」という縛り(家父長制としてのプレッシャー)から抜け出そうとしているんですね。ジョールは転々とするミッジに代わって結構子育てを任せられることが多く、育児と労働を両立する男としてどうやったら上手くいくのかも悪戦苦闘。確かに順調とは言えないし、こちらも傍から見ればヘマしていると思われるけど、この男たちも彼らなりに新しい道を手さぐりで開拓している。その結果、いろいろな安定していたはずの土台が壊れてもいるけど、でも自分だって枠にハメられたくない。

女と男、それぞれの道は違えど、やろうとしていることはステレオタイプからの脱却なのです。

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シーズン3;多様な女の生き方と、痛恨の失敗

シーズン3ではテレビ番組にも出て人気が出始めたミッジが、有名な歌手シャイ・ボールドウィンの前座として巡業をするという貴重な経験を積めることに。

このシーズン3ではミッジ以外の「3人の女性」が目立ちます。

ひとりはミッジの母ローズです。シーズン2の第1話でもひとりパリに出ていってしまったり、彼女も彼女でミッジから刺激を受けたのか行動が読めたくなってきます。このシーズン3ではローズは相当に資産のある家系だと判明し、実家も登場しますが、取締役会は一族の男だけでローズには発言権がなくそれに怒りをあらわにします。そして娘とも対峙。「私は人生の舵を初めて自分で握っている」と自分らしい生き方をやっと地盤固めできてきたミッジに対して、それを理解してくれない母。このローズの中にある“女としての模範どおりに進むべき”という声と“女として不当に縛られたくはない”という声、二つの相反する葛藤が伝わってくる物語でした。

2人目はスージーです。彼女は極貧で半地下の家で暮らしているのですが、ミッジのマネージャーとして成功をおさめ、やっと彼女なりの希望が見えてきます。しかも、ソフィ・レノンという大物女性コメディアンのマネージャーにも抜擢され、確実に自分の仕事に誇りを持ち始めます。そんなスージーも旧態依然な“家”という牢獄から逃げていた存在でしたが、母の死をきっかけに踏ん切りがつくことに(燃える家を眺めるシーンが印象的)。シーズン3では、初めての飛行機、初めての水泳…とお茶目なシーンを通してスージーという人間が少しずつステップアップしているところを暗示するように描かれていました。

3人目はそんなスージーにサポートされることになったソフィ・レノン。最初に彼女が登場したシーズン2では一瞬ミッジの理想のように見えましたが、現実の姿を知って失望。一見するとヒールな役で終わったかに見えましたが、シーズン3ではソフィもソフィなりに大奮闘。劇という新しい世界に挑戦し、勝手がわからずあたふた。しかもソフィは大物なだけあってプライドがあるので面倒臭い状態に。でも頑張る姿はなんか愛嬌があります(ドアを開けるくだりがシュール)。

これら3人の女性は立場はバラバラ。保守的な家系に紐づく古き良き女、貧困層で容姿から女扱いすらされない女、単身で芸能のキャリアを極めた女。三者三葉の彼女たちを見ていると、「女」とひとくくりにはできない多様な女の生き方を教えてくれるようです。

本作は時代における「女の存在」を強調するシーンが多い作品です。シーズン2では電話交換手という女の職業が登場(逆にエレベーター案内係は男の職業なんですね)。シーズン3ではCM収録の報酬がタンポン(Pursettes;これは商品名でCampanaという化粧品メーカーのもので当時は広く流通していたそうです)だったり…。はたまた「フィリス・シュラフリー」という反フェミニズムな女性政治家の宣伝仕事を拒否したり…。社会の裏に隠れがちな女の人生を軽やかに前に出す作品ですよね。

一方、ミッジも進化中。もともと彼女は育ちのせいか世間知らずなところがあり、知識も広くはなかったのですが、漫談活動で経験値を得てパワーアップ。ネタも豊富になってきます。身内ネタだけでなく、どんどん手数も増えて、観客ごとの使い分けも巧みに。

本作は“jewishness”な作品で、ミッジ含めてユダヤ系のコミュニティを描く作品でもあります。ユダヤ人らしくないことを「ゴイッシュ」と表現しますが、ミッジはユダヤ・ネタも散々活用。シーズン1初っ端からエビのギャグでラビを怒らせますし(ユダヤ教ではエビは食べれない)、シーズン3の米軍慰問のショーではクリスマスソングを歌えと言われてユダヤ教だけど歌うというユーモアがあったり、ユダヤ目配せがふんだんです。

集大成的な最終話の漫談シーンは演出が上手いなと思います。アポロシアターという大舞台を前に、マムズ・メイブリー(実在の黒人女性コメディアン)のマネージャーから白人女(white girl)に前座をとられたとキツく言われ、これから黒人観客層を前に漫談する自信が失せるミッジ。ソフィのときも不評を買ってしまいましたし、これまでの経緯からここでミッジは人種差別的なことを言ってしまうのではと視聴者としてもハラハラです。でもなんなく大歓声でクリア。成長を見せます。

ところが巡業からミッジを外すほどに顔も見たくない状態でシャイから絶縁を宣告されてしまいます。これ、詳細な説明はないですが、要するにシャイはゲイで、ミッジが漫談で「ジュディ・ガーランド」(ゲイのシンボルとされる;『ジュディ 虹の彼方に』を参照)に触れてしまったことで、さりげないアウティングになってしまった…という問題です。ああ、そっちか…という盲点的なオチ。

さあ、茫然自失で飛行機を見送るミッジとスージー。この二人は自分の翼で飛べるのか…。

『マーベラス・ミセス・メイゼル』
ROTTEN TOMATOES
S1: Tomatometer 94% Audience 96%
S2: Tomatometer 91% Audience 92%
S3: Tomatometer 82% Audience 74%
IMDb
8.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Dorothy Parker Drank Here Productions, Amazon Studios マーベラスミセスメイゼル

以上、『マーベラス・ミセス・メイゼル』の感想でした。

The Marvelous Mrs. Maisel (2017) [Japanese Review] 『マーベラス・ミセス・メイゼル』考察・評価レビュー