フィルムが映す今の若者の交流のカタチ…映画『殺さない彼と死なない彼女』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2019年)
日本公開日:2019年11月15日
監督:小林啓一
恋愛描写
殺さない彼と死なない彼女
ころさないかれとしなないかのじょ
『殺さない彼と死なない彼女』あらすじ
何にも興味が持てず退屈な日々を送る男子高校生・小坂れいは、教室でいとも簡単に殺されてゴミ箱に捨てられたハチの死骸を校庭の花壇に埋めている鹿野ななに遭遇する。ネガティブでリストカット常習犯だが虫の命は大切に扱う彼女に興味を抱く小坂。鹿野も小坂と不器用な会話を続けていくのを拒絶することもなく、2人で一緒に過ごすことが当たり前になっていく。
『殺さない彼と死なない彼女』感想(ネタバレなし)
青春学園モノの新時代が到来
2019年の調査によれば10代の若者の約90%が「LINE」を利用し、60~70%が「Twitter」を使い、10代の女子の約70%は「Instagram」を用いているそうです。この3大アプリは今やティーンにとっては必須。若者たちのコミュニケーションはこれを基盤によって成り立っています。
そしてその3つはいずれも共通の特徴があり、つまり「短いコンテンツ」でコミュニケーションを成り立たせるものだということ。LINEはSMSとして元から短い文章を前提にした会話のやり取りが連続的に連なることに特化していますし、Twitterは140文字までの短文という制限の中であれこれと思考錯誤しながらテキストや画像や動画が流れていきます。Instagramは写真が主ですが、とくに若者に人気なのが「ストーリーズ」という24時間で写真や動画が消えてしまう中での限られたやりとりができる機能です。
昔から略語とかは若者言葉の定番でしたが、現代ではこれらのツールによってティーンのコミュニケーションはますます“ショート”になっています。逆にブログみたいな長文コンテンツはどんどん煙たがられるばかりですね。
このコミュニケーションの短縮化というトレンドは“簡単につながれる”という気軽さのメリットもある一方でいろいろな弊害もあって、例えば、意見の食い違いが起きやすいですし、人を傷つける言葉も横行しやすいですし、なによりもこれで本当に親交を深められたのか、その確証を得にくいです。
現代の若者文化の潮流に反して長々と前置きしてしまいましたが、今回の紹介する映画はその短縮化されたコミュニケーションが日常になっているイマの若者の姿を巧みに反映した青春学園モノと言えるのではないでしょうか。それが本作『殺さない彼と死なない彼女』です。
原作は「世紀末」という人が描いた4コマ漫画で、それこそSNSで人気を集めていたもの。漫画もSNSの中でヒットしていくには、やはり4コマみたいなスタイルは適切ですよね。すぐに目につきやすいですし、読んでみたくなりますから(私も漫画が描けたらなぁ…)。
そんな漫画原作の青春学園モノ映画なんて毎年腐るほどありますよ…と言いたいところなのですが、この『殺さない彼と死なない彼女』はその中でも埋もれることのない、極めて異色な一作として輝きを放ち、小うるさい映画ファンの心も射止めました。
具体的にどこが異色なの?と聞かれると困るし、とにかく観ればわかる!と説明放棄したい気分なのですけど、クセは相当に強いです。でも「クセが強い」という言い方も不適当だと思うのです。なぜならこれまでの王道とされる青春学園映画も冷静に見ればクセだらけですよ。単に見慣れて何も感じなくなってきただけで。正確には既存のテンプレどおりではない、新しいクセ(作品表現)に踏み込んでいるのが『殺さない彼と死なない彼女』だ…と言えばいいのかな。
私は本作を観て「これはイマドキの若者のネット上のコミュニケーションをあえてそのまま投影したような作品だな」と思いました。そういうものだと構えて観ると、違和感に邪魔されることも低減するかもしれません。ある種の実験的なスタイルですけど、これがむしろ主流になるべきなのかも。
監督はミュージックビデオを手がけつつ、2012年の『ももいろそらを』という長編監督デビュー作で注目を集めた“小林啓一”。間違いなく『殺さない彼と死なない彼女』によって多くの映画ファンの記憶に刻まれたことで、今後も期待される監督のひとりになったでしょう。
『殺さない彼と死なない彼女』は群像劇ですが、最も目立つ主演は“間宮祥太朗”と“桜井日奈子”。
“間宮祥太朗”は今では大活躍の若手の代表格ですし、最近も『ホットギミック ガールミーツボーイ』のようなこれまた異色な青春学園映画にも出演していました。『全員死刑』では“殺しまくりな彼”を演じていたのに、今回は“殺さない彼”ですから、なんだか変な感じ…。
“桜井日奈子”は『ママレード・ボーイ』や『ういらぶ。』などどちらかと言えばベタベタな恋愛青春映画に出演していた印象がありましたが、今回は一癖も二癖もあるヒロインを熱演し、イメージをリニューアル。
他には、『凪待ち』や『アイネクライネナハトムジーク』の“恒松祐里”、『かぐや様は告らせたい 天才たちの恋愛頭脳戦』の“堀田真由”と“ゆうたろう”、『雪の華』の“箭内夢菜”など。いずれも作中で素晴らしい個性を放つ役柄ながら、魅力全開で、本作で新たにファンになる人も続出したのではないかなと思います。
2019年は青春学園モノの邦画の個性派作が多かった印象でしたが、この『殺さない彼と死なない彼女』は必ず観ておきたい一本です。「観て」の一言で見てくれるなら何度でも「観て」を連発しますよ。
オススメ度のチェック
ひとり | ◎(今を象徴する青春映画をぜひ) |
友人 | ◎(好きな人同士で夢中になれる) |
恋人 | ◎(しっかり感動させてくれる) |
キッズ | ◯(ティーンになったら見たい) |
『殺さない彼と死なない彼女』感想(ネタバレあり)
「今日も死ねなかったか…」
どこにでもありそうな普通の学校の、普通の教室。どうやら室内にハチが入ってきたらしく、調子のいい男子がそのハチを殺し、女子たちがギャアギャアと騒いでいます。
そんな光景を視界にもいれず、興味なさそうな男子が席に座っています。彼の名前は小坂れい。
「高校生活に過度な期待を抱いてしまっていた。そのおかげで有限かつ貴重な時間をただただ無作為に殺すハメになった。その罪は思ったよりも重かったようだ。無関心、無感動、無感謝の退屈な日々を罰として与えられ、とうとう俺は何事にも興味が持てなくなってしまった…と、思っていた」
ゴミ箱に捨てられたハチの死骸をこそっと回収する謎の女子がひとり、小坂れいの目にとまります。他の女子の断片的な話によれば、重度のリストカットをしているヤバい子だとか…名前は鹿野なな。
ハチを紙に乗せてそろそろと持ち出し、教室から出るその女子、鹿野ななについていく小坂れい。廊下を共に歩き、話しかけます。
「お前どこにいくの?」「ハチを埋めに行くの」「へえ」「じゃあ…」
会話は散発的ですが、まだ一緒に歩くことは止まりません。
「なんでハチ埋めるの?」と聞けば、「なんでハチをゴミ箱に入れるの?」と逆に聞き返され「虫は嫌いだよ、でも虫をゴミ扱いするのはもっと嫌いだよ。君も嫌いだよ」とサラッと拒絶。
「死にたいな~」と脈絡もなくぼやく鹿野ななに、「じゃあ、俺が殺してやるよ」と答える小坂れい。
命を大切にするのに死にたがりな彼女、興味が沸いた瞬間です。
また視点は変わり、職員室に荷物を運ぶ女子二人がいます。きゃぴ子と地味子。「もう別れる」ときゃぴ子はこぼし、なにやら恋愛絡みのいつもの話のようです。「好きって言われたいから好きって言っているのに」「嫌いって言っても好きって返してほしい」…そんなきゃぴ子の重すぎる愛の自論に地味子は呆れ顔。
さらに視点は変わり、八千代と撫子が会話をしています。「私はあなたのことが好きなのよ。あなた以外考えられないし、考えたくもないわ」「あなた以外の誰かと幸せになるくらいだったらあなたのそばで不幸になりたいわ」…と撫子は八千代に猛烈にアピール。一方の八千代は「僕に期待しないでおくれよ、とにかく君とは付き合えない」と冷めた態度。
校庭ではやたら不格好に花壇にハチを埋めている鹿野なな。独り言を呟きながらハチ供養作業にあたっていると、また小坂れいが話しかけてきて、アイスをくれます。「このハチは私なんだよ。だから…」と情緒不安定に涙ぐむ鹿野ななに対し、「調子のんな、殺すぞ」と牽制する小坂れい。彼はアイスの棒をハチを埋めた土にさし、それを見て鹿野ななはにんまり笑うのでした。
学校の屋上では小坂れいに鹿野なながリスカの痕を見せつけていました。「死なないくせに」「殺さないくせに」…二人の会話は一歩通行で噛み合いません。死んでやると屋上の柵に乗り出す鹿野ななを抱きとめる小坂れい、そして「ねえ、なんか面白い話をして」と呟く鹿野なな。
きゃぴ子は地味子に学校で話題となっている殺人犯の配信動画を見せています。「練習台になってくれた彼には感謝です」そういって死体を映す殺人男。地味子は不愉快を露骨に表し、「まじで消して」と口にしますが、きゃぴ子は「これもひとつの愛のカタチだと思わない?」「少なくともこの殺された女の人は孤独じゃないかったはずだよね」と恍惚。そんな彼女に地味子は「1年のとき、お葬式に行ったの忘れたの」と思い出させます。その葬式では「そんなに言うなら彼の目を覚ましてみろよ」と叫ぶ声も聞こえていました。「なんか叫んでた人いたよね、彼女だったのかな」…そして思い直したきゃぴ子は一言。
「やっぱりこの人、嫌い、死ね」
そんなとめどない単発的で短い単語の応酬による交流の先にあるものは…。
声が動きがあるからますます面白い
『殺さない彼と死なない彼女』は鑑賞してみて直感的に「きっとこれは原作の時点で魅力的なんだろうな」とまずは思いました。で、原作も少し見たのですけど、4コマ漫画らしくと言いますか、絵がすご~く緩いんですね。なんかこう、ほわんとしたキャラが、ほわんとしたセリフをぶっきらぼうに投げかけて、ちょっぴりの交流が生まれる…みたいな。でもそこが面白い。なるほどこれは中毒性があると、初見でいきなり私も納得できました。
ではこの原作をどう実写映画化するかという話。実写となるとそのままリアルな人間になってしまいますし、この独特な空気感は出ないのではないか。そう心配になるのも当然なのですが、これがまた見事としか言いようがないレベルで原作の味を引き継ぎつつ実写映画として成立するものに仕上がっていました。
やっぱり役者陣の好演に支えられているのは誰が観ても痛感するところ。
基本的にどのキャラクターも癖が強すぎるので、やりすぎるといかにも「漫画のキャラです!」感がくどいほどに全開になってしまうのですが、でも絶妙にセーブが効いていてそのバランスがたまりません。そして基本的に二人の掛け合いになりますけど、個性の強いキャラとキャラが組み合わさったときの化学反応がまた最高で。
小坂れいと鹿野ななのペアは絶妙に感情が乗っていないトーンで、セリフを使った二人ドッジボールをしているスタイルと言えばいいのでしょうか。漫画では脳内空想するしかなかった声ですが、その声が俳優の演技で加わることで、「あ~これだ…」と納得感がある。リスカの痕を鹿野ななが目の前でうざいほどに見せつけてくるくだりの「ほら、ほら、ほ~ら」とか、「なんでお前、留年したの? 頭、悪いから?」と聞かれて、まごまご答える小坂れい(そんな彼への「キャラ設定、崩壊してんぞ」のツッコミ)とか、声があるから面白さが倍増しているシーンの連続。
あと映像ならではの面白さもあって、走り去る鹿野ななが柵をよじのぼって消えていく姿を見守る小坂れいの「かっこよくわないな…」と呟くシーン。あそこも全力の動きを見せる“桜井日奈子”あってこそのシュールさ。
きゃぴ子と地味子のペアは、互いに性格も違いますが、役者というリアルが追加されると余計にその対極さが浮き出て、それが面白くなっています。
八千代と撫子は一番実写化に向いていなさそうな存在です。「~だわ」と女言葉で話す撫子もそうですし、八千代もやたらと穏やかな語り口で、イマドキこんな古風な言い回しの高校生男女は絶対にいない、明らかに現実から浮いたペアです。でも違和感を抱かせない。これはもう役者の才能ですね。本作の俳優陣はみんな最高に良いですけど、私の中のベストを決めるならこの“箭内夢菜”と“ゆうたろう”の二人かな、と。
もちろん俳優だけではなくて、演出も確かな上手さがあって、役者に委ねるために演出を盛りすぎないという演出の立ち位置が良いですね。BGMやカメラワークで変に煽らないでいいのです。これで演出でも煽ったら本当にウザい感じになりますからね。でもさりげない演出のサポートはあって、例えば、地味子と八千代の姉弟関係を序盤に見せることで、本作の肝になるトリック(小坂れいと鹿野ななのシーンは過去であり、同一時間軸にない)を自然に隠してミスリードさせています。
声や動きをつけるだけならアニメでもいいのですが、実写ならではの素の人間の歪さも味にしてしまうあたりは完全に本作の勝ちですね。
友人でも恋人でもなくフォロワーで…
『殺さない彼と死なない彼女』は「イマドキの若者のネット上のコミュニケーションをあえてそのまま投影したような作品」と評しました。作中の登場人物の関係は、友人とか恋人とか、そういうありきたりな概念で表すよりも、もっと適切な言葉があると思うのです。
それは「フォロワー」。
他人のダイレクトなメッセージも頑なにブロックしている小坂れいは、鹿野ななの奇怪な行動に目をとめて、そこで初めて彼女を“フォロー”するんですね。そして鹿野ななも小坂れいを“フォロー”してみる。しょせんはポチっと“フォロー”しただけの関係なので、いつでも解除できます。でもなんとなくこの“フォロワー同士”の関係は持続し、空間を共にする。
きゃぴ子と地味子のペアは、二人にしかわからない“つながり”があって、それは他のクラスメイトの妨害でも決して消えません。長年の“フォロー”はときに友情よりも深いです。
撫子のしつこい「“フォロワー”して!」行動にうんざりして、ほぼブロックしているような状態の八千代ですが、その彼の心の懸念を除去したとき、二人はやっと“フォロワー”になれる。
「死にたい」「殺すぞ」「好き」「嫌い」…そんな単純な単語だけがフォロワーの間では交わされます。そういう関係です。
現在のティーンは、友情、恋愛、フォロワー…この3つの関係性を持っており、しかもその境界が曖昧だったります。フォローした程度では親友とは名乗れないのか? キスやましてやセックスをしても恋人と言えない感じがする…。こういう「今の自分たちの関係性ってどれなの?」というモヤモヤは、多様性が認められる今の時代は余計に浮き上がるものです。
ただこの「フォロワー」という関係性は「キャラ設定」の上で成り立っていることがほとんどです。ネットではアカウントというキャラを被っていますから。本作も誇張されたネーミングのキャラがそれを表していますが、あくまで設定を演じているだけなので、ときどき乱れます。撫子なんかはわかりやすく、動揺した時はかなりキャラがぶれます(映画館に誘った際にアッサリ連絡先をゲットできたときの「大丈夫…?個人情報よ…?」とか、八千代から電話が来た時の「だわ」口調がおざなりになっている感じとか)。
そしてフォロワーですらない相手からいきなり思わぬ暴力をぶつけられることもあるのがインターネットの世界。それは小坂れいに降りかかる唐突な死で示されているように。
だからこそコミュニケーションは成立して当たり前だとされるけど、でもコミュニケーションが成り立つって実は奇跡ではないか…そんな純粋な他者と繋がったことの喜びを感じられる映画でもあると思います。同時にその喪失感も描きつつ…。
そんな時代に生きている、生きないといけない若者たち。さらにその若者たちを蚊帳の外で全然理解できていない大人たち。『殺さない彼と死なない彼女』はまさに現代社会のその部分だけを抽出して青春学園モノに落とし込んだ、特異な一作じゃないでしょうか。
ちょっと前までは『桐島、部活やめるってよ』が青春学園モノの傑作としてもてはやされましたし、私も当時はそう思いましたけど、今あらためて鑑賞するとすごく“古さ”を感じるようになりました。それくらい時代は変わっているということです。『殺さない彼と死なない彼女』のようにアップデートをもたらす映画が生まれるのも当然ですね。
『殺さない彼と死なない彼女』もいつかは“古さ”を感じる日が来るのかな…。
ROTTEN TOMATOES
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IMDb
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シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2019 映画「殺さない彼と死なない彼女」製作委員会
以上、『殺さない彼と死なない彼女』の感想でした。
『殺さない彼と死なない彼女』考察・評価レビュー