タイの妖怪は切ない…映画『呪いのキス 哀しき少女の恋』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:タイ(2019年)
日本では劇場未公開:2019年にNetflixで配信
監督:シッティシリー・モンコンシリー
呪いのキス 哀しき少女の恋
のろいのきす かなしきしょうじょのこい
『呪いのキス 哀しき少女の恋』あらすじ
タイの小さな村。少女の内側にあるのは、2人の幼なじみの間で揺れる乙女心。そして、生けるモノをむさぼり食う血に飢えた悪魔。夜ごと姿を現す悪魔が、少女を苦しめていく。幸せに生きる方法はあるのだろうか。純粋な想いが暗闇の中で交錯する。
『呪いのキス 哀しき少女の恋』感想(ネタバレなし)
ホラー映画は国を学べる教材
「ホラー映画」というジャンルは稚拙な子供騙しな内容であるとして、映画ジャンルの中でもとくにチープだと思っている人も残念ながら存在します。まあ、そんな人は、体の中から蛆虫が湧いてでてくる呪いにでもかかれと、私は邪念を送り続けますが…。
でもそんな恨みはさておき、真面目な話、ホラー映画は全然バカにできないものだと思います。ハリウッド作品ばかり観ているとどうしても内容がテンプレ化してしまい、退屈するかもしれません。でも違うのです。とくにいろいろな国のホラー映画を観るのがとても楽しいのです。「ホラー映画なんてみんな同じでしょ?」という意見もあるかもしれませんが、これが全く異なります。それどころか、その国や地域の文化や歴史を反映したものになっていることが多く、ちょっとした博物館見学や史料研究の気分にすらなれます。
例えば、中東を舞台にしたホラー映画の『アンダー・ザ・シャドウ 影の魔物』、フィリピンを舞台にしたホラー映画の『オーロラ 消えた難破船』、韓国を舞台にしたホラー映画の『サバハ』。どれもその国の文化や歴史に紐づく特性が非常に色濃く表出していて、興味深いものばかり。
そして今回、紹介するホラー映画『呪いのキス 哀しき少女の恋』もまた“ある国”を良く知る一助となるでしょう。
その国とは「タイ」です。
東南アジアのタイ王国。日本人的には観光地というイメージですが、当然、他にもいろいろな側面があります。映画で描かれたタイといば、最近だと『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』という、タイの教育界の暗部を鋭くエンタメとして映し出した名作が印象に残っています。
『呪いのキス 哀しき少女の恋』では、タイの民間信仰として古くから地域住民に語り継がれる「ピー」という存在を題材にしています。この「ピー」は、要するに日本でいうところの「妖怪」に近い概念ですかね。地域によっていろいろな種類の「ピー」の伝承があるそうです。ちなみにタイに限らず、東南アジアの複数の国で類似した話が定着しています。
『呪いのキス 哀しき少女の恋』はその「ピー」の中でも「ガスー」という悪魔的存在が中心に描かれます。ビジュアル的には、浮遊する女性の生首で、内臓を垂らして飛び回っては人を襲って内蔵や排泄物を食らう…と言われています。日本の妖怪で言えば、「ろくろ首」っぽいですね。
そして、単なるホラーではなく、邦題からじゅうぶん伝わっていると思いますが、ロマンスの要素もとても大きい、青春恋愛映画的なストーリーにもなっています。結構、ド直球な恋愛模様が描かれますから、そういうのが好きな人は普通に楽しいのではないでしょうか。「ガスー」の見た目は怖いですけど、ロマンス成分で中和されるので、ホラー映画が苦手な人でもすんなり見やすいと思います。
「ガスー」のような「ピー」はタイではキャラとして一般層に認知されているようで(日本の妖怪と同じですね)、作品の題材になることも珍しくないみたいです。ただ、私は全然知識がなかったので、『呪いのキス 哀しき少女の恋』でタイのカルチャーを学べる良い経験ができました。
タイの観光旅行ではなかなか触れることのできない「ガスー」(まあ、出会えたらある意味凄いですけど)、この映画をきっかけに知ってみませんか?
Netflixで配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(ホラー好きなら) |
友人 | ◯(仲間と暇つぶしに) |
恋人 | ◯(ロマンス成分多め) |
キッズ | △(多少の残酷描写あり) |
『呪いのキス 哀しき少女の恋』予告動画
『呪いのキス 哀しき少女の恋』感想(ネタバレあり)
初恋は生チキンの味
冒頭、不吉そうなBGMの中、薄暗い森を歩く4人の子ども。男の子2人、女の子2人の構成。ひとりの男の子は「ノイ」というらしく、どこか臆病そう。一方、もうひとりの男の子は「ジャッド」という名でリーダー風情。女の子は「サイ」と「ティン」。
どうやら肝試し的なつもりで、ある怪しい噂のある古びた家を訪れに来たようです。なんでも、この家には箱があって「ヌアル」の魂が閉じ込められているらしく、夜にここに来たら帰れないとか。そんな話は冗談だと笑い飛ばすジャッドに流されるかたちで、かくれんぼをすることに。ノイはサイと一緒に隠れますが、家の2階の方が見つからないという考えで、二手に分かれて2階へ上がります。
ある部屋に立ち入ったサイは、部屋にデンと置かれる大きな木の箱を発見。恐る恐る中を覗き込むと“何もない”。そして、背後に気配を感じ…。
場面は一転。薄桃色の蚊帳の中で眠っていた少女が目覚めます。かなり大人っぽく成長したサイ。そんなサイに、明らかに気があるようにちょっかいを出す、これまた成長したジャッド。戦争のせいで学校は休みらしく、サイは自分が働いている診療所へ。ガラスの破片が足に刺さった子どもの治療をしますが、その痛々しい血を見てなぜか“ゴクリ”と喉を鳴らすサイ。“鶏がガスーにやられた”という話を聞き、それを父と祖母に話します。
そしてまた朝。目覚めるサイ。しかし、何かがオカシイと、異変を感じます。森に一緒に来てとジャッドを誘い、夜に出かけると、松明を持った人影が接近。それは…ノイでした。再会を笑顔で喜ぶ3人。ところが、すぐに謎の一団が後からゾロゾロと現れます。
この一団のリーダー、タッドという長い髭の男いわく、サラヤという場所から来たそうで、ガスーにやられたのだとか。「住む場所が欲しい、代わりに悪魔を退治してやる」そのタッドの提案に乗ることにするサイの村。サイはティンも合わせて久々の4人が集まれて談笑に華を咲かせます。一方、ノイは村長に、あの集団は何者なのかと問い詰められますが、「実はよく知らない。自分が村に来たくてここにガスーがいると嘘をついた」と白状。
そしてまたまた朝。目覚めるサイ。案の定、異変が深刻化。村では家畜が何かに襲われる被害が勃発。ジャッドは例の集団から銃の使い方を教わり、ガスー狩りへ。
その夜、赤ん坊が消えた騒ぎが起こります。真夜中の暗闇を飛び回る何かを目撃する住人たち。タッドは容赦なく発砲。その何かは赤ん坊を置いて逃げてしまいます。たまたま別の場所にいたノイは、浮遊する何かを発見。ついていくとそれはサイの家へ消えます。そのままノイがサイの部屋を覗くと、サイの首が不気味な光を発しながら、体とくっつく瞬間を見てしまい…。
サイがガスーだということにショックを受けるノイと、それを知られてしまったサイ。2人は秘密を共有し、サイは戸締りを厳重にして夜を過ごすようになり、ノイは夜な夜なサイの部屋へ鶏を届けて、ガスー化したサイに与えることに。
ノイは和尚から助言をもらいます。「もともとガスーは人を襲わない」「女性はガスー、男性はガハン」「心の言葉に従いなさい」…気持ちを固めるノイ。それに対して、サイとノイの関係が深まっていると感じるジャッドは焦ります。
しかし、この秘密は明るみになってしまい…。
血が示す、少女の堕落
『呪いのキス 哀しき少女の恋』は単純な“驚かせ”系のホラーではなく、かなり人間ドラマに比重を置いた作品で、そこが魅力でもあります。
まず実質的にメイン主人公であるサイ。
とても可憐な少女で、いかにもヒロインらしいヒロインなのですが、本作のような無垢な少女が異形の怪物になってしまう…という構造はこの手のジュブナイル系ファンタジーでは“あるある”な展開。なので本作はホラー“ファンタジー”ロマンスというべきかもしれません。特別な薬草とかが出てくるのが、ベタなファンタジーっぽさでもありましたし。
ただ、本作の場合、この“サイがガスーに変身している”という事実を観客に見せる過程が、しっかりジュブナイル以上に少女のリアルな成長とリンクさせているのが丁寧です。
例えば、最初、画面に成長したサイが初めて映るシーンとなる、目覚めの場面。薄桃色の蚊帳の中で起き上がり、ベッドのシーツに赤い血がついているのに気づくサイ。この生理に対して微笑みを浮かべるような仕草、口紅を塗る動作、赤ん坊に興味を持つくだり、ジャッドと付き合うの?ヤルの?と揶揄われるくだり…明らかにサイが“大人の女性”へと変身していることを強調していますし、サイ自身もまんざらではありません。どうやらサイの母は亡くなっているようで、サイも母になりたいという願望が強いのかもしれません。
ところが、何度か繰り返されるサイの目覚めのシーン。サイの少女性を示していたような薄桃色の蚊帳は無残にも乱れ、ベッドの大量の血は生理とは言いづらくなっていき、やがて血を吐くまでになり、サイは自分が“大人の女性”ではなく“別の何か”になっていることを自覚する。この一連の“こんなはずでは…”という女性の(言い方が悪いですが)悪魔的な堕落の描写が実にスマートで上手いなと思いました。
明確にガスー化したサイの仕業としてハッキリ提示されるのが、“赤ん坊をさらう”という行為なのも、一種の闇落ちしたサイらしい姿です。彼女の望む心が誤った方向に暴走しているようにも見えます。
さらに勘ぐろうと思えば、このサイのガスー化は“レイプ”的な被害を暗示するようなものとも捉えられなくもないですし(正体がタッドにバレたサイが“誘拐されてレイプされそうになった”と嘘をついて、押しかけるタッドと住人たちをかわそうとする場面もありました)、“こんな私を愛してくれますか”というサイの苦悩と直結する気もします。被害を受けたはずのサイに世間の憎悪が集中する展開も合わせるとなおさら…。
戦争が潜む、少年たちの堕落
一方で『呪いのキス 哀しき少女の恋』では悪魔的な堕落を迎えるのは女性であるサイだけではありません。
ジャッドとノイ、2人の男性陣も悲劇を味わうことになります。
この側面を考察するうえで欠かせない本作の裏テーマに「戦争」があると思います。
「バンコクで空襲があった」と作中で何度か言及されていますが、この物語は太平洋戦争中の時代であることが推察できます。当時、日本軍がタイ王国に進駐していたため、英米軍隊は大量の爆撃機で攻撃を実行。ろくな反撃を行えるほどの戦備が日本とタイにはなかったこともあり、ただ一方的にバンコクの街々は焼き尽くされ、結果、数千人の死傷者を出しました。
本作はこの戦争を直接は描きませんが、ホラー映画というデコレーションで実際は描いているとも解釈できます(ホラー映画ではよくある手法)。
ジャッドはガスー退治のために銃の訓練をするようになりますが、これなんかはまさに戦争に赴く兵士そのもの。戦果を挙げる自分の姿を示すことで、自分を愛してもらえると信じて疑わない、それしかできない男の性。そんなジャッドは、実は「ガハン」という別の悪魔的存在だったタッドの策略にハマり、自らが怪物化しながら、最期を迎えます。
対するノイはバンコクの空襲から逃げるようにしてやってきたことが本人の口から語られるように、逃避というかたちでサイへの愛を示します。しかし、戦火から逃げることはできず、バンコクで両親を失ったノイは、今度は目の前でサイを失うことになり…。サイを殺めるのが名もなき住人たちの暴走した憎しみの暴力というのも…。
戦っても“死”。逃げても“死”。2人の男が体験するのは、まさに戦争の暴力。ガスーの伝承が、憎しみの連鎖は消えないことを示すのも、戦争の本質そのものです。
ちなみに後半の大惨劇の前に野外映画上映会が行われていますが、それもエンターテインメントvsリアルという、戦争がフィクションを浸食する光景をそのまま可視化したようで印象的(映画で描かれるようなことが現実で起こるわけですから)。
背景にある戦争を理解しておけば、本作はただの後味の悪いバッドエンディングではなく、戦争に手を染める人間への戒めと鎮魂でもあることが感じ取れるのではないでしょうか。
ラストに映るのは、「戦争が終わったらバンコクに行こう」と指をつなげて誓い、約束する3人の若者の“あったかもしれない姿”。その未来を奪った殺戮。それを二度と起こさないためにも、語り継がなければいけない物語があるのです。その物語は、ときにホラー映画というかたちに変身しながら、今日もインターネットの暗い世界をフワフワと漂います。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
6.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)Nakid
以上、『呪いのキス 哀しき少女の恋』の感想でした。
Krasue: Inhuman Kiss (2019) [Japanese Review] 『呪いのキス 哀しき少女の恋』考察・評価レビュー