SSUは狩りつくされて絶滅した…映画『クレイヴン・ザ・ハンター』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2024年)
日本公開日:2024年12月13日
監督:J・C・チャンダー
くれいぶんざはんたー
『クレイヴン・ザ・ハンター』物語 簡単紹介
『クレイヴン・ザ・ハンター』感想(ネタバレなし)
SSUの送別会
私は普段から観た新作映画について、常にこのウェブサイトで感想を書いているわけではないのですけど、今回の映画も「感想は書かなくていいや」と思っていました。いろいろ疲れも溜まっていたし…。でも「SSU」はこれで最後だというじゃないですか。じゃあ、見納めなんだし、送別会の気分で感想を残しておくか…ということで今に至る(動機説明)。
ということで本作『クレイヴン・ザ・ハンター』の感想です。
まず基本からおさらいしましょうか。最後だし…。
「SSU」というのは「ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース(Sony’s Spider-Man Universe)」の略です。マーベルが「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」を成功させているのをみて、羨ましがったソニーが始めたアメコミ・フランチャイズのシリーズとなります。そもそもだいぶ前からソニーはスパイダーマン関連作品の映像化権を保有しており、「スパイダーマン」主役映画をずっと製作・配給してきました。MCUでも“トム・ホランド”版のスパイダーマンをソニーは共同で手がけ、『スパイダーマン: ホームカミング』(2017年)、『スパイダーマン: ファー・フロム・ホーム』(2019年)、『スパイダーマン: ノー・ウェイ・ホーム』(2021年)の3部作を見事に達成しました。
それとは別にMCUとは関係なく、ソニーだけの独自のシェアード・ユニバースを構築するのがこの「SSU」でした。
SSUの第1弾は2018年の『ヴェノム』であり、第2弾はその続編の2021年の『ヴェノム レット・ゼア・ビー・カーネイジ』、第3弾は2022年の『モービウス』。さらに第4弾は2024年の『マダム・ウェブ』、第5弾は『ヴェノム ザ・ラストダンス』、そして第6弾が本作『クレイヴン・ザ・ハンター』です。
2024年はSSU作品が3作も劇場公開され、「ここから一気に加速するのかな」と思ったら、『クレイヴン・ザ・ハンター』のアメリカ本国公開とほぼ同時期、「SSUの今後の企画はありません。実質的に終了です」という非情な報道が…。
なんだろう、既視感があるな…と思いましたが、あれですね、『ブラックアダム』の日本公開時の「DCEU」の終了のお知らせのときの感覚と一緒だ…。「ええ!? 終わりなの!?」という困惑。監督や俳優はもちろん、ファンはどういう気持ちでいればいいんだっていう…。
正直、SSUは迷走していました。興収が低いとかそういう話ではありません。シェアード・ユニバースと銘打っているわりには各作品の繋がりがなく(もしくは極めて薄く意図が掴めず)、看板倒れになっていたからです。だからこそ頑張って企画に寄り添ってあげているメディアやファンは「いやこれからだよ! この作品のこのキャラが今後の重要な役割を果たすんだよ!」と健気にフォローしてきました。
しかし、その献身も虚しく、当のソニーの上層部は本当に何も将来性を考えていなかったことが露呈しました。結局、1作ごとにとりあえず作品を打ち出して、当たるかどうかみる…という単にそれだけのビジネス戦略でした。もう儲からないと見切りをつけ、SSUは閉幕されました。全部、投資家の顔色しか窺っていない大企業上層部のせいです。監督や俳優じゃなく、”アヴィ・アラッド”とか“マット・トルマック”みたいな人たちを責めてください…。
ただ、これはSSUだけの問題ではなく、今のアメコミ・フランチャイズ全体の構造的問題です。決して「スーパーヒーロー疲れ」とかそんな陳腐なものではありません。そもそもシェアード・ユニバースという巨大な企画は全作品が特大ヒットするなんてあり得ないのに、企業上層部は「特大ヒットしないといけない」という強迫的な資本主義に憑りつかれ、1作ごとに「これはダメだ。これはまだ良し」というそろばん勘定でしか見ていないからでしょう。ファンもクリエイターもそんなカネありきの考えに振り回されてきました。
アメコミ映画の作品の多さや質の問題ではなく、この資本主義構造が根源にあり、それが結果的に作品数や質を左右しています。根っこの諸悪が何も反省しないことにはまた過ちを繰り返すでしょうね…。
これはハリウッドに限らず、今の日本のメディアコングロマリット化する映画産業も似たり寄ったりなので、他人事ではいられないですが…。
『クレイヴン・ザ・ハンター』に話を戻しますけど、不幸な作品にはなってしまいました。この「クレイヴン・ザ・ハンター」というスーパーヴィランはファン待望の映画化で、実は結構前から映画に登場する案が浮上しては企画倒れに終わっていました。ついにやっと登場、しかも主演作なのです。ファンは嬉しいにきまっています。
歴史を知る人には涙しながら観まもれるクレイヴンの雄姿をどうぞご覧あれ…。
『クレイヴン・ザ・ハンター』を観る前のQ&A
A:とくにありません。
鑑賞の案内チェック
基本 | — |
キッズ | 殺人などの暴力描写が一部であります。 |
『クレイヴン・ザ・ハンター』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
ロシアの荒涼とした冬の大地で、トラックで連行される男たち。到着したのは厳重な刑務所です。新人を野蛮に歓迎する囚人たち。
ここにやってきたひとりの男は、新人イジメに遭うも、ものともしない怪力をみせるなど堂々としていました。そして、1週間もたたないうちに、「ボスが呼んでいる」と言われて、部屋に通されます。そこで待ち構えていたのは有名なギャングのボスでした。
「お前は何者だ?」と聞かれ、「ハンターだ」と答える男。
「何を狩る?」「お前みたいな奴だ」
クレイヴンと名乗り、床に敷いてあった肉食獣の毛皮の牙を使って、残忍に暴れだします。ボスを殺害し、素早い身のこなしであっという間に屋根へ。銃弾を浴びるも素早く避け、壁を登り、獣のように疾走。雪の嵐に隠れていた輸送機に乗り込み、脱出するのでした。
16年前、若きセルゲイ・クラヴィノフは異母兄弟のディミトリと平穏に過ごしていました。しかし、父のニコライが迎えに来ます。母が亡くなったそうです。こうして裏社会の大物である父と関わらないといけなくなってしまいました。
ある日、アフリカでの狩猟に連れていかれ、サバンナで野生動物を楽しそうに狩るニコライに付き合わされるセルゲイとディミトリ。
翌日、セルゲイとディミトリが2人だけで歩いていると、巨大なライオンがゆっくりこちらを見つめていました。一瞬、目があって何か意思を交わせそうな雰囲気がありましたが、父が遠くから発砲し、ライオンを負傷させ、怒り狂ったライオンがすぐそばにいたセルゲイに食らいつきます。セルゲイは致命傷を負い、瀕死でライオンに連れ去られます。
そこに何かを感じ取ったカリプソという女性が引き寄せられるように現れ、セルゲイに特別な血清を与えました。ヘリで運ばれる彼の手に1枚のタロットカードを残して…。
緊急医療も虚しくセルゲイの死亡を医者が宣告するも、急に息を吹き返します。奇跡としか言いようがないものでした。
帰国したセルゲイは父が嫌になり、夜中に家出します。母が所有する秘密の自然保護区に逃げますが、そこで自身の動物的な身体能力に気づきます。あの死から蘇ったとき、自分は変わったのかもしれない…。
セルゲイはここからクレイヴンとしての生きることに…。
バッファローはぐるぐる回る仕事です
ここから『クレイヴン・ザ・ハンター』のネタバレありの感想本文です。
『クレイヴン・ザ・ハンター』は『マダム・ウェブ』よりは予算が与えられているのでしょう。ちゃんとダイナミックなアクションのシーンがあります。
しかし、相変わらず中身はありきたりで、物語を引っ張る謎もなく、予定調和です。冒頭8分を除けば映画開始から1時間はほとんどアクションもなく、なんか感傷に浸っているクレイヴンとカリプソの会話をみせられるだけです。
ようやく中盤過ぎにディミトリが拉致されてから獣モードで車を追うパートで、コミックらしいアクションが目を楽しませてくれます。ずっとひたすらこのノリならまだマシだったのですが…。
ただ、今作のクレイヴン、猛獣のようなアクションを表現したいのでしょうが、さすがに漠然としすぎていました。とくに壁を登る一部の動作とか、完全にスパイダーマン風なのはなぜ? モーションの使いまわしでもしてるの?
決戦の見せ場は、アレクセイ・シツェビッチがライノとして変身した姿との1対1のバトル。ライノもソニーの「スパイダーマン」映画では常に不憫なキャラだったので、こうしてようやく登場してくれたのは良かったです。アレクセイを演じた“アレッサンドロ・ニヴォラ”のあの独特な佇まいも個人的には好きでしたし、もう変身しない見た目のほうが気に入ってるくらいです。なんで対戦中、バッファローの群れをずっとぐるぐる回らせておいてるんだろうとは思いながら観てましたが…。
そして、今回のクレイヴンとの対決相手としてふさわしいかというと、あんまり…。因縁が薄すぎるのですよね。因縁で言えば、どうしたってディミトリ(カメレオンという能力者の片鱗をラストでみせる)のほうが適しています。兄弟同士の確執は定番ですから。
“アーロン・テイラー=ジョンソン”があの毛皮ベストを着るのが最後のシーンだけというのももったいないです。ライノと戦っているときに着るのでもいいし、父に熊を仕向けて殺すのもライノ戦の前でもいいくらいなのに。
この映画の質がさらに低くみえる要因になっているのは、ロシアの設定です。クレイヴンは原作からロシアのキャラクターで、それはこの映画でも同一です。しかし、演じるのは“アーロン・テイラー=ジョンソン”ですし、その父を演じるのも“ラッセル・クロウ”です。“ラッセル・クロウ”は淡々とロシア訛りで雰囲気をだそうとしていましたが、典型的なハリウッドの雑なロシア表象そのもので、深みも何もないロシアなものだから…。
そこにさらに“アリアナ・デボーズ”演じるカリプソの、これまた雑なアフリカ表象が加わるので…。ヒロインとしてとりあえずだしておきましたという感じだし。
『クレイヴン・ザ・ハンター』を監督したのは、『マージン・コール』や『オール・イズ・ロスト 〜最後の手紙〜』の“J・C・チャンダー”ですが、持ち味は全然発揮できていなかったと思います。
スパイダーマンと戦う前に倒すべき相手
すでにいろいろ書きましたが、『クレイヴン・ザ・ハンター』はコンセプト自体からして疑問ではありました。
そもそもスーパーヴィランを主役にした作品を作るとき、一番つまらなくなるのは安易に「同情できる」キャラに変えてしまうことです。キャラを掘り下げるのはいいのですが、そのキャラ構築が類型的なのが問題で、とくにヴィランは同情ありきになりやすいです。
今作のクレイヴンも原作コミックではヴィランでありつつ、多彩な立ち位置をみせる存在なのですが、この映画では独立しているので、クレイヴン単体で魅せなくてはいけません。
そこで製作陣がとった手段が、クレイヴンをバイオレンスではあるけど、中身としてやってることはヒーローと変わらない存在に作り替えることでした。今作のクレイヴンは、自警団的な行動をとり、そこまで動機も倫理に外れていません。密猟者を狩るという環境保護主義者にもなっています。動物に優しいお兄さんです。
要するに『ターザン』のキャラクターの型の模倣品なんですよ。若干のバイオレンスなターザン。というか、本作を観ていて既視感があるなと思ったら、2016年の『ターザン:REBORN』とたいして変わらないです。筋肉ムキムキのマッチョが、野生動物を味方につけて、超人能力でワイルドに悪者を倒す…。『クレイヴン・ザ・ハンター』はそれにちょっと裏社会のダーティな雰囲気を足しているだけです。
SSUのアンチヒーロー映画で『ヴェノム』がある程度の人気を集めたのはマスコット的なアイコンになりえたからです。かなりピンポイントな成功例でした。『モービウス』が失敗しているのはアイコンにはならないし、オリジナリティもないからです。『クレイヴン・ザ・ハンター』はその二の舞になってしまっています。SSUはヴィランを主題に映画を作りまくっているイメージですが、実のところ全然攻略法を見いだせていないのでしょう。
やっぱりスパイダーマンのヴィランってスパイダーマンありきのリアリティバランスだなとつくづく思うのです。だってあのスパイダーマンも相当にヘンテコなキャラですよ。それと戦う相手だからこそヴィランも癖が強いです。スパイダーマン抜きだとヴィランの癖の強さだけが浮き上がってしまいます。
もしクレイヴンがスパイダーマンと戦っていたら絶対にバランスはいいと思います。「うわ~獣みたいに動けるんだね! 僕は蜘蛛だよ。虫の動きはできる? 哺乳類オンリー? 犬と猫だとどっちが好き?」みたいなくだらない会話が目に浮かぶ…。『スパイダーマン: ノー・ウェイ・ホーム』でも実感したばかりなんですけどね、ヴィランにはスパイダーマンが必要だということを…。
「ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース」の最大の欠点は企画名詐欺になっているとおり、スパイダーマンが登場しないことじゃないかな…。別に“トム・ホランド”版じゃなくても、スパイダーマン関連キャラならいくらでも原作にいるのに…。
万が一、「やっぱりSSUを続けます」となっても、それは嬉しいニュースではないということは言っておきたいです。問題構造は温存したままですから。
SSUのキャラたちをMCUに合流して再登場させるのも、マルチバースの設定を映画産業に切り捨てられた人たちのハローワークのように使うんじゃないよ…とは言いたい…(それが許されるのは『デッドプール&ウルヴァリン』までかな)。
今回のこの感想では『クレイヴン・ザ・ハンター』をつまらないとボヤきたいわけじゃないのです。この映画産業というものを酷評しているのです。
クレイヴンにはスパイダーマンと戦う前に、まず映画スタジオで札束に夢中になっているトップの人間をぶちのめしてほしいですね。そいつら、裏社会の悪者同然なんで…。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)MARVEL クレイヴンザハンター クレイブン・ザ・ハンター
以上、『クレイヴン・ザ・ハンター』の感想でした。
Kraven the Hunter (2024) [Japanese Review] 『クレイヴン・ザ・ハンター』考察・評価レビュー
#アメリカ映画2024年 #アメコミ #マーベル #SSU