あらすじは盗掘されました…映画『墓泥棒と失われた女神』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イタリア・フランス・スイス(2023年)
日本公開日:2024年7月19日
監督:アリーチェ・ロルヴァケル
恋愛描写
はかどろぼうとうしなわれためがみ
『墓泥棒と失われた女神』物語 簡単紹介
『墓泥棒と失われた女神』感想(ネタバレなし)
アリーチェ・ロルヴァケル監督の世界に
私は墓荒らしの被害に遭ったこともないですし、身近で感じたこともないのですが、やはり日本は火葬の文化が基本で、墓も省スペースですし、そもそも盗むものが乏しいのかもしれません。
しかし、世界では墓荒らしはわりと普通に起こっているそうです。
なんとなく墓荒らしと言えば、棺で遺体と一緒に納められる品々(いわゆる副葬品)のうちの高価なものだけを盗んでいくのが目的なのかなと思うのですが、なんと故人の骨自体を盗んでいく事例も珍しくないとか(The Guardian)。なんでもそうやって墓から盗まれた骨を扱う闇市場があるらしく、数千円から数万円で取り引きされるとのこと。
つまり、日本だったらおカネに困っている人たちが室外機とかを盗んでいくのと同じような感覚で、世界中で骨が盗まれているんですね。死んでから自分(の骨)が勝手に闇市場に流されてよくわからんコレクターに愛好されるのは確かに嫌だな…。日本は火葬の国で良かったかもしれない…。
今回紹介する映画は、墓から人骨を盗むわけではないですが、他のモノを盗むのでじゅうぶんに罰当たりな奴らの物語です。
それが本作『墓泥棒と失われた女神』。
本作は監督から紹介していかないといけないですね。その人とは、イタリア出身の“アリーチェ・ロルヴァケル”(アリーチェ・ロルバケル)です。
1981年生まれと“アリーチェ・ロルヴァケル”は現時点で40代の年齢で、巨匠の多いイタリア映画界ではまだまだフレッシュ。しかし、2011年の初の長編劇映画『天空のからだ』で鮮やかなデビューを飾り、続く2作目の2015年の『夏をゆく人々』ではカンヌ国際映画祭グランプリを受賞し、長編3作目の『幸福なラザロ』(2019年)はカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。一気に階段を駆け上がっていきました。
“アリーチェ・ロルヴァケル”監督作品は著名なシネフィル監督たちに愛されまくっており、例えば2022年に監督した短編映画『無垢の瞳』は“アルフォンソ・キュアロン”が製作で後押ししてくれています。
その“アリーチェ・ロルヴァケル”監督の2023年の最新作がこの『墓泥棒と失われた女神』。物語は歴史的に貴重な品々を狙って墓を盗掘していく一味に加わっている男を描いたもの。もちろん『インディ・ジョーンズ』シリーズみたいなアクション活劇はなく、“アリーチェ・ロルヴァケル”監督らしいユーモラスさとマジック・リアリズムが煌めく人間模様がこちらを魅了させてくれます。
今作『墓泥棒と失われた女神』で主演するのは、イギリス人で『ゴッズ・オウン・カントリー』や『チャレンジャーズ』の“ジョシュ・オコナー”だというのが意外でしたが、どうやら彼のほうから監督に「出演したい」とアプローチしたようです。結果、見事な主演作を手に入れ、きっとご満悦でしょう。
他には、イタリア映画界の巨匠“ロベルト・ロッセリーニ”監督を父に持ち、『不滅の恋/ベートーヴェン』や『複製された男』など多彩に活躍してきた“イザベラ・ロッセリーニ”も重要な役で出演しています。
また、“アリーチェ・ロルヴァケル”監督の姉で、『ハングリー・ハーツ』や『靴ひものロンド』などにでている“アルバ・ロルヴァケル”も参加。監督作の常連ですね。
さらに2019年に『見えざる人生』で映画デビューしたばかりの“カロル・ドゥアルテ”も主人公と並んで目立つかたちで共演します。“カロル・ドゥアルテ”は2017年に『A Força do Querer』というブラジルのドラマでトランスジェンダーの役を演じて高評価を受けたそうです(ちなみに“カロル・ドゥアルテ”本人はレズビアンであると公表しています)。
『墓泥棒と失われた女神』で“アリーチェ・ロルヴァケル”監督の映画に初めて触れるという人でも大丈夫です。そもそもそんなに難解な映画を作る人ではないですから。
墓荒らしは映画の中だけにしてください。
『墓泥棒と失われた女神』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | — |
キッズ | 子どもでも観れますが、子どもにわかりやすくはないです。 |
『墓泥棒と失われた女神』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
列車に揺られて眠る青年。大切な女性の夢をみていたような気がしますが、車掌に起こされます。同じ部屋の乗客に「どこから来たんですか?」と質問されるも曖昧な返事。
1980年代、イタリア・トスカーナ地方の田舎町。イギリス人のアーサーは、実は刑務所から釈放されてこの地に戻る最中でした。窓を開ければいつもどおりの長閑な風景しかありません。ここはそういうところです。以前と変わらない場所。
列車を降りて駅のホームに踏み出すと、いきなり男に話しかけられます。そして車でついてきます。アーサーはスパルタコという名の美術商に売るために墓から遺物を盗んだ罪で逮捕されていたのですが、この町の連中とつるんでその盗みをしていたのでした。なので顔は知られています。
渋々車に乗り込み、街中の顔見知りに迎えられますが、アーサーは嬉しくありません。さっさと賑わいのある場から離れてしまいます。
ひとめを避け、外れにある小さな小屋に向かいます。この粗末な掘っ立て小屋が居場所です。ここに住んでいるのです。
そして元恋人のベニアミーナの母フローラの実家を訪ねます。まずそこにいたのは住み込みメイドのイタリアでした。この築年数を感じる家で働いているらしく、初対面ですが、アーサーについてはフローラから聞いているようです。
フローラは奥におり、アーサーを見てすぐに温かく迎えてくれます。アーサーがいない間もいつもアーサーの話をしていたとのこと。フローラは娘ベニアミーナが帰ってくると今も頑なに信じています。アーサーはそれについて何も言えません。
家にはベニアミーナの姉妹たちが集まりますが、母から贔屓される部外者のアーサーに敵対的です。そんな態度の他の娘にフローラは厳しい言葉を浴びせます。
小屋に戻り、夜を過ごしますが、ろくな暖房もないので寒すぎて風邪をひいてしまいます。
翌日、イタリアはフローラに命じられてコーヒーと体温計を持ってきます。物珍しそうに小屋を見渡すイタリア。骨董品のようなものが並んでいますが、墓から掘り起こしていることはイタリアは知りません。
イタリアが小屋の外で木を眺めていると、アーサーは木の下の地面に埋めて隠しておいたお気に入りの遺物がなくなっていることに気づきます。犯人はあの盗みの連中です。アーサーはすぐさまその隠れ家に行き、返してもらいます。
しかし、ここでやることは他になく、またも墓荒らしの誘いに乗っかってしまい…。
アーサーは何者なのか
ここから『墓泥棒と失われた女神』のネタバレありの感想本文です。
『墓泥棒と失われた女神』は、この映画自体のあらすじが盗掘されまくっていろいろなものが欠けているかのように不揃いで何も明かしてくれません。観客側で想像して補うしかありません。
まずアーサーは何者なのか。イギリス人であり、その身なりからしてあのトスカーナの町の出身ではないと見受けられます。しかし、逮捕されて出所したのに地元に帰るわけでもないあたりをみると、あのトスカーナの町くらいしか居場所がないほどに孤立しているようです。
肩書は考古学者のようになっていますが、冒頭の段階ではとてもそうは見えません。第一、考古学者はあんなダウジングに頼るわけがありません。違法な盗掘に加担だってしません。本来は正規の手続きで、遺跡などを調査し、許可のもとで発掘し、学術成果として記録します。しかし、アーサーはそれなりの知識もありますし、考古学を学んではいそうです。
また、アーサーの恋人だったというベニアミーナも謎です。説明は全くないですが、ラストの展開といい、盗掘連中は「死んでいる」とみなしていることといい、ベニアミーナはアーサーとその仲間たちと共に盗掘に参加し、その最中に落盤などで生き埋めになってしまい、生死不明となったのかもしれません(生存は絶望的)。
ここまでを整理すると、だいたい以下のような流れが映画の始まりまでにあったと想像することもできます。
一応は考古学者だったアーサーはこのトスカーナの町にやってきて自分なりに当時は真面目に調査をしようと試みるも、(資金不足にでもなったのか)地元の墓荒らしグループ(「トンバローリ」と呼ばれる墓荒らしに手を染める人たちがいる)にまんまと乗せられ、カネ稼ぎに加担してしまった…と。一方でこの町でベニアミーナという女性と出会い、恋に落ち、彼女も盗掘に参加。ところがベニアミーナは盗掘中に不慮の事故で死亡。罪悪感に潰されるも、なぜかアーサーに不思議な力が宿り、墓の場所を探り当てることができるようになり、盗掘をやめられなくなってしまい、逮捕に至る…。
上記は私の想像にすぎないですが、でも面白いのはこの映画は非説明的ながらもこれくらいの想像ができるくらいにはイマジナリティを刺激する物語の余白として楽しめるというところです。
とにかくアーサーという人物が物語の中心にいます。人間としては未熟で不甲斐ない存在です。あれほどどうしようもなく小汚く卑怯な手で盗掘を行う奴らとつるんでしまっているのですから、言い逃れもできません。
映画開幕後になおも盗掘をしてしまうのは、その行動動機として、ベニアミーナを求める心理とも重ねっているのかもしれません。本作は具体的にどこでベニアミーナが消えたのかという詳細はあえて不明にしており(普通ならわかっているはずなのに)、まるでアーサーが「あるかどうかもわからないもの」を必死に探しているようにみえる絵面になっています。
終盤ではイタリアと暮らすという第2の選択肢が目の前にあったにもかかわらず、やはり盗掘に戻ってしまいます。そして自身も生き埋めに…。
本作『墓泥棒と失われた女神』の物語の土台には、亡くなった妻を生き返らせるために冥界に赴いたというギリシャ神話のいちエピソードである「オルフェウスとエウリュディケ」の悲劇が参照されているようです。これはドラマ『KAOS/カオス』でも題材になっていましたが、元の神話では冥界に行くも妻と現世に帰ることはできません。オルフェウス(オルペウス)は悲しい結末によってその愛を終えます。
対するこの『墓泥棒と失われた女神』はかなり穏やかなラストの映像なので、悲壮感はないですね。
幻想(キメラ)、そして権力へのささやかな反逆
“アリーチェ・ロルヴァケル”監督は、1925年のロシア帝国の工場労働者のストライキを描いた大長編映画『Strike』を気に入っていると言っており、そのためか、自身のフィルモグラフィーでも権力への反逆を描いているものが多いです。
しかし、そんな壮絶な反逆ではなく、日常で起こるささやかな反逆として描写されます。
『墓泥棒と失われた女神』でもそうで、この映画内では権力者が大きく2者登場します。
ひとりは、アーサーたち盗掘グループが掘り当てた品々を売る相手であるスパルタコというミステリアスな人物。獣医クリニックを隠れ蓑に普段は正体を隠して取引しており、船上オークションで相当な高額で売りさばいていますが、アーサーたちに支払っているのはほんのわずかな金額です。
もうひとりは、ベニアミーナの母であるフローラ。イタリアに歌を教えているのですが相当に雑な教え方で(あれを「教えている」というのか?)、やる気というものを全く感じず、イタリアに子がいるとなったら追い出します。薄情で傲慢です。
どちらもカネ持ちで、貧しい労働者を都合よく搾取しています。
そしてそこにさらに歴史的な搾取の過去が浮かび上がってくるのが、アーサーたちが掘り起こす墓の主であるエトルリア人。エトルリア人というのはこのイタリア中央部で紀元前に繁栄していた先住民で、当時は都市国家をともなう高度な文明を発展させていました。しかし、ローマ人の侵略で滅び、ローマ文明はそのエルトリア文明を模倣している部分もあります。
搾取されて地下的な生活空間に居場所を持つしかできない人たち。盗掘者もそうですし、シングルマザーたちもそうですし、エルトリア人は文字どおりの地下に存在を残しています。
『墓泥棒と失われた女神』はそんな過去と現在の共通点を幻想で繋げる寓話でもありました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
関連作品紹介
第76回カンヌ国際映画祭の受賞作の感想記事です。
・『落下の解剖学』(パルム・ドール)
・『関心領域』(グランプリ)
作品ポスター・画像 (C)2023 tempesta srl, Ad Vitam Production, Amka Films Productions, Arte France Cinema ラ・キメラ
以上、『墓泥棒と失われた女神』の感想でした。
La chimera (2023) [Japanese Review] 『墓泥棒と失われた女神』考察・評価レビュー
#イタリア映画 #アリーチェロルバケル #ジョシュオコナー #考古学